私が初めてシンガポールへ行ったのは、25年ほど前で、今のシンガポールとはまったく違った街であり、こんなに世界的に進化した街ではなかったのです。
反対に25年前の日本は、高度成長の成功に酔いしれた日本で、シンガポールの土産店では日本人向けにいろんなお土産を売っていて、観光客のメインが日本人で、書いてある外国語はほとんどが日本語だったのを覚えています。
その頃、シンガポールに住んでいた友人と一緒に大きいビジネス・バッグを買いに鞄屋に行き、店員と値引き交渉し、値段を引かないと帰る格好をすると、もっと値引いてくるのです。
これを何度か繰り返し、安く?買った経験があります。
この頃のシンガポールも観光に力を入れていて、世界中から観光客を呼んでいて、日本人は羽振りの良い、とても良いお客さまで、現在の中国人のような感じではなかったのかと思います。
台湾でも、韓国でも、行儀の悪い日本からの団体客が多く押し寄せ、大きな声で騒いでいて、現地の人たちからひんしゅくを買っていたのを今でも覚えています。
今の日本はすっかり元気をなくし、日本の代わりを他の国がシッカリ代替わりをしているのが、たいへんおかしいのです。
高度成長期の後の日本を反省するとすれば、日本には大きな油断があったのです。
第二次世界大戦で、世界中から叩きのめされた日本は、一気に元気をなくしていたのを、戦後の復興景気で元気を取り戻し、見事なV字回復をして、奇跡の復興と言われ、東南アジアを含め、世界中からキャッチアップすべき経済モデルになったのです。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本を称賛する書籍が出版されたのも、このころのことで、日本企業がNYのロックフェラー・ビルを買い占めたり、アメリカ中の不動産を買い占めたのもこの頃でした。
日本人のほとんどは、日本はこの後も成長を続け、世界一の経済大国になることが出来るはずだと信じていました。
その後、バブル崩壊があり、日本は徐々に、徐々に下り坂に向かっていったのです。
第二次世界大戦後の日本は、短期間のうちに、ゼロにリセットされたのですが、バブル崩壊後の日本は、茹でガエルと同じように、過去約25年間で、徐々に進行したので、ほとんどの日本人が気付かない間に、日本は世界から取り残されてしまったのです。
経済学者も最初は気付かずに、最近は経済学者だけではなく、多くの経済人も気づいていますが、まだ大半の日本人は日本がこれだけ世界から取り残されていることには、ほとんど気づいていないと思います。
ところが、海外に行くと、否応となく現実を目にしてしまい、先日のシンガポールで夜案内して戴いたレストランは、日本の現在にはないような、素晴らしいレストランでした。
国でも、企業でも上り調子の時に、油断せずに、更に引き締めていくのは、簡単なことではなく、これが出来る国、企業だけが、永く繁栄することが出来るのです。
最近、TABI LABOより拾った「お金持ちになれる人、なれない人。決定的に違う「10の習慣」」という、面白いメッセージがあり、お金持ちになれる人の習慣は下記の10だそうです。
お金持ちになれる人の10個の習慣
1.シンプルで質素な生活をする
2.誰もが大きな可能性を持っている、モノではなく、自分に投資する
3.結果的に時間とお金の節約になる、食事はケチらない
4.モノよりも、経験にお金を使う
5.なんとなく、お金を使わない
6.お金を増やすために、使う
7.情けは人のためならず、自分から先に、与える
8.1秒でも、決断を早くする
9.小さな出費を気にする
10.アイデアは必ず実現する
以上は、永く繁盛する考え方と、ほぼ同じであるし、多くの書物等で取り上げられている裕福になる考え方と同じなのです。
ビジネスで、永く成功することと、裕福なることはぜんぜん変わらないことであり、裕福になっても生活レベルを上げないことがポイントのようです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
第15章 ベンチャー・ビジネスのマネジメント
企業であれ社会的機関であれ、既存の事業において、「起業家的マネジメント」というとき、ポイントは前半の「起業家的」にあるのですが、ベンチャー・ビジ ネスについては、ポイントは後半の「マネジメント」にあり、既存企業の起業家精神にとっての障害は既存の事業の存在にあるが、ベンチャー・ビジネスの起業 家精神のそれは、既存の事業の欠落にあるのです。
要するに、既存企業のイノベーションにとっての障害は、既存事業の存在であり、既存事業を担っている人たちが、往々にして抵抗勢力になり、イノベーションを妨げていることはよく分かります。
従って、社内全体がこのメカニズム、力学が働いていることの理解が欠かせなく、往々にして、自分たちがイノベーションの妨げになるマインドに陥り易いことの理解が欠かせないのです。
