昨日はラーメン学校の最終日で、生徒さんたちのスープの味を決定し、作品の完成の日でした。
今回のラーメン学校の生徒さんたちは、先週の土曜日の経営講義からスタートして、昨日が最終日であったのですが、初日と最終日の顔つきは大きく変化を遂げていました。
顔つきだけではなく、表情、態度、真剣度の大きく変わった生徒さんがいて、最終の卒業証書を手渡しながら、そのことを伝えました。
生徒さんからも、普通の学校に参加したような気分で最初は参加したのですが、日数を重ねる毎に麺學校並びに当社が普通の学校、普通の会社とは異なることが分かり、気持ちが引き締まり、真剣度が大きく変わって来たとの報告がありました。
そのような声を聞くのは、学校の主催者としても本望であり、当社の麺學校の中から、一人でも多くの成功者が出てくることが、当社の麺學校の一番大切にしていることなのです。
当社の麺學校に参加することにより、他では得られない体験をし、人生が良い方向に大きく変わることが出来れば、こんなに嬉しいことはありません。
これを実現しようとすると、一番の近道は当社のスタッフたちを大きく変えてしまい、変え続けることなのです。
人が変わる一番の近道は、取り組んでいることを好きになり、真剣に打ち込むことなのです。
そして、深く掘り下げていくと、自然に幅が広がるので、関連している分野に、徐々に打ち込める対象を増やしていくことなのです。
そして、その分野における世界的な専門家になることなのです。
インターネットの存在していなかった昔は、国内でトップ・クラスの専門家になれば通用していたのですが、今は、国内はもちろん、世界的な専門家にならないと通用しない時代になってきました。
例えば、料理専門家でも国内で幾ら有名になっても、世界で有名にならないと、通用しない、大きな成果の得られない時代になってきたのです。
あらゆる仕事、あらゆるビジネスがグローバルになってきたので、頑張る人には、ますます、面白い時代になってきたのです。
最近、私は盛り付けとドラッカーの研究にはまっているのですが、盛付も打ち込めば打ち込むほど、面白くなってきます。
そして、4月11日(土)に本社にて、あるお客さまの要望により、カフェ・メニューであるスイーツとドリンクについて、勉強会の予定です。
親しいお客さま中心で、少人数での開催を考えていますので、興味のある方は是非、ご参加下さい。
これからは、麺とカフェは切り離せない関係になると思っているので、カフェ・メニューの研究も深めていきます。
スイーツとフードの境目が少なくなって行くにつれ、ますます、スイーツの研究もわれわれのビジネスに大きく影響を及ぼしていくことでしょう。
スイーツの研究も今までのパテシェの立場からだけではなく、麺の研究家としての立場から、研究すると違ったものが見えてくるのです。
麺のスイーツ、ドリンクの融合は、これからのフード・ビジネスには、欠かせない視点だと思います。
昨日のラーメン学校も、ボストンから飛び入り参加した広本さんのトマト・ラーメンの盛り付けを少し、フルーツでアレンジしてみました。
広本さんは、昨年の7月にラーメン学校を卒業し、ボストンで経営しているスーパー・マーケットでハーフ・ラーメンを販売しているので、盛付もなかなか工夫がありました。
盛り付けの素晴らしさも、日々の実践を通じて磨かれていくのですが、それを意識しているのか、そうでないのかは、結果として大きな差が生まれてくるのです。
14年前に亀城庵を開業し、1年間、店内でいた頃は、今のように盛り付けのきれいさを気にせず、麺とだしの美味しさが一番の関心事であったのです。
しかし、最近は盛り付けのきれいさに熱心に取り組んでいるので、目に見えてレベルが上がっています。
注目することは伸び、そうでない部分は伸びないのです。
来月、4月7日(火)~9日は、東京支店でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-tokyo/
私3つのセミナー・タイトルは、【オリンピック景気 必勝法!】、【スタッフのモチベーションアップセミナー~オーナー様、店長、スタッフ必聴~】、【富裕層客の獲得必勝法!】で、今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致します。
新規開業の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
3人口構造の変化の分析
もちろん人口構造の変化の分析は、人口にかかわる数字から始まるのですが、人口の総数そのものにはあまり意味がなく、年齢構成の方が重要なのです。
1960年代の西側先進国(ベビー・ブーム期の短かったイギリスを除く)で、最も注目すべき変化は、若者の急激な増加で、1980年代の最も注目すべき変化は、若者の減少、中年前期の人口の着実な増加、70歳以上の高齢者の急激な増加で、これらの変化は、1990年代以降には、さらに重要な意味をもつことになるのです。
これらの変化はいかなる機会をもたらし、これら各年齢層の人たちの価値観、期待、ニーズ、欲求はいかなるものになるかが、今後のビジネスに大きな影響を与える要素なのです。
