本日のテーマは「日々、1%の進化」です。
最近、私が見つけ出した法則で、実行すると素晴らしい成果が得られます。
食べる量を減らせば、睡眠時間を短縮出来ます。
特に夕食の時間を早め、夕食を出来るだけ夕方6時までに終え、睡眠中の消化の負担を少なくし、夕食の量を減らせば、それだけ睡眠中の消化の負担を減らすことが出来るのです。
その代わり、昼食を中心に据え、昼食に味噌汁、オーガニック野菜サラダとドレッシングはオリーブオイルと自社製無添加のキムチ、良質の蛋白(豆腐と豆)、良質の脂肪をシッカリ取るのです。
特に、私は毎日キムチを食べていますが、自社製のキムチは、市販品と違い、安心できるのと同時に、非常に美味しいのです。
朝食は基本的にフルーツだけで、従って、メインは昼食であり、夕食は簡単に量を少なくすれば、消化の負担が減り、睡眠時間が短くなり、良質の睡眠が取れることが分かりました。
夕食は、家族がいれば、なかなか難しい点があり、6時に終えたいと思っても、どうしても7時、8時になってしまうのですが、量をコントロールすることで、睡眠時間を短くし、さらに良質な睡眠が取れることが分かってきました。
自分自身の身体を使った実験を繰り返していますが、UP24を使っているので、日々の睡眠の質が一目瞭然で分かり、同時に、寝起きの体調と両方で分かるのですが、夕食のコントロールが、睡眠時間と密接な関係があることが分かりました。
UP24を使う前は、睡眠の質を測定することが出来なかったので、分からなかったのですが、睡眠の質が測定できるようになり、分かるようになったので、数値を計測できることは、何が効果があるかを正確に理解するためには、欠かせないことなのです。
日々の生活の質を向上するには、体調管理は欠かせないので、毎日瞑想、1万歩のウオーキングと筋トレ、ストレッチ、特に、最近、近くの腕の立つ接骨院で見て貰ったところ、姿勢の問題が指摘され、歩き方を修正していて、少しづつ効果が表れてきているのです。
長年生きてきていると、知らず知らずのうちに、骨格の歪が発生しているので、プロの指導で、矯正して貰うことは大切で、この接骨院は、一般的な整形外科のレベルよりのはるかに上で、ほとんどの周りにいる人たちは、姿勢の問題を抱えているので、次つぎと紹介しているのです。
日々、効率的に生きていくために、食事のこと、運動のことはある程度分かってきて、朝の時間を有効活用出来るようになってきて、自分自身の中に日々、イノベーションを起し続けると、更に効率的な生き方が出来ることが分かってきました。
例えば、日々、小さいイノベーションでも良いので、自分の頭の中に1%づつの進化を遂げるとします。
すると、本日の進化の上に、明日更に進化するとすれば、複利で進化するので、1ヶ月で約135%、2ヶ月で約182%、3ヶ月で約2.45%、半年もすれば、約600%になり、能力が6倍になるのです。
もし、これをこのような日々継続しないで、1ヶ月に1回とか、2回であれば、進化の速度はまったく異なり、或いは、1ヶ月に1回とか、2回であれば、常に振り出しに戻っているので、再度、ゼロからスタートになり、いつになっても目に見えた進化は起きないのです。
これは指数関数的な進化であり、今のわれわれに必要な進化は、このような進化であり、日々、進化を遂げ続けることの大切さが非常に良く分かるのです。
今までも進化を心がけていたのですが、完全な連続した進化ではなかったので、このような指数関数的な早期の進化にならなかったのです。
日々、真剣に生きていると、さまざまな人間の本質が分かってくるような気がします。
当社のパーフォーマンスを最大化し、際立った成果を上げる一番の近道は、私自身のパーフォーマンスを最大化するのが、一番の近道だということが改めてよく分かり、同時に、その道筋も明確になってきたのです。
そして、最大のパーフォーマンスを上げるには、体調管理が欠かせず、併せて、病気でないくらいの健康レベルでは、このようなビジネス環境の中で打ち勝つことは難しく、エネルギー溢れる状態に常に保持する必要があるのです。
当社のスタッフの若い人でも、体調管理の行き届いていない人たちがいますが、プロビジネスマンとして、最高のエネルギー溢れる状態に常に保ち、心身を日々、最高の状態に保つことは、欠かせないのです。
これからも、日々1%の進化の状況を皆さんと共有します。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「◆急激な変化」
企業人、経済学者、政治家は、人口構造の変化の重要性をつねに口にしていて、今さら人口構造の変化の重要性について云々する必要はないと考えられるのですが、自らの意思決定においては、人口構造の変化に注意する必要はないと、信じているかのようで、出生率、死亡率、教育水準、労働力構成、就業年齢、人口分布、人口移動など、人口構造の変化は、緩慢かつ長期にわたる変化であって、実際的な意味は、ほとんどないと信じているのです。
14世紀におけるヨーロッパのペストのような災厄が、社会や経済に、直接の影響を与えることは誰もが認めるのですが、そのような事態を別にするならば、人口の変化は緩慢であり、歴史家や統計学者の関心事ではあっても、企業人や政府には関係がないとするのは、危険な間違いであり、19世紀に起きたヨーロッパから南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドへの大量移民は、世界の経済地図と政治地図を大きく変え、起業家のための膨大な機会を生み出し、それまでの数世紀にわたり、ヨーロッパの政治と軍事の戦略の基礎となっていた地政学的な概念を陳腐化し、しかもこの変化は、1860年代半ばから1914年までのわずか50年間に起こり、この変化を無視した者は、急速に時代から取り残され、ロスチャイルド家は、1860年まで、世界の金融界において支配的な地位にあったのですが、彼らは、大西洋を越える移民の意味を認識できず、くずのような人たちがヨーロッパを出ていくだけと見たので、その結果、早くも1870年頃には、ロスチャイルド家は重要な存在ではなくなり、単なる金持ちにすぎなくなったのです。
