本日のテーマは「歩いてみれば、たくさんの真実がある」です。
昨日からシンガポールへ到着していますが、今回は久しぶりに一人で来ているので、さまざまなミスをしてしまい、ホテルを予約せずに来ていたのです。
現地のビジネスパートナーのジェイソンの迎えの車で、ホテルを探し始めたのですが、なかなか思ったようなホテルはなく、ホテルが取れていないのを総務から聞きつけた藤澤常務がネットで、日本から探してくれたホテルへ泊まることが出来ました。
いつもスタッフたちと宿泊しているのと同等クラスのホテルで、バスタブ付ですが、同じホテルをジェイソンに電話で確認して貰った価格と、日本からネットで予約した価格とでは、2倍近くの開きがあり、当然、ネットの方がはるかに安いのですが、海外のホテルが日本から、おまけにその日の1時間後にチェックインするホテルの予約が安く出来るのには、一昔前との大きな変わりように、たいへん驚きました。
世界はますます狭くなり、あらゆる部分でグローバル化が進み、国内で出張しているのと、まったく変わらないのです。
今朝もいつものように、ホテルの周りを散歩していると、外気温が29度Cで、1日の最高気温は32度C、最低気温が26度Cで、少し暑く、5千歩の散歩でも汗をびっしょりかいてしまうほどです。
ホテルの前の通りは大きな通りで、道路沿いに大きな大木が青々と茂り、緑を大切にしてきた国であることが分かります。
少し歩けば、世界的に有名はホテル、ショッピングモールがあり、シンガポールの街は、まるで東京都内を歩いているような大都市の雰囲気ですが、表通りから1歩入ると、普通の町並になり、シンガポールの真実の姿に触れることが出来るのです。
シンガポールの国民1人当たりのGDPはすでに世界9位で、54,411ドルで、日本は世界27位で、36,221ドルで、日本の1.55倍に達しているのですが、ホテルの界隈を歩いて、庶民の暮らしぶりをみると、25年前に来ていた頃とそんなに変化していない部分もあり、日本とこれほどのGDPの差があるようには、見えないので、恐らく貧富の差は非常に大きいはずです。
今回のシンガポールのスケジュールは、5泊6日で、いつものようにイベントで来ているのではないので、私独自の時間が充分にあり、今後のシンガポールの可能性を十分に見てくる予定です。
昨日まで、ジェイソンはハノイに出張し、ハノイでは、外食が大きく進化して来ているのですが、最初に展開を始めた日本レストランの多くがすでに撤退し、現地資本で日本食レストランを始めている会社が強くなってきているようです。
このような現象は、今年1月に初めてロンドンに行ったときにも、現地で聞き、海外で日本食レストランを定着させるには、現地の事情の理解と併せて、進化を続けることが大切なのです。
海外で見る日本食レストランの多くが、過去の日本を背負っていて、メニューでも20年前、30年前は日本では当たり前だったような昔ながらのメニューで営業している店が残っていますが、海外でのレストランの進化の流れに取り残されているように見えます。
或いは、海外で新規に開業する生徒さんでも、海外ではオーソドックスな昔ながらのメニューの方が日本らしくてヒットすると勘違いしているような生徒さんがいますが、私のように海外をずっと見ていると、決してそうでなないのです。
海外で成功している老舗でも、進化し続けていて、昔のそのままではなく、新しい時代のライフスタイルに合った店しか、繁盛していないのです。
今朝も散歩していると、ホテルの付近にある素晴らしいレストラン街の一角を見つけたのですが、そのレストラン街は大きな教会もあり、今日は結婚式も行なわれる予定になっていました。
その一帯の施設は1854年に教会として、創立され、今では庭園内にたくさんの素晴らしいレストランが入店し、付近一帯とは、違った雰囲気を醸し出しているのです。
このように、どこの国に来ても、自分の足で歩いてみると、思いがけないもの、思いがけない事実に触れることが出来るのです。
朝の散歩は、単に健康のためだけではなく、単に意志力だけでなく、現地の真実の情報収集には欠かせないのです。
今回のスケジュールは、時間が充分あるので、今まで気付かなかったシンガポールの魅力について見て回りたいと思っています。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
