本日のテーマは、「ドイツの戦後復興の象徴」です。
長かったヨーロッパの視察旅行も昨日で最終日を迎え、一昨日はシュツットガルトからケルンへ、高速電車「ICE」で移動し、ケルンで一泊をしたのです。
一昨日夜にケルンに到着して驚いたのは、ケルン駅の正面に巨大な、「ケルン大聖堂」がそびえ立ち、今までさまざまな建築物を見てきたなかで、最大級の建築 物で、比較のない、圧倒的な存在感に驚かされましたが、調べてみると、「ケルン大聖堂」はゴシック様式の建築物では世界最大であり、世界遺産に登録されて いて、規模の大きさと、建築物の素晴らしさに驚くのは、当たり前であり、ケルン駅に到着してみて、アルガイヤー恵子さんが、ケルン泊を勧めてくれた意味が 分かりました。
夕食の前、ケルン大聖堂の前を通り、ケルン市内に向かったおりに、大聖堂の前の膝元の場所に、70年前の第二次世界大戦後すぐの、大聖堂付近の写真を飾っ ていて、大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受け、内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、 1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元されたのです。
この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分が残っていたのですが、1990年代に入り空襲前の外観に戻す作業が始まっていて、修復の 一環として破損したステンドグラスの一部はゲルハルト・リヒターによって近代的なモザイク風の市松模様の物に置き換わったのですが、これについては未だに 賛否両論があるのです。
展示されている画像では、戦禍に巻き込まれ、現在の威容からは想像できないような、哀れな姿になっていて、まさに焦土と呼ぶにふさわしいようなたたずまいの中で、大聖堂の一部が残っていたのです。
現在のようにきれいに修復されている状態からは、想像も出来ないような破壊状況で、現在の状態に修復するのは、莫大な資金、エネルギー、時間を注がないと出来ないだろうと、想像が出来るのです。
ケルン大聖堂に近づいてみると、まだ修復途中のためか、部分的に砲弾が当たったと思われるような傷跡があちこちに残っていたり、新しい石材で修復した跡が、いたるところに見られるのです。
70年前の終戦時は、ドイツはナチスの敗北と共に、終戦を終え、周辺国に多大な対戦の賠償をしながら、日本と同じように、奇跡の発展を遂げたのです。
その財力のお蔭で、ケルン大聖堂も、かっての威容に再現され、今日、世界中から多くの観光客を集めているのです。
ケルン市内を歩いてみると、日本と同じように高齢者の数が多く、終戦後からの敗戦国ドイツの復興を担ってきたと思えるような、高齢者の人たちが高齢のためか、足元がおぼつかない人たちが多数、歩いているのです。
今はすでに高齢になってしまっていますが、この人たちが頑張ったからこそ、こんなに素晴らしい、ケルン大聖堂が蘇り、われわれが感動しながら見て、触れる ことが出来、敗戦国で、国全体が焦土であったドイツが、この人たちのお蔭で、ドイツが奇跡の発展を遂げ、再び世界に君臨する、世界有数の国になることが出 来たことは、感無量になります。
このことは、日本もまったく同じで、第二次世界大戦で大都市のほとんどは、空襲により焦土になっていて、その頃の写真を見ると、ケルン大聖堂の写真と変わらないのです。
日本の場合もドイツと同じように、第二次世界大戦後に青年時代を過ごした、私の親爺たちの世代が頑張り、われわれ団塊の世代がその後に続いたのです。
私の親爺はすでに10年前に亡くなっていますが、平均寿命が80歳を優に超えている現在、日本の最年長の人たちが、戦後の日本を作ってきた人たちなのです。
日本の場合は、高齢者の平均寿命は長くなっているのですが、多くのお年寄りは、健康的な生活を送れずに、病院で過ごしたり、施設で過ごしている人たちが多 く、ケルン聖堂の偉大さを見る度に、改めて、焦土の中からのドイツ、焦土の中からの日本を作り上げた先輩たちの偉業に、感謝と尊敬の念を抱きます。
一昨日は遅かったので、大聖堂の中に入ることは出来なかったのですが、昨日は午前中に大聖堂に向かったので、大聖堂の中の見学が出来、外から見る外観にも 圧倒されるのですが、外観以上に、大聖堂の中は、大きな窓のすべてが、巨大なステンドグラスになっていて、微細な彫刻の素晴らしさに見とれ、大聖堂の内部 には、複雑な造形美を持つ、巨大な柱が大聖堂を支えていて、巨大なアーチ型の天井も素晴らし造形美を誇っているのです。