ベンチャー・ビジネスにはアイデアがあり、製品やサービスもあるかもしれない、売り上げさえあるかもしれない、かなりの売り上げがあるかもしれない、コストはたしかにあり、そして収入があるのです。
利益さえあるかもしれないのですが、ベンチャー・ビジネスには事業と呼べるものがなく、組織された命ある活動としての事業がなく、何を行い、何を成果とし、何を戍果とすべきかが明確にされている事業がないのです。
ベンチャー・ビジネスは、いかにアイデアが素晴らしくとも、いかに資金を集めようとも、いかに製品が優れていようとも、さらにはいかに需要が多くとも、事 業としてマネジメントしなければ生き残れず、19世紀における最大の発明家トーマス・エジソンは、このことが理解できなかったために、手がけた事業のすべ てに失敗したのです。
エジソンの夢は、実業家として成功し、大企業の社長になることで、最高の企画力をもっていた彼が、事業に成功しても何の不思議もなく、彼は自分の発明した 電球を使えるようにするためには、いかなる電力会社をつくるべきかを知り、いかに資金を集めたらよいかも知り、彼の製品は直ちに成功し、需要はいくらでも あったにもかかわらず、彼は起業家のまま終わったのです。
マネジメントとはボスであることだと考えていた彼は、マネジメント・チームをつくらなかったので、彼のベンチャー・ビジネスは、中企業に成長した段階でこ とごとく倒産寸前に追い込まれ、いずれも、彼を追い出し、専門のマネジメントに置き換えるしか、救う方法はなかったのです。
ベンチャー・ビジネスが成功するには、以下の4つの原理があるのです。
1.市場に焦点を合わせること
2.財務上の見通し、とくにキャッシュフローと資金について計画をもつこと
3.トップ・マネジメントのチームを、それが実際に必要となり、しかも可能となる、はるか前から用意しておくこと
4.創業者たる起業家自身が、自らの役割、責任、位置づけを決断すること
当社がなかなか成功しなかったのは、会社を作った頃は、上記の4項目がすべて欠けていたのです。
事業の途中において、このようなことが必要になると思い、何とかしようとしたこともあったのですが、本気で、キチンと対応しなかったのです。
上記のすべての項目について、本気で取り組むこと以外に、起業家から、事業家への変身はあり得ないのであり、起業家精神はイノベーションに欠かせないのですが、事業として永く繁栄するには、マネッジメントが欠かせないのです。
I市場志向の必要
通常、ベンチャー・ビジネスが期待にそえず、それどころか生き残れなくなったときのセリフは、「あの連中に市場をとられるまでは、うまくいっていて、彼ら が市場に出したものは、うちのと大して違わなかった。」であり、あるいは、「うまくいっていた。ところが、あの連中がとんでもない客に売りはじめ、そのう ち、こちらの市場までもっていってしまった」であるのです。
しかし実際には、ベンチャー・ビジネスが成功するのは、多くの場合、考えてもいなかった市場で、考えてもいなかった客が、考えてもいなかった製品やサービスを、考えてもいなかった目的のために買ってくれることによってであるのです。
普通の経営者にとっては、想定外のお客さまが、想定外のものを想定外の目的で買ったのかも知れないのですが、アップルのステイーブ・ジョブズは、何もかも分かっていたような気がします。
マーケテイングの達人には、分かり切っていて、達人の域に達していない人は分からずに企画しているのではないかと思います。
◆予期せぬことを当然とする
ベンチャー・ビジネスは、この事実を認識し、予期せぬ市場を利用できるよう自らを組織しておかなければならず、あくまでも市場志向、市場中心でなければ、単に競争相手のために機会をつくっただけで終わるのです。
競争相手のために市場を創るのは、ビジネス競争において一番下手くそな方法であり、絶対にやってはいけない取り組みです。
但し例外はあり、とくに特定の使用目的しかない科学的、技術的な製品の場合、意図した市場において、意図した使用目的のために買われることがあるのですが、つねにそうとはかぎらないのです。
特定の病気の治療を目的として開発した薬でさえ、別の病気の治療に使われることがあり、その例として、現在、胃潰瘍の治療に使われているある薬があります。
あるいはまた、人間のために開発されながら、獣医が使っている薬があり、真に新しいものは、予期せぬ市場を生み出し、1960年頃、ゼロックスが開発した 最初のコピー機が現れるまで、オフィス用のコピー機が必要になるとは考えられなかったのですが、5年後には、コピー機なしの仕事が考えられなくなったので す。
最初のジェット機が開発された頃、最も優れた市場調査は、すでに就航中の航空機と製造中の航空機の座席数を合わせると、大西洋便の乗客数を超えると予測したのですが、5年後、ジェット機による大西洋便の乗客は、50倍さらには100倍に伸びたのです。
