先ずは、お知らせで、来週11月3日(火)~5日(木)の3日間、ドリームスタジオ名古屋で、40周年記念イベントがあり、各種セミナー、製麺講習等が行なわれ、今であれば、3日間とも余裕があり、私も参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-nagoya/)
本日のテーマは「睡眠の質」です。
昨日の午前中の新幹線で、ドリームスタジオ大阪に来て、昼からのセミナーを2つ担当し、昨晩は江坂で一泊しました。
2番目のセミナーが6時からで、8時にはセミナーを終え、イベントは10時までだったのですが、私だけ先にホテルに帰ったのです。
2つの目のセミナーが6時スタートだったので、その前に軽く夕食を終え、その後は何も食べずに、昨晩の睡眠状態を見ると、驚くようなことが起きていたのです。
深い睡眠時間が5時間10分、浅い睡眠時間が1時間で、こんなに深い眠りが長く、浅い眠りが短いのは、初めてです。
多分、今までは夕食の時間と就寝時間の間隔が短かく、胃の中に食べ物が残り、消化中に入眠していたので、浅い眠りになっていた可能性があるのです。
入眠時間とその前の夕食の時間との関連は、重要な関係があるのかも知れず、今まではUP24のような、睡眠の質、運動量をチェック出来る便利な器具を使っていなかったので、分からなかっただけだったのです。
このようにして、どのような生活をすると、深い睡眠が得られ、睡眠の質がよくなるかが分かれば、日々の人生の質を向上させる習慣が分かるようになるのです。
本日の朝のセミナーは、具体的なサービスレベルを上げる内容であったのですが、このような内容に参加者が興味を持っていたことが、昨日のセミナーに比べると、質問の数の多さから、良く分かります。
本日の質問のひとつで、お好み焼きの店をやって方がいて、本当は来て欲しくないお客さまがたくさん来て困っているという話がありました。
例えば、禁煙と書いているのに、タバコを吸おうとする女性客で、禁煙であることを注意すると、そのお客さまは悪態をついて帰るというのです。
この話を聞く限りでは、お客さまと良い関係が築けていなくて、本来、呼んではいけないお客さまを呼んでしまっているのです。
価値観を確認すると、価値観自体が明確でなかったのが、大きな原因であることには間違いないのですが、ほとんどのそのような場合は、客単価が低いこと問題であることが多く、客単価を上げると、そのようなお客さまが来なくなるのです。
一般的に良いお客さまに来て貰いたい場合は、価値観の上位に健康志向とか、良い雰囲気を持ってくると、上客を呼び易くなるのです。
特に健康志向にすれば、良い材料を使うことが欠かせなくなり、安い価格で提供する出来なくなると同時に、健康志向にすれば、医者とか、自分を大切にするお客さまで、良いお客さまを集めやすくなるのです。
喫煙するお客さまは、まず自分を大切にしようと考えていない人たちが多く、上質志向を目指すと、スターバックスのように完全禁煙にすべきなのです。
次に44席のラーメン店の経営者からの質問で、3名の従業員がホールを担当しているのですが、忙しいときは、混雑してホールが回らなくて困っているという話があり、普通何名でホールは担当したら良いかという話がありました。
テーブル数を確認すると、11テーブルなので、ウエーター1人当たり最高8テーブルまでなので、11テーブルであれば、普通は2人で可能なのですが、ゾーン(エリア)分けをして、自分の担当テーブルを明確にしていないと、ウエイターが交差して、担当エリアが広がり、効率が落ちるのです。
従って、それぞれのウエイトレスの担当するテーブルを明確に分けて、特別なことがない限り、自分の担当しているテーブルのみに専念する体制が必要なのです。
ホールのリーダーは、入り口で来店するお客さまがどちらかに偏らないように振り分けを行ない、お互いのゾーンの負荷を均等にし、もし、それぞれの担当者で間に合わないときは、ヘルプに入るのです。
サービスレベルを上げるには、テーブル制と椅子番号制が欠かせず、最近はオーダー・エントリー・システムの端末があるので、ホールの担当者の移動距離を減らし、その分、サービスレベルの向上に専念できるのです。
