本日でいよいよ本年も最終日を迎え、このフェイス・ブック・ブログも1日も休まずに、1年を終えることが出来ました。
私の過去を振り返ってみると、今まで命を落としかけたことが何度あったか、分かりません。
会社の厳しかったことも数えきれないくらい、何度もありました。
ここでこうして、元気に楽しい日々を過ごせているのが、奇跡のようです。
そのような過去を振り返るたびに、幸運な人生を送ることが出来ていることに感謝せざるを得ません。
今日、こうして無事で平穏で、幸せな日々を送ることが出来ているのは、多くの助けて戴いた先輩方のお蔭です。
そして、今年もこうして無事に1年を過ごすことが出来たのは、支え続けて戴いたお客さま方、日々、頑張って業務に励んでくれたスタッフたち、そして忙しい日々を陰から支えてくれた家族のお蔭です。
静かに平穏な年の瀬を迎えることが出来ていることに、本当に感謝です。
今年が去り、新しい年が始まる、たった1日のことではありますが、心身ともに清々しい、新鮮な気持ちになるのが不思議です。
明日から始まる新しい年を迎えるに当たり、新しい年が今まで迎えたどの年よりも素晴らしい一年になりますように、日々、進化を重ね、精進を重ねていく所存です。
新しい一年が、私の人生にとって、最高に素晴らしい一年になるように、あらゆる努力を積み重ねていきたいと念じております。
そして、過去を捨て、思い切り、変化した自分自身を創り出したいと思っています。
フレキシブルに生き方を変え続け、新しい、過去とは断絶した自分自身を求め続けていく所存です。
一年後に、大きく変わった私自身とお会いしたいと思います。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「定年制度の本当の意味」です。
45.定年制度の本当の意味
定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。
おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということにある。
(解説)日本には定年制があるので、定年は当たりまえのように感じていますが、定年制が導入されているか、どうかは、国ごとに状況は異なっており、また同一国内であっても職種によっても異なり、世界の大半の国では定年制はないのです。
アメリカも定年制はなく、ウイキペデイアによれば、アメリカ合衆国では、40歳以上の労働者に対する年齢を理由とした就職差別は連邦法によって禁じられているのです。
一部の職種や産業では例外的に認められているものもあるが、その多くは軍人や警察官など政府関係の職業であり、アメリカの民間企業では定年退職や再雇用制 度などはなく、労働者本人の希望による退職や能力的な理由による解雇でない限りは、生涯にわたって働き続けることができるのです。
また、アメリカの社会では、年齢を基準とする求人の差別を防ぐため、就職活動用の履歴書には、応募者の年齢や生年月日を記入する欄はなく、正式に採用が決まるまでは、企業側が応募者に、年齢や生年月日を尋ねることも法律で禁止されているのです。
一方、日本では1970年代は大企業であっても55歳が定年退職でしたが、定年を徐々に60歳から65歳に引き上げつつある段階であり、2014年現在、 厚生年金は60歳から支給開始年齢を段階的に引き上げ、2025年に65歳からになり、これにあわせた法改正で、「65歳定年制」対策に取り組む企業が増 えています。
会社が定年制を導入するには、定年に関する事項を就業規則に明記し、かつその定年制が慣行的に行われている必要があり、日本の企業の正社員と公務員は、その大部分が定年制を導入しているのです。
一方で適用している会社は少ないが、定年を定めないことも可能であり、 なお、定年退職者を継続雇用することも多くの企業で行われていますが、これについても就業規則に定めることが必要です。
現に私の同級生のほとんどは定年退職して、現役では働いていないのですが、私の感想としては、体力も気力も十分であるのに、持っている才能を活用して世の中に貢献しないのは、勿体ないような気がします。
ダイアモンド・オンライン 3分間ドラッカーでは、「65歳定年は誤り、高年齢者パワーをあなどるなかれ」(上田惇生)で、以下のように書かれています。
「高年者が働くのは、怠けているよりも働きたいからである。仲間が欲しいからであり、依存したくないからである。これらの欲求が、経済的な理由と同じように、あるいはそれ以上に、彼らの労働力市場への参入を促している」(『変貌する経営者の世界』)
