本日のテーマは「ビジネスはお客さまで決まる」です。
来週22日(火)から24日(木)までの3日間、ドリームスタジオ東京で、恒例のパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、②麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、③究極の売上対策!)を用意しました。
※本イベントは終了となりましたが、今後も定期的にイベントを開催しております。最新情報は下記のURLから
https://www.yamatomfg.com/special-noodle-events/
先日来のブータンのツエリンさんの、気圧が低い場所でのラーメン店開業において90度Cで沸騰してしまうので、博多トンコツ・ラーメンを美味しく茹で揚げることが出来ないのではないかと心配していた件で、親しい方から圧力釜を使うと良いとの情報を戴きましたが、普通の圧力釜の場合、うどんのように茹で時間が長い場合には適用事例があるのですが、茹で時間の非常に短い博多トンコツ・ラーメンに上手く適用できるかどうかをご存じの方がいらっしゃったら、教えて下さい。
本社では現在、うどん学校の開催中で、今回のうどん学校にはイタリア、インドネシア、カナダと遠方の海外からの生徒さんもだいぶ増えているのです。
そのために、英語の通訳も入り、今回はいつもより人数も多く、多くの生徒さんたちが熱心に取り組んでいるのです。
生徒さんたちのリクエストも多彩で、うどんですが、野菜スープとか、節の入手が困難な海外のために、生魚を使ったうどんだしとか、さまざまな新しい取組みを行なっているのです。
難しい注文を出す生徒さんがいればいるほど、学校のレベルも上がるので、難しい注文を大歓迎であるのです。
また、昨晩はうどん学校の授業終了後、1人の生徒さんから個別相談に乗って欲しいとのことであったので、詳しい話を聞いたのです。
現在は、他の飲食ビジネスを15年間やっているのですが、アルコールを伴なったビジネスなので、うどんをメインにアルコールを伴なわないビジネスに変更し、それに伴って、客筋も変えてしまいたいとの要望でした。
今から、30~40年前の私の若いころは、地元でも飲み屋がたくさんあって、私も毎晩のようにいろんな店を徘徊していたことがあったのですが、今は夜になると、街の灯が消えたような状態になり、ほとんど飲み屋がなくなっているのです。
現に、居酒屋業界とか、飲み屋業界はピークと比較すると、大幅に売り上げを落としており、アルコール需要が大きく減少していることが分かります。
特にローカルにおいては、日本の場合は特別に飲酒規制が厳しいので、平日夜に外で食事をすること自体が大きく減少しているのです。
だから、この生徒さんのように、アルコールに頼らないビジネスは、当たり前であり、ローカルにおいてはますます、そのニーズが高まっているのです。
しかし、私も社員たちとか、お客さまと一緒に話しながら外で食事をする機会は多く、地元であれば、ゆっくり話が出来る場所を選んでいるのです。
健康に良い食事が取れて、約2時間くらいゆっくり、貸し切りのように静かに話が出来る場所をいつも確保していて、何か打合せがある場合は、常にその店を活用しているのです。
私がいつも常連で行きつけている店は、1種のカフェで、料理も健康志向で、美味しく、静かに話が出来る場所です。
だから、料理の要素だけでなく、場所の要素も重要なのです。
昨日の生徒さんの場合は、居酒屋をやっていて、夜の客単価が居酒屋としては、非常に安い単価であったので、恐らく客層も良い客層ではないと思います。
客層を変えるのは簡単で、客単価を変えれば、簡単に客層は変わり、お客さまの質を上げたければ、客単価を上げると簡単に客層は入れ替わります。
どんなビジネスをやろうと、お客さまの質でビジネスの質は決まるのです。
当社は、自社の製品のレベルも磨き込んでいるのですが、同時に大切にしなければいけないお客さまも明確にしているのです。
うどん蕎麦店、ラーメン店にしても、どんな飲食店にしても、お店のレベルはお客さまのレベルで決まるので、レベルの高いお客さまから選んで戴けるような店であり、会社であることが重要なのです。
そして、レベルの高いお客さまこそ、われわれに高いレベルを要求するので、われわれも更に進化することが出来るのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「イノベーションと起業家精神(上1)」
マネッジメントは技術の1つで、マネッジメント技術が「人びとの幸せをもたらすための手段」であり、幸せをもたらす要素の1つが、以前は雇用の増加でしたが、今は世界的に人手不足の時代になり、雇用のマッチングが「人々に幸せをもたらすための」重要な要素になり、能力を100%伸ばせる場所にいて、幸せな人生を送れる仕事に就いているかどうかが、問われるようになっているのです。
古い話ではありますが、雇用の拡大が人びとを幸せにする手段であった時代の1970年代の半ば以降の「ゼロ成長」のアメリカで、膨大な雇用が生まれている事実で、起業家経済への転換が膨大な雇用を生み、1965年から85年までの20年間に、16歳以上の生産年齢人口が、1億2900万人から1億8000万人へと40%増え、しかも就業者人口は、7100万人から1億600万人へと50%増え、1974年から84年までの10年間に限っても2400万人増えたのですが、アメリカが平時において、伸び率、実数ともに、これだけの雇用を増やしたことは、過去もこれ以降もなく、1973年秋の石油ショックの翌年に始まり、2度の不況という乱気流の時代であったにも関わらず、起きたのです。
