本日のテーマは「外へ出て、自分の目で見る」です。
現在の日本で急激に成長している分野は、高齢者或いはシニア対象の市場で、介護は相変わらず、受益者よりも介護職の人手が不足し、シニア層の拡大とともに1人世帯が増え、個食の惣菜も増え続けているのは、コンビニの食品売場の変化を見るとよく分かるのです。
昨日もセブンイレブンの弁当売り場を見れば、棚が4本のうち、麺類が2本、残り2本が米飯とサンドイッチで、麺類が弁当売場の半分を占めていて、いかに麺類が増えているかが分かります。
麺類食は米飯食と比べると、小麦を粉末にしたのを水と練り合わせ、成型し、茹でていて、一旦粉になっているので、人間の身体の中で消化し易く、何度も噛まなくても食べられるので、粗食回数が少なくて済み、食べ易いのです。
栄養学的には、シッカリ噛んで食べる方が身体には良いのですが、超高齢化社内におけるライフスタイルには、麺類は非常に合っているのです。
従って、今後とも麺ビジネスは食生活の中で、国内、海外ともに大きく伸びることが予想されている分野なのです。
このようなビジネス環境の変化は、イノベーションを起こし続けるためには、大きなチャンスであり、常に7つの機会についてアンテナを張り、内部、外部の情報に敏感になり、情報を分析し、廃棄すべきものを廃棄し、新しい可能性にチャレンジし続けることが欠かせないのです。
そのために、組織のリーダーはお客さまのニーズの変化、価値観の変化、ライフスタイルの変化に敏感になり、その研究を常に行ない続けなければいけないのですが、最も重要なことは自分の目で確認し、理解することです。
ほとんどの世の中の変化は、その気になって街に出て見ていれば、読み取ることが出来るのです。
私が起業した40年前はほとんどなかったコンビニが、今は日本中に増殖し、街にたくさんあった八百屋、魚屋、米屋、豆腐屋、酒屋等の単一ビジネスのほとんどは消えています。
香川県では、仕事でしくじったら、うどん屋でもやれば良いと言われるくらい、うどん店は誰にでも簡単に開業出来て、失敗の少ないビジネスだと言われてきたのですが、自動車で走ると、廃業したうどん店がたくさんあり、つぎつぎと新しいうどん店がその跡に開業しているのです。
先週末、本社の近くの古いシッピングセンターを廃棄し、新しく出来たショッピングセンターに行ってみると、立体駐車場がなくなり、平地の駐車場になり、駐車場が各店舗の真ん中で、駐車場を取り囲むように核店舗を初め、テナントの店舗が配置されているのです。
以前と比べて、車でのアクセスが非常に楽になり、各テナントのレイアウト、核店舗の店内レイアウトも、お客さまの立場に立ち、買物がし易いレイアウトになり、来店されるお客さまに合わせた商品選定がされていました。
初めて行った店ですが、同じ系列の店舗が同じ町内にあり、そちらはもっと規模が大きいのですが、新しい店舗の方が、買う楽しさを演出していることが分かります。
郊外型店舗の場合は、ほとんどが自動車客であり、車を降りてから、店内までのアクセスが非常に楽になっていることが分かります。
そのショッピングセンターのすぐ近くにTSUTAYA書店があり、書店内にあるスターバックスによく行くのですが、先週、TSUTAYA書店へ行って驚いたのは、書店の中にお客さまが座って本を読めるように、椅子が置いてあるのです。
昔の書店は、立ち読みを嫌っていて、長い時間立ち読みをしていると、注意されたりしていたのですが、今の書店は立ち読みどころか、本格的に椅子に座って読書が出来るのです。
椅子に座っている人たちを見ると、本を読む以外に居眠りをしたり、休んでいる人たちがほとんどで、今の時代、本屋は、休憩所になっていました。
また、TSUTAYA書店の店内ではさまざまな関連雑貨、コーヒー器具から、米飯まで販売していたのです。
スターバックスのようなコーヒーショップも同様で、昔の喫茶店は、長居し過ぎるのを好まれなかったのですが、スターバックスの場合は、朝から晩までいても、PCを開いてずっと仕事をしても、嫌がられないのです。
