うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「開発研究、知識ニーズ、的を絞る、「タイム」の例」

昨日の午前中は、ラーメンの仕上げ、午後からは、フライトの時間ギリギリまで、経営講義を行ない、深夜便で羽田まで移動し、本日は、昼からうどん学校に参加し、生徒さんの作品のチェックをしました。

本日のテーマは「現地、現物、現実」です。

来週10日(日)から12日(火)までの3日間、新潟の新潟卸センターで、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2994

シンガポールでの5日間のラーメン学校は昨日で終え、少ない人数の生徒さんでしたが、参加している生徒さんのマインドレベルは高く、生徒さんたちにとっても、われわれ講師陣にとっても、たいへん思い出深いクラスになりました。

国内の麺学校では、日本人の生徒さんはラーメン等日本の麺に慣れ親しんでいて当たり前であることが、海外の生徒さんには当たり前でないことがたくさんあったのです。

日本人にとっては、普段からラーメン店とか、蕎麦うどん店が周りにたくさんあり、ラーメンとか、蕎麦うどんとはこのようなものだという基礎知識があるのですが、海外からの生徒さん、特にシンガポールに来る生徒さんには、そのような知識がほとんどなく、それぞれの地元で提供されている麺類しか知らないので、日本のラーメン、うどん、蕎麦というものは、このようなものであるというところからの説明が必要であることが分かったのです。

しかし、このような基本的なことを大切な授業の時間の中で取ることは出来ないので、事前学習のようなもの、例えば、e-ラーニングのような事前学習を行なう仕組み作りが必要であることが分かりました。

今までの日本の麺学校であれば、生徒さんが麺学校に来てからが授業の開始ですが、海外の場合は、すでに来る前から予習を通じて授業を行ない、事前学習で分からなかったことだけをこちらに来て授業を行なえば、時間のロスが非常に少なることがよく分かりました。

われわれは、時間をもっとコンテンツ作成に当てることが必要なようです。

今までも、海外からの多くの生徒さんを迎えて授業を行なっていたので、海外の事情についても詳しいはずであったのですが、日本人の中に混じっている海外の生徒さんの場合と、シンガポールのラーメン学校のように海外だけの生徒さんのクラスでは、海外の生徒さんたちの行動もかなり違っていて、海外の生徒さんだけであれば、自分たちにとって当たり前でないことは当たり前でないとハッキリ言うのですが、日本の学校で日本人の生徒さんと一緒に授業を行なっていると、どうも日本人の生徒さんに遠慮して自分たちは日本と違うということを言っていなかったのです。

日本人のほとんどは、日本の麺に慣れ親しんでいるので、細かい説明は不要なことが多いのですが、海外の場合はそうではなく、日本人にとっては当たり前と思えるようなことでも分からなず、細かい説明が必要な場合が多く、それらのことは事前にまとめて一覧表にしておけば、生徒さんたちにとって、たいへん親切であることが分かりました。

要するに、日本の麺文化についての、基本的な説明書のようなものが必要で、外国の生徒さん向けに作ろうとしているのですが、今後は日本の生徒さん向けにも必要になりそうです。

40年前に当社が創業したころの製麺機のお客さまは、麺打ちのプロの方が多かったのですが、今は素人の方がほとんどで、以前では必要なかったマネッジメントまでのあらゆるご指導が必要になっているのと同じように、基礎の基礎、基本の基本からの説明が必要になってきているのです。

最近、当社では国内での麺学校での経営講義の授業では、理解度の低い生徒さんが増え、生徒さんのレベルが以前と比べると落ちきていると思っていたのですが、自己批判の精神に基づけば、そうではなく、生徒さんに合せてわれわれが変わっていかねばならなかったのです。

もし、どのような生徒さんが来ても、海外の生徒さんに対応するのと同じように、われわれはそのような生徒さんたちに対応出来るような能力を磨き続ける必要があったのです。

国内の麺学校だけでは分からなかったことが、シンガポールのラーメン学校を開校することにより、さまざまなことが分かるようになったのです。

昨日のシンガポールの経営講義では、若い生徒さんから私がビジネスのどこまでを部下に任しているのかとの質問があったのです。

私は、基本的に部下が出来るようになった部分は、部下に委譲してきているのですが、大切な部分は自分の目で見るようにしているのです。

今回のようにシンガポールでのラーメン学校が始まったように、最初のころは実際に自分の目で見て確認しておかないと分からないことが多いのです。

そして、自分の目で確認してみると、日本でいては分からなかったことが分かるようになり、実際に体験したり、自分の目で見て確認することの大切さを感じるのです。

当然、このようなことは最終的には部下が出来るようにならなければいけないので、一緒に来て、一緒に体験することにより、部下たちにも同じような体験をして貰い、みんなのレベルを上げ続けることも大切です。

また、今回のシンガポールのラーメン学校の生徒さんたちと話し合ってみると、シアトルでは、景気がよく飲食ビジネスの失敗はそれほどないようですが、カナダのカルガリーでは日本以上に、新規に開業した飲食店店主の閉店率が高いようです。

海外に来れば、さまざまな情報がダイレクトに得られるので、コストはかかりますが、これからはトップが直に海外に行くことは、グローバル時代のビジネスには欠かせないのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「開発研究」

「知識ニーズ」

イノベーションの機会としてのニーズには、プロセス・ニーズと労働力ニーズが、最も一般的でありますが、利用がより難しく、より大きなリスクを伴ってはいるが、非常にしばしば重要な意味を持つニーズとして、知識ニーズがあり、(科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての)「開発研究」の目的とてのニーズであり、そこには、明確に理解し、明確に感じることの出来る知識が欠落していて、その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要になるのです。

