これからの日本を20年~30年後に、スイスのような強い、豊かな国にすることを計画してみると、次のような面白いアイデアが次々と浮かぶのです。
豊かな国にすることを計画した時のアイデア
1.観光
まず狙えるのは観光で、米旅行専門誌「トラベル+レジャー」が発表した「ワールド・ベスト・アワード2014」の人気観光地ランキングで、京都が昨年 の4位から上昇し、1位となり、英情報誌「モノクル」が先月発表した「世界で最も住みやすい25都市ランキング(2014年版)」では京都は9位となって おり、観光地としても居住地としても世界的に高く評価されていることがうかがえる。ランキングを発表した「トラベル+レジャー」は京都について、「日本の 古都の魅力は、桜や寺院、庭園に勝る」と評価しているのです。観光は、京都だけではなく、北海道から沖縄まで、さまざまな観光地が広く広がっていて、これ からは、LCC(格安航空)のお蔭で、国内からの観光ではなく、海外からの観光客が多く見込めるのです。当社の東京支店がある品川辺りも、旧東海道の品川 宿の古い街並みが残り、世界から観光客が増えているのです。
2.各県を独立政府にし、民間企業と同じく、県別での独自の経営を行なう
各県を独立政府にし、民間企業と同じく、県別での独自の経営を行なうのです。例えば、現在、世界には人口統計が取れている国が187ヶ国で、一番小さ い独立国はツバルで、人口は1万人足らず、世界一裕福な国、ルクセンブルクにしても、人口は世界161位で、たった48万6千人であり、日本では人口の最 も少ない鳥取県でも57万4千人なのです。幸せの国ブータンも77万人で、香川県の100万人より、はるかに少ないのです。日本には47都道府県があるの で、それぞれの都道府県が独自の強みを持って、さまざまな産業に取り組めば、或いは、ある産業では、他県との連携により、世界でトップになれる強みを持て ば良いのです。本日のドラッカー・マネッジメントにあるように、そのジャンルでの市場を支配することは、これから欠かせないのです。例えば、香川県は世界 でトップの麺のレベルの高い地域であり、世界から麺に関する人たちが学びに来る場所になる事が可能なのです。いずれにしても、強みを磨き、これからは世界 でトップ・レベルのものに仕上げていかないと、生き抜いていくことが難しいので、行政においてもマネッジメントが重要であり、起業家戦略が必要になってく るのです。
3.国内に専門的な学校をたくさん創ることです。
国内に専門的な学校をたくさん創ることです。国づくりは教育からなので、さまざまな国造りのための教育機関が欠かせないのです。例えば、当社の麺学校 のように、単に麺のノウハウとかテクニックだけを教える学校ではなく、マネッジメントとか、思考方法、戦略に力を入れた、アメリカの大学のような、実務に 役立つ学校をたくさん創り、既存の単なる人生の時間のロスのような、短大とか、大学を減らしていき、実際の社会に役立つ、意味のある学校を増やしていくこ となのです。そして、専門分野以外に必ず、起業家戦略、マーケテイング、イノベーション、生産管理を深く学ぶコースを設け、経営者を育てる学校を作ること なのです。日本で一番不足している人材は、経営陣に参加できる人材です。それぞれ、専門分野を担うことが出来ても、マネッジメントが理解出来る人材が欠け ているのです。これからの日本を考えると、どんな分野であっても、マネッジメントを理解出来、経営に参加出来る人材を多く作ることなのです。そして、企業 自体をマネッジメントの学校にして、社員をマネッジメントのプロにすることなのです。そして、あの会社に入れば、マネッジメントのプロになれるという会社 を作ることです。
4.大手企業を定年退職したグローバル人材を、中小企業に振り向けていく施策を取ること
大手企業であれば、既にグローバル展開は当たり前ですが、中 小企業は今からなので、足りないのはグローバルに判断出来、体験している人材です。当然、中小企業も自前でも育てていかねばならないのですが、グローバ ル・マネッジメントの体験がないのです。過去、日本の電機メーカーが苦境に陥った時に、多くの優秀なエンジニアが一本釣りで、韓国とか中国のメーカーに釣 られ、多くの頭脳とノウハウが海外に流出し、余計に日本のメーカーが苦境に陥ったのです。当然、給与の問題もありますが、もっと、国内の中小企業の活性化 に役立てる方法があったのではと思います。当社では、メイン・バンク出身者に総務の責任者をやって貰っていますが、銀行対策では素晴らしい働きをしてくれ ているのです。
5.潜在能力を持った女性を発掘すること
