今週の5月19日に[関西]外食ビジネスウィーク 2016 専門セミナー】にて、午後12時20分より、私のセミナー「変化への対応、生き残るための重要な【売上UP戦略法】」があります。
本日のテーマは「一瞬、一瞬を真剣に大切に」です。
一昨日まで東京支店で麺学校の経営講義があり、今回もさまざまな人生を生きてきた生徒さんと2日間、真剣勝負で応対し、生徒さんの今まで生きてきた過去の人生が読み取れるような授業でした。
2日間にわたる真剣勝負の授業を行ない、生徒さんの授業を受ける姿勢、質問の内容を聞けば、今までの今までの生きてきた人生を知ることが出来るのです。
そして、これからの生徒さんがどのような人生を生きていくだろうということも大凡、想定出来るのです。
参加した生徒さんの中には、熱心に参加している方がたもいて、私は生徒さんの人生に大きな責任を負っているので、感じている本当のことしか、絶対に言わないのです。
だから、私の経営講義は一般的な普通の学校の授業とはまったく異なるので、このような真剣勝負の授業に慣れていない生徒さん、或いは遊び半分で参加している生徒さんにとっては、心地良くない授業であるかも知れません。
これからの人生を真剣に生きていこうと、取り組んでいる生徒さんたちにとっては知らなかったこと、分からなかったことがすべて理解出来る、たいへん心地良い授業ではないかと思います。
私は当社のスタッフ、麺学校の生徒さんたちに勧めている生き方として、どんな些細なことでも、力を抜かずに真剣に取り組むことです。
真剣に取り組めば、どんな仕事でも楽しくなり、例えば、コピーを取るような単純な仕事でも真剣に取り組めば、難しいことが分かるのです。
書籍等の最高にきれいなコピーを取ろうと思うと、本の中心をシッカリ押さえ、角度を合わせ、濃度を最適に調整しないと、きれいなコピーは取れないのです。
どんなに単純に見える仕事でも、常に最高の仕事をしようと思って、どうすればもっと良くなるのか、もっと早くきれいに仕上げるにはどうすれば良いのかと考えながら取り組むのと、過去の延長線上で、何となく取り組むのでは、自分自身の成長がまったく異なり、人生が大きく異なってくるのです。
私の経営講義も常に、過去の経営講義よりもはるかに素晴らしい経営講義にしようと思って、毎回、真剣に取り組んでいても、私の経営講義は私だけでは完結しないので、生徒さんたちにも、熱心な参加を呼び掛けているのです。
生徒さんが熱心で、前向きであればあるほど、私のモチベーションも上がり、経営講義の質も上がるのです。
しかし、今回の東京支店での経営講義はハッキリ言って、あまり熱心に参加してくれなかったのです。
始まった時点で、そのことが分かったので、生徒さんから事前に出ているアンケートの質問に対する回答の時間を充実させて、この回答の時間をうんと長く取ったのです。
すると、案の定、その後の教科書の内容に関する質問は非常に少なかったのです。
そして、生徒さんの中には、非常にネガテイブな、あり得ない質問に終始する生徒さんまでいたので、このような生徒さんのお蔭で私自身の大きな学びを得ることが出来たのです。
あり得ないような質問にも、丁寧に答えることによって、講義の内容を進化させることが出来ることが分かったのです。
今までは、どちらかといえば、素直、プラス発想、学び好きでない生徒さんは敬遠していたのですが、このような生徒さんも私にとっての学びが深まることが分かったので、これからはこのような生徒さんも大歓迎で、どんな生徒さんでも大歓迎したいと思います。
当社の麺学校は歴史も長いので、過去多くの生徒さんを輩出し、成功している生徒さんに共通していることは、素直、プラス発想、学び好きで、ものごとに真剣に取り組んでいる人たちばかりです。
そして、その人たちのそのような素養は、学校の中で得られたというよりも、学校に参加したときには既に出来上がっていて、学校の中でさまざまな教えを受けて、更に強化された人ばかりなのです。