門外漢の強み
この戦略は、真に新しい、際立ったものをつくり出すことを目指しているがゆえに、外部の素人が専門家と同じ働きをし、あるいは、それ以上の働きをして、素人の強みは、無謀なチャレンジが出来ることであり、知らないが故に、何にでもトライ出来るのです。
私は、もともと麺の製法等もまったくの門外漢だったので、美味しい麺のノウハウをエンジニアの立場から極め、第1熟成、第2熟成の必要性、グルテンの組織を破壊しないために、防腐剤不要の美味しい麺作りのノウハウを確立出来、料理の門外漢であり、エンジニアだったので、デジタル・クッキングのノウハウを確立出来たのですが、新しいことのほとんどは、門外漢の素人によって起こされていて、現在、熱心に日本料理を学んでいる人たちの多くは外国人であり、うどん蕎麦、ラーメンに関しても、外国人は熱心に学んでいます。
ホフマン・ラロッシュ(現在の世界第3位の医薬品メーカー、エフ・ホフマン・ラ・ロシュ)では、化学者ではなく、創業者の孫娘と結婚した音楽家が、自分のオーケストラを維持するために、同社のわずかな配当以上の資金を必要として、この戦略をとり、以来、同社は化学者によってマネジメントされたことが一度もなく、銀行出身の金融畑の人たちによって代々マネジメントされ、医薬品メーカーとして、世界第3位に君臨することが出来たのは、医薬品の素人であり、マネッジメントのプロであり続けたせいなのです。
ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、かつていかなる学界とも特別の関係や経験のなかった外交官だったのですが、1809年にベルリン大学を創設したとき、当時最大の大学の3、4倍の規模をもつ、西洋史上最大の大学をつくり、デュポンのトップ・マネジメントは、科学者ではなく企業人であり、メイヨー兄弟は、外科医ではあったが、中央の医学界からは遠く離れていて、もちろん純粋に産業の内部にいた人たちもいて、ワング博士であり、3Mの人たちであり、アップル・コンピュータを設計した若者であり、この戦略にかぎっては、おそらく門外漢のほうが有利であり、彼らは通念を知らず、したがって何が不可能とされているかを知らないのです。
2成功への道
◆7つの機会
「総力による攻撃」なる戦略は、必ず命中させなければならず、さもなければ失敗し、それは月を狙うのに似ていて、わずかに狂うだけで、ロケットは宇宙のかなたに消え去り、ひとたび発射してしまえば、修正や調整はきかず、したがって、この戦略には、徹底した思考と分析が不可欠であり、小説や映画に出てくるような起業家や、突然思いついたアイデアを、すぐに実行に移すような人に成功はおぼつかず、この戦略が成功するためには、すでに述べたイノベーションの7つの機会を利用したものであることが必要であり、イノベーション7つの機会は次の通りです。
(1)予期せぬことの生起。予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事。
最もリスクが少なく、最も容易にイノベーションの機会となるものだが、往々にして無視され、IBMは当初、科学計算用にコンピュータを作ったが、企業が給与計算などの世俗的な仕事にコンピュータを使い始め、IBMにとっては予想外の出来事で戸惑いを感じずにはいられなかったが、すぐにこのニーズに応じた。
(2)ギャップの存在で、現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップで、ギャップには業績ギャップ、認識ギャップ、価値観ギャップ、プロセス・ギャップの4種類がある。
a.業績ギャップ=製品やサービスに対する需要が順調に伸びているにもかかわらず業績が芳しくない場合。
b.認識ギャップ=ある産業の内部にいる人たちがものごとを見誤り、現実について誤った認識を持っている場合。
c.価値観ギャップ=生産者や供給者が提供していると思っている価値と、顧客が真に必要としている価値との間に違いが存在する場合。
d.プロセス・ギャップ=何か1つの作業を行う一連のプロセスの中で、不安に感じたり困ったりする部分がある場合。
(3)ニーズの存在。
漠然とした一般的なニーズではなく、具体的なニーズでなければならない。
