本日のテーマは「日本のビジネスモデルが、そのまま通用する」です。
ジャカルタの視察は昨日までで、本日早朝からマレーシアのクアラルンプールに移動しますが、今回のジャカルタで感じたことは、国全体としてみれば、想像以上に、発展が遅れていることでした。
一部では、高層ビルも建ち、自動車は道路に溢れ、大規模の最新のショッピングモールも、たくさん出現していますが、インフラの整備が非常に遅れているのです。
地下鉄等、公共交通機関がないために、道路にはバイク、自動車が溢れ、通勤のために、早朝から自宅を出て職場に通わざるを得ない状態で、スマホ等は他の国同様に、最新モデルを販売しているのですが、肝心な電波状態が悪くて、繋がらないのです。
地元の人たちが利用している市場も見に行きましたが、衛生管理が出来ていない状態でした。
インドネシアの先をいっている、日本とか、韓国、台湾等の国々で、すでに起きた問題を反面教師の学習材料としないで、同じように辿っていて、これらの問題をすでに克服しているシンガポールとは、大きな違いがありました。
このように、国の政策は遅れているのですが、一般大衆とか、ビジネスは時代に合わせて、どんどん進化しているのに、国と政治が取り残され、ギャップがますます大きくなっていて、昨今の日本も重ね合わせてみることが出来るのです。
すると、そこで住んでいる国民は、政治の遅れのために、とんでもない、不自由な生活を強いられるようになり、われわれは、生まれてくる国の違いによって、大きなハンデイーを背負わされたり、幸不幸が大きく左右されることを改めて理解させられる場面が多く、ありました。
そして、どこの国に生まれようと、最終的に頼れるのは、自分だけであり、自分で自分の運命を切り拓いていかねばならないことを強く感じたのです。
今回は、ご案内して戴いたお客さまに、実にさまざまな種類のモールをご案内戴き、昨日は超高級なモールもご案内戴きました。
超高級なモールは、日本の銀座とほぼ変わりなく、世界的に有名なブランドがほぼ出そろっており、そのようなモールも、多くの裕福な人たちで賑わい、そのようなモールに出店している飲食店の価格は、日本よりはるかに高い価格帯で、それでも多くのお客さまで賑わっているのです。
日本であれば、一般的に昼食の価格は、サラリーマンで500円弱から1000円程度で、女性客対象の店はそれを超え、2000円から3000円程度の店もありますが、大体そのくらいの価格帯に収まっているのです。
ところが、インドネシアの場合は、底辺は100円余り、アッパークラスは、500円以上、更には、4000円、5000円程度と日本の夕食の価格帯で、中間価格帯がなく、中間価格帯では成功しないとのことでした。
今回見て回ったたくさんのモールの中でも繁盛している店と、閑古鳥が鳴いている店の繁閑の落差が非常に激しく、価格の高い店でも繁盛し、価格が安くても不振であり、価格は関係なく、繁盛している店は常に行列なのに、不振店には、一人の客もいない店がたくさんあり、日本では見られないギャップでした。
モールのステータスにより、客層がまったく異なっているので、モールごとにお客さまのニーズをキチンと捉えている店が繁盛し、そうでない店が苦戦していたのです。
インドネシアでは客層が所得により、明確に分かれているので、自店がターゲットとしている客層と、入店しているモールの客層が合っているかどうかが、日本以上に厳しく求められていたのです。
このミスマッチを起こしている店が、非常に多く、最近開店した日本から来ているイオンでは、多くの日本の飲食店が出店していましたが、インドネシアの事情を知らない店が、ここでも同じような現象が起きていました。
嗜好面でも、インドネシア人は甘い味を好むので、この味に対応した店が成功し、牛丼の吉野家でも、日本の味ではなく、現地で開発したメニューがヒットし、東南アジアでは、地元の人たちに好まれる味の研究も大切なのです。
世界の人たちの味の嗜好をみると、一般的に暑い地方ほど、甘い味を好む傾向にあり、寒い地方ほど、塩辛い味を好むのは、日本の世界もほぼ共通なようです。
最近、日本では外食も海外志向になっているのですが、進出する国の事情の研究は欠かせず、その国の事情に合わせて、変化させることが大切なようです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