96歳を迎える直前まで活躍していたドラッカーにしてみれば、65歳の定年退職が間違っていることは当然だった。
定年が65歳に定められたのが、ビスマルク時代のドイツにおいてである。
これが米国に導入されたのが第一次世界大戦時で、今日の平均寿命と高年齢者の健康状態から計算すれば、当時の65歳は今日の75歳に相当する。
ドラッカーは、65歳定年は、元気な人たちをゴミ箱へ捨てているようなものだという。
彼らの反撃は当然であり、しかも、65歳定年は、年金制度にとっても耐えがたい負担の原因となっている。
しかも彼ら高年齢者は、自らの主張を通すだけのパワーを持ちつつある。
ドラッカーは、この高年齢パワーを「パーマネント・マジョリティ」と呼び、先進国では、彼らの人口は増える一方であり、選挙での投票率も高い。
定年延長ないし定年制廃止は、政治的にも、経済的にも、不可避である。
いまや、年齢による強制退職は差別であり、残された問題は、高年齢者自身が納得する退職基準の構築だけである。
「かつては、年齢の故に退職する者などいなかった。高齢者そのものがいなかった」(『変貌する経営者の世界』)
ドラッカー自身が96歳の亡くなる直前まで、現役で活躍していたのは有名であり、元気なうちは現役で働くのは当たり前であると思います。
また、ドラッカーは日本の定年制について、次のように述べているのです。
「定年制の終焉」
扶養すべき高齢者の増加は、社会全体にとって耐えがたいものとなり、退職した人と働く人の比率を、少なくとも1対3近くに抑えることが、あらゆる先進国の経済政策や社会政策の中心的な目標とされなければならない。
ということは、先進国では、1995年までに、定年、つまり働くことをやめる年齢を、日本の55歳はもちろん、現在欧米で一般的となっている65歳でさえなく、72歳近くにまで引き上げる必要があるということである。
しかし、働く期間の延長が必要とされる最大の理由は、経済的なものではない。
それは何よりも、肉体的、精神的に「若い」高齢者本人にとって、何かなすべきことをもつこと、何かに忙しいこと、生産的であること、家から出かけること、が必要だからである。
60歳定年制とか、65歳定年制は、日本の過去の人口増で、高度成長期の名残であり、現状の生産年齢人口が急減している日本には当てはまらないのです。
ドラッカーが上記のように述べている働く人と働いていない人の割合を3対1にするというのがありますが、そうしようとすれば、生産年齢人口の割合が75%程度になります。
現在の日本の生産年齢人口の構成比は62.1%ですが、私が生まれた昭和25年頃は60%付近で、終戦直後の日本も非常に貧しかったのです。
その後、急激に生産年齢人口は増え、私が二十歳を迎えた昭和43年頃には、ピークの70%付近まで上昇し、その後中だるみがあり、私が40歳になった頃、 平成元年頃には再び70%程度まで上昇し、その後、ずっと右肩下がりで減少の一途で、現在は62.1%にまで下降しているのです。
従って、生産年齢人口の減少の一途をたどる日本において、国力を落とさないためには、①移民政策、②未就労の女性の戦力化、③65歳以上の戦力化の3つの対策しかないのです。
移民政策は日本には馴染まないので、可能性があるのは、②と③だけであり、65歳以上のシニアの戦力化は欠かせないのです。
過去の日本は豊富な労働力を抱えていたので、行動成長を成し得たのですが、今は急激に人口構造が反転しています。
従って、世界の先進国の中でも、少子高齢化の速度が非常に早く、世界の国々の参考事例として取り上げられているくらいです。
今後の日本は女性とシニアが大活躍し、その活躍のお蔭で国力が回復した国として、世界から驚嘆の目で見られるような国になればと念じています。
本日の提言でドラッカーが指摘しているような、「定年の必要は実際のところ、年老いたということではなく、おもな理由は、若者たちに道をあけなければなら ないということにある。」というのは、過去の日本、或いは、現在でも一部の仕事には当てはまるかも知れませんが、日本の現状と未来には当てはまらないので す。
働く人たちの絶対数が足りないのですから。
画像は、先週のラーメン学校の生徒さんの作品事例です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。