写真ほど、非常に早い速度で、成功したイノベーションはあまりなく、写真の歴史をウイキペデイアで調べると、最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像で、彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索し、瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとし、彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影したのですが、カメラによる画像ではあったにもかかわらず、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だったのです。

その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始め、これが銀塩フィルムの元になり、写真は、発明後20年で世界中に普及し、有名な写真家も大勢現われ、マシュー・プレデイの南北戦争の写真は、今日でも抜きんでていて、1860年頃(明治維新の8年前)には、あらゆる花嫁が写真を撮って貰っていて、日本に最初に入った西洋の技術も写真であり、明治維新のはるか前、まだ日本が外国人や外国の事物に固く門戸を閉ざしていた頃でした。

写真が素人の趣味になったのが、1870年前後であるのですが、当時の写真の技術は、素人にとっては厄介な代物で、重く壊れやすいガラス板を原板として使っていたために、慎重に扱わなければならなく、カメラ自体も重く、撮影前の準備もたいへんだったので、誰もがそのような問題を知っていて、事実、最初の大衆向け専門誌である当時の写真専門誌には、写真撮影に伴うもろもろの問題や解決策が取り上げられていたのですが、1870年当時の科学や技術では解決出来なかったのですが、1880年代の半ば、遂に新しい知識が得られ、イーストマン・コダックの創立者ジョージ・イーストマンが、それらの知識を利用したのです。

彼はガラス板を、重さなどないに等しく、手荒な取扱いにも耐えるセルロイドに代え、カメラ自体も軽量化し、10年後には、イーストマン・コダックは世界の写真業界でトップの地位を得、永くその地位を保っていたのですが、デジタル・カメラの登場により、2012年1月に倒産し、132年の長い歴史を終えたのです。

以上のように、写真の歴史は進化するために、常に新しい知識を必要として、新しい知識の開発に伴って進化し、プロセス・ニーズを満たす上でも、しばしばこの開発研究が必要となり、ここでも、まずニーズを知り、何が必要であるかを明らかにし、そうしてはじめて、必要な新しい知識を生み出すことが出来、プロセス・ニーズに基づいて、開発研究を行なった典型的な人間が、エジソンであり、電力産業が産業として成立するであろうことは、20年以上の間、知らない者はなく、特にその最後の5,6年では、プロセスの1部で欠けているものが、電球であると明らかになっていて、電球がなければ、電力産業は成立しなかったので、エジソンは電力産業を、単なる可能性から現実のものとするうえで、必要な知識を明確にし、開発研究に取り組み、2年後、実用的な電球を開発したのです。

「的を絞る」

今日、可能性を現実のものとするための開発研究は、企業の研究所はもちろん、国防、農業、医療、環境保護などのための研究所において行われていて、開発研究というと大規模なものに聞こえるかもしれず、多くの人たちにとって、それは、月への人を送ることや、小児麻痺のワクチンを発見することを意味するのですが、成功を収めているものの多くは、目標の明確な小さなプロジェクトであり、開発研究は、的を小さく絞るほど良い結果が得られ、その最もよい例、恐らくプロセス・ニーズに基づくイノベーションの最も成功したものが、日本の自動車事故を3分の1に減らした視線誘導標の開発だったのです。

1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進され、車はスピードを出せるようになったのですが、日本の道路は、基本的には10世紀のままで、2台の車がすれ違うのがやっとなど、道幅が狭く、死角のあるカーブも多く、数キロごとにいろいろな角度で交差していたため、とくに夜間は自動車事故が増え、マスコミや野党は対策を要求したが、道路を作り直すには20年もかかるので、作り直すわけにはいかなく、安全運転を呼びかける大掛かりな広報キャンペーンも、ほかのあらゆる種類のキャンペーンと同じように、効果はほとんどなかったのですが、この危機的な状況をイノベーションの機会として捉えたのが、岩佐多聞という若者で、彼はビーズ状のガラス球が、あらゆる方向からの光を反射する視線誘導標をつくり、やがて、日本の自動車事故は大幅に減ったのです。

「タイム」の例

もう1つの例をあげると、第1次世界大戦後、アメリカでは国民がニュースを求め始めたのですが、誰もがこの変化に気づいたので、第1次世界大戦直後の新聞や雑誌には、いかにしてこの新しいニーズに応えるかを論じる記事がたくさん出ていて、地方紙では解決出来ない問題で、「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとする大手の新聞社や出版社さえ、このニーズを捉えようとして失敗し、そのとき、ヘンリー・ルースが現われ、ニーズを明確にし、求められているものを明らかにし、発行部数や広告の関係からして、全国的なメデイアであることが必要だったのですが、多くの人たちが関心を持つニュースの数は限られており、日刊紙とすることは無理だったので、以上より、知識ニーズはプロセス・ニーズと深い関係があるものが多く、プロセス・ニーズを解決するために、知識ニーズが発生し、こうして世界最初のニュース週刊誌「タイム」が生まれ、直ちに成功したのです。

以前に説明しましたうどんの熟成工程における熟成庫は、プロセス・ニーズにより出来上がったものではありますが、その過程において、熟成のメカニズムという知識ニーズの解決が伴っていたので、このように、ほとんどのプロセス・ニーズには、知識ニーズが伴うのです。

シンガポールでは、フルーツが豊富で、スイカは年中あり、価格も安いので、毎日、生徒さんにも提供しています。

昨日は午前中は、ラーメンの仕上げ、午後からは、経営講義で私のフライトの時間ギリギリまで、経営講義を行ない、深夜便で羽田まで移動し、本日は、昼からうどん学校に参加し、生徒さんの作品のチェックをしました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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