「起業家の特性」
「不確実なものにチャレンジする」
体系的な起業家精神の発展を目的とした資金調達の最初の試みは、1852年のペレール兄弟によるクレデイ・モビリエの創設に始まり、ライン川を越えたドイツのゲオルク・ジーメンスによるドイツ銀行創設において本格化し、さらには、大西洋を渡ってNYにもたらされた若き日のJ・P・モーガンによる起業家精神のための起業家的な銀行の創設は、企業の所有を目的としたものではなく、初期の銀行家であるロスチャイルド家は、自ら事業の所有者となり、鉄道への融資も自己資金で行なったのですが、これに対し、起業家的な銀行は、自らは事業の所有者にならず、彼らは、設立時に出資した事業の株式を売って利益を得、しかも出資に必要な資金は市場から調達し、他のあらゆる経済活動(そしてほとんどが非経済活動)と同じように、資金を必要としますが、企業家は資本家であるとは限らないし、投資家であるとも限らないのです。
起業家はリスクを冒しますが、経済活動に携わる者は、誰でもリスクを冒すのは、経済活動の本質は、現在の資源を将来の期待のために使うこと、すなわち、不確実性とリスクにあり、起業家は雇用者であるとは限らないし、むしろ被雇用者であることの方が多いし、勿論、独立した個人でもあり得て、起業家精神とは、個人であれ組織であれ、独特の特性を持つ何かであるのですが、それは気質ではなく、実際のところ、過去30年間、いろいろな気質の人たちが、起業家的な挑戦を見事にやり遂げていて、確実性を必要とする人は、起業家には向かないのですが、そのような人は、政治家、軍の将校、外国航路の船長など、いろいろなものに向かず、これらのものすべてに意思決定が必要であり、「意思決定の本質は不確実性にある」のです。(起業家精神とは、不確実なものにも果敢にチャレンジすること)
意思決定を行なうことのできる人ならば、学ぶことによって、起業家として、起業家的に行動することが出来、社内のスタッフに起業家精神を持たせ、社内をイノベーション体質に変えようと思えば、意思決定の権限を持たせなければならず、責任から逃れようとするスタッフは、意思決定の権限を持ちたがらず、スタッフを幹部に登用する場合は、意思決定の責任を持とうとする人以外は、幹部に登用することが出来ないし、絶対に登用してはいけないし、起業家精神とは、気質ではなく、行動であり、しかもその基礎となるのは、直観ではなく、原理であり、方法であるのです。
「変化を利用するもの」
あらゆる仕事は原理に基づき、起業家精神もまた、原理に基づき、起業家精神の原理とは、変化を当然のこと、さらに言えば健全なこととすることであり、常に世の中は変化し、世の中の変化を良しとし、その変化を活用することが出来るのが起業家なので、世の中は常に変化しているので、その変化を捕え、自ら変化する、すなわち、安心領域にはとどまらないことが欠かせず、ある程度のポジションを獲得して安心したり、安住の地を求めることは、あり得ないのです。
「創造的破壊」
起業家精神とは、すでに行っていることをより上手に行なうことよりも、まったく新しいことに価値、特に経済的な価値を見出すことであり、権威に対する否定の宣言であり、起業家とは、秩序を破壊し解体する者であり、起業家の責務は「創造的破壊」であり、シュンペーターは、最適配分や均衡よりも、起業家によるイノベーションがもたらす動的な不均衡こそ経済の正常な姿であり、経済理論と経済活動の中心に位置づけるべき現実であるとしたのです。
「変化を当然とする」
教育の資源は経済的な資源であり、それは、例えば石鹸を製造するというような明らかな経済活動に使う資源と同じであり、つまるところ、社会的な活動に使う資源は、すべて経済的な資源であり、現在の消費を控え、将来の期待のために配分する資金にせよ、土地、とうもろこしの種、銅、教室、病院のベッドなどの物的資源にせよ、労働力やマネッジメントや時間にせよ、すべて経済資源であり、起業家精神という言葉は、経済の領域に限定されるものではなく、あらゆる人間活動に適用され、しかも、われわれは、その領域が何であろうとも、起業家精神そのものには、ほとんど違いがなく、教育界、医療界における起業家も、経済界や労働界における起業家とほとんど同じ資源を使い、ほとんど同じことを行ない、ほとんど同じ問題に直面し、同じように成果をあげ、起業家は変化を当然かつ健全なものとするので、「彼ら自身は、それらの変化を引き起こさないかもしれないが、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。」のが、企業家および起業家精神の定義であるのです。
