最近、テレビドラマで、改めて脚光を浴びた黒田如水ですが、豊臣秀吉の時代から徳川時代を通して、徳川の外様大名でありながら、永く繁栄した家系は多くないのですが、仙台の伊達藩と並んで、珍しい事例です。
黒田藩の始祖である黒田官兵衛は戦略家であり、野心家でありながら、人間味があり、この時代に生きた武将としては、珍しいほどの人物です。
黒田官兵衛の名言を改めて見てみると、約500年近くも前に生きていた人物ですが、現在に通じることがほとんどです。
反対に、どの時代においても人の生き方、考え方はまったく同じであることが分かります。
こんなに難しい時代に生き延び、更に長く家系を反映させた武将の言葉、生きざまは今の時代にもたいへん参考になります。
黒田如水は、別名、黒田孝高、黒田官兵衛とも名乗り、戦国時代から江戸時代初期にかけての戦国武将で、軍略、外交などに優れ、豊臣秀吉の参謀として活躍し、徳川時代にも隆々と栄えた非常に珍しい武将で、清濁併せ飲む智将として知られている。
1.上司が率先して自己研鑽することの大切さ
槍・太刀・弓馬の諸芸を自から行なうのを、身分の低い者の仕事であるとして、自分で一度も行なわなかったならば、家来たちの武芸も進歩することがないだろう。
武道の大本を心得て、大将自身も武芸を学び、また文字も自から学んで、侍たちにそれを奨励すべきだ。
昔から、文武の道を失っては国家も治めがたい、といっている。
よくよく心得ねばならない。
2.部下に情報をあげてもらうことの大切さ
私一人の注意では、多くの家来たちに届くまいから、見のがすことも多いだろう。
よくないことがあったなら、遠慮なく早く知らせてほしい。
3.治世に武を忘れず、乱世に文を捨てないのが、最も肝要
文武は車の両輪のごとく、そのひとつが欠けても駄目である、と昔の人もいっている。
治世に文を用い、乱世に武を用いるのは、当然のことであるが、治世に武を忘れず、乱世に文を捨てないのが、最も肝要である。
4.大将にとっての文とは
大将が文道を好むというのは、必ずしも書物を多く読み、詩を作り、故事を覚え、文字を嗜むことではない。
誠の道を求め、何事につけても吟味工夫を怠らず、筋目をたがえず善悪をただし、賞罰を明らかにして、心に憐みの深いのをいう。
5.大将にとっての武とは
大将が武道を好むということは、ただやたらに武芸を好み、心のいかついことを意味するのではない。
軍の道を知って、つねに乱を鎮めるための智略を行ない、武勇の道に志して、油断なく士卒を訓練し、手柄のある者に恩賞を施して剛臆をただし、無事のときに合戦を忘れないのをいう。
6.人は多いが有能な人材は少ない
(前者の人は人間を意味し、後者の人は有能な人材を表す。人はたくさんいるけれど、有能な人材は少ないという意味の言葉)
天下に最も多きは人なり。
最も少なきも人なり。
7.上司の威厳とは、部下を押さえつけることではない
大将たる者は、威(威厳)というものがなければ万人を押さえつけることはできない。
こしらえごとでいかにも威を身につけたように振舞ってみても、それはかえって大きな害になる。
そのわけはひたすら諸人から恐れられるようにするのが威だと心得て、威丈高になる必要もないのに目をいからせ、言葉を荒々しくして、人の諌めも聞かず、非があってもごまかすから、家老もだんだん諫言を言わなくなり、身を引くようになってしまう。
このように高慢で、人をないがしろにするから、万民は疎み、家を失い滅んでしまうから、よく心得るべきである。
8.上司の威厳をつける方法
(自分の行いを正しくし、公平に部下に接すれば、叱ったり脅したりしなくても上司としての威厳が生まれるという発言)
まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ。
9.仕事のできない部下より、その人を任命した上司に責任がある。
その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。
目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。
10.追腹を禁ぜよ
世の中で主のために追腹を切る(後を追って切腹すること)ぐらいつまらぬことはない。
腹を切って死んだとしても、わしに従って地獄・極楽を駆け巡るわけではあるまい。
わしはただ立派な士を一人でも多く、大切に思う子に譲りたいのだ。
必ず殉死を禁ぜよ。
11.後継者のためにあえて悪役を演じる
(家臣に名君と慕われていた如水が病気で死ぬ直前に豹変し、部下をののしり始めた。上記は息子の黒田長政が如水に理由を聞いたときの返答)
これはそちのためにしているのだ。
乱心ではない。
わしが諸臣に嫌がられて、一日も早く長政の代になるとよいと思わせるためだ。
12.上司の弱点を指摘してはならない。
13.天罰よりも怖いもの
(神や主君には祈ったり謝ったりすれば許してもらえるが、部下や民から恨まれると謝っても許してもらうことはできない。だから下の者たちの恨みは買わないようにせよという意味)
神の罰より主君の罰おそるべし。
主君の罰より臣下の罰おそるべし。
そのゆえは神の罰は祈りてもまぬるべし。
主君の罰は詫言して謝すべし。
ただ臣下百姓にうとまれては必ず国を失う。
ゆえに祈りても詫言してもその罰はまぬかれがたし。
ゆえに神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れるべし。
画像は、私が大好きで、いつも注文する、亀城庵のカレーうどんです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。