LA発10時半の便に乗るべく、ホテルを朝7時半に出発し、空港に向かいましたが、本日は道路が混雑し、空港まで2時間近くかかってしまいました。
途中、車中では、私を空港に送ってくれたスタッフたちと一緒に、今後の北米市場の取り組みの打合せを行ないながら、空港に向かったのです。
今回の私の滞在期間は大変短く、あっと言う間の5日間でした。
LAの空港では、ビジネス客以上が別の優先通路であったため、スムーズに通関することが出来、手術している肩を保護するためにいつも貼っているカイロを貼 らずに来たので、アメリカの厳しい金属探知機でも引っかからずに、いつもは何度もやり直している、ボデー・チェックも、今回は一発で済ませることが出来ま した。
アメリカは911のテロ以来、空港でのチェックが厳しくなり、その分だけ早く空港に到着しておかなければいけないのです。
私が搭乗した帰り便は出発が大幅に遅れ、実際に出発出来たのは12時20分でした。
日本到着は午後4時半で、約11時間の昼間の飛行であり、寝る必要はないので、機内ではいつものように大変充実した思考の時間になりました。
北米出張の場合は、行きは夕方に日本を出て、日本時間の深夜にアメリカに到着すると、アメリカでは朝で、それから1日が始まるので、日本からの行きの方が、疲れるのです。
アメリカからの帰り便では、到着するとすぐに夜になので、身体は非常に楽なのです。
本日金曜日に到着すると、明日の土曜日と日曜日はユニバーサル麺學校と、ラーメン学校の合同の経営講義が連続していて、時間のロスがまったく無いように、スタッフたちが私のために、スケジュールをびっしりと組んでくれているのです。
私にとって、毎月2回の経営講義は大変楽しい時間であるので、明日のことを考えると、今からワクワクしているのです。
本日のドラッカー・マネッジメントのイノベーションで触れたように、これからはますます、お客さまにフォーカスし、更に複雑になりゆく、お客さま研究が欠かせないのです。
当社の場合は、当社のユーザーさまである、うどん店、蕎麦店、ラーメン店を経営しているお客さまと、それらの店を活用している一般消費者のお客さまの2通りのお客さまがいて、どちらのお客さま研究も同様に重要なのです。
今の時代は、消費者の価値観の変化が大きく、その価値観の変化に対応していない店舗は苦戦しているのです。
お店を運営しているお店のオーナーの方がたは、たいていの場合、お店の日々の営業に追われて、お客さま研究どころではない方が多いので、その部分は当社で肩代わりし、研究成果をお知らせしなければいけないのです。
当社の場合、女性スタッフが多く、女性スタッフたちは美味しい飲食店を利用することが大好きなので、女性スタッフ全員が、お客さま研究室の研究員なのです。
すると、お客さま研究が仕事ではなく、自分たちに趣味の延長線上のような部分で、お客さま研究が出来るのです。
私も日々、レストランを利用しているので、客の立場として繁盛店とそうでない店の差を常に見ています。
LAで昨晩、スタッフたちと一緒に行った有名な老舗も、料理は美味しく、価格もそれなりの高価格でしたが、お客さまの入りがそうでもないのです。
お客さまの入りが、いまいち良くない理由として、スタッフたちと話し合ったことは、楽しさの欠如だったのです。
当然、チップ制の古くからやっている由緒あるレストランですが、エンターテイメント性が欠け、生真面目一方のレストランなのです。
ウエイトレスも事務的で、お客さまを楽しませようとする意志が欠けているように思いました。
エンターテイメントは、これからのレストラン・ビジネスには欠かせない重要な要素ですが、エンターテイメントの重要性を理解している経営者は少ないように思います。
昨晩も、何かこのレストランに欠けているものはと、スタッフたちと一緒に話していると、他のレストランを比較してみて、直ぐに分かったのです。
この様に、レストランに行き、客の立場でさまざまなレストランを体験すると、われわれは、レストランを利用するプロの消費者として、消費者の気持ちがよく分かるようになるのです。
以上のことは、多くのお客さま方にとって無くてはならない貴重な財産になり、当社もお客さまにとって無くてはならない存在になることが出来るでしょう。
帰国してすぐの3月10日より、福岡でイベントが始まり、私も当然、参加します。(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-fukuoka/)
