ラーメン・うどん・そば・パスタ開業で成功店に!|「イノベーションと起業家精神(上)」「産業の不安定性」

オーガニック食堂のスタッフの退職

久しぶりに、昨日から本社で、午前中から親しいお客さまが来られ、お客さま方と最新の情報交換をしました。

昼食時間からは、デザイナーの方がたと一緒に、社内のオーガニック・レストランで打合せをしながらの食事、食事の後は継続して打合せを行ない、昨日はほぼ社内での打ち合わせの時間になりました。

その後、讃匠のだしの試食を終え、麺學校の松原部長と打ち合わせをしようとして麺學校へ向かうと、今年、開店を控えているお客さまが来社されていて、レイアウトの打合せを依頼され、その後、ずっと打ち合わせを行ないました。

このお客さまは島根県の辺鄙な場所で、女性とシニアを対象にして、カフェのようなうどん店を計画しているお客さまです。

店内のレイアウトをチェックするために、周辺の状況を確認してみると、小高い山の中腹に点在する住宅と、畑に囲まれた店舗で、見晴らしの良い場所です。

カフェには最適な、素晴らしい環境のようなので、その環境を活かすと、面白い店が出来そうです。

以前、訪問した鳥取の山の中に素晴らしいカフェがあったのを思い出しました。
http://tabelog.com/tottori/A3101/A310102/31002061/
http://www.oenosato.com/

このカフェは、健康的な卵という強力な商品が最初にあって、その卵を利用したカフェを行ない、卵かけご飯とか、その卵を使ったパン・ケーキ等が看板商品であり、高い商品力だけではなく、サービス・レベルも素晴らしく良かったのです。

従って、カフェにも、そのような強力な何かが必要なのです。

私が昨日提案したのは、オーナーがこだわった野菜畑を作っているので、その野菜を使ったサラダ・バーとか、フルーツ・バー、デザート・バーです。

当社の社内のオーガニック・レストランでもサラダ・バーは女性たちに大人気なのです。

そして、社内の慰労会では、一番先に女性たちが群がるのは、肉のコーナーとスイーツのコーナーです。

従って、女性をターゲットの店の場合、スイーツとサラダ・バー、肉類は欠かせないのです。

そして、楽しい店の演出も欠かせないのです。

楽しさの演出は、建物の内装、外装、料理の盛り付けのきれいさ、斬新な面白さ、人によるサービス面での楽しさも重要なのです。

そして、そのような店を作ろうとすると、オーナー自身が体験していないと、作ることが出来ないのです。

今回も、海外から、各地からたくさんの生徒さんたちが麺学校に参加していますが、彼らが成功するかどうかも、多くのものを体験しているかどうかが、大きい影響があるのです。

自分自身の強みに根差していることは大切なことではあるのですが、飲食ビジネスは、総合芸術なので、多岐にわたる分野に興味を持つ必要があるのです。

ところが、いまだに味だけとか、料理だけとか、偏った分野だけに精通すれば、飲食ビジネスで成功すると思っている人たちが多いようです。

そのような人たちの中には、自分は人と一緒に仕事をするのが苦手なので、誰も雇わないで一人でやるという方もいます。

ところが、飲食ビジネスこそ、人を幸せにするビジネスなので、一人で仕事をするのが好きな人には、非常に難しいビジネスであると、言わざるを得ないのです。

本日のドラッカー・マネッジメントは自動車業界の産業構造の変革と、イノベーションについてですが、私はこの業界のことがよく分かるので、たいへん興味深く、どの会社がどのような戦略で現在まで生き残っているかには、たいへん参考になります。

自動車業界は既にグローバル化を終えて、最終戦争の時代に向かっていますが、われわれの業界は丁度、グローバル化に向かっているところです。

自動車業界をわれわれの先輩の業界として、勉強材料にすると、われわれがこれから何をしなければいけないかがよく分かります。

来週、3月24日(火)には、東京支店では新規開業セミナーを開催し、熱血講師の藤澤常務が担当します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2022&ref=top

