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ラーメン・そば・うどん屋開業・繁盛店を目指す|名言集 17-4 ピーター・ドラッカー解説(使命と信念の重要性)

駅中のベーカリー・カフェ 昨日もドリーム・スタジオ名古屋の私のセミナーには、熱心な参加者の方がたが参加し、多くの質問を受けました。

約4年近く前にドリーム・スタジオ名古屋を開設しましたが、開設当時のセミナーの内容、そしてお客さまの反応と最近のお客さまの状態はまったく異なります。

熱心な参加者が非常に増え、常連の参加者が非常に増えています。

この様にして、当社の各地のドリーム・スタジオが多くのお客さま方のお役に立てていることはたいへん嬉しいことです。

私のセミナーの後、個別相談が2組あり、それを終えた後、名古屋駅のデパ地下を定点観測して、その後、小田原駅で途中下車しました。

小田原駅には、素晴らしい駅中のベーカリー・カフェがあり、私は東京~名古屋間の往復の場合は、必ず、この駅中のカフェに寄ることにしているのです。

昨日、寄ってみて驚いたのは、このカフェの対面の駅中にスターバックスが開店して、お客さまが2分されていました。

それでも、パンは相変わらずよく売れていました。

その後、品川駅でもいつものカフェに寄り、雰囲気を楽しみましたが、改めて最近のカフェで繁盛しているカフェは、食べ物に力を入れていることが改めてよく分かります。

本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは使命と信念の重要性です。

10.使命と信念の重要性

組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。
この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う。

(解説)明確な使命を持つことの大切さは、以下のように、私の著書「金儲けを目指さない店だけが繁盛する」より抜粋し、更に最新の知識を加えて加筆しました。

使命を考えるときに、われわれが遭遇する問題点は、自分自身の人生の使命、ビジネスの使命、家庭人としての使命を混同してしまうことです。

人生の使命とは、人生の目的のことで、使命の出発点、大本はそれぞれの個人が持っている価値観です。

価値観において、重要なことは内容だけではなく、その順序であり、例えば、ここにサラリーマンのAさん、Bさんがいて、Aさんの価値観は仕事が一番、家庭が2番で、Bさんの価値観は家庭が1番、仕事が2番であったとします。

すると、この2人の行動はまったく違った結果になり、同じような価値観を持っていても、順序が少し変わると、結果がまったく異なるのです。

従って、価値観においては、どんな価値観を持っているかよりも、どんな順序で持っているかの方がもっと大切なのです。

われわれの思考、行動のすべての源は価値観であるので、使命を明確にするにあたっても、自分自身の価値観の棚卸が最優先事項なのです。

そして価値観とその順序が明確になると、次は使命を明確にすることです。

人として生まれてきた限りは、それぞれの人生には大きな目的があり、人生の目的とは、人生に意味を与えることだと言われています。

人生の使命を明確にすることは、たった1回しかない貴重な人生に自分なりに価値ある意味を与えることであり、使命とは、文字通り、自分の命の使い方を明確にすることであったのです。

私は、物心がついてから、時折、自分自身の人生の意味について考え続けてきました。

私は、いったい何のために、何を行なうために、何に貢献するために、この世に生まれて来ているのだろうかと。

私は、この世で何をしようとしているのだろうか。

こうして考えてみると、自分自身の人生の使命を明確にすることは、なぜを問い続けることであったのです。

要するに、「Why・・・?」を明確にすることでもあったのです。

私は小さいころから身体が弱く、幼稚園のころは結核になり、幼稚園に通うことが出来なかったのです。

小学校時代は、勉強の出来が悪くて、親爺にはいつも特別学級へ行くようになると、脅かされていました。

小学校低学年のころは、成績も常にビリで、先生からは鼻つまみでした。
小学校4年のころから始めた珠算がきっかけで、珠算が得意になり、自信が付き始め、算数が得意になり、人生が変わり始めたのは、このころからです。