現在のケルン大聖堂は三代目で、1248年に建設が始まったのですが、16世紀に入って宗教改革を発端とする財政難から一度工事が途絶し、正面のファサードの塔がひとつしかない状態が続き、建設が再開されるのは19世紀に入ってからだったのです。
ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムが高揚する中、中世ドイツに自民族の伝統を探し求める動きが強まり、建築ではゴシック・リヴァイヴァル の潮流が強まり、建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まったため、1842年に建設が再開され、もうひとつの塔の完成が急がれ、全てが完成したのは建 設開始から600年以上が経過した1880年で、現在も大規模な補修工事があちこちで行なわれています。
国内の巨大な建築物、世界の巨大な建築物も数多く見てきましたが、これほど規模の大きい建築物を見たのは初めてで、巨大建築物にもかかわらず、非常に精密 に組み立てられ、随所に精密な彫刻が施され、時代背景を考えると、奇跡のような芸術作品であり、70年前に見る影もないくらいに破壊された建造物を再度、 このように蘇らせた素晴らしいドイツ人の魂と情熱に打たれました。
本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、昨日で一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。
更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。
「変化が機会」
新しいものを生み出す機会となるものは、組織の外の変化で、イノベーションとは、全社を挙げ、意識的かつ組織的に外の世界の変化を探し出すことであり、それらの変化が提供する経済的、社会的イノベーションの機会を体系的に分析することであるのです。
従って、マネッジメント・チームの重要な仕事のうちの一つが、外部の変化に敏感になることであり、外部の変化に敏感になるためには、自社のビジネスのキー になる項目、要するに重要なセンサーのような項目に、常に注意を払うことが大切で、私の場合は、食の世界の変化を見るために、セブン・イレブンの弁当売り 場とデパ地下の惣菜売り場がたいへん参考になるのは、セブン・イレブンの弁当売り場は、食の世界の変化の変化をタイミングよく、常に先取りしているので す。
併せて、大切にすべきは、お客さま方の反応の変化で、時代とともにお客さま方も同じではなく、刻々と変化していくのです。
麺専門店に来られるお客さまも価値観の変化、ライフ・スタイルの変化に伴ない、30年前、20年前と現在では、かなり違っていて、30年前、20年前は、 もっと家族の単位が大きかったのですが、現在は日本全国どこでも、一人世帯が一番多く、これらの変化は一時には現れないのですが、徐々に、確実に起き、こ れらの変化に対応出来るかどうかで、ビジネスの成果はまったく異なるのです。
スイーツの世界では、数十年前より、甘さは控えめになり、優しい甘さが主流で、甘さの強いお菓子は食べなくなってきていて、このような変化を早く察知し、 対策をたててきたスイーツメーカーだけが、生き残り、成功して来ていて、世の中の変化に敏感であることは、ビジネスを行なう上では欠かせないのです。
グローバル・ビジネスを展開するようになれば、国内だけではなく、関係各国の為替レート、景気の変化、政変、人びとのライフスタイルの変化等々に注目する必要があり、それぞれの異なったビジネス毎に、注目すべき視点は異なるのです。
グローバル・ビジネスを志す場合は、関連している国々への訪問は欠かせず、国々の変化を肌で感じる必要があり、注意していると、行くたびに国の変化が肌で分かるのです。
通常それらの変化は、既に起こった変化や起こりつつある変化であり、成功したイノベーションの圧倒的に多くが、そのような変化を利用しているので、外の世 界の少しの変化も見逃さないような、お客さまと接している人たちのセンサーの感度の良さと、それらをマネッジメントが吸い上げる社内のコミュニケーション の良さの双方がないと、外の世界の変化を見落としてしまい、イノベーション自体は組織の体質、組織文化にならなければ成功しないのです。
イノベーションの中には、それ自体が大きな変化であるというものもありますが、ライト兄弟による飛行機の発明と技術的なイノベーションなどは、むしろ例外に属し、成功したイノベーションのほとんどが平凡であり、単に変化を利用したものに過ぎないのです。