a.プロセス・ニーズ=プロセス・ギャップから生じるニーズ。
b.労働力ニーズ=労働力不足の懸念から生じるニーズで、製造業においてロボットが半熟練労働に取って代わるようになったのは、労働力ニーズの圧力があったためである。
c.知識ニーズ=新しい知識を必要とする場合で、それらの新しい知識は開発研究によって生み出される。
(4)産業構造の変化。
自動車産業がよい例であり、第1の波は20世紀の初頭に訪れ、自動車はかつてのような金持ちの贅沢品ではなくなり、大衆に広まりつつあり、フォードの「Tフォード」はこの産業構造の変化を利用したものである。
第2の波は1960年代から80年代にかけてやってきて、自動車メーカーはそれまでの自国市場独占型の戦略を捨て、グローバル戦略に切り替える必要があり、この動きに真っ先に乗じたのが日本の自動車メーカーで、GMは日本のメーカーに後れを取ったものの、グローバル企業になる決意をし、クライスラーは完全に乗り遅れた。
(5)人口構造の変化。
人口の増減や年齢構成、雇用や教育水準、所得などの人口構造の変化は明白であり、人口構造の変化は突然訪れるものであるかのように認識されていますが、20年後に労働力人口に加わる人々は既に生まれていて、人口構造の変化が生じるまでには、予測可能なリードタイムが存在する。
(6)認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化。
コップに「半分入っている」と捉えるか「半分空である」と捉えるかは全く違い、従って、取るべき行動も違い、かつて食事の仕方は所得階層によって決まっていて、一般人は質素な食事をし、金持ちは豪華な食事をしたのですが、現在は、一般人が質素な食事もすれば豪華な食事もする。
(7)新しい知識の出現。
一般にイノベーションと呼ばれるものであり、起業家精神のスーパースターと言え、成功すれば有名になれるし、金持ちにもなれるが、最も成功が難しいのもこのイノベーションである。
知識によるイノベーションは、実を結ぶまでのリードタイムの長さ、失敗の確率、不確実性、付随する問題が他のイノベーションとは全く異なり、知識によるイノベーションのリードタイムはおおよそ30年である。
(1)から(4)は、企業や社会的機関の組織の内部、あるいは産業や社会的部門の内部の事象であり、内部にいる人にはよく見えるもので、他方(5)から(7)は、企業や産業の外部における事象で、この7つの順番には意味があり、信頼性と確実性の大きい順に並んでいます。
ワングのワープロは、プロセス・ニーズを見事に突いたのですが、1970年代には、ついそれまでオフィスで見られたコンピュータ恐怖症が薄らぎ、「コンピュータは何をしてくれるのか」に関心が移っていて、その頃には、オフィス労働者は給与計算や在庫管理を通じてコンピュータに慣れていて、しかもコピー機の普及によって、書類が急増していて、そこヘワングのワープロが、手紙、スピーチ、報告、タイプ原稿の打ち直しという、最もいやがられていた雑用を解消したのです。
ホフマン・ラロッシュは、1920年代の初め、ビタミンという新しい知識をイノベーションの機会としてとらえ、この戦略を採用した創業者の孫娘の婿の音楽家は、トーマス・クーンが『科学革命の構造』を書く30年以上前に、その本の意味するところを理解し、科学上の新理論は、たとえその否定が不可能であっても、それまで育まれ信念と化している理論が生きているうちは、けっして受け入れられることのないことを理解していて、新しい理論は、昔ながらのパラダイムがまったく無効となるまでは見向きもされなく、その間は、新しい理論を受け入れ利用する者が、その分野を独り占めすることになり、もちろんこの戦略は、イノベーションの機会についての綿密な分析があってはじめて成功し、そして、全エネルギーの集中を必要とするのですが、ホフマン・ラロッシュの創業者の孫娘婿の音楽家は、医薬品ビジネスに精通していた訳ではなかったのですが、起業家戦略に長けた、真の戦略家であったのです。
画像は、今朝の散歩で見つけた、クリスマスとお正月のお祭りのような飾り付けです。
暑い国での、クリスマスとお正月は実感が湧かないのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。