小学校高学年から、中学校にかけては、模型飛行機とかモーターボートとか、モノ作りが好きな少年でした。

中学校に入り、更に数学が得意になり、高松工業高等専門学校の機械工学科に進み、専門分野を学びました

従って、自分にはモノ作りの才能があると気づいたのは、小学校から始まり、中学から高松高等専門学校の頃であったと思います。

その後、川崎重工、航空機事業部、機体設計課に採用され、航空機事業部で3年、船舶事業部で3年間、設計の仕事に従事しました。

その後、機械設計の仕事で独立し、製麺機の製造販売へ転向して、今日に至っています。

わたし自身の歴史を振り返ると、自分自身の興味を持てる分野を求めて、更にそのときどきの環境に合わせて、自分自身の立ち位置を調整していることが分かります。

こうして、私自身の人生の使命を振り返ってみると、モノ作りに価値観を置いた人生であったと振り返ることが出来ます。

川崎重工を退社後、独立起業してからは、その日その日の生きることに必死で、自分自身の使命、会社の使命について深く思考する余裕がなかったのです。

17~8年前に会社の使命を明確にしたことが、使命を明確にした最初でした。

その頃まで、当社は製麺機の製造販売する会社であるとの位置づけでした。

ところが、同じように製麺機を納品しても、かたや大成功するお客様もいれば、反対に失敗して駄目になっていくお客様もいて、当社は単にお客様に製麺機だけ を納品すれば良いのだろうかと疑問を持ち、当社の使命を「麺専門店繁盛支援会社」と明確にし、お客様の繁盛を支援する会社になろうと決めたのが出発点でし た。

この結果、業界に先駆けて365日メンテナンスを行い、うどん学校、そば学校、ラーメン学校等を開校し、シェアトップになり、使命を明確にしたことがきっかけとなり、会社の形が大きく変わりました。

私のお爺さんは左官の職人で、親爺もお爺さんの血を引き、手先が器用で、私も多分、爺さんとか親父の血を引き継ぎ、モノ作りが得意であったと思います。

このように、自分に備わっていた特徴(自分の得意なこと)を使い、新たに学んで手に入れたものを使い、自分の夢を追い続けること、自分の夢を生きることが使命に沿った生き方ではないかと思います。

私は身体が弱かったことから、人びとを健康にすることに使命を感じております。

麺学校では、美味しくて健康に良い麺料理教えることを通じて、また、会社の社員食堂で有機農法無農薬の野菜を初め、健康的な食事を提供することによって、使命の実現を図っているのです。

要するに、私の使命は最高に美味しくて、健康に良い日本の麺文化を世界中に広めることによって、多くの人達の健康維持、さらにはビジネスの成功を指導することにより、多くの生徒さん、お客様方の人生の成功ストーリー作りのお手伝いをすることであったのです。

