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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「女性の意識、アメリカの中流階級化、中流階級への意識変化は何を意味したか、実体よりも認識」

仙台駅では新しいレストラン街をチェックし、全農がやっているレストランで一緒に食事を取りましたが、サラダの野菜が素晴らしかったのです。

本日のテーマは「後継者は親が継がせるのではない」です。

昨日はドリームスタジオ仙台のスタッフの高橋さんからの情報で、仙台にある会社を訪問していたのです。

この会社はお父さんが25年前に創業し、8年前に創業者のお父さんが病に倒れたので、気骨ある36歳になる息子さんが、今まで勤めていた会社を辞めて跡を継いだのです。

それまでお父さんの会社はお父さんが1人だけで営業していて、社員はぜんぜんいなかったのですが、息子さんが熱心に奮闘して、現在は社員が10名近くいる会社に成長しているのです。

普通、お父さんだけが細々とやっているビジネスの場合、お父さんが倒れても、ほとんどの場合は、息子さんが跡を継いだりはしないのです。

更に、継いでから分かったのは、お父さんが倒れる前に、粗利の6割を依存していた会社が倒産し、残った客先は小さい規模の会社ばかりだったのです。

だから、お父さんが病に倒れたのは、大きい取引先の倒産をかぶり、心労で病に倒れた可能性が高いのです。

そしてお父さんの跡を継いだ後、時流に合わせて、さまざまな努力を行ない、現在の地位を築いていたのです。

この会社のビジネスと当社のビジネスに少し接点があったので、私も興味を持ち、本当は昨日、高崎から直接本社に帰るところ、予定を変更し、仙台に向かったのです。

この様に、どんなビジネスをやっていても、私も熱心に日々、奮闘しているので、熱心に仕事に取り組んでいる人は、どこか接点が繋がり易いのです。

併せて、このような情報でもキチンと私に伝えて、引き合せてくれる段取りをしてくれたドリームスタジオ仙台の高橋さんに感謝です。

高橋さんは、当社に入社して10年未満の現在もパートさんですが、多分普通の会社であれば、地方の拠点のパートさんが会社のトップに対し、提案をしたりは余りないと思いますが、当社の高橋さんは、この情報は私に伝えた方が良いと思えば、私が行動したくなるようなメールを送って、私の行動を促がしたのです。

そのような人材が社内でいることに誇りを持ち、たいへん嬉しくなりました。

また、併せて、うどん蕎麦店、ラーメン店の店主から以前よくあった相談は、後継ぎの話で、せっかく自分が始めた商売なので、息子に跡を継がせたいとの話がよくありました。

ところが、息子はお父さんが苦労している姿を常に見て、ビジネスが楽しそうでないので、継ごうという人は少ない、或いは、ほとんどないのです。

この息子さんは、お父さんが病に倒れた状態から今日の状態に持ってくるまでに相当な奮闘をしたことが想定されるのですが、跡を継ぐ場合には時代の変化が加わるので、さらに奮闘精神がなければ、跡を継ぐことは難しいのです。

息子に跡を継がせようと思うのであれば、息子の中に奮闘精神を芽生えさせていないと、跡を継がせたつもりが、息子に背負うことが出来ないような荷物を背負わせた結果に終わることが多いのです。

だから、跡取りに必要なのは奮闘精神であり、間違ってもお父さんのビジネスを楽に継げる、或いは、お父さんが順調にビジネスをやってきたからと言って、継いでからも同じように順調にいく訳がないのです。

最も大きな問題点は、これからの想像も出来ないような大きな世の中の変化であり、当社の中でも驚くような変化がここ何年かの中で起きているのです。

少し分析をしてみれば、少し変化に注意していれば分かるのですが、今の世の中はあらゆる分野において、大きな変化が起き続けていて、今回の地震の様に、いつ何時、何が起きるか分からないような変化の激しい時代であり、リニアな変化ではなく、エクスポーネンシャルな変化の時代に生きていることです。

リニアな変化に馴れきっているわれわれが、エクスポーネンシャルな変化に馴れるようになるには、まだまだ時間の経過が必要であるのです。

成長著しい国が、エクスポーネンシャルな変化の理解出来る国になって行くことでしょう。

昨日は、仙台のスタッフと一緒に上記の会社に訪問したのですが、打合せを終えると丁度昼になり、スタッフたちと一緒にリニューアルされた仙台駅に行き、一緒に昼食を取りました。

昨日の朝の散歩でホテルから仙台駅周辺を歩き回り、リニューアルされていたので、もし時間があれば、来てみたいと思っていたのですが、新しい飲食店、物販の店がたくさん出来、最新のコンセプトの店ばかりで、どの店も多くのお客さまで行列になっていたのです。