私も自分の人生を思い返せば、川崎重工の造船事業部で勤務中に、上司から次々と新しい仕事を与えられましたが、その頃の造船事業部では、多くの船主から、同じような船型のタンカーの受注を受けていたので、先輩たちは、同じような船型の場合、以前書いた図面を流用し、必要な部分だけを修正して提出すれば、はるかに手間が要らず、早く図面を提出することが出来るのですが、私は新しい仕事を与えられるたびに、その仕事の本質を理解し、その本質を全うできるような図面を新たに起こしていたので、赴任した初期の頃は、1枚の図面にも相当時間がかかりましたが、慣れるに従い、時間は短くなり、最適な図面を書け、私は過去からずっと行われたいたことに常に疑問意識を持って取り組んでいたので、自分自身の過去を振り返ってみると、既にサラリーマン時代に反骨精神を持っていたのです。
「起業家のリスクは低い」
一般には、起業家には大きなリスクが伴うと信じられていて、マイクロ・コンピュータや遺伝子工学など目立ち易いハイテクのイノベーションは、失敗の確率が高く、成功の確率どころか、生き残りの確率さえかなり小さいのですが、しかし、起業家精神には、大きなリスクが伴わないのです。
「最もリスクが小さな道」
起業家はその本質してから、生産性が低く成果の乏しい分野から、生産性が高く成果の大きな分野に資源を動かすので、そこには成功しないかもしれないというリスクはありますが、しかし、多少なりとも成功すれば、その成功はいかなるリスクを相殺しても余りあるほど大きく、従って起業家精神は、単なる最適化よりも、はるかにリスクが小さいというべきであり、イノベーションが必然であって、大きな利益が必然である分野、すなわちイノベーションの機会がすでに存在する分野において、単なる資源の最適化にとどまるほど、リスクの大きなことはないのです。
したがって、論理的にいって、起業家精神こそ、もっともリスクが小さな道であり、起業家精神のリスクについての通念が間違いであることを教えてくれる起業家的な組織は、われわれの身近にいくらでもあり、たとえば、AT&Tのイノベーションの担い手たるベル研究所があり、この研究所は、1911年頃の自動交換機から1980年の光ファイバーの開発に至るまで70年以上にわたって、トランジスタや半導体、コンピュータに関わる理論やエンジニアリングなど、次つぎにイノベーションに成功し、ベル研究所の過去の記録は、ハイテク分野でさえイノベーションと起業家精神のリスクを小さくすることが出来ることを示していて、IBMもまた、コンピュータという進歩の早いハイテク分野において、しかも電気や電子の専門企業と競争しながら、今日のところ、大きな失敗を犯していないのです。
同様に、最も平凡な在来型企業である小売業において、世界で最も起業家的なイギリスのマークス・アンド・スペンサーも、大きな失敗をしておらず、消費財最大手メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)も、同じように完璧に近い、イノベーションの成功の歴史を誇っていて、ミネソタ州セントポールのミドルテク企業であるスリーエム(3M)も、過去60年間にわたって100種類以上にのぼる新事業や新製品を手がけ、その8割を成功させ、これらは、低いリスクのもとにイノベーションを成功させてきた起業家的な企業のごく一部に過ぎず、神の助け、まぐれ当たり、偶然とするには、あまりに多くの企業がイノベーションを成功させていて、起業家精神のリスクについての通念の間違いを教えてくれる個人起業家も大勢いるのです。
画像は、ジャカルタ市内の屋台で、通路の両側にたくさんの店が並んでいて、ご飯といろんなおかずを選んでも、150円程度で済ませることが出来るのです。
インドネシア人はご飯が好きで、いつもご飯とおかずのセットなのですが、最近ではご飯が麺に変わりつつあるようです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。