本日のテーマは「財団法人 麺ソムリエ協会」です。
昨日は、「財団法人 麺ソムリエ協会」の一環として準備している、「製麺マイスター制度」の学科テストを営業関係者と一緒に受けました。
「財団法人 麺ソムリエ協会」では、資格制度として麺ビジネスのジャンル全体をカバーした「麺ソムリエ制度」と製麺だけに限定した「製麺マイスター制度」の2本立ての資格制度を準備しているのです。
日本の伝統的な麺ビジネスをさらに進化、発展させ、麺業界を活性化し、世界に美味しい日本の麺文化を広めるためには、レベルを高め続けるための基準となる資格制度が必要であるとの認識に至り、ここに「財団法人 麺ソムリエ協会」の設立を行なった次第です。
資格制度の仕組み、内容については、広く業界のリーダー、知識人の方がたと一緒に、レベルを高め続けていきたいと考えております。
私は寿司業界における海外の状況を見て来て感じたのは、現在では寿司は日本の伝統食から離れ、グローバルな食文化として、完全にグローバル展開していますが、グローバル展開出来たひとつの要素として、寿司に関連した調理機器の寿司ロボット等の存在があります。
寿司ロボット等がもし存在しなかったら、寿司はこんなに世界中に広まることはなかったのではと思っています。
そして、当初寿司ロボットは日本メーカーの独占でしたが、韓国とか、中国のメーカーからコピー商品が世界中に出回り、併せて、寿司と言えないような品質の寿司が氾濫するようになったのです。
私は、寿司業界の事情を見て、麺業界がグローバルになるにつれて、同じような現象が起きてはいけないと思ったのです。
因みに、ラーメンの最も古い歴史を持つ中国の蘭州ラーメンで、すでに4千年前の遺跡跡から、ラーメンが作られていたことが発見され、蘭州には約千店の蘭州ラーメン店があり、多い店では1日の来客数が5千人、少ない店で5百人も来ているのですが、たかだか100年の歴史しかない日本のラーメンが世界中に広まり、蘭州ラーメンは世界中には広まっていないのです。
4年前に初めて蘭州へ行ったときに驚いたのは、蘭州ではすべてのラーメン店で麺を作っているのは、手延べ職人たちで、今でも両手で麺を伸ばして製麺し、延ばした麺を横の沸いた茹で釜の中に放り込んでいるのです。
要するに、蘭州では今でも麺作りはすべて手延べで、お客さまの目の前で実演自家製麺なので、麺打ち職人がいないと麺が出来ないのです。
蘭州ラーメンがまだグローバル展開出来ないで、たかだか100年の歴史しかない日本のラーメンが世界展開出来ているのは、人力に頼らず、美味しい麺を作ることが出来る製麺機が、縁の下で踏ん張っているせいではないかと思う次第です。
麺ビジネスには、美味しい麺が欠かせず、美味しい麺をある程度の低いコストで量産出来ることは、麺ビジネスの成功には欠かせないのです。
世界中で多くの人たちに美味しい麺が愛され、また、防腐剤とか添加剤を一切使用しない安全で健康に良い麺を提供出来ることは、これからの時代には欠かせないことだと信じています。
目先の損得だけにこだわるのではなく、麺ビジネスに携わる人たちすべての幸せを願い、高い品質をいつも安定して提供出来る仕組みが大切であるのです。
自動車運転の場合は、運転免許証がないと運転出来ず、公道を走ることは許されないのですが、麺の場合はそのような仕組みがなく、また、「麺ソムリエ制度」が出来ても、運転免許のように拘束力はありませんが、多くの人たちに認識されるようになれば、大きな力になってくるのです。
麺ビジネスに関与している多くの人たちと一緒に、コンテンツについては、時代の変化に合わせて、ブラッシュアップを続けていきたいと思っています。
私は麺ビジネスに関係するようになり、すでに40年間を経過しましたが、麺ビジネス一筋に取り組んでいると、さまざまなアイデアが沸き、また、一昨日の営業会議での席上のように、テーマを絞り、多くのスタッフたちと議論を重ねることにより、更にアイデアがブラッシュアップされるのです。
また、昨日のフェイスブックで書いたように、PCの威力により、更に進化し続けることが出来るのです。
昨日は、都合で朝のウオーキングが出来ず、夕方までに3千歩しか歩いていなかったので、夜になってからウオーキングし、初めて自宅から会社まで歩いて行きました。
自宅から会社まで約3千5百歩あり、30分近くかかり、距離は約3km近くありました。
歩き始めてから、距離感がつかめやすくなったのです。
来週の本社での経営講義は、土日、16、17日の両日、開催します。
まだ、ご参加されていない新規開業希望者の方は、取り敢えず、経営講義だけでも参加されると、大きなリスクヘッジになるはずです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「第2の波」