そして、サービスレベル向上には、ホールの従業員にサービスの本質の理解が欠かせず、単なるオーダーを取り、出来上がった料理を運ぶだけがホールの仕事ではなく、スタンダードなサービスが出来た上で、お客さまを楽しませること、感激させることこそが、ホールの担当者の仕事であることの理解が必要であるのです。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆リードタイムが短縮されるとき
実用化までのリードタイムが短縮されるのは、外部から危機がやってきたときだけであり、1906年にデ・フォレストが発明した3極管は、直ちにラジオを生み出すはずだったのですが、もし第1次大戦が起こらず、各国政府とくにアメリカ政府が無線による音声通信の開発を推進しなかったならば、1930年代になってもラジオは生まれていなかったに違いないのですが、戦場では、有線電話は役に立たず、無線のモールス信号に頼るしかなく、ラジオが市場に現れたのは、必要な知識が出現した1920年代の初めだったのです。
ペニシリンもまた、第2次大戦が起こらなかったならば、1950年代まで開発されなかったに違いなく、1920年代の末、アレキサンダー・フレミングが、抗生物質のカビ、ペニシリンを発見し、その10年後、イギリスの生化学者ハワード・フローリがペニシリンの研究に着手し、ペニシリンの開発を早めたのは第2次大戦で、感染症の特効薬を必要としたイギリス政府が、フローリの研究を推進し、彼のもとに、戦場から臨床試験のための傷病兵が送り込まれたのです。
コンピュータもまた、アメリカ政府が、第2次大戦の勃発によって人員と資金を注ぎ込まなかったならば、1947年のベル研究所によるとトランジスタの発明まで開発を待たなければならなかったにちがいないのです。
◆社会的イノベーションのリードタイム
知識にもとづくイノベーションに長いリードタイムが必要とされるのは、科学や技術の領域にかぎらず、科学や技術以外の知識によるイノベーションについても同じで、ナポレオン戦争の直後、サン・シモンは経済発展のための資本の利用、すなわち起業家を支援するための銀行の設立という考えを発展させ、それまで銀行は、(王侯の徴税権など)確実なものを担保に金を貸すだけの存在だったのですが、サン・シモンの銀行は、投資、すなわち富の創出能力を生み出すためのもので、1825年のサン・シモン没後には、彼とその思想を慕う人たちからなる結社さえ生まれたのですが、彼を信奉するヤコブ・ペレールとアイザック・ペレールの兄弟が、起業家の支援を目的とする最初の銀行としてクレディ・モビリエを設立し、今日のいわゆる金融資本主義への道を開いたのは、ようやく1852年にいたってのことであるのです。
同じように、今日われわれがマネジメントと呼ぶものの材料の多くが、第1次大戦の直後には揃っていて、1923年にはプラハにおいて、アメリカ大統領就任前のハーバート・フーヴァーと、チェコスロバキア建国の父であり大統領だったトーマス・マサリクが、第1回国際マネジメント大会を開催していて、その頃には、アメリカのデュポンやGMをはじめとするいくつかの大企業が、マネジメントの概念にもとづいて組織の構造を変え始め、これに続く10年間に、世界で最初のコンサルタント会社を創設したイギリスのリンドール・アーウィツクをはじめとする何人かの先駆者たちが、マネジメントについて書きはじめたのです。(アーウィツクの名を冠したコンサルタント会社は、今日も活躍している)
しかしマネジメントが、世界中の経営管理者にとって学ぶことのできる体系となるには、ドラッカーが1946年に書いた『会社という概念』と、1954年に書いた『現代の経営』を待たなければならず、それまではマネジメントの研究や実践に携わる人たちは、アーウイツクが組織論、ほかの人たちが人事管理論というように、それぞれ、マネジメントの1つの局面に的を絞っていたにすぎず、マネジメントを集大成し、体系化したのはドラッカーの著作であり、その数年後、マネジメントは世界中で力を発揮しはじめのです。