今までの日本では、女性はプロ・ビジネスマンとしての高いレベルの仕事に就くチャンスが少なかったので、女 性の活用が遅れているのです。その辺の家庭の主婦にも、会社経営のプロは幾らでもいるのですが、チャンスが与えられていないだけなのです。中古本の売買 で、東証一部上場企業である「ブックオフ」では、元パート出身の主婦が社長になり、現在は代表取締役会長になっているのです。これには、女性自身の自己変 革も欠かせないのですが、日本のさまざまな企業がそれぞれのジャンルで世界のトップを極めるには、女性の思い切った、幹部への登用が欠かせないのです。
6.どんな事業であろうと、ビジネスであろうと、非営利事業であろうと、世界トップを目指すこと
それには、世界の最先端でどのようなことが起きているのかを理解しないで、出来ることではないので、常に世界情勢に目を光らせ、世界の情報に敏感になるこ とです。次に世界でトップになるための戦略を駆使し、トップになるまで諦めないで、やり抜くことです。本日のドラッカー・マネッジメントの事例は、すべ て、業界を支配する地位を目指した企業ばかりの例であり、業界の規模は関係なく、規模の大きい企業が、支配できる、余り規模の大きい業界ではなく、小さい 業界を初めから狙っているのです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
◆野心的な目標
この戦略は、必ずしも大事業になることを目指す必要はないのですが、つねに市場の支配を目指すことなのです。
ここで大切なことは、トップになる事は勿論、市場を支配することであり、われわれの身近な、誰でも知っている事例で言えば、市場を支配している事例は、ほとんど皆無に近いのです。
オートバイでは、ホンダが世界でトップですが、それでも大型のオートバイ市場では、ハーレー・ダビッドソンの一人勝ちなのです。
こうしてみると、市場を支配することは、いかにたいへんかと言うことが分かるのと同時に、そのビジネスを始める初期の段階で、市場を支配することを、ビジネスの目的に加えるかどうかは、非常に重要なことであり、これでビジネスの勝敗が決まるのです。
ミネソタ州セントポールの3Mは、おそらく徹底的に検討したうえでの方針として、大事業になるようなイノベーションには取り組んでいないのです。
保健衛生用品のメーカーであるジョンソン・エンド・ジョンソンも同じであり、両社は、大事業ではなく、中くらいの事業に発展するようなイノベーションを行ってきているのですが、市場の支配は目指しているのです。
以上の様に、十分に規模の大きい大企業であっても、支配出来る市場にしか参入して来ないのは、マネッジメントの基本を忠実に守っていると言えるのです。
この戦略は企業だけのものではなく、社会的機関も使うことができ、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが、1809年にベルリン大学を創設したときにとった 戦略がこれで、ナポレオンに負けたあとのプロイセンは、国家として崩壊寸前の状態にあり、すでに政治的、軍事的、財政的には破綻していて、ヒトラー敗北後 の1945年頃のドイツと同じだったのですが、彼は、当時最大の大学の3、4倍の規模をもつ、西洋史上最大の大学をつくったのです。
最高の哲学者ゲオルク・W・F・ヘーゲルをはじめ、あらゆる分野にわたって、最高の学者を招き、ナポレオン戦争による名門大学の閉鎖に伴い、一流の学者さえ乞食になりかねない時代に、それまでの報酬の10倍を払ったのです。
これも、市場の支配と言うことを前提に戦略を立てれば、当然のことであったのです。
そのおよそ100年後の今世紀初め、近くに大都市はおろか、医学校もないというミネソタ州の片田舎ロチェスターの町で、2人の兄弟の外科医が、新しい、異 端的ともいうべき、一流の専門医がチームをつくり、一流の治療を行うという考えのもとに、医療センターをつくったのです。
今日、科学的管理の父とされているフレデリック・W・テーラーは、メイヨー兄弟に会ったことはなかったのですが、彼は、有名な1911年の議会証言において、メイヨー・クリニックの名を、唯一の完全にして、かつ成功している科学的管理の例としてあげたのです。
この無名の2人の外科医もまた、初めからその世界におけるリーダーの地位を目指し、あらゆる分野の一流の専門医、とくに才能のある若手の医師を集め、高額の治療費を払える患者を集めたのです。
そのさらに25年後、マーチ・オブ・ダイムズが、小児麻痺研究のために同じ戦略をとり、1つ1つ知見を積み上げるのではなく、この不可解な病気を一気に克 服することを目指し、研究計画の一部を各地の研究機関に委託するという、前例のないオープンな研究所をつくったのです。
この様に、市場の支配とイノベーションは切っても切り離せない条件があることがよく分かります。
マーチ・オブ・ダイムズは、政府の研究開発プロジェクト、原子爆弾やレーダー、近接電波信管の開発計画、さらにはその15年後の有人月着陸飛行計画のモデルとなったのです。