今も私の頭の中には、多くの成功している生徒さんたちの姿が浮かんできますが、それらの生徒さんたちは皆、参加した時点で、すでに素晴らしい人間力を持っていた人たちばかりでした。
素晴らしいものを持っていたのですが、さらに磨きがかかり、そして、さまざまなノウハウを知り、それを基に熱心に研鑽を続け、成功し続けている人たちばかりなのです。
だから、大切なことは普段の日々の一瞬一瞬の油断のない生き方で、普段の生き方で、人生のすべてが決まっているのです。
今生きている一瞬、一瞬をどのように過ごしているかで人生が決まり、歩く時も漫然と歩くのではなく、一歩、一歩、力強く大地を踏みしめ、目は前を見据え、大きな呼吸をして、俺は生きているぞと言えるような生き方が大切ではないかと思います。
一瞬、一瞬を妥協のない、勝ちの人生を送ることが大切であると思うのです。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆目的の大義化
第3に最も大きな障害として、つまるところ、社会的機関は、善を行うために存在するので、自らの使命を道義的な絶対的存在とみなし、経済的な費用効果の対象とはみなさないことを意味し、経済の世界では、より大きな成果を得るために、つねに資源の配分を変え、すべてが相対的ですが、社会的機関においては、より大きな成果などというものは存在せず、善を行うのであれば、より大きな善などというものはなく、善を求める活動において目標を実現できないということは、努力を倍加すべきことを意味し、予想した以上に悪の力が強かっただけのことであり、さらにいっそう闘わなければならないのです。
何千年も前から、あらゆる宗教の伝道師たちが、肉欲に克つべきことを説いてきたのですが、ほとんど成功していないこの事実は、彼らの活動の是非にとっては関係のないことであり、確実に成果を生むことのできる使命に力を入れるべきであるといっても、耳は貸してもらえないだけで、努力を倍加すべき理由にされるだけであり、肉欲に克つことは倫理の問題であり、費用対効果を超えた絶対のものであり、もちろん、自らの目標をこれほど絶対視している社会的機関は、それほどはないのですが、企業の人事や製造部門のスタッフでさえ、自らの任務は善を行うことであり、費用効果を超えた絶対のものであると考える傾向があり、つまり社会的機関は、最適化ではなく最大化を目指すのです。
したがって、飢餓撲滅運動のリーダーは「地球上に飢えている子供が1人でもいるかぎり、われわれの使命は終わらない」とし、「現在の配給システムが到達しうる地域の子供たちの可能なかぎり多くが、発育不全にならないだけ食べられるようになれば、われわれの使命は終わる。」と言おうものなら、リーダーの地位を追われるだけであるのです。
目標が最大化にあったのでは、目標はけっして達成されることがなく、それどころか、達成に近づくほどいっそうの努力が求められるのは、目標の75パーセントあるいは80パーセントという最適値を超えるや、得られる成果は指数関数的に小さくなり、必要とされるコストは指数関数的に大きくなるからであり、こうして、社会的機関は目標の達成に近づくほど不満を感じ、よりいっそう力を入れることになり、しかも成果があがらなくとも、成果があがっているときと同じように行動するのです。
社会的機関は、その目標の成否にかかわらず、イノベーションや新しい事業を、自らの基本的な使命、存在、価値、信念に対する攻撃として受けとり、これがイノベーションにとって深刻な障害となり、これこそが、社会的機関におけるイノベーションが、なぜ既存の機関からではなく、ベンチャー的な機関から生まれるかの理由であり、その最もよい例が、おそらく労働組合であり、先進国では、今世紀最も成功した社会的組織は労働組合であり、それは明らかに所期の目的を達成し、先進国においてGNPに占める労働者の取り分が90パーセントにおよび、オランダをはじめとするいくつかの国においては、ほぼ100パーセントになっている今日、もはやより多くの取り分は残っていないのですが、今日、労働組合は、新しい挑戦、目標、貢献について検討することさえできず、彼らが行うことは、相も変わらず昔からのスローガンを繰り返し、昔ながらの闘いをするだけで、労働者の大義は絶対の善だからで、見直すことはもちろん、考えてみることさえしてはならないのです。