最も驚いたのは、全農がカフェとか、野菜のレストランを展開し、出来栄えも素晴らしかったので、全農のレストランに入ってみました。

駅の構内には、今までの駅の構内には無かったような素晴らしいレストランがたくさん入店し、今までの駅の構内のイメージはまったくなく、進化したショッピングセンターの中にいるようなイメージです。

このような飲食ゾーンが日本中のあちこちで出来ているので、既存の麺ビジネスにも、大きな影響が出ているはずです。

次から次へと新しい施設が日本中で出来ているので、過去と一切変化のない既存店には厳しい環境が起きていることと思います。

本日も当社の価値感を掲げ続けます。

1. 顧客にフオーカスし、自ら奮闘者になり、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(顧客とのコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

◆女性の意識

アメリカの女性運動家は今日、1930年代と40年代を、女性の社会的役割を認めなかった最悪の暗黒時代として位置づけているのですが、事実に照らしてみるならば、これほど間違った見方はなく、1930年代と40年代こそ、まさに存在感のある女性の花形たちが活躍した時代であり、アメリカの良心、アメリカの道義の代弁者として、アメリカ史上、いかなる男性をも超えた大統領夫人、エレノア・ルーズヴェルトがいて、その友人フランセス・パーキンスは、初の女性閣僚として労働長官となり、ルーズヴェルト政権の最も有能かつ強力な閣僚となり、アンナ・ローゼンバーグは、アメリカ最大の小売店R・H・メイシーの人事担当副社長として、アメリカの大企業初の女性役員となり、朝鮮戦争のときには、兵員担当の国防次官補として将軍たちの上司となり、大学の学長にも、全米に知られた大勢の有力な女性がいて、一流の作家、クレア・ブース・ルースやリリアン・ヘルマンがいたのですが、とくに前者は政治家としても名をあげ、コネチカット州選出の下院議員、後に駐イタリア大使を務めました。

この時代、医学上の最も大きな業績を残したのも女性で、ヘレン・タウシッグは、チアノーゼの幼児の手術を行い、史上初の心臓手術に成功し、やがて世界中の幼児の命を救うことになる心臓移植や、バイパス手術へと続く心臓手術の時代をもたらし、さらには、ラジオを通じて数百万人の心に働きかけたマリアン・アンダーソンがいて、アメリカ中の茶の間に入り込むことのできた黒人は、彼女が登場する前には1人もいなかっただけでなく、彼女の後には、マーチン・ルーサー・キングが1人いるだけで、以上のように、名のある女性は計り知れなく多く、彼女たちはみな、自らの業績と名声、重要さを自覚する誇り高い女性だったのですが、彼女たちは自らを「女性の代表」とは考えず、自らを女性と考えるよりも、まず人間として考えていて、女性の代表ではなく、むしろ例外として考えていたのです。

どのように変化が起こり、それがなぜであったかを説明するのは、後世の歴史家に任せなければならないのですが、1970年以降、偉大な女性の先駆者たちは、もはや特別視されるべき存在ではなくなり、今日では、働かない女性や、男のものとされていた仕事をしていない女性のほうが特殊であって、例外とされるのです。

いくつかの企業、とくにシティバンクが、この変化をイノベーションの機会としてとらえたのですが、すでに女性が専門職や経営管理者として認められていた百貨店、広告代理店、雑誌社、出版社は、変化に気づかず、今日、それらの企業では、30年前や40年前よりも、女性の専門職や経営管理者が減っているくらいですが、これに対し、シティバンクは極端な男性社会だったので、変化を認識できたのも、そのためだったかもしれず、シティバンクは、この女性の意識の変化を機会としてとらえ、とりわけ野心的な有能な女性を雇い入れて、活躍させることに成功し、しかもシティバンクは、キャリアウーマンの昔からの就職先だった企業と競争することなしに、彼女たちを雇うことができたのです。

当社も多くの女性が活躍しており、スタッフのうち、約55%が女性であり、女性の比率が多い会社ですが、女性が活躍を始めてから、会社が大きく変わり、創業以来、製麺機メーカーだったので、それまでは、まったくの男性社会であったのですが、女性たちがそれまで男性たちが携わっていて、成果が上がらなかった仕事を成果の上がる仕事に変えていったのは、特に営業関係と麺學校で、今後は、他の部門で女性たちの活躍が見込まれていて、男性たちがやっていて、成果が上がらなくなった部門を女性たちに任せることは、これからの日本では欠かせないことであり、世界中で、若い男性の中に草食男子化が進み、女性は肉食女子化が進んでいることを危惧されていますが、今は男性と女性と分ける必要のない時代に入り、少なくとも、ビジネスにおいては、男女の性差別は不要な時代になったのではと思います。