イベントでは、今回のLAの出張で垣間見た面白いレストラン事情を共有します。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。
「デユポンとIBMの事例」
世界最大級の2つの企業、即ち世界最大の化学品メーカーであるデユポンと、コンピュータ産業の巨人IBMの2社は、予期せぬ成功をイノベーションの機会として利用し、その後の発展の礎としたのです。
デユポンは130年間、自らを火薬メーカーと規定していたのですが、1920年代の初頭、初めて他の分野に進出すべく、組織的な開発研究に取り組むことにしたのです。
その1つに、第一次世界大戦中に、ドイツが突破口を開いたポリマーの開発があったのですが、デユポンは何年もの間、一向に成果を上げることが出来なかったのです。
しかし1928年のある週末、研究助手の1人がバーナーの火を消し忘れたところ、翌週月曜日の朝、科学者ウオレス・H・カロザースが、繊維状に凝結したポリマーを見つけた10年後、デユポンはナイロンの製造方法を発表したのです。
この話のポイントは、ドイツの大手化学品メーカーでも、これと同じ出来事がすでに何度も起こっていたということにあり、もちろん彼らもポリマーを求めていたのです。
彼らはデユポンより10年も早く、ポリマーとともに化学産業界のトップの地位を手にすることが出来たはずでした。
しかし、開発研究を組織的に進めていなかった彼らは、たまたま繊維状に凝結したものを洗い流し、初めから実験をやり直すことを繰り返していたのです。
IBMの例もまた、予期せぬことから、何が得られるか教えてくれるのです。
IBMの今日があるのは、まさに予期せぬ成功を、1度ならず2度までも利用したためであり、1930年代の初め、IBMは倒産寸前だったのです。
銀行用の事務機の開発に、手持ち資金のすべてをつぎ込んでいたというのに、大恐慌の最中にあった銀行は新しい事務機を買ってくれなかったのです。
当時、レイオフを行なわないことを既に社是としていたIBMは、倉庫に積み上げるだけのために、次から次へと生産を続けていたのです。
伝えられるところによれば、そのようなどん底にあった頃、ある晩餐会でIBMの創立者トーマス・ワトソン・ジュニアの隣に1人の女性が座ったのです。
彼の名前を知ってその女性は、「IBMのワトソンさんですか。どうしてお宅のセールスマンは、私のところに売り込みに来ないのですか。」と聞いたというのです。
彼女がNYの公立図書館の館長であることを知っても、その女性が何を求めているのか分からなかったし、そもそも彼は図書館になど行ったことがなかったので、翌日彼は、図書館の開館と同時に彼女の前に現れたのです。
当時、図書館には政府の予算がかなりついていて、2時間後、彼は社員に翌月の給料を払えるだけの注文を貰ったのです。
この話がでるたびに、彼は笑いながら、「その時思いつきで、新しい方針を一つ作ってしまった。現金先払いだ。」と言っていたのです。
その15年後、IBMはコンピュータを作ったのですが、初期のアメリカのコンピュータがみなそうであったように、IBMのコンピュータも科学計算用のものだったのです。
そもそもIBMがコンピュータを作った理由のひとつに、ワトソンの天文学好きがあったので、マジソン・アベニューのショー・ウインドウーで公開し、大勢の見物客を集めたときも、月の満ち欠けを計算するようにプログラムしていました。
ところがすぐに、この「科学の偉業」たるコンピュータを、企業が給与計算など世俗的な仕事に使い始めたのです。
当時最も進んだ技術を持ち、しかも企業にうってつけのコンピュータを開発していたユニバックは、その偉業が世俗的な企業によって、いわば汚されることを嫌ったのです。
これに対し、IBMは企業のニーズに驚かされつつも直ちに応じ、(ユニバックという)競争相手が開発した設計を模倣してまで、会計事務に向いていなかった コンピュータを設計し直し、IBMは4年足らずで、コンピュータ市場でトップの地位を得たのですが、技術的にIBMがユニバックに追いついたのは、さらに その10年後だったのです。
IBMは顧客たる企業のニーズに応え、プログラマーの訓練を有料で行なうなど、商業ベースで企業のニーズに応じたのです。
以上の事例を見ても、IBMは初期のころから、顧客中心主義の非常にフレキシブルな企業であったことが分かります。
そして、お客さまのニーズを満たすために、先手先手とさまざまな対策を立て、実行したのです。