うどん蕎麦店も、昔からの習慣の回転率で勝負する時代ではなくなっていることが外へ出て、自分の目で、現在の外の世界を見てみると変化の具合が良く分かります。
今週の本社での経営講義は、土日、16、17日の両日、開催します。
まだ、ご参加されていない新規開業希望者の方は、取り敢えず、経営講義だけでも参加されると、大きなリスクヘッジになるはずです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「産業構造の変化が起こるとき 変化の兆候」
イノベーションの機会としての産業構造の変化は、次のようなとき、ほぼ確実に起こるのです。
(1)最も信頼出来、最も識別しやすい前兆は、急速な成長
この前兆は前述のすべてのケースに共通して見ることが出来、ある産業が経済成長や人口増加を上回る速さで成長するとき、遅くとも規模が2倍になる前に、構造そのものが劇的に変化し、それまでの仕事の仕方でも、ある程度成功を続けることは出来るので、そのため、誰もそれを変えようとしないのですが、仕事の仕方は確実に陳腐化し始め、シトロエンやAT&Tは、この事実を認めようとしなかったので、新規参入者、外部の者、それまで2流だった者が、まさに彼らの産業において、彼らを破ることが出来たのです。
生産年齢人口が急激に減少していく日本において、急速な成長を遂げている分野は非常に少なくなり、高齢者対象の介護ビジネス等においては、成長が続いていて、私が定点観測しているセブン・イレブンの個食惣菜とか食事の宅配ビジネス等を見ていると、一部では急成長している分野は必ず存在し、急成長している分野は、国内よりもむしろ海外が多く、当社のジャンルでも急成長しているのは国内ではなく、海外で、海外の急速な成長をみると、産業構造の変化に繋がっていることがよく分かりますが、国内ビジネスに比べて、はるかにリスクは大きく、安心領域から大きくはみ出す必要があり、そのような急成長して分野を見つけるための専門のセンサーのような部門が社内には必要なのです。
(2)産業の規模が2倍に成長する頃とときを同じくして、それまでの市場のとらえ方や市場への対応の仕方では、不適切になってくる
それまで、業界トップの地位にあった企業の市場のとらえ方や分類の仕方が、現実を反映せず、歴史を反映しただけのものになってきて、報告や数字は、古くなった市場観に従ったままであり、ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットや、「賢明な投資家」を顧客とする中西部の証券会社が成功した要因もここにあり、彼らは、既存の証券会社には見えなかった市場、従って適切に対応することの出来なかった市場、すなわち既存の証券会社にとって、新しい存在だった年金基金や、ウオール・ストリート的な投資家とは異なる「賢明な投資家」を見つけたのです。
急激な成長のあとではすべてが変化するという典型が病院で、第2次世界大戦後、病院では、医師以外の医療従事者として、X線技師、検査技師、療法士などが急速に増加し、いずれも、第2次世界大戦前にはほとんど存在さえせず、病院経営さえ経営管理者によって行なわれるようになり、こうして管理業務が、病院経営上、大きな問題になり、さらには、病院の従業員、とくに賃金の低い従業員が、労働組合によって組織化されるに伴い、費用のかかる厄介な問題となったのです。
書店チェーンの成功も、急速な成長による構造変化によってもたらされ、出版社や書店は、従来の顧客である「読書家」に加えて、新しいタイプの顧客として、「買物客」が現れたことに気がつかず、昔から書店は、この新しい顧客の顔が見えず、相手のしようとしなかったのです。