新規に開業を志している方がたへ、自分にとって麺専門店を開業することが、正しい人生であるかどうかの素晴らしい判断材料になり、方法を誤らないための指標になります。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

第六章 産業構造の変化を知る  第四の機会

1.「産業の不安定性」

「産業構造は不変か」

産業や市場の構造は、下記のように永続的であって、きわめて安定的に見えるのです。

世界のアルミ産業は、基本特許を持っているピッツバーグのアルミニウム・カンパニー・オブ・アメリカと、そのカナダの系列会社、モントリオールのアルキャンによって、1世紀の間支配されてきたのです。

世界のタバコ産業は1920年代以降、大手の新規参入者としては南アフリカのレンブラント・グループを迎えただけであったのです。

世界の家電業界でこの1世紀間に登場した大手メーカーは、オランダのフィリップス社と日本の日立だけだったのです。

アメリカの小売チェーン業界では、シアーズ・ローバックが通信販売から小売店舗業に進出し、1920年代から、10セント・ストアのクレスゲがデイスカウント・ストアのKマートを始めた1960年代までの40年間に、大手の新規参入はなかったのです。

従って、産業や市場の構造は非常に安定的に見えるため、内部の人間は、そのような状態こそ秩序であり、自然であり、永久に続くものと考えるのですが、現実には、産業や市場の構造は脆弱であり、小さな力によって、簡単に、しかも瞬時に解体するのです。

そのとき、その産業に属するあらゆる者が、直ちに行動を起こさなければならなくなり、昨日までと同じ仕事のやり方をしていたのでは惨事を避けられなり、潰れ、少なくともトップの地位を失い、その地位はほとんど取り戻せないのです。

しかし産業や市場の構造変化は、イノベーションをもたらす機会でもあり、実にそれは、その業界に関わる全ての者に対し、起業家精神を要求し、あらゆる者が 「わが社の事業は何か?」を改めて問わなければならなくなり、あらゆる者が、この問いに対して新しい答えを出さなければならなくなるのです。

以上のような産業と市場の構造変化が、自動車産業では下記のように、何度も起きたのです。

「自動車産業の構造変化の第一の波」

20世紀の初め、世界の自動車産業が破竹の勢いで成長し、市場の構造が大きく変化したのですが、この変化に対しては4種類の対応が取られ、いずれも成功を収めたのです。

それまで「馬車階級(金持ち階級)」用の贅沢品だった車の売り上げが、3年ごとに倍増し、市場が急速に拡大したのです。

「第一の対応」

1906年に創立されたロールス・ロイスの戦略は、車が普通の商品になる事を見越し、逆に王侯の象徴となる車に特化することにし、そのため、熟練工が手作業によって1台づつ生産するという、当時でさえ時代遅れになっていた生産方法に戻したのです。

顧客に対しては、半永久的な使用に耐えることを約束し、ロールスロイス自らが運転手を訓練し、売る相手も原則として爵位を持つ者に限定したのです。

並の人間は間違っても買うことがないように、ほぼヨットと同じ価格、熟練工や繁盛している商人の年収の40倍に相当する価格を付けたのです。

「第二の対応」

その数年後、デトロイトでヘンリー・フォードという若者が、自動車市場の変化を見て、同じく車が金持ちの贅沢品ではなくなったことに気づいたのですが、彼の対応は、半熟練工によって大量生産する車、しかも車の所有者自身が運転し、修理さえ出来る車だったのです。

とはいえ、1908年のT型フォードは、今日伝えられているほどの低価格車ではなく、当時、世界最高の収入を得ていたアメリカの熟練工の年収を上回っていたのです。
(今日、アメリカ市場で最も安い車は、未熟練工の年収の10分の1なのです)

しかし、それでも、T型フォードは、それまでの最も安い車の約5分の1の価格であり、運転も修理もやさしかったのです。

「第三の対応」

同じころ、ウイリアム・クレイポ・デユラントというアメリカ人が、自動車市場の変化を見て、やがて膨大な市場になる事を見越し、あらゆる階層を客とする自 動車メーカー、専門経営者がマネッジメントする自動車メーカーを作り、1908年にGMを設立し、他のメーカーを徐々に吸収合併していったのです。