但し、アメリカは特別で、欧州では1970年から84年にかけて300万人~400万人の雇用が失われ、1970年には雇用人口がアメリカより2000万人以上多かったのが、1984年にはアメリカよりも1000万人少なくなり、雇用の創出については、日本さえアメリカより劣り、1970年から82年までの12年間に、10%しか増えず、アメリカの半分以下の伸びで、当時の日本は、高度成長時代で、日本製品が北米に輸出され、日米貿易摩擦の最中で、第2次世界大戦敗戦後、日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製品が流入し、1960年代後半の繊維製品、1970年代後半の鉄鋼製品、1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車(ハイテク製品)などの輸出で、激しい貿易摩擦を引き起こし、普通考えると、アメリカ経済が非常に低迷している時期なのに、すでにアメリカでは新しいビジネスが始まり、多くの中小企業が創業し、膨大な雇用創出を行なっていたのですが、「フォーチューン500社」に掲載されるようなアメリカの大企業は、日本企業との競争に敗れ、雇用を喪失していたのです。
このような時代に、多くの雇用を創出した中小企業がたくさん生まれた原因として、ドラッカーが挙げているのは、起業家精神であり、これらの企業は、人の働き、即ち仕事に対し、ある1つの新しい「技術」を適用している企業であり、その「技術」とは、電子工学や遺伝子工学、或いは新素材等のハイテクではなく、マネッジメントの技術であり、アメリカの驚くべき雇用増も容易に説明出来るのです。
1873年から第1次世界大戦までのおよそ50年間、アメリカとドイツは、コンドラチェフの経済変動の周期にあてはまらなかったことが明らかになっていて、鉄道ブームで始まったコンドラチェフの最初の周期は、深刻な世界不況を招くきっかけとなった1873年のウイーン証券取引所の崩壊と共に終結し、イギリスとフランスは長期不況に陥り、鉄鋼、化学、家電、電話、或いは自動車などの新産業でさえ、鉄道、石炭、繊維などの古い産業の不況を補うに足るだけの雇用を生み出すことが出来なかったのですが、アメリカ、ドイツ、オーストリアは長期不況に陥らず、最初は深刻な打撃を受けたが、5年後には立ち直り、再び急速な成長を始め、これらの国々は、技術に関する限り、不況に苦しむイギリスやフランスと何ら変わるところはなかったのですが、違いをもたらした要因は1つで、起業家の出現であったのです。
1870年から1914年までのドイツにおける最大の偉業は、1870年のゲオルグ・ジーメンスによる初めてのユニバーサル・バンクの創立、すなわち起業家を探し、資金を貸し、マネッジメントを行なわせることを目的とするドイツ銀行の創立であり、アメリカでもNYのJ・P・モーガンを初めとする起業家的な銀行が同じような役割を果たし、ドラッカーはマネッジメントの大切さを象徴する事例として、エジソンの失敗とマネッジメント技術の大切さを挙げ、「優れたネズミ獲りを作れば、客はやってくる」というベンジャミン・フランクリンの金言に頼り、「ネズミ獲りをより優れたものにするものは何か、誰がより優れたものしなければならないか」を考えない、今日のハイテク企業経営者の典型は、トーマス・エジソンであり、19世紀最も成功した発明家エジソンは、発明を今日のいわゆる開発研究に転換し、1つの体系的な活動に変え、彼の望みは事業家になることだったのですが、自ら設立した企業すべてにおいてマネッジメントで失敗し、結局、それらを救うために経営から退かざるを得なかったのです。
今日のハイテク企業は、ほとんどでないにしても、きわめて多くが、エジソンのようにマネッジメント、より正確には、エジソンのように間違ってマネッジメントしていて、アップルのステイーブ・ジョブズも創業してから、アップルを追放された時までは、エジソンのように、マネッジメントに失敗していたのですが、アップルが倒産の瀬戸際に復帰したときには、マネッジメントにおいて非常に卓越した手腕を発揮し、アップルを株式価値世界一の会社に仕上げ、マネッジメント技術の巧拙により、会社も駄目になったり、反対に輝くような会社に生まれ変わることが出来、マネッジメント技術は、特殊な才能ではなく、日々の仕事として日常の業務に組み込まれていることが欠かせず、アメリカで膨大な雇用を生み出したのは決してハイテク企業ではなく、体系的にマネッジメントされた起業家精神を持つローテク企業が、大いに雇用を創出したのです。(雇用を生み出す=企業が非常に伸び、成長している)
「起業家精神のマネッジメント」
アメリカで1965年から85年までの20年間に、膨大な雇用を生み出した起業家精神が一国の経済において大きな役割を演ずるようになる原因は、経済的なものではなく、価値観、感性、生き方、人口構造の変化、更には、1870年前後に、ドイツとアメリカにおいて見られたような起業家的な銀行の誕生など、制度的な変化、或いは教育の変化で、この時代のアメリカでは、若者たちの間に大きな変化が起き、1960年代のアメリカの若者たちの快楽主義、出世主義、順応主義はどこへ行ったのかと思われるくらいに、アメリカの若者たちの価値観や生き方に、大きな変化が起きた結果、物質的な価値、金、モノ、世俗的な成功に背を向け、のんびりした幸せなアメリカを回復するはずの若者たちはどこかへ消え、大組織の安全よりもリスクを好み、がむしゃらに働く若者たちが、突然大勢現われ、起業家経済の出現により、経済的、技術的現象であると同時に、文化的、社会心理的現象であり、原因が何であるにせよ、その結果は極めて経済的で、大きな影響を及ぼし、この新しい世代の価値観や生き方や行動を可能としたものが、新しい「技術」としてのマネッジメントだったのです。
画像は、本日朝のうどん学校の様子で、生徒さんたちが集まり、柔軟体操からスタートで、1日中、さまざまな授業が夜まで続いているのです。
私が掲げているポスターは、前回のシンガポールのラーメン学校に、NYのマンハッタンから来ていた生徒さんのリクエストで、店内に飾るために、サイン入りのポスターを作り、送るところです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。