支配的な力を得たのはJ・P・モーガンで、彼の成功は大西洋を越える移民の流れに注意を払い、その意味を理解することによってもたらされ、この大量移民をイノベーションの機会としてとらえ、移民労働力が可能にした、アメリカ産業の発展に資金を供給する機関として、世界的規模の銀行をヨーロッパではなく、アメリカにつくったのですが、ヨーロッパやアメリカ東部が農業社会から大都市工業文明へと変貌するには、1830年から60年にいたる30年を要したにすぎなく、昔から、人口構造の変化は急激であり、唐突であり、衝撃的で、昔からの人口構造の変化が緩慢だったというのは誤解にすぎなく、むしろ長期にわたって移動することのない人口こそ、歴史的に見るならば例外であり、20世紀ともなれば、人口構造の変化を無視することは単なる間抜けであり、とくに現代社会においては、基本的に人口は不安定であって、急激かつ大幅に変化するものと考えなければならないのです。
人口こそ、企業人であれ政治家であれ、意思決定を行う者が初めに分析し、徹底的に検討すべき要因であり、たとえば国内政治や国際政治において、先進国における人口の高齢化と第3世界における若者の増大ほど、決定的に重要な意味をもつ要因はなく、しかも原因が何であれ、20世紀は、先進国と途上国のいずれも前触れもなく急激な人口構造の変化に見舞われたのです。
1938年、フランクリン・D・ルーズヴェルトが招集したアメリカの著名な人口学者たちは、アメリカの人口は1943年ないし44年頃、1億4000万人に達し、その後減少していくということで意見が一致したのですが、実際は、移民の受け入れを最小限に抑えたにもかかわらず、1986年頃は2億4000万人(2014年は3億1852万人)に達し、1949年、アメリカは何の前触れもなく、かつてない大家族化をもたらすことになるベビー・ブーム時代を迎え、それは21年間続き、1961年には、同じように突然、かってない小家族化をもたらすことになり、少子化時代を迎えたのですが、1938年当時の人口学者たちが、無能や間抜けだったわけではなく、当時、ベビー・ブームの到来を示すものは何1つなかったのです。
そのおよそ20年後、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、「進歩のための同盟」なるラテン・アメリカ開発援助計画をまとめるため、専門家を招集したのですが、1961年当時、彼ら専門家の誰1人として、その15年後には、ラテン・アメリカの社会と経済を一変させることになる、乳幼児死亡率の激減に気づかず、しかも彼らは、何の疑いもなく、ラテン・アメリカは、農業社会でありつづけることを前提とし、彼らもまた、無能でも間抜けでもなく、当時、ラテン・アメリカにおける乳幼児死亡率の激減や都市化は、まだ始まっていなかったのです。
1972年あるいは73年にいたっても、労働力人口についての専門家たちは、女性の労働力市場への参入は、それまでの傾向どおり、着実に減少を続けていくと信じて疑わず、例のない数のベビー・ブームの子供たちが、労働力市場に参入してきたとき、彼ら専門家は、(杞憂ではあったが)成人男性の職場が十分にあるかどうかを心配し、当時、彼らのなかに、成人女性の職場を心配した者は1人もいなく、彼女たちに職場は必要ないとしていたのですが、10年後には50歳未満の女性の就業率は64パーセントという史上かつてない高い水準となり、しかも彼女たちの就業率に、配偶者の有無、子供の有無による差は、ほとんどなかったのです。
◆原因は不明
これら人口構造の変化は、驚くべき速さで起こるだけではなく、しばしば、不可思議であって、説明がつかず、途上国における乳幼児死亡率の減少については、今ならば説明することができ、既存の技術と新しい技術の相乗効果、保健婦が増えたこと、便所を井戸よりも低いところにつくるようになったこと、ワクチンが普及したこと、窓に金網をつけるようになったことに加え、抗生物質やDDTをはじめとする殺虫剤など、新しい技術が一般に使われるようになったためだったのです。
しかし、先進国におけるベビー・ブームと少子化の原因は何だったのか、アメリカにおける労働力市場への女性の殺到(およびその数年後のヨーロッパにおける労働力市場への女性の殺到)の原因は何だったか、あるいは、ラテン・アメリカにおける、田舎から大都市スラムへの大量の人口流入の原因は何だったのかは分からず、日本でも、第2次世界大戦後にベビー・ブームが起き、団塊の世代が生まれ、第2次世界大戦(太平洋戦争を含む)が終わると、戦争から兵士が帰還した際や、戦争の終結に安堵した人々が子供をつくったため、前後の世代に比べて極端に人口比が高い現象が世界的に見られたのです。
この時期に結婚・出産した世代は、概ね1910年代末期-1920年代初期に生まれた世代と見られており、1946年から1952年頃の間に、北米、欧州、オセアニア、日本など世界各国で同種の現象が起きたのですが、国や地域によって時期については前後することがあり、第2次世界大戦後のベビー・ブームの原因は不明ではないのです。
画像は、昨日、ソウル出身のクオンさんが、うどん学校の生徒さんに天ぷらを指導しているところです。
クオンさんもソウル出身ですが、大学生時代に香川県の大学に留学し、香川県が大好きになり、数カ月前から当社に勤務し始めたのです。
スッカリ当社に馴染んで、インストラクターの仕事も馴染んできています。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。