◆アメリカの中流階級化

このように、認識の変化をイノベーションの機会としてとらえる者も、長期にわたって独占的に行動することができ、1950年代の初めというかなり昔のケースにも、認識の変化を利用したイノベーションの例があり、1950年頃、アメリカ人の圧倒的多数が所得や職業のいかんにかかわらず、自らを中流階級として考えるようになり、明らかにアメリカ人は、自らの社会的地位についての認識を変化させたのです。

中流階級への意識変化は何を意味したか。

ある広告代理店の役員ウィリアム・べントン(後にコネチカット州選出の上院議員)は、「中流階級」とは何を意味するかを考え、その明快な答えは、中流階級とは、労働者階級と異なり、自分の子供が学校の成績次第で出世していけると信じる人たちのことだったので、そこでベントンは、倒産寸前だったエンサイクロペディア・ブリタニカを買い取り、そして主として高校の先生に「中流のご家庭のお子さんの勉強には、ブリタニカの百科事典が必要です」と言わせ、一家の中から、初めて子供を高校へ行かせるようになった親たちに、百科事典を売り込み、ブリタニカを3年で立ち直らせ、10年後には日本でも同じ売り方で成功したのです。

予期せぬ成功や失敗は、しばしば認識の変化を示す兆候であり、サンダーバードはエドセルの灰から生まれ、フォードは、エドセルの失敗の原因を調べて、認識の変化を発見し、わずか数年前には所得階層によって分かれていた乗用車市場が、今やライフスタイルによって分かれていたのを発見したのです。

認識の変化が起こっても、実体は変化しないで、意味が変化し、「半分入っている」から[半分空である]に変化し、自らを労働者階級として一生身分が変わらないとする見方から、中流階級として社会的地位や経済的機会を、自ら変えることのできる身分にあるとする見方へと変化し、そのような認識の変化は速く、アメリカ人の過半が、自らを労働者階級ではなく、中流階級として考えるようになるには10年とかからなかったのです。

経済が変化をもたらすのではなく、まったくのところ、経済は関係さえしないかもしれず、イギリスでは、所得の配分はアメリカよりも平等であるのですが、3分の2がいわゆる労働者階級を上回る所得を得、2分の1近くが中流階級の下層を上回る所得を得ているにもかかわらず、イギリス人の70パーセントは、依然として自らを労働者階級と見ているのです。

日本においても、今は人びとの認識が大きく変化する時代であるので、認識の変化を捉え、イノベーションの機会にすることにより、自分たちのビジネスに大きな成果をもたらすことが出来るのですが、簡単ではなく、トップがシッカリと時間をかけ、深い思考で取り組むべき大切な項目であるのです。

「実体よりも認識」

コップに「半分入っている」か「半分空である」かは、実体ではなく認識が決定し、体験が決定し、アメリカの黒人が「半分空である」と感じるのは、アメリカ社会の現状よりも、過去数世紀にわたる癒しがたい傷によるものであり、イギリス人の過半が自らを労働者階級と見るのは、19世紀における国教徒用チャーチと非国教徒用チャペルの断層という遺産によるところが大きく、アメリカ人の健康ノイローゼは、健康にかかる指標よりも、若さへの信仰などアメリカ人特有の価値観によるところが大きいのです。

社会学者や経済学者が、それらの認識の変化を説明できるか否かは関係なく、認識の変化はすでに事実であり、多くの場合、定量化することはできないだけでなく、定量化できたとしても、その頃には、イノベーションの機会とするには間に合わないのですが、それは理解できないものでも、知覚できないものでもなく、きわめて具体的であり、明らかにし、確かめることができ、そして何よりも、イノベーションの機会として利用することができるのです。

但し、以上のことも常に変化に対し、意識を持って対応していないと、変化を捉えることが出来ないので、殆どの人たちは、変化に気づかず、また気づいたとしても、イノベーションの機会として活用出来ていないのですが、これからの日本において、認識の変化に対する意識を高めることが、外せないのです。

昨日は朝の散歩で、ホテル周辺の市場から、仙台駅周辺を歩き回り、その後、スタッフたちと一緒に、若い方がやっている会社を訪問したのです。

その後、仙台駅では新しいレストラン街をチェックし、全農がやっているレストランで一緒に食事を取りましたが、サラダの野菜が素晴らしかったのです。

仙台駅が素晴らしかったので、もう少しのところで高松行きの飛行機に乗り遅れるところでした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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