再び、1960年代から80年代にかけて、世界の自動車市場の構造が大きく変化し、第1次世界大戦後の40年間というものは、世界の自動車市場は国別に分かれ、それぞれの国のメーカーが、自国市場をほぼ独占していて(国内市場中心の時代)、イタリアの道路や駐車場ではフィアットが大勢を占め、若干のアルファロメオとランチアが見られ、同様に、フランスで見られたのはルノー、プジョー、シトロエン、ドイツではメルセデス、オペル、ドイツ・フォード、アメリカではGM、フォード、クライスラーだったのです。
ところが1960年頃、自動車産業がグローバル産業になり始め、ここでも、各メーカーの対応はまちまちで、それまでほとんど輸出をせず、国内市場に専念していた日本のメーカーが輸出に取り組み、1960年代末に一度失敗したが体制を立て直し、戦略を練り直し、アメリカ車並みのスタイル、内装、性能でありながら、小型、低燃費、高品質のものを生産し、優れたアフターサービスを行ない、彼らは1979年の石油ショックという2度目の機会をとらえ、大きな成功を収めたのです。
フォードは、「ヨーロッパ戦略」によってグローバル化し、10年後の1970年代の半ばには、ヨーロッパ市場で1位の座を奪うまでになり、フィアットもまた、単なるイタリア企業からヨーロッパ企業へと脱皮し、イタリア市場第1位の座を確保しつつ、ほかのあらゆるヨーロッパ諸国で2位の座を狙ったのですが、GMは当初、あくまでもアメリカ企業としてとどまり、アメリカ市場で50%のシェアを占め、アメリカとカナダの自動車産業の総利益の70%を確保しようとして成功し、10年後の1970年代の半ばには、海外戦略を変更し、ヨーロッパでフォードやフィアットに挑むことを決意し、そこでも成功し、さらにその10年後の1983年から84年にかけて、ついに真のグローバル企業となることを決定し、何社かの日本車メーカー、初めに比較的小さな2社(スズキ、いすゞ)、そしてついにはトヨタと提携したのです。
ドイツのメルセデスも世界戦略を変え、高級車、タクシー、バスに特化しつつも、やはりグローバル企業となる事を決意し、これらの戦略は、いずれもかなりの成功を収め、これらのうち、いずれが最も成功したかを判定することは難しいのですが、困難な選択を行なうことを拒否し、或いは何かが起こっていることを認めることさえ拒否した幾つかのメーカーは、高い代償を払わされ、生き残れたのは、単に政府が倒産を許さなかったからで、その最も顕著な例がクライスラーで、クライスラーの人たちも、何が起こっているかを知っていて、自動車産業の人たちはみな知っていたのですが、クライスラーは、戦略を立てる代わりに一時しのぎの対策に走り、「アメリカ」戦略を取ることによって、世界最大の市場たるアメリカ市場に全資源を投入することも出来たのです。
あるいは、ヨーロッパの自動車メーカーと提携し、欧米という2つの大市場において、3位の座を確立することも出来たのですが、当時はメルセデスが、クライスラーとの提携に関心を持っていたのに、クライスラーは関心を示さなかっただけでなく、代わりに、その資源を小刻みに浪費し、多国籍軍(グローバル企業)に見せかけるために、業績の悪いヨーロッパの企業を買収し、その結果、何も得ることなく失敗し、アメリカ市場で機会をつかむうえで必要な資金まで失い、1979年の石油ショックとともに審判の日がやってきたとき、クライスラーはヨーロッパ市場に何も持たず、アメリカでもほとんど何も持たない状態で、周知のように、クライスラーを助けたのは、アメリカ政府だったのです。
かってイギリス最大の自動車メーカーであり、ヨーロッパ大陸の覇権を争ったことさえあるブリテイッシュ・レイランドにも、同じようなことが起こり、フランスの大手メーカー、プジョーにも起こり、両社はともに、意思決定が必要であるという事実を受け入れることを拒否し、その結果、急速に市場を失い、利益を失い、今日では、クライスラーはフィアットの傘下に、ブリテイッシュ・レイランドは倒産し、市場から消え去り、傘下の多くのブランドのうち、Jaguar、Daimler、Lanchester、Rover、Land Roverはタタ・モーターズが買収し、MG、Austin、Morris、Wolseley、Vanden Plas(北米市場以外)は南京汽車が買収し、MINI(Mini)、Riley、TriumphはBMWが買収し、プジョーは限界的な企業になっているのです。
「ニッチ市場での成功」
しかし、ここで最も重要かつ興味があるのは、これらの企業よりはるかに小さな企業の例であり、当時は、大手も中小もすべて、変化に対応しない自動車メーカーは斜陽の運命にあったのですが、ボルボ、BMW、ポルシェという3つの小さな企業が、この自動車市場の変化をイノベーションの機会として捉え、世界の自動車市場が急激に変化しつつあった1960年頃、これら3社は、来るべき生存競争のなかで完全に姿を消すものと見られていたのですが、3社はいずれも危機をしのぎ、今日では、自ら創造したニッチ市場においてトップの座を占めているのです。