今日われわれは、学習理論について、同じようなリードタイムのさなかにいて、学習についての科学的な研究は、1890年頃、ドイツのヴイルヘルム・ヴントとアメリカのウィリアム・ジェイムズによって始められ、第2次大戦後、ハーバード大学の2人のアメリカ人.B・F・スキナーとジェローム・ブルナーが学習理論の基礎を開発し、検証し、スキナーは行動論を、ブルナーは認識論を研究したのですが、現実の学校に対し、学習理論がいささかなりとも影響を与えるようになったのは最近のことであり、おそらく、今日ようやく起業家精神をもつ誰かが、陳腐化した学習理論ではなく、この新しい学習理論にもとづいて、学校をつくり直すべきときがきたといってよいのです。
知識によるイノベーションが、知識が生まれてからイノベーションが完成し、広まるには、30年くらいの年月がかかるのであれば、知識が生まれて既に、30年近く経過した事柄が自分の専門分野で探し出すことが出来れば、成果が上がり易いことになり、ドラッカーもマネッジメント理論について、それまでは断片的に存在していたものを、体系的にまとめた最初の人物であり、従って、既に存在し始めているが、まだまとまっていなかったり、知識が生まれてから30年近くになろうとしているものを探し出して、研究を深めていくことにより、イノベーションを起こしたり、加速させることが出来ることになります。
このような知識を見つけ出すこと自体は、難しいし、また上手くそのような知識が存在するかどうかは分からないし、なかなか難しいテーマではありますが、遣り甲斐のある面白いテーマです。
◆30年というリードタイム
このように、知識が技術となり、市場で受け入れられるようになるには、25年から35年を要し、リードタイムの長さは、人類の歴史上さして変わらず、今日、科学上の発見は、かつてないほど早く、技術、製品、プロセスに転換されるようになったとされているのですが、それは錯覚にすぎないのです。
1270年頃、イギリス人のフランシスコ会修道士ロジャー・ベーコンは、眼鏡によって視力が矯正でさることを明らかにしたのですが、それは当時の人たちの最新の知識とは相容れず、ちょうど当時の権威ある医学者たちによって、視力の矯正は不可能なことが、最終的に証明されたところであり、しかもベーコンは、文化の僻地、北部ヨークシャーにいたのですが、その30年後、アビニョンの教皇庁では、高齢の枢機卿たちが読書用の眼鏡をもつ姿が、壁画に描かれ、さらに10年後には、カイロのスルタンの宮廷で、眼鏡をもつ高齢の廷臣が細密画に描かれたのです。
紀元1000年頃、最初のオートメーションたる水車が、北ヨーロッパのベネディク上派の修道士によって、穀物をひくためにつくられ、30年後、水車はヨーロッパ中に広まり、西洋では、中国の印刷術を学んでから30年後に、グーテンベルクの活字と木版が現れ、知識がイノベーションとなるまでのリードタイムは、知識そのものの本質に由来するかのようでありますが、なぜかはわからないのです。
科学上の新理論が、ほぼ同じリードタイムを要することは、偶然ではないと思われ、トーマス・クーンは、その画期的な書『科学革命の構造』(1962)において、科学上の新理論がパラダイムとなり、ほかの科学者によって認められ、それぞれの研究に組み入れられるには、30年を要することを明らかにしていて、われわれが現在恩恵を受け始めている、電池自動車、太陽電池、近々に恩恵を受ける、燃料電池自動車、スマート・グリッド等、未来に繋がる技術の知識は既に出来上がったものですが、実際に世の中に広まり、イノベーションを起こすのは、まだ先になりそうです。
先に触れているように、われわれの身の回りにあって、当たり前になっている銀行、郵便、電力会社、学校、さまざまな会社のシステム、高速道路、病院、宅配、コンビニ等もすべて社会のイノベーションの結果であり、既に社会のインフラになり、今日のわれわれの生活は、このような社会のイノベーションなくしては、成り立たず、イノベーションの中でも、知識によるイノベーションは、30年間という比較的に長い時間を要するのです。
画像は、昨晩の私の睡眠状態です。
今朝もホテル近くの江坂公園で、1万歩を歩いてからセミナーに望んだのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。