昨日から蕎麦学校とラーメン学校の経営講義が始まり、多くの参加者たちが、難しい私の授業を熱心に受けています。
本日のドラッカーの名言録で下記に書いたように、現在のような知識労働の時代において、知識労働者の生産性を上げるためには、学びは欠かせないのです。
当社の麺学校は、大きく分けて、マネッジメントを教える経営講義と、技術を教える実習の2つの部分から成り立っています。
例えば、ラーメン学校の場合、経営講義は2日間で、技術の部分は5日間で、技術部門の習得の方が日数が長く、ほとんどの参加者は技術の習得で十分であると思って参加する生徒さんが多く、マネッジメントの部分での取り組みに熱心でない生徒さんが多いのです。
しかし、実際に店を開き、成功する生徒さんとそうでない生徒さんを比較してみると、マネッジメントを理解せずに、自分の好きなラーメンを提供するために、何となく店を作り、失敗する生徒さんが非常に多いのです。
失敗する生徒さんほど、マネッジメントへの取り組みが弱いように思います。
既にFC等で何軒も飲食店をやって、それなりに成功している生徒さんでも、マネッジメントを理解しておらずに、上手くいっていない場合があるから驚きです。
FC等に加わり、FCの出来上がった仕組みの上で経営していると、キチンと経営して利益が上がっていても、仕組みが良いので利益が出ているだけで、決して、FCに加盟している経営者の経営レベルが優れている訳ではないのです。
たまたま、本部の持っている経営ノウハウが素晴らしいだけであるのです。
私が起業した頃には、このようなことは想像もしていなかったのですが、ドラッカー・マネッジメントの学びを深くすればするほど、現在のわれわれが生きてい る時代が社内の一般通念になっていること、既に学校で学んだことと、真実はいかにかけ離れているか、思い知らされます。
知識労働者の生産性を上げるには、下記に書いているように、資本とか技術ではなく、知識労働者の能力をいかに上げ続けるかにかかっているのです。
要するに、いかに彼らを賢くし続けるかにかかっているのです。
私にとっては、賢くしなければいけない対象がたくさんあるのです。
一つ目は自分自身で、これが一番重要な対象です。
二つ目は、社内のスタッフたちで、賢くなったスタッフが多くなればなるほど、当社は非常に成功するのです。
三つ目は、お客さまである生徒さんたちで、生徒さんたちが成功すればするほど、当社は成功し、永く繁盛することが出来るので、これも欠かせないのです。
四つ目は、家族で、これも難しい課題ではありますが、非常に重要なことなのです。
この様に、私には自分自身も含めて、高め続けなければいけない対象が周りにあり、これからも日々、進化し続けなければいけないのです。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「知識労働社会では資本は人間の代わりにならない」です。
34.知識労働社会では資本は人間の代わりにならない
我々が強い衝撃を持って最初に学んだことは、知識労働においては、資本は労働(すなわち人間)の代わりにはならないということである。
経済学の用語に従えば、肉体労働については、資本と技術は生産要素である。
しかし知識労働については、もはやそれらは生産手段であるにすぎない。
資本と技術が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って何をいかにするかにかかっている。
仕事の目的や、使う人の技量にかかっている。
(解説)例えば、日本における、明治、大正、昭和以前の肉体労働の時代において、資本と技術は生産要素で、肉体労働者を集め、働かせるにはお金が一つ目の重要な要素であり、生産効率を上げるためのさまざまな技術(道具)は、二つ目の重要な要素であったのです。
ところが、現在の知識労働の時代において、お金は必ずしも必須な要素ではなくなり、技術の象徴であるさまざまなIT機器も手段の一つに過ぎないのです。
そして、ドラッカーは更に、次のように強調しているのです。
「われわれが強い衝撃をもって最初に学んだことは、知識労働においては、資本は労働(すなわち人間)の代わりにはならない、ということである。
技術も、それだけでは知識労働の生産性を高めることができない。経済学の用語に従えば、肉体労働については、資本と技術は生産要素である。しかし知識労働 については、もはやそれらは生産手段であるにすぎない。資本と技術が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って何をいかにす るかにかかっている。仕事の目的や、使う人の技量にかかっている。」
「30年前、われわれはコンピュータが事務要員を大幅に削減すると信じていた。そのためサービス業におけるコンピュータ投資は、素材加工における機械投資と同じように行われた。ところが人の数は増えた。生産性は、実質的にはほとんど向上していない。」
「(今日の病院は、超音波、ボディスキャナー、磁気画像装置、血液分析器、滅菌室、その他諸々の投資を行い、きわめて資本集約的な施設になっている。だがそれらの機器は、病院のスタッフを一人も減らすことなく、逆に高給のスタッフを新たに必要としている。」