これが可能だったのは、自らの事業そのものを大きく変えたイノベーションのお蔭で、1965年当時、ボルボは赤字すれすれの小企業であり、危機的な状況のもとで、かなりの赤字を出していたので、そこで、ボルボは再生をはかり、「センスのある車」、安くはないが高くもなく、流行を追わない代わりに、しっかりした作りの車として、世界中とくにアメリカで攻撃的なマーケテイングを行ない、自らの成功を車によって誇示する必要はないが、その判断力についての評判は気にするという人たち、とくに自由業の人たちの車としてマーケテイングしたのです。
同じく1960年代には、ボルボと同じように弱体の自動車メーカーだったBMWが、イタリアやフランスで成功し、仕事でかなりの成功を収めているものの、まだ若いと思われたい「これからの人たち」、違いが分かると思われるためには、喜んで金を払う人たち、金持ちではあるが、自由人だと思われたい人達のための車としてマーケテイングし、キャデラックやメルセデスが、元首や社長のための車だったのに対し、BMWは、タフガイのための「究極のマシーン」とされたのです。
その最後が、(フォルクス・ワーゲンに毛の生えたような)ポルシェで、ポルシェは、自動車を単なる輸送手段ではなく、心躍るものとする人たちのための、唯一の車、唯一の「スポーツカー」のメーカーとして位置付けたのです。
しかし、これら3社のようなイノベーションを行なわず、自らの新しい位置付けを世に示すことが出来ず、旧態依然たるままだった中小の自動車メーカーはすべて、市場構造変化の犠牲となり、イギリスのMGは、50年前には最高の「スポーツカー」として、今日のポルシェと同じ地位にあったのですが、今では消え去ったと同然で、60年前、シトロエンは技術のしっかりした頑丈な作りで、中流階級からの信頼の厚い車であり、ボルボが今日奪い取った市場こそ、シトロエンの市場だったのですが、シトロエンは、自らの事業について、分析しなかっただけでなく、イノベーションも行なわなかったので、その結果、戦略もなければ、売るべき車もない状況に追い込まれ、プジョーの傘下になったのです。
自動車産業の歴史を振り返ると、われわれのビジネスの先を行き、先生のような立場にあることがよく分かり、第1の波でそれぞれの使命を明確にし、第2の波で自国内に閉じこもることを諦め、リスクを取って、グローバル化を図り、チャレンジをした会社だけが生き残ることを許され、もう一度、世界の自動車生産台数のランキングを見ると、以上の歴史からは、想像できないようなことが、実際には起きていて、世界上位10社中、日本の会社が4社も入っていて、私が30年前に韓国に行き始めた頃には、ブリキ細工のような自動車と思っていた、現代自動車が5位に入っているのです。
1位(1)トヨタ 998万台 (2%)
2位(3)VW 973万台 (5%)
3位(2)GM 971万台 (4%)
4位(4)日産・ルノー 826万台 (2%)
5位(5)ヒュンダイ 756万台 (6%)
6位(6)フォード 633万台 (12%)
7位(-)FCA 435万台 (3%)
8位(7)ホンダ 428万台 (12%)
9位(8)PSA 282万台 (▲5%)
10位(9)スズキ 269万台 (2%)
上記のランキングを見ると、成功するビジネスはリスクを取り、果敢にチャレンジする企業しか、生き残れないことがよく分かり、私が自動車会社の中で注目しているのは、VWとBMWで、危機を何度も乗り越え、強い個性を貫き、マネッジメントにおいても、非常にしたたかなのですが、最近の排ガス規制の偽装問題で、信頼を大きく失っていますが、VWはトヨタと世界一を争うほど、大規模になっているのに、強烈な個性を放ち続けていて、傘下にベントレー、アウデイ、ポルシェ等、有力なブランドを持ち、マネッジメント・レベルでも突出しているのです。
BMWも、ホンダのようにオートバイも持っているのですが、オートバイは、大型だけで、特徴のあるメカニズムで根強いファンを世界中に持っており、自動車のジャンルでも、量産よりも強い個性で勝負していて、日本のメーカーの中でも、最近は、強い個性で勝負しているのがスバルであり、次にマツダで、弱小メーカーではあるのですが、存在感は徐々に大きくなってきているので、これからの時代は、規模の大小よりも、圧倒的な存在感、したたかなマネッジメントが大切な時代になっていくものと思います。
画像は、一昨日の営業会議でコンテナー船の説明をしている様子で、コンテナー船は、海上貨物輸送にイノベーションを起しましたが、今はそれが当たり前の時代になっています。
もし、50年前にタイムトリップして、海上貨物輸送の将来のあるべき姿を、未来予測すると、このようなことは多くの人が思いついたのではと思います。
ものごとの成否は質問の仕方で決まるのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。