従って、起業家精神の基礎とも言うべき、イノベーションの体系とは、具体的、処方的な体系であり、すなわちそれは、変化に関わる方法論、起業家的な機会を 提供してくれる典型的な変化を体系的に調べるための方法論であるので、イノベーションとは、決してひらめきを必要とするものでもなく、日々の仕事として、 組織を挙げて、コツコツとやり遂げることが大切であり、日々の探求が大きな、価値あるイノベーションに繋がっていることを社員全員が理解し、実行すること が大切なのです。
「イノベーションのための7つの機会(チャンス)」
問題解決で得られるのは、目的達成の阻害要因が取り除かれ、正常な状態に戻すことだけで、環境の変化により、現在行っていること自体が問題になることがあり、成長するためには問題解決ではなく、機会(チャンス)を活かすことでしか、得られないのです。
具体的に、イノベーションの機会(チャンス)には7つの種類があり、最初の4つは、企業や社会的機関の組織の内部、或いは産業や社会的部門の内部の事象で あり、内部にいる人たちにはよく見えるものですが、それらは、表面的な事象に過ぎず、すでに起こった変化や、たやすく起こさせることの出来る変化の存在を 示す事象であるのです。
第一が予期せぬことであり、予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事なのです。
第二がギャップの存在であり、現実と、かくあるべきとのギャップなのです。
第三がニーズの存在であり、第四が産業構造の変化です。
残り3つの機会は、企業や産業の外部における事象で、即ち、第五が人口構造の変化で、第六が認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化で、第七が新しい知識の出現なのです。
これら7つのイノベーションの機会は、歴然と分かれているわけではなく、互いに重複し、ちょうど1つの部屋に並んでついている、7つの窓に似ていて、それ ぞれの窓から見える景色は隣り合う窓とあまり違わないのですが、部屋の中央から見える7つの窓の景色は異なり、7つの機会それぞれが異なる性格を持ち、異 なる分析を必要とし、いずれが重要であり、生産的かは分からない(さして意味のない製品の改善や、価格の変更によって生じた)変化を分析することによっ て、偉大な科学的発見による新しい知識を華々しく応用するよりも、大きなイノベーションが行なわれることがあるのです。
但し、これら7つの機会の順番には意味があり、信頼性と確実性の大きい順に並べてあるのです。
一般に信じられていることとは逆に、発明発見、とくに科学上の新しい知識というものは、イノベーションの機会として、信頼性が高いわけでも成功の確率が大 きいわけでもなく、新しい知識に基づくイノベーションは目立ち、派手で、重要ですが、最も信頼性が低く、最も成果が予測しがたいのです。
これに対し、日常業務における予期せぬ成功や予期せぬ失敗のような、不測のものについての平凡で目立たない分析がもたらすイノベーションの方が、失敗のリ スクや不確実性は、はるかに小さく、そのほとんどは、成否は別として、事業の開始から生まれるまでのリードタイムが極めて短いのです。
ここで、たいへん驚かされるのは、ドラッカーが「知の巨人」と呼ばれるだけあり、イノベーションに対しても、これだけ深く探求していて、7つの機会を見つ けただけでなく、その順序の大切さを指摘していて、これはあたかも、価値観においては、持つ価値観以上に価値観の順序が大切であることとよく似ていて、も のごとにおいては、内容以上に、順序の大切なことが多いことがよく分かります。
こうしてみると、ドラッカーがマネッジメントの大筋はほとんど解明しているので、われわれはそれをまず深く学び、理解し、自分なりに咀嚼することが、大切 であることがよく分かり、これは、武道の習得における「守、破、離」(Modeling、Modify、Innovation)とまったく同じで、ドラッ カー・マネッジメントの学びにおいても、「守、破、離」の精神が役立ち、ドラッカー・マネッジメントを理解し、実践することは、素直に学び、日々の実践を 通じて、血肉となり、組織の文化になるように体得していく他はなく、大切なことは、目に見えない部分であり、日々の目立たない活動を引き起こしている企業 文化であったのです。
画像は、ケルン大聖堂ですが、巨大すぎて、どの角度から撮影しても、カメラに収まらないのです。
この画像では、なかなか、巨大さが伝わらないのですが、実物はどこを見ても、圧倒され、感動します。
最初に建築した人たちの技術のレベルの高さ、こんな巨大な建物を作った人たちの志の高さ、戦後の荒廃し、困窮の中で、再建した人たちの頑張りに、敬意を表します。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。