以上のように、使命を明確にすると、私の身体が弱かった意味が分かるようになりました。

身体が弱かったことが、自分の使命を考える上で、大きな意味があったのです。

そして、モノ作りが得意であったことも大きな意味があったのです。

以上より、使命は自分が持っている強み、弱み、過去自分が生きてきた間で、積み上げてきた特徴、価値観の上に成り立っていることが分かります。

使命は、自分自身の社会の中での存立基盤であり、戦略(戦い方)の重要な一部分を占めるものでもあります。

要するに、使命を明確にすることは、自分自身を際立たせ、輝かせ、人として生まれて来て、生きてきた証を明確にすることであったのです。

自分自身の強み、弱み、特徴、個性を活用して、世の中に貢献することであったのです。

以上は、私自身の使命ですが、私の場合は、自分でビジネスを行なっているので、私自身の使命とビジネスの使命がよく似ていて、ダブっている部分が多いのです。

ビジネスにおける使命とは、「お客さまの価値創造のために、自分の命(資源)をどのように使うかを明確にすること」であるのです。

そして、ビジネスの使命には次の3項目が含まれていなければいけないのです。

1.「到達すべき目標がある」こと
2.「目標に進んでいく行動がある」こと
3.「それらが何かに求められている」こと

更に使命については、使命は一度決めたら、永遠に同じ使命で通せるのではなく、その使命が全うされそうになれば、次の新しい、高位の使命を用意しなければいけないのです。

使命も、エンドレスに見直していかねばならないのです。

使命が達成された状態を現しているのが、ビジョンです。

以上のように、使命は自分自身の使命、ビジネス(会社)の使命、家庭人としての使命の3つに大きく分けて考えなければいけないのです。

自分自身の使命は、自分自身の考えて決めることが出来ますが、ビジネスの使命は、組織の中心メンバーと一緒に考え、中心メンバーの同意を必要とします。

多くの人を巻き込むほど、使命は共有出来、達成が速まるのです。

家庭人としての使命も同様です。

私がこれから明確にしていかなければいけないのは、家庭人としての使命を明確にしていくことです。

次は、実際に当社で起きたことで、使命を明確にすると、会社の形が大きく変わったのです。

当社は、約20年ほど前、「麺専門店繁盛支援会社」という使命を明確にしましたが、それ以前は、同業他社と何ら変わるところのない、製麺機の製造販売業者でした。

私も含めスタッフ一同、高性能の製麺機をつくって販売に成功することが当社の使命であると信じ、一生懸命に製麺機を開発し、製造販売していたのです。

うどん業界初の革新的なうどん製麺機「真打」を開発し、その後、ラーメン用製麺機「リッチメン」、そば用手打ち式製麺機「坂東太郎」と次々と開発を進めたのも、〝素晴らしい製麺機を開発できれば成功する〟という揺るぎない確信があったからです。

創業後、それほど年月が経っていない頃のことですから、資金的に乏しく、社員も少なく、そんななかで、無理やり開発費を捻出して、次々と新しい機械の開発を進めていきました。

製麺工場用の大型自動製麺機の開発にも着手し、時間当たり一万食以上製造可能な、まるでロボットみたいな全自動大型製麺機の開発も行ない、精巧で斬新な製 麺機の開発こそが使命だと思って、熱心に取り組み、創業後10年くらいは、そんなふうに機械の開発に明け暮れていたように思います。

それだけのエネルギーを注ぎ込めたのは、成功を夢見ていたからで、新しい画期的な機械ができれば、たくさん売れて会社が潤い、大きく飛躍できるという確信で、それが、すべてのエネルギー源でした。

ところが実際は、そうならなかったのです。

真打を初め、どれもこれも画期的な機械ばかりで、業界の誰もが認めざるを得ない、高性能機ばかりですが、だったら会社が潤って然るべきなのに、一向に経営は楽にならないのです。

これはいったい、どういうことなのかと言えば、要するに、売れなかったのです。

私はこのとき、機械を開発するよりも販売するほうがはるかに難しいことを、つくづく思い知らされると同時に、小売業やサービス業に従事している人たちの苦労が少しわかった気になり、とりあえず、当社が製麺機をお納めしているお店の状況を調べてみました。

すると、同じ機械を使っていても、期待どおりとても繁盛しているお店もあれば、客入りが悪く閉店に追い込まれるお店もあることがわかりました。

納入業者として、閉店に追い込まれていくお店を見ることほど、辛いことはありません。

何とか頑張ってほしいとは思うものの、本音を言えば、納入先を心配している余裕などありません。

手をこまねいていれば、こちらも倒産の憂き目に遭うかもしれないので、納入先の心配ばかりしていたら、身の程知らずと言われてしまいます。
「お客さまのお店、そして自分の会社ともども、発展・成長する道はないものか。お互いに喜びを分かち合えたら、素晴らしいんだけど……」

そんなことを考えているうちに、心境が少しずつ変化してきて、「私のやっていることは、どうも違う。本当にやるべきことはほかにあるのではないか……」
そう、思い至ったのです。