「実際、医療コストの世界的な増加には、病院が経済的な怪物になったことが関係している。経済学のいかなる定義に従っても、病院は高度に労働集約的であ り、かつ高度に資本集約的である。そのため病院は、もはや経済的に成立しえなくなっている。だが病院の場合は、少なくともその能力は高まっている。ところ が他の知識労働の分野では、投資は増え、人員は増え、コストが高くなっただけである。)」
「医療コストの爆発は、病院の生産性を大幅に向上させることでしか食い止めることはできない。生産性の向上は、より賢く働くことでしか達成できない。とこ ろが経済学者や技術者は、生産性向上の鍵として、より賢く働くことに主役の座を与えようとしない。経済学者は資本を主役とし、技術者は技術を主役とす る。」
「科学的管理法であれ、インダストリアル・エンジニアリングであれ、ヒューマン・リレーションズであれ、効率エンジニアリングであれ、あるいは職務研究 (フレデリック・W・テイラー自身が好んだ控え目な呼称)であれ、より賢く働くことこそが生産性向上の主役である。先進国では、資本と技術は、産業革命の 最初の百年もその後の百年も同じだった。より賢く働くことが影響を与えるようになって、初めて肉体労働の生産性が急速に向上した。」
「肉体労働に関しては、より賢く働くことが生産性を向上させるうえで重要な鍵である。だが知識労働に関しては、それが唯一の鍵である。もちろん、知識労働 におけるより賢く働くということの意味は、肉体労働の場合とは大いに異なる。」(『プロフェッショナルの条件(P・ドラッカー)』より)
次に同じく、『プロフェッショナルの条件(P・ドラッカー)』の中でドラッカーは生産性革命について、次のように時代を分析しているのです。
■生産性革命は終わった
「生産性の急激な向上は、過去百年間で最も重要な社会的事件であっただけでなく、史上例のないものだった。」
「(豊かな人々と貧しい人々は常に存在した。しかし1850年に至ってなお、中国の貧しい人々は、ロンドンやグラスゴーのスラムに住む人々よりも、はっき りと分かるほどひどい状況にあったわけではない。1910年当時の最も豊かな国の平均所得は、最も貧しい国の平均所得のせいぜい3倍にすぎなかった。とこ ろが今や、余暇、教育、医療を差し引いて、なおかつ両者の間には20倍から40倍の開きがある。)」
「生産性の急激な上昇性がなかった時代には、1つの国が先進国になるには、少なくとも50年を要した。ところが、1955年までまさしく世界の遅れた国の 1つだった韓国が、20年で先進国となった。昔から当然のこととされていたものをかくも劇的に覆したのは、すべて1870年から80年にかけてアメリカで 始まった生産性革命のなせる技だった。」
「物を作ったり運んだりすることの生産性は、同じような割合でいまだに向上している。一般に信じられているのとは逆に、アメリカにおいても、日本やドイツ と同じように向上している。それどころか、アメリカの農業における生産性の伸びは、いかなる時代のいかなる地域と比較しても、ずば抜けて高い。そのうえ、 アメリカの製造業における生産性の向上は、絶対値で見るならば、日本やドイツの製造業よりも大きい。なぜならば、アメリカでは基礎となる数値が依然高いか らである。」
「しかし、もはや先進国では、これまでのような生産性革命は終わった。肉体労働の分野では、その生産性が決定的な要因になるほど十分な人数が雇用されていない。先進国では労働力人口の5分の1以下である。わずか30年前には、それが過半を占めていた。」
「他方、今日重要性を増してきた知識労働者の生産性は全く向上していない。分野によっては低下してさえいる。インフレ調整後の数値でみると、先進国のデ パートの店員1人当たりの売り上げは、1929年当時の3分の2である。1991年の教師は、1901年の教師ほど生産的でないという意見に異論を唱える 人もあまりいない。」
「知識労働者には、研究活動を行う科学者や心臓外科医から、製図工、小売店の店長、保険会社の保険請求処理部門で働く者まで多様な職種が含まれる。だがこ のように多様な知識労働者も、彼らの生産性を向上させる上で「何が役に立たないか」という点では同じである。その知識、技術、地位、給与がいかに異なろう とも、生産性を向上させる上で、「何が役に立つか」という点でも同じである。」(『プロフェッショナルの条件(・ドラッカー)』より)
上記と同じことが当社でも同様に起きていて、当社の売上は10年前、20年前と比べると大きく伸びていますが、製造部門の人数はほとんど変わらないのです。
要するに、製造部門の生産性は、この20~30年間で大きく伸びたのです。
ところが、営業部門、メンテナンス部門、企画部門、麺学校部門、各地のドリーム・スタジオでは人数が大きく増え、売上の伸びと同じ位、或いはそれ以上に増えているのです。
そして、20年前、30年前に比較すると、比較できない位に設備に投資しているのです。
そして、今日、これ以上の成果を上げ続けるには、当社が目指さなければいけないことは、当社のスタッフたちを更に賢くすることにエネルギーを注ぎ続けることであったのです。
このように、ドラッカーは私に大きな示唆を常に与え続けてくれるのです。
画像は、昨日の経営講義の様子です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。