これらのすベてが、「総力による攻撃」の戦略を採用し、これらの例は、この戦略には野心的な目標がなければ失敗することを示していて、この戦略は、つねに 新しい産業や市場そのものを創造することを目指し、少なくともそれは、メイヨー・クリニックやマーチ・オブ・ダイムズのように、新しいシステムを生み出す ことを目指すのです。
デュポンは1920年代の半ばに、化学者カロザーズを迎え入れたとき、新しい化学産業をつくると宣言はしなかったのですが、デュポンの内部文書によれば、 当時のトップ・マネジメントが新しい産業を生み出そうとしていたことは明らかであり、彼らはカロザーズの研究が簡単に成功するとは思っていなかったが、成 功した暁には、単なる新製品や製品ラインを超えたものをつくり出すつもりでいたのです。
以上の例からも、以下の例からも、枠を大きくし、社会を変えることがイノベーションによる成功と密接に繋がっているのです。
「未来のオフィス」という言葉をつくったのは、ワング博士ではないのですが、彼はその最初の広告のなかで、新しいオフィス環境やオフィス労働を説いていたのです。
デュポンもラングも初めから、自らがつくり出した産業において、支配的な地位を得ることを目指していたのですが、この戦略の意味するところを最もよく表している例は、むしろ企業ではなく、フンボルトのベルリン大学であるのです。
フンボルトが実際に関心をもっていたのは、大学それ自体ではなく、彼にとって大学は、18世紀の絶対君主制でもなければ、ブルジョアが支配するフランス革 命の共和制でもない、新しい政治体制をつくり出すための手段であり、彼が目指したのは、能力によってのみ採用され、昇進する完全に中立的な職業公務員と、 同じように完全に中立的な職業軍人が、それぞれきわめて限定された領域において、独立性を維持するというバランスから成り立つ政治体制だったのです。
今日われわれがテクノクラートと名づけるそれらの人たちは、法の支配のもとにおかれ、彼らは、それぞれ限定された領域のなかでは完全に独立した存在として機能するのです。
そのとき、ブルジョアには2つの自由が保証され、1つが精神的、文化的自由であり、1つが経済的自由であり、すでにフンボルトは、この考えを、その著『政府の有効性の限界』において明らかにしていたのです。
1809年当時、君主制がナポレオンに屈したあとのプロイセンでは、フンボルトの考えにとって障害となっていた勢力、皇帝、貴族、軍が無力化していて、彼はその機会をとらえ、自らの政治理念を実現するための核として、ベルリン大学を創設したのです。
事実、ベルリン大学は、19世紀のドイツが「法治国家」と呼んだ独特の政治体制をもたらし、政治と軍の領域では、強大な高級官僚と参謀将校からなる自律的 なエリート集団が力をもち、文化の領域では、教育ある人かちからなる同じく自律的なエリート集団が自治的な大学を中心にリベラルな文化を育て、かつ経済の 領域では、規制から自由な自律的経済活動が実現されたのです。
そのような体制のもとにプロイセンは、ドイツにおいてまず初めに知的、文化的な面で優位に立ち、間もなく政治的、経済的に優位に立ち、さらには、ヨーロッ パ大陸でリーダーシップを握り、やがて大陸の外のイギリスやアメリカからの賞賛を得るにいたり、実に1890年前後まで、プロイセンの君臨するドイツはイ ギリスとアメリカにとって1つの文化的、知的モデルとなったのです。
これこそまさに、フンボルトが敗北と絶望の時代のなかで構想し、目指したもので、事実彼は、その目指すものをベルリン大学の設立趣意書と憲章のなかで明らかにしていたのです。
国造りの基礎は、教育であり、明治維新をアジアで唯一成功裏に乗り越えることが出来たのは、江戸末期に各地にあった藩校の存在を抜きにして語ることが出来ないのです。
企業も同じく、教育を外して、企業作りは考えることが出来なく、まず、人を選ぶことと、継続した教育、進化し続ける教育は欠かすことが出来ないのです。
昨日は、子どもの日であったので、家内と久しぶりに先祖の墓参りに行ってきました。
私のお婆さんは、お爺さんと若い時に離婚したために、旧姓に戻り、藤井家が見える小高い丘の上に、私たちをいつも見守る位置に、墓を建てていました。
旧姓の木村家があるのは、坂出ではなく、違う土地であったのですが、子孫の行く末を常に見守って行きたかったのだと思います。
私はお婆さんには会ったことがないのですが、恐らく、私が小さい時に、蔭から私の姿を見ていた様な気がします。
そのような子孫を思いやる、お婆さんを持っていたことは本当に幸せです。
画像は、地元香川県に伝わる伝統料理の押し寿司で、この時期の魚である鰆の酢漬けを上に載せているのが特徴です。
私のお婆さんも恐らく、この時期には食べていたのではないかと思います。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。