そんな思いを抱いて仕事をしているとき、ある衝撃的な言葉を教えてくれた方がいました。当時はちょうど、コンビニエンスストアのセブン・イレブンが、破竹の勢いでマーケットを席巻していた頃です。

そのセブン・イレブンは、経営が傾きかけた酒屋さんのような生業店をコンビニエンスに変えることで生き返らせている。つまり、「生業店支援会社」がセブン・イレブンの使命だというのです。

これを聞いたとき、私の悩みが一気に解決しました。当社がこれからやらなければいけないことは、製麺機の開発や製造販売ではない。〝麺専門店繁盛支援業〟だ、と。

それからは、「当社は麺専門店繁盛支援会社である。当社の使命は麺専門店を支援することだ」と、社内で言い続けました。当然、スタッフたちは戸惑い、「社長がわけのわからないことを言い出した」と思っていたはずです。

しかし、スタッフたちがどう思おうと、私は言い続けました。すると不思議なもので、当社がやっていることで、使命に沿っていないことがいくつもあることに気が付きました。

その一つがメンテナンスです。

勿論、それまでもメンテナンス・サービスは行なっていましたが、日曜と祝祭日はお休みで、年中無休365日のメンテナンスではありません。

それは当社にかぎらず、全国の製麺機メーカーどこも同じでした。

しかし、機械は日曜祝日を避けて故障するわけではないのですから、こちらの都合でメンテナンスを休みにするというのは、ちょっとおかしい、「日曜祝祭日もやってほしい」、と思っているお店はいっぱいあるはずだ。

「そうだ! 年中無休のメンテナンス・サービスを開始しよう」と、私は即座に、スタッフに提案しましたが、それに対する反応は、全員揃って「ノー」でした。社員にとっては負担が増すだけの話なのですから、反対して当然です。

しかし私は説得を続け、最終的に半ば無理やり、年中無休のメンテナンス・サービスをスタートさせました。

同調しなかった何人かの社員が会社を去っていったのは残念でしたが、それは使命感の違いで、これ以上の説得は無理、と割り切るほかありませんでした。

こうして、業界初の365日メンテナンス・サービスがスタートしたわけですが、ほどなくして思いもよらない現象が起きてきました。

前述したように、機械は曜日を選ばず故障します。もちろん元旦でも、故障することがあります。そのような日に故障されたら本当に大変です。

お店の人は、すぐに修理依頼の電話をかけます。かけたところで出るはずないと思いながら、電話をかけるのです。ところが、思いがけず電話がつながり、すぐに来てくれるというのです。

これに、感激しない人はいません。また、修理に向かった当社スタッフも、これ以上ない感謝の言葉を掛けていただけるのですから、モチベーションは黙っていても上がります。

「ああ、喜んでもらえた。お客さまのお役に立てた。自分は素晴らしいことをやっているんだ」

こういうことを地道に繰り返していくうち、お客さまの信頼が徐々に増し、これまで小型製麺機市場でずっと業界2位に甘んじていたのが、いつしか当社がトップメーカーになっていたのです。おそらく、お客さまの信頼が増した結果に違いありません。

このことを通じて、私は多くのことを学びました。その主なものを列記すると次のようになります。

1.使命を明確にする大切さ。
2.ビジネスの秘訣は、先に与えること。
3.先に痛みを受けると、快楽は後からついてくる。
4.得たい結果は、先に犠牲を払わなければ得ることができない。
5.信頼が、ビジネスを加速する。
6.回り道は、結局、近道につながる。

これらはまさに、使命が明確になった結果と言えるでしょう。使命を明確にすると、やらなければいけないことが次々と、自動的にわかるようになるのです。

使命を明確にしたことが、当社の形を大きく変え、現在も当社を大きく変え続けています。

画像は小田原駅にある、私の好きな駅中のベーカリー・カフェです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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