まさに技術力を持った、マーケテイング先行企業であることが分かるのです。
これらの例と同じように、(ナショナルやパナソニックのブランドで知られる)日本最大の家電メーカー、松下電器産業も、予期せぬ成功を積極的に利用して発展したのです。
1950年代の初め頃と言えば、松下と言えどもまだ小さく、そして有名でもなく、東芝や日立などの名門の巨人と比べて見劣りしていて、松下も当時、他の家電メーカーと同じように、「テレビが日本で普及するには時間がかかる」と見ていたのです。
1954年か55年のことでしたが、日本のある家電メーカーの会長は、NYのある会合で、「日本は貧しく、テレビのような高いものは買えない」と講演していたほどだったのです。
ところが松下電機は、農家はテレビを買えないほど、自分たちが貧しいとは思っていないという事実を受け入れたのです。
事実、農家はテレビが、外の世界と接触させてくれることを知ったので、経済的には大変だったのですが、彼らはテレビを買おうとし、事実、買ったのです。
当時、松下より優れたテレビを開発していた東芝や日立は、東京の銀座や大都市の百貨店で売っていて、地方の農民にとってはお呼びでないところだったのですが、これに対し松下は、農家を一軒一軒訪ねてテレビを売ったのです。
農家に対し、木綿の作業ズボンやエプロンより高い物を、その様に売ろうとしたのは、松下が初めてだったのです。
もちろん、売れない製品に対し予期せぬ関心を示してくれる女性が、たまたま晩餐会の隣の席に座ってくれるような僥倖をいつまでも待っているわけにはいかないのです。
こうして、多くの成功した企業とそうでない企業の明暗を分けたのは、以下のことであるのです。
1.顧客中心で、組織的に、体系的に顧客のニーズに、常に焦点を当てているのです。
2.可能性にかけ、不可能と思わないで、チャレンジを続けているのです。
3.むやみに実行するのではなく、必ず組織的で体系的な研究開発が欠かせないのです。
4.IBMの事例も松下電器の事例も、技術的なイノベーションよりも、むしろ販売上でのイノベーションの方が、企業の成果に結びつきやすいことを示してい るのです。
IBMは給与計算等、企業のニーズにフォーカスし、プログラマーの訓練を有料で行なうなど、販売上のイノベーションを起こしたのです。そして、 松下は価格の高いテレビを都会で売るのではなく、農村へ販売したのです。
われわれは、新しい取組み、即ち、イノベーションを起こしたとしても、いつの間にか、お客さまを含む外部環境が変わり、起こしたはずのイノベーションがいつしか、古くなってしまっているのです。
だから、いつまでも通用する戦略はなく、常にお客さまの変化に合わせて、戦略を変更し続けなければいけないのです。
特にテレビのように技術革新の早い世界は、お客さまの変化も非常に激しいので、企業戦略も非常に複雑であり、長い将来を見据えて戦略が重要になることは、昨今の日本のお家芸であったテレビ事業が衰退してしまったのを見ても、強く感じるのです。
反対にIKEAのような家具の世界で、世界のお客さまのライフ・スタイルをリードする企業になったので、家具の世界では一人勝ちのような状態です。
これもIKEAの戦略とコンセプトの良さであり、マネッジメントは何を大切にしなければいけないかを教えてくれている貴重な事例です。
世界の多くライバルがIKEAを真似、挑戦したのですが、挑戦に成功した企業はないのです。
ブルー・オーシャンで、ライバルが真似できないような規模になれば、最強のポジションを築くことが出来る素晴らしい事例です。
お客さまにフォーカスし、お客さまを研究し、お客さまの変化に注目し、お客さまのニーズに合せ続けることはこれからの企業には欠かせないので、これからは、企業は社内に「お客さま研究室」を持ち、お客さまの研究を深く、体系的に行ない続けることが欠かせないのです。
当社が創業当初より、「麺研究室」を持ったように、企業規模の大小にかかわらず、「お客さま研究室」は、これからの生き残る企業には欠かせないのです。
そして、「お客さま研究室」の初代リーダーは、当然、トップが兼任すべき、大切な役回りなのです。
画像はLA滞在中に訪問したレストランです。
盛り付けの綺麗さもエンターテイメントで、レストランのすべてがエンターテイメントなのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。