たとえば、正規の大学生の数は増えようがないので、減らさないようにするだけで精一杯であり、どの程度まで高卒者の進学率が上昇し、高卒者の総数の減少を補えるかであるのです。
しかし、30代半ばや40代の大卒者が増大することによって、さらに高度の訓練や再訓練を望む高学歴の人たち、すなわち医師、弁護士、建築家、技術者、経営管理者、教師などの数は、大幅に増加するので、以下の質問が大きな意味を持つようになるのです。
1.彼らが求めるものは何か、
2.彼らが必要とするものは何か、
3.彼らはいかに支払うか、
4.正規の学生とは異質な彼らのような学生を引きつけ、満足させるためには何をしなければならないか。
5.高齢者の欲求、ニーズ、価値観はいかなるものか。
6.高齢者は、高齢者グループとしてまとめて考えることができるのか。
7.それとも、異なる期待、欲求、ニーズ、価値観をもついくつかのグループに分類されるのか。
今の日本では、上記のように、一旦大学を卒業して企業で働いている成人の再教育のニーズは、まだ十分に満たされていないのです。
当社の麺學校は、麺専門店開業者のニーズを満たしているだけでなく、最近では、麺専門店の従業員教育を請け負い、従業員教育のニーズも満たしているのです。
そして、当社の麺學校の特徴は、麺専門店の麺打ち職人ではなく、経営者を育成するための学校なのです。
最近、ハロー・ワークは就職希望者のパソコンとか、特殊技術の再教育を行ない、成果を上げています。
今後の日本では、このような社会人を対象にしたビジネス・スクールのニーズが高まり、特に経営者育成のニーズが高まるものと思います。
「今時代の空気」
人口の年齢構成に関して、とくに重要な意味をもち、かつ確実に予測できる変化は、最も急速に成長する最大の年齢集団の変化、すなわち人口の重心の移動であり、1950年代末のアイゼンハワー政権の末期、アメリカの人口の重心は史上最も年齢が高い水準に達し、そのわずか数年後、人口の重心は大きく下方へ動いたのです。
ベビーブームの結果、人口の重心は急激に下がり、1965年には、17歳から18歳というアメリカの独立以来最低の水準まで下がったのですが、人口の年齢構成を重視し、その数字を真剣に見ていたならば、アメリカ社会の空気や価値観が劇的に変化するであろうことは容易に予測できたのです。
1960年代の「若者の反乱」も、昔から若者の典型的な行動形態とされていたものに脚光があてられた結果、浮かび上がったものにすぎなく、それ以前の、人口の重心が20代終わりから30代初めという超保守的な年代にあった頃には、若者の行動は「いつの時代も若者は若者だ」との言葉で片づけられていたのです。
1960年代は、その若者たちの行動が、人口の重心が移動したために時代の空気となったにすぎなく、しかも、ようやく「価値観の変化」や「アメリカの若者化」について論じられはじめた頃には、人口の重心の振り子は、すでに激しく反対方向へ戻っていたのです。
1969年には、少子化の最初の影響が、数字だけでなく、実態に出はじめ、16、7歳のティーン・エージャーが人口の重心の一部を構成する最後の年が、1974年ないし75年となり、その後、人口の重心は上昇を続け、1980年代の初めには、再び20代の後半に戻ったのです。
人口の重心の移動に伴い、時代の空気が変化し、もちろん10代は、相変わらず10代のように行動するのですが、その行動は、もはや社会の空気や価値観とは関係のない、単なる10代の行動として受けとめられるのです。
こうして1970年代の半ばには、やがて大学のキャンパスが「運動」や「反体制」とは無縁となり、学生が再び成績や就職先に気をとられること、さらには、あの1968年卒の運動家たちでさえ、その圧倒的多数が、キャリア、昇進、節税、ストック・オプションを考える上昇志向の知識労働者になるであろうことは、ほぼ確実に予測できることとなっていて、事実、そのように予測した者もいたのです。
日本の場合は、最大の年齢集団は団塊の世代であり、現在、60歳の半ばから後半にかけての世代であり、私もその世代のちょうど中心なのです。
従って、日本の場合の人口の重心、すなわち平均年齢は46歳になっていて、この年齢は年々増加していき、10年後には48.3歳、20年後には49.9歳に達し、その後もずっと高齢化を辿っていく予定なのです。
平均年齢が若く、若々しい国と比較すると、日本は高齢者の国になっているので、中心世代のわれわれこそが、年齢など一切気にしないで、常に若々しい気持ちで、日々送ることが大切で、われわれから世間の空気を変えていかねばならないのです。
「◆行って、見て、聞く」
教育水準による人口区分も重要な意味をもち、百科事典の販売、専門職再訓練コース、休暇旅行のマーケティングなど、事業によってはとくに大きな意味をもつのです。
人口構造の変化については、就業者と失業者の別もあれば、職業別の区分もあり、所得階層とくに可処分所得による区分もあり、たとえば共働き夫婦の貯蓄性向は、どのようなものになるのか、それらの問いに対しては、ほとんどについて一応の答えを出すことができ、市場調査の検討項目に入っているