本日のテーマは「戦略は前提条件で決まる」です。
今回の休みでも、日々深い思考に耽っているのですが、今回最も興味深かったことが、戦略の前提条件です。
ビジネスにおいて、どのような戦略を採用すれば成果が上がるのかの前提条件として、環境が将来、どのように変化するかという、将来の環境の変化を予測することが出来れば、ビジネスの成功の可能性は非常に高まるのです。
もう1つの前提条件として、将来、自社、自店の生存している環境を、自分でコントロールすることが出来れば、ビジネスの成功の可能性は高まるのです。
要するに、1つ目の前提条件が環境の変化の予測の可能性であり、環境の変化を予測出来る業界とそうでない業界があるのです。
2つ目の前提条件の環境の変化を自分で作り替える(コントロール)出来れば、ビジネスはもっと楽に勝ち易くなり、自分で作り替える(コントロール)出来る業界と、そうでない業界があるのです。
従って、前提条件の違いによって、下記のように、4つの異なった象限のビジネスに分類されるのです。(出典:BCGの最新コンセプト「戦略パレット」で勝利をつかめ!)
1.予測可能で、作り替えることが出来ない業界(クラシカル型)
2.予測不可能で、作り替えることが出来ない業界(アダプテイブ型)
3.予測可能で、作り替えることが出来る業界(ビジョナリー型)
4.予測不可能で、作り替えることが出来る業界(シェーピング型)
例えば、国内の麺ビジネスの市場を上記の4つのどれに当てはまるかを考えてみます。
国内の麺ビジネスの市場環境が将来どのように変化するかは、ある程度将来が読めるのです。
その大きな根拠は人口構造の変化で、外食ビジネス市場全体が1997年にピークを打った後、ピーク時の2割近くも減少しているにも関わらず、うどん蕎麦店市場は、ずっと伸び続けているのは、外食産業全体は生産年齢人口に大きく左右されているのですが、麺市場は高齢者人口が増加の一途であり、この間、総人口の変動はほとんどなかったので、高齢者人口の増加に合わせて、最近でもうどん蕎麦市場は伸びているのです。
そして、これからも高齢者人口は伸び続けているので、うどん蕎麦店市場は、外食産業全体のように、それほど大きく落ち込まないことが想定されるのです。
しかし、うどん蕎麦店市場全体では決して落ち込みはないのですが、同じうどん蕎麦店市場内にあっても、既存のサラリーマン対象の生業店のほとんどは、売上を落としているのは、生産年齢人口が減少しているためなのです。
このようにして、分析することにより、簡単にビジネス環境の未来を知ることが出来るので、麺市場は将来予測が簡単なビジネスと言えるのです。
次に2つめの前提条件である環境を将来、作り替えることが出来るかどうかですが、うどん蕎麦店市場はその気になれば、作り替えることが出来る市場であることを、セルフのうどん店大手の「はなまる」と「丸亀製麺」の短期間での大成功が証明してくれているのです。
従って、麺ビジネスは、将来の環境を予測することも出来るし、作り替えることも出来るビジネスであるので、上記の3の予測可能で、作り替えることが出来る業界(ビジョナリー型)であるのです。
ところが、ほとんどの業界内にいる人たち、或いは新規参入者の人たちは、予測可能で、作り替えることが出来るビジネスであるとの理解なしにこの業界に参入し、過去のビジネスモデルにしがみついて、成果が得られない状態に陥っているのです。
そして、上記のBCGによれば、3番目のビジョナリー型戦略が通用するビジネスは、成長ポテンシャルが大きく、ホワイトスペース(成長余地)が充分あり、直接的な競合企業が存在しないとの良いことずくめなのです。
基本的な思考フローとしては、構想の構築と一貫性を持った貫徹が大切であり、信じたら、揺るがないでやりきることが大切で、この辺は丸亀製麺の成功を見ると良く分かるのです。
そして、成功の評価基準は、市場のパイオニアになることが出来ることであり、新たな価値提案に対する顧客満足度が大きく得られることが分かり、セルフのうどん店ビジネスが日本の麺市場を変えてしまったのです。
このようにして考えると、われわれはとんでもない、無限の可能性の中でいることが分かるのです。
以上は、国内の麺市場をBCGの「戦略パレット」に基づいて分析してみたのですが、同時に当社が行なっているさまざまなビジネスも同じように分析してみると、ビジネス毎に異なった象限の中にいて、取るべき戦略が異なることが分かったのです。
このように、戦略にはそれぞれに相応しい前提条件があり、麺ビジネスを始める当っても、それぞれの持っている前提条件によって、取るべき戦略が異なるのです。
前提条件としては、資金額(資金的資源の差)、経験、ビジネスへの情熱の差、理解度の差、習熟度の差、人的資源(従業員)の差、EQ度(人間力)の差、地域環境の差、店舗規模の差等々により、取るべき戦略が異なるのですが、ほとんどの方は、同じような店を開きたがるのです。
もう一度、自分の前提条件について、深く考察すると、今まで見えていなかった、明るい未来が見えてくるかも知れません。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
第12章 起業家としてのマネジメント
既存の大組織であれ、新しい小さな事業であれ、起業家精神には共通の原理があり、企業、非営利組織、政府機関のいずれでも変わらなく、基本はまったく同じで、機能する方法も機能しない方法もほとんど同じで、イノベーションの種類や機会もほとんど同じであり、いずれも、体系的なマネジメントを必要とするのですが、既存企業はベンチャー・ビジネスとは異なる問題、限界、制約に直面し、学ぶべきことも異り、単純にいうと、既存企業は、いかに既存の事業のマネジメントを行うかは知っていますが、いかに起業家たるべきか、いかにイノベーションを行うべきかを知らないのです。
非営利の社会的機関もまた、特有の問題に直面し、特有の学ぶべきことを持ち、特有の間違いをおかすので、同じようにベンチャー・ビジネスも、いかに起業家たるべきか、いかにイノベーションを行うべきかを知らず、とくに、いかにマネジメントを行うべきかを知らないのです。
◆起業家のための手引き
したがって、既存企業、社会的機関、ベンチャー・ビジネスのそれぞれについて、起業家としてのマネジメントを実践するための、具体的な手引きが必要であり、何をなすべきか、何に気をつけるべきか、何を避けるべきかについての手引きが重要であり、理屈からいえば、医学の勉強は、胎児と新生児から始めるべきかもしれないのであり、同じように、起業家精神についても、ベンチャー・ビジネスから始めるべきかもしれないのですが、実際には、医学部の学生は、成人の解剖と病理から始め、起業家精神についても、同じように[成人]、つまり既存企業の戦略、実践、問題から始めることにします。
◆既存企業における起業家精神
既存企業、とくに大企業は起業家としての能力を身につけないかぎり、急激な変化とイノベーションの時代を生き抜くことはできず、しかも20世紀末という時代は、第1次大戦の勃発まで、50年から60年続いた経済史上最後の偉大な起業家時代とは、まったく様相を異にし、あの頃、大企業はあまり多くなく、中堅企業さえあまりなかったので、今日、既存企業が起業家としてのマネジメントを習得することは、彼ら自身のために必要とされるだけではなく、彼らには、その社会的な責任があるのです。
1世紀前とは対照的に、既存企業とくに大企業の急激な崩壊、すなわちシュンペーターいうところの「創造的破壊」は、それだけでは、雇用上、金融システム上、社会秩序上、そして政府の役割上、深刻な社会的脅威を招きかねず、既存企業は、変化していかなければならないのであり、何ごとがあろうとも、大きく変化していかなければならないのです。
今後25年間に、先進国で製造業に従事するブルーカラー労働者は、今日の3分の1まで減少し、しかもその間、生産高を3倍から4倍に増加させなければならず、まさに、第2次大戦後の25年間において見られた、アメリカの農業の発展に匹敵する経済的成果を実現しなければならないのですが、このドラッカーの予言は見事に当たり、ブルーカラーの労働生産性は大きく伸びたのですが、ブルーカラーの数が大幅に減少し、その分、ホワイトカラーの数が大幅に増加し、問題は、増加したホワイトカラー(ドラッカーの言うところの知識労働者)の労働生産性が充分に上がっていないことなのです。
この壮大な転換期において、社会の安定を確実なものとするためには、既存企業がいかに生き残り、いかに繁栄していくかを学ぶ必要があり、そしてそれは、起業家として成功するための方法を学んで、はじめて可能となり、われわれは、必要とされる起業家精神の多くを、既存企業に期待せざるを得ず、もちろん大企業のなかには、今後の25年を生き残れないものがあるかもしれず、むしろ中堅企業のほうが、起業家的なマネジメントを志向して組織されるならば、起業家あるいはイノベーションの担い手として成功する可能性は高く、既存企業にこそ、起業家的なリーダーシップの潜在能力があり、既存企業は必要な資源、とくに人材を持っていて、すでに既存の事業をマネジメントしており、マネジメントのチームをつくりあげているので、既存企業こそ、起業家としての機会を持つとともに、その責任も負っていて、既存企業の課題は起業家的なリーダーシップで、イノベーションを起こし続け、知識労働者の労働生産性を上げ続けることであるのです。
◆社会的機関における起業家精神
同じことが、社会的機関、すなわち政府機関や非営利組織についても言え、病院、学校、大学、地方自治体、さらには、赤十字、ボーイスカウト、ガールスカウトなど、コミュニテイのボランティア団体についても言え、宗教団体や、職業別、業界別の団体についてもいえるのです。
急激な変化の時代には、それまで重要な地位を占めていたものの多くが陳腐化し、少なくとも、問題への取り組み方の多くが無効となり、同時に、そのような時代には、新しい課題、実験、イノベーションの機会が生まれ、そして何よりも、社会の支配的な認識や空気が大きく変化し、1776年のアダム・スミスの『国富論』によって始まった自由放任(レッセ・フェール)の1世紀は、1873年の恐慌により終わりを迎え、その1873年から今日までの間、近代的、進歩的、前向きということは、社会的な変化や改革の機関としての役割を政府に期待することを意味したのですが、今日、良し悪しは別として、そのような期待は、先進国では終わりを告げたのです。
われわれはまだ、リベラルの次の波が何であるかを知らないのですが、われわれは、1930年代、さらにはケネディやジョンソンの1960年代におけるリベラルや進歩派の考え方が、進歩的どころか反動にすぎなかったことを知っているのです。
われわれは、民営化(民営化とは、ドラッカーが『断絶の時代』〔1969〕においてつくった造語)、すなわちもろもろの活動を政府の手(必ずしも企業ではないとしても)から、政府以外の手に戻すことが、どこまでうまくいくか、どこまで行いうるかを知らないのですが、われわれは、もはや、かっての約束に対する希望や期待や信念にもとづいて、国有化や規制強化の方向に向かうことはありえず、その方向に向かうのは、不満や挫折の結果としてありうるだけであり、そしてそのような状況が、今日、社会的機関に対し、起業家としてイノベーションを行うべき機会と責任をもたらすのですが、社会的機関は、まさに社会的機関であるがゆえに、特有の障害と課題に直面し、特有の間違いをおかす恐れもあるので、社会的機関における起業家精神については、既存企業とは別に論じなければならないのです。
◆ベンチャー・ビジネスのマネジメント
最後にベンチャー・ビジネスがあり、ベンチャー・ビジネスは、過去のあらゆる起業家の時代においてそうであったように、また今日のアメリカの起業家経済においてそうであるように、イノベーションの主たる担い手でありつづけ、アメリカでは、起業家の候補には事欠かかず、ベンチャー・ビジネスが不足することはないのですが、それらのほとんど、とくにハイテクのベンチャー・ビジネスは、起業家としてのマネジメントについて多くを学ばなければならず、単に生き残るためにも、それらを学ばなければならず、これら3種類の組織のいずれにおいても、起業家精神にあふれたリーダーと凡庸なリーダーとの格差は絶大であり、しかし幸いにして、起業家精神の成功例もまた豊富であり、起業家としての原理と方法のいずれについても、また診断と処方のいずれについても、体系的に提示することが十分可能であるのです。
以上のように、企業のリーダーは、リーダーシップを発揮し、マネッジメントを学び続け、イノベーションを普段の仕事として起こし続けなければいけないのです。
結局連休中は、ほとんど自宅の周りでいて、瞑想、散歩、筋トレ、読書、仕事、思考に明け暮れました。
昨日は、久しぶりに家族で墓参りに行きましたが、早いもので親爺が亡くなってもうすぐ13回忌の法事です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。