イノベーションを行う者自身の視野は狭くなりがちであり、狭窄症とさえいってもよいかもしれなく、自分が知っている世界しか見えなく、外の世界が見えないのです。
そのよい例がDDTであり、第二次大戦中、兵隊を熱帯の害虫や寄生虫から守るために開発されたDDTは、やがて家畜や作物を害虫から守るために使われ、あ まりの効き目に、使用を禁止されるまでになったのですが、DDTを開発した者のうち誰一人として、そのような使い方を予測できなかったのです。
もちろん彼らは、赤ん坊が夏、蠅が運ぶ細菌による下痢で死んでいることは知っていて、家畜や作物が害虫や寄生虫の被害を受けていることも知っていたのです が、彼らは、それを単に常識として知っているにすぎず、専門家として熱帯病に関心をもっているだけであり、初めにそれをほかの分野で使ったのは、自分が専 門家である分野、すなわち自分の牛や綿花畑で使った徴兵された農民だったのです。
同じように、3Mは、工業用の研磨剤と接着剤のメーカーとして工業用品市場で成功していて、工業用に開発した接着テープがスコッチテープとして家庭や事務所でさまざまな使われ方をするとは考えもしなかったし、家庭や事務所を市場として考えたことはなかったのです。
売れない工業用品をつくった技術者が、消費財としてそれが売れることに気づいたのは偶然で、その技術者は、会社が製品を諦めることを決定した後、たまたま 見本を家に持ち帰っていると、驚いたことに、10代の娘が夜、髪をカールするために、それを使ったのであり、この話の変わっているところは、この技術者や 上司たちが、新しい市場の発見を直ちに理解したことだったのです。
1905年、ドイツのある化学者が局部麻酔剤としてノボカインを開発したのですが、それを使う医師はおらず、彼らは全身麻酔にこだわっていたのですが、予 想もしなかったことに、歯科医がそれを使いはじめ、その化学者は、そのような目的のために開発したのではないと、あちこちで文句を言っていたというので す。
たしかに、このような反応は極端であるのですが、起業家という者は、イノベーションの目的を自分なりにもっていて、そのため、別の使われ方をすると腹を立て、予定外の客に売ることを拒否はしないかもしれないが、歓迎できない客だということははっきりさせたがるのです。
コンピュータに起こったことが、まさにこれで、最初にコンピュータを開発したユニバックは、その巨大な機械を科学用に設計していて、一般の企業が関心を示 していることを知っても、「そもそも企業は、コンピュータが何たるかさえ知らないのではないか」と、言って、セールスマンを派遣しなかったのです。
IBMも、最初はコンピュータを科学用に設計し、とくに天文学の計算が目的だったのですが、IBMは、企業からの注文を喜んで受け、サービスを提供し、 10年後の1960年頃、ユニバックは最高のコンピュータを手にしていたのですが、IBMは、市場を手にしていたのです。
経営学の教科書は、このような問題の解決策として、市場調査を教えるのですが、間違った処方箋であり、まったく新しいものについては、市場調査はできず、市場に出ていないものを市場調査することは不可能であるのです。
1950年頃、ユニバックが行った市場調査では、紀元2000年までに1000台のコンピュータが売れると予測していたのですが、1984年の実数値は 100万台であり、ユニバックの市場調査は最も緻密かつ科学的なものだったが、1つだけ間違いがあり、コンピュータが先端的な科学研究のためのものである とする前提からスタートしていて、たしかに、そのような使われ方では、販売台数が限られて当然だったのです。
同じように、コピー機の特許の売り込みを受けた印刷機メーカーも、完璧な市場調査を行ったが、その結果、印刷会社はコピー機を使わないという結論を得て、特許を買うことを断わり、企業や学校や個人が、コピー機を買うようになるとは思いもしなかったのです。
したがってベンチャー・ビジネスは、自らの製品やサービスが、思いもしなかった市場において、思いもしなかった便われ方のために、なじみのない素人の客によって買われることがあって当然であるとの前提のもとに、事業をスタートさせなければならないのです。
市場志向でなければ、生み出すものは、競争相手のための市場だけということになり、数年後には、「あの連中」が市場をもっていき、あるいは「とんでもない客」に売りはじめ、やがて市場を全部もっていってしまうのです。
当社も創業した当時は、ベンチャーであり、上記のようなマーケテング志向ではなく、お客さま研究もなされていなかったのです。
もし、創業した頃から、このようなことを知っていたら、今はぜんぜん違った会社になっていたことだと思います。
画像は、シンガポールのイベントで披露した、「冷ぶっかけうどん」です。
シンガポールでは、カラフルなフルーツが手ごろな値段で手に入り、とても美味しいのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。