急激な成長に出会った企業は、それだけで満足し、安易に利益を得ようとし、AT&Tが長距離電話の増加に対してとった対応がそうだったのですが、そのような対応は、つまるところ、競争相手の登場をもたらすだけであり、急激な成長がもたらすイノベーションの例は、美術の世界にもあり、かって上流階級のものだった美術館に、第2次世界大戦後は中流階級も行くようになり、各地に美術館が作られ、かっては限られた金持ちの趣味だった美術品の収集を、第2次世界大戦後は、大勢に人たち、さほど豊かでない人たちが、行なうようになり、美術館で働くある若者が、この変化をイノベーションの機会として捉え、彼はその機会を予想外の分野、それまで美術とはあまり縁のなかった分野で見つけたのが、損害保険で、彼は美術館や美術収集家を専門とする保険代理店を作り、それまで美術品の保険に乗り気でなった大手の保険会社が、彼の専門能力を信頼し、通常の保険料よりも70%安く保険を引き受け、この代理店は、今日大きな成功を収めているのです。
(3)幾つかの技術が合体したときも、産業構造の急激な変化が起こる
その一つの例が、構内交換機(PBX)、すなわち大口の電話利用者が、社内に設置する交換機であり、基本的にはPBXに関わる技術のすべては、AT&Tの研究機関であるベル研究所によって開発されたのですが、その恩恵を受けたのは、ROLMのような新規参入者であり、新しく生まれたPBXでは、2つの技術、すなわち電話の技術とコンピュータの技術が合体し、それはコンピュータを使う通信機器としても、通信用に使うコンピュータとしても見ることが出来、技術的には、AT&Tこそ、この新製品を扱うことが出来たはずであり、もともと、AT&Tが先駆者だったのですが、AT&Tは、コンピュータ市場や顧客を自分たちには無縁の異質な存在と見ていたので、せっかくPBXの設計と導入を手がけながら、販売に力を入れなかった結果、戦闘機用小型コンピュータのメーカーとして、4人の若手技術者によって創設され、偶然、通信産業に迷い込んできたROLMのようなまったくの新規参入者が、PBX分野でAT&Tの競争相手となり、今日、AT&Tはその技術的な優位にもかかわらず、3分の1のシェアを持つに過ぎないのです。
(4)仕事の仕方が急速にかわるときにも、産業構造の変化が起こっている
30年前アメリカでは、圧倒的に多くの医師が自ら医院を開業していたのですが、1980年には、その割合が60%に落ち、今日では、医師の40%(特に若手の医師の場合には、75%)が、共同経営の医院やヘルス・メンテナンス・オーガニゼーション(HMO)や病院で働いていて、早くも、1970年頃、この傾向に気づいた何人かの人たちが、そこにイノベーションの機会があるはずだと考え、共同で働く医師のための事務所の設計、マネッジメント、さらには経営管理者の訓練を行なう会社が設立され、今日の日本でも、勤務医と開業医の違いは、勤務医の場合、基本的に給与所得者(サラリーマン)であるため、多くの医療機関において定年が存在し、一般的に定年後も医業を継続したいと思う医師がほとんどであるため、特に大学教授等で定年後の再就職先が安定しているような場合を除いて、40~50歳代頃までに個人事業主たる「開業医」へと転向する傾向にあるのです。
近年、新卒医師の傾向において、皮膚科・眼科など主に外来診療を基本業務とし、開業しやすい診療科への希望が多くなり、外科・脳神経外科等の診療科への希望が少なくなってきている傾向にあり、都心・大都市圏においては、開業医が乱立してきており、特に歯科においてはコンビニエンスストアの出店数より多いとされる中で、患者数の確保は厳しい競争となってきています。
以前は地方・過疎地においては比較的開業医の数は少ないとされていましたが、それでも新規開業の際には各地域の医師会(主な構成員は各地域の開業医)が懸念してくる場合も少なくはなく、また、給与所得者である勤務医は仕事量に関わらず収入はほぼ固定であるが、個人事業主たる開業医は診療実績がそのまま収益となるため「利益追求型の診療」と取られ得るような診療が行われている場合もあり、危惧されていて、近年、医療技術の進歩に伴い、各種医療機器無しには標準的な診療が困難でもあるため、高額な設備投資が要求されてくるので、個人開業は難しくなっているのです。
昨日は、久しぶりに金比羅参りに行って来ました。
画像は本堂前で、昨日の昼ごろですが、金比羅さまの参拝客も一昔前に比べると、随分少なくなったような気がします。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。