「第四の対応」

その少し前の1899年、ジョヴァンニ・アニエッリというイタリアの若者が、自動車が軍の必需品、とくに将校用車両となり得ることを見越し、彼がトリノに 設立したフィアットは、数年後にはイタリア軍、ロシア軍、オーストリア・ハンガリー軍の将校用車両のメーカーになったのです。

自動車産業の構造変化の第一の波は、既に100年以上も前に起きた出来事で、既に100年後に生きているわれわれは、第一の波、第二の波、第三の波の結果もすべて知っているのです。

そして、2013年における世界の自動車メーカーの販売ランキングは次のようになっています。(カッコ内は前年順位と増減率、▲はマイナス)

1位(1)トヨタ 998万台 (2%)
2位(3)VW 973万台 (5%)
3位(2)GM 971万台 (4%)
4位(4)日産・ルノー 826万台 (2%)
5位(5)ヒュンダイ 756万台 (6%)
6位(6)フォード 633万台 (12%)
7位(-)FCA 435万台 (3%)
8位(7)ホンダ 428万台 (12%)
9位(8)PSA 282万台 (▲5%)
10位(9)スズキ 269万台 (2%)

(注記)*FCAはフィアット・クライスラー・オートモーティブ、同じく、PSAはプジョー・シトロエン・オートモテイブ

構造変化、第一の波において4つの異なった対応をしたメーカーは、現在、すべて生き残っていますが、第一の対応をした、ロールス・ロイスは、既に元の状態ではなく、BMW傘下になっています。

第二の対応を行なった、フォードはアメリカのビッグ・スリーの中で唯一、破綻を免れたのですが、第三の波では相当、本体を揺さぶられて、破綻の寸前までいったのですが、踏みとどまりました。

第三の対応を行なったGMは、第三の波では小型化と品質向上に乗り遅れ、破綻後、アメリカ政府による救済が行なわれ、再上場の後は、順調に伸びているのです。

第四の対応を行なったフィアットも決して順調とは言えないまでも、したたかに生き残り、クライスラー他、多くのメーカーを傘下に入れて、世界ランキングでは第7位につけているのです。

第一の波で、生き残った自動車メーカーとそうでないメーカーを比較すると、生き残ることが出来たメーカーは、生き方を明確にしたメーカーだけであり、生き 方(要するに、命の使い方、即ち、使命)を明確にしたメーカーだけが、第一の波を上手く乗り越えることが許されたのです。

そして、現在、世界ランキング10位以内にいるメーカーのうち、第一の波の時代に存在していたメーカーは、3位のGM、6位のフォード、7位のフィアットの3社だけなのです。

現在、ランキング10位以内に駒を進めているメーカーも決して安泰な位置にいるのではなく、新興国市場の台頭と内燃機関から、電気自動車、燃料電池等の新しいエネルギーの時代を迎え、厳しい技術革新に生き残れるメーカーであるかどうかが問われているのです。

あと100年経ったら、今日の上位10社もほとんどの会社は残っていないか、或いは、もし残っていても、会社の形は相当変わってしまっているのではと、思います。

このように、100年経ったら、産業構造も大きく変貌し、昔隆盛を極めていた会社のほとんどは消え去り、新しい時代を迎えていることがよく分かります

現在に生きるわれわれも、将来のために、今、何をしなければいけないかが、問われているのです。

今朝は全体朝礼があり、恒例の今月の誕生日のスタッフのお祝いと、社内のオーガニック・レストランで毎日、美味しくて、健康に良い料理を作ってくれているスタッフが、御主人の仕事の都合で、当社を離れなければいけなくなったので、お別れの花束贈呈を行ないました。

われわれも残念ですし、別れていくスタッフも淋しがっていました。

また、チャンスがあれば、ぜひ、戻って欲しいと思います。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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