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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「知識が出揃ったとき、知識によるイノベーションの条件、分析の必要性」

ラーメン学校の経営講義の2日目で、昨日は事業計画書、商圏分析の話があり、海外での事業計画書を作り、商圏分析の話をしたのです。

本日のテーマは「ある生徒さんのラーメン人生」です。

昨日は経営講義の2日目で、最初に昨日のフェイスブックの内容の思考の大切さについて説明していると、ラーメン学校3回目参加の生徒さんより、コンセプトの作り方についての質問が出たので、コンセプトの作り方について説明をするために、その生徒さんの過去の人生について尋ねてみました。

その生徒さんは、ラーメン店を20年前から始め、現在2店舗を経営していて、田舎ですが、たいへんな繁盛店で、近々3店舗目の開店を進めているのです。

熱心な生徒さんで、今回がラーメン学校が3回目で、最初にラーメン学校に参加したのは9年前で、参加目的は自家製麺に取り組むためと、営業上で悩むことがあり、参加したのですが、その結果、ビジネスは非常に前向きになり、それ以来、当社のファン客になって戴いているのです。

5年前のラーメン学校にも、2回目で参加し、更に営業内容が良くなり、今回、3店舗目を開業するので、その前に更にブラッシュアップするために参加されたのです。

当社の熱心なファン客で、イベントには毎回参加され、勉強熱心で、なぜこんなに繁盛しているのかが良く分かるような人柄です。

20年前にラーメンを始めたいきさつをお聞きすると、小さい頃にお父さんを亡くし、お母さんに育てられ、貧しい家庭で育ったのですが、その頃から将来ラーメン店か、麺の店をしたいと思っていたそうです。

高校を卒業すると、まず食べるために幼いころの夢とは異なる、電機メーカーに就職し、若くして結婚したのです。

しかし、26歳頃になると、昔の夢が捨てきれず、どうしてもラーメン店をしたいと思い、会社を辞めてラーメン店に修行に入ったのです。

修業期間を終えて、いよいよ自分で開業しようとすると、結婚していた奥さんの大反対があり、大きな銀行で硬い仕事をしていた奥さんに同意して貰えず、とうとう離婚してしまったそうです。

奥さんは、大きな銀行で常に大金が動くのを見ていたので、1杯何百円のような小さいビジネスを始めることに反対したのです。

奥さんが反対し、離婚するようになっても、自分の意志を通してラーメン店を始め、20年経った現在では、地元で大繁盛店になり、大成功したのです。

最近、離婚した奥さんに会うチャンスがあり、会ってみると「離婚しないで、あなたについて行った方が良かった」と言われ、やっと元の奥さんに認められたことが、何より嬉しかったようなのです。

私の場合、家内は反対しなかったのですが、親戚中が反対するのを押し切って、川崎重工を辞めて新規開業したので、この生徒さんの気持ちは痛いほど分かるのです。

しかし、この生徒さんは離婚した後、新しい奥さんを迎え、新しい家庭をすでに設けているのです。

このように新しくビジネスを始めようとすると、奥さんが反対することがよくありますが、たいていの場合は、反対しても途中で奥さんが折れ、離婚に至るようなことはなく、或いは、奥さんに反対されると、折れてしまう主人が多いのです。

自分の夢を実現させるために、離婚をしてまで、一途に打ち込む人は少なく、成功するには、安易な道はなく、結婚してまだそんなに時間が経っていない、奥さんと別れてでも、自分の意志を押し通すだけの意志力、情熱が必要であるのです。

このことは、常に麺学校に参加する生徒さんに私が注意していることは、覚悟の大切さであり、意志力であり、忍耐力であるのです。

因みに、この生徒さんのコンセプトを明確にするための、コンセプトの大本である、この生徒さんの価値感の順序は次の通りなのです。

1.安全性、健康志向
2.高いサービス・レベル
3.美味しさ、商品力
4.クリンリネス、衛生
5.効率(利益)

以上の価値感の順序より分かるように、まず最初が安全性、健康志向で、安全で健康に良い料理で、お客さまの健康を大切にし、次に高いレベルのサービス力でお客さまの心をケアすると共に、楽しい空間を演出し、最高に美味しい料理でおもてなしを行ない、4番目が衛生、即ち、クリンリネス、最後が効率の追求なのです。

だから、この生徒さんはラーメン店ビジネスを通して、多くのお客さまの身体の健康を守り、心の安らぎと喜びを与えることがビジネスの本質なのです。

従って、ラーメンを提供するのは、このコンセプトを守り通すための手段であり、麺に対する一途な思いで、多くの人たちを幸せにしようとする想い自体が使命なのです。

本日も当社の価値感を掲げ続けます。

1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

◆知識が出揃ったとき

必要な知識のすべてが用意されないかぎり、知識によるイノベーションは時期尚早であって、失敗は必然であり、イノベーションが行われるほとんどの場合、必要なもろもろの要素が既知のものとなり、利用できるものとなり、どこかで使われるようになったときであるのです。

1865年から75年にかけてのユニバーサル・バンクがそうだったし、第2次世界大戦後のコンピュータがそうであり、もちろん、イノベーションを行おうとする者が、欠落した部分を認識し、自らそれを生み出すこともあるのです。

ジョゼフ・ピューリッツァー、アドルフ・オクス、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、近代的な広告を生み出すうえで主役を演じ、そこかへ今日われわれが「メディア」と呼ぶもの、すなわち情報と広告の結合としてのマスコミが生まれたのです。

ライト兄弟も知識の欠落、とくに数学的な理論の欠落を認識し、自ら風洞をつくって実験することによって、欠落した知識を手に入れたのです。

このように、知識によるイノベーションは、そのために必要な知識のすべてが出揃うまでは行われないで、それまでは死産に終わるのです。

たとえば、当時、飛行機の発明者となることが期待されていたサミュエル・ラングレーは、ライト兄弟よりも科学者としてはるかに力量をもっていて、しかも当時、アメリカ最高の科学研究機関たったワシントンのスミソニアン研究所の責任者として、アメリカ中の科学的資源を利用できる立場にあったのですが、彼は、すでに開発されていたガソリンエンジンを無視し、蒸気エンジンにこだわり、そのため彼の飛行機は、飛ぶことはできても、エンジンが重すぎて何も積むことかできず、パイロットさえ乗せられず、実用的な飛行機をつくるには、力学とガソリンエンジンの結合が必要だったのです。

以上のように、すべての知識が結合されるまでは、知識によるイノベーションのリードタイムは、始まりさえせず、重要なことは、そのイノベーションを起こすには、どのような知識が必要であるかを理解する慧眼なのです。

殆どのイノベーションに取り組んだのに、イノベーションを起こすことが出来なかった人は、どのような知識が必要であるかを理解出来なかった人たちだけであり、これは、深い思考を伴う、たいへん重要な作業なのです。

3知識によるイノベーションの条件

知識によるイノベーションは、まさにその特徴のゆえに3つの特有の条件を伴い、しかもそれは、ほかのいかなるイノベーションの条件とも異なるのです。

① 分析の必要性

第一に、知識によるイノベーションに成功するには、知識そのものに加えて、社会、経済、認識の変化などすべての要因分析をする必要があり、その分析によって、いかなる要因が欠落しているかを明らかにしなければならないのです。

しかる後に、ライト兄弟が数学的な理論の欠落を自ら補ったように、それを手に入れることができるか、あるいは、時期尚早としてイノベーションそのものを延期させるべきかを判断しなければならないのです。

ライト兄弟こそ模範であり、彼らは、原動機による有人の飛行機をつくるうえで、いかなる知識が必要であるかを徹底的に分析し、次に、情報を集め、理論的に検証し、風洞で実験することによって、補助翼や主翼の形を定めるために必要な理論を得たのです。

技術上の知識以外の、知識によるイノベーションにおいても、同じように分析が必要で、近代銀行の設立についてJ・P・モーガンやゲオルク・ジーメンスは何も書き残していないが、渋沢栄一の書いたものによれば、彼が、利用できる知識と必要な知識を分析したうえで、政府におけるそれまでの経歴を捨てて銀行を設立したことがわかり、同じように、ジョゼフ・ピューリッツァーも、必要な知識を詳細に分析したうえで、新聞には広告が必要であり、しかもそれが可能であるとの結論に達したのです。

マネジメットの分野におけるドラッカーのイノベーションの成功も、1940年代の初めに行った、同じような分析にもとづいていて、必要な知識の多く、たとえば組織論や、仕事と人のマネジメットについての知識は、すでに手に入るようになっており、分析の結果、それらの知識は散らばっており、いくつかの異なる分野に放置されたままであることが明らかになったのです。

いかなる重要な知識が欠落しているかも明らかになり、それが、事業の目的、トップ・マネジメットの仕事と構造、今日「経営方針」や「企業戦略」と呼ばれているもの、目標管理などの知識であり、そしてドラッカーは、それらの欠落した知識のすべてを生み出すことができるとの結論に達したのです。

分析を行わなければ、欠落している知識が何であるかはわからないので、分析を行わないことは、失敗を運命づけるに等しく、かつてのサミュエル・ラングレーのように失敗に終わるか、誰かほかの者に機会を与えるにすぎないことになるのです。

とりわけ教訓となるのは、知識によるイノベーションの成果をなかなか手に入れることのできないイギリスの例であるのです。

イギリスはペニシリンを発見し、開発したのですが、実際にその成果を手にしたのはアメリカであり、イギリスの科学者たちは、技術的には素晴らしい仕事をし、正しい物質を発見し、その正しい利用の方法を発見したのですが、彼らは、製造能力が決定的に重要な要因であることを理解しなかったのです。

彼らも製造技術を開発することができたにちがいないのですが、単に開発しようとしなかっただけで、アメリカの小さな医薬品メーカーのファイツァーが、培養の技術を開発し、世界一のペニシリン・メーカーとなったのです。

同じように、イギリス人は、世界で最初にジェット旅客機を構想し、設計し、製造したのですが、イギリスの企業デ・ハビランドは、何が必要であるかを分析しなかったために、1つの重要な要因を見落としてしまったのです。

その1つは、飛行機の大きさ、すなわちジェット機が航空会社に最大の利益をもたらす飛行距離と積載量の算出であり、もう1つは、同じように当たり前のことでしたが、ジェット機という高価なものを、航空会社が購入できるようにするための融資の方法でした。

デ・ハビランドがこれらについて分析を行わなかったために、アメリカのボーイングとダグラスが、ジェット機の市場を手にし、今日、デ・ハビランドは消えて久しいのです。

イノベーションのための分析は当然のことのように思われますが、実際には、科学的あるいは技術的なイノベーションを起こそうとする者が、そのような分析を行うことは稀であり、科学者や技術者は、自分がすべてを知っていると思い込んでいるために、それらの分析を行おうとせず、知識による偉大なイノベーションの多くが、科学者や技術者よりも素人を父とし、あるいは少なくとも祖父とする結果になっているのは、このためであるのです。

アメリカのGEは、財務畑の人によってつくられ、GEを大型蒸気タービンの世界的リーダー企業、すなわち電力会社への世界的供給者につくりあげることになった戦略を構想したのは、技術の素人だったのです。

同じように、IBMをコンピュータのトップ企業につくりあげたのは、2人の素人、トーマス・ワトソン・シニアとその息子のトーマス・ワトソン・ジュニアだったのです。

デュポンにおいて、ナイロンという知識によるイノベーションを成功させるために必要な要因を分析したのは、技術を開発した化学者ではなく、経営委員会の経営管理者たちだったのです。

ボーイングは、航空会社や旅客のニーズを理解することのできるマーケティング志向の人たちのリーダーシップのもとに、ジェット機の生産で世界のトップ企業となったのです。

科学や技術の素人が主導権をとることは必然ではなく、それは、意思と自己規律の問題であり、科学者や技術者のなかにも、エジソンのように知識によるイノベーションに必要なものを徹底的に分析した人は数多くいて、イノベーションを起こすには、分析の重要性を説いており、実際にイノベーションの成果を手に入れることが出来る人は、分析により、そのイノベーションの本質を理解した人たちだけなのです。

イギリスの飛行機メーカーであったデ・ハビランドが、世界で最初にジェット旅客機「コメット」を作り、結果として、破たんしたのは「コメット」が高空を飛行中に空中分解したのが原因だと、私は思っていました。

航空業界では有名な話しで、この頃はジェット旅客機による高高度飛行が始まったばかりで、高高度飛行のための、与圧室による疲労破壊の原理が分かっていなかったのですが、ドラッカーによれば、技術的な問題ではなく、その他の条件、機体の大きさによる経済合理性、販売方法に問題があり、技術者だけで解決出来る問題ではなく、それ以外の方が大きい比重があったのです。

昨日は、ラーメン学校の経営講義の2日目で、昨日は事業計画書、商圏分析の話があり、海外での事業計画書を作り、商圏分析の話をしたのです。

海外のお客さまが当たり前のように来られるようになり、英語の教材も増えてきたのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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