大学も、労働組合に次ぐ成功と成長を実現したために、労働組合と同じ状況にあり、社会的機関でも、成果を上げる必要性、重要性は企業の場合と変わらず、時代、時代に合った明確な目的がないと、社会的機関も世の中の荷物に成り下がるだけで、最近、国内で話題になっているNHKも社会的機関の一つであり、多くの国民から税金徴収と同じような形で、視聴料を集めているので、国民からの理解を得ることは欠かせず、社内においても、総務部門等は同じことが言えるのです。
◆いくつかの成功例
もちろん社会的機関のなかには、既成の大組織を含め、イノベーションを行っているものも多く、アメリカのあるカトリック司教区では、百貨店の元人事担当副社長などの既婚女性を事務長に任命するとともに、秘蹟(サクラメント)を除くあらゆる活動を一般信者に任せていて、その結果、全米の司教区が司祭不足に悩んでいるなかにあって、この司教区だけは司祭の数に余裕があり、秘蹟を充実させているのです。
科学団体のなかでも最も歴史のあるアメリカ科学振興協会は、1960年から80年にかけて自らの性格づけを変え、科学界のリーダーとしての地位を維持しつつ、国民的組織へと脱皮し、そして週刊の機関誌『サイエンス』を、科学政策に関する権威ある解説誌、素人にもわかる充実した大衆誌へと刷新したのです。
アメリカ西海岸のある大病院は、1965年頃、アメリカの医療制度がまさに医療の成功の結果、変化しつつあることを知り、ほかの都市部の病院が病院のチェーン化や外来診療センターの設立という趨勢に抵抗していたなかで、進んでイノベーションを行い、変化の先頭に立ち、アメリカではじめて宿泊中心の格安の妊産婦センターを設置し、外来の外科センターをつくり、マネジメント上のサービスを中心にして、地域の小病院をチェーン化したのです。
今世紀初めに創設され、数百万人の隊員を擁するアメリカのガールスカウトは、1975年頃から、隊員、活動、ボランティアの3本柱についてイノベーションを行い、黒人、アジア系、ラテン系の女の子たちの隊員を募集し、その結果、今日ではマイノリティの子供たちが、全隊員の5分の1を占めるにいたり、また、女性が専門職や経営管理者の地位に就くことが一般化したことを受けて、主婦や看護婦に加えてキャリアウーマンを役割モデルとすべきことを認識し、訓練プログラムの内容を変えたのです。
ガールスカウトは、自らの活動にとって決定的な制約要因であるボランティアの供給源だった専業主婦の母親の減少にも見舞われたのですが、社会進出した母親たちが一つの機会であり、彼女たちに提供しうるものがあることを知り、ボランティアとしての仕事を、働く母親たちにとって、自分の子供と楽しみつつ、その成長に手を貸すための魅力ある機会とし、さらには、まだ小さな自分の子供に十分な時間を割けない働く母親たちのために、就学前の女の子を隊員とするスカウトをつくり、こうしてガールスカウトは、隊員とボランティアを減少させるどころか増加させたのですが、その間、歴史があり資金的にも豊かで、規模も大きかったボーイスカウトは、低迷を続けていたのです。
以上のように、社会的機関も役割が明確である場合と、役割が明確でない場合では、結果がまったく異なり、役割分担、目的の明確化は欠かせないのと、企業と同じように、イノベーションの機会を探っていかないと、いつかは時代遅れになり、不要な存在になってしまい、弱体化するのです。
画像は、3年前のシアトルで訪問した地元でたいへん人気のシーフード・レストランの盛り付けです。
器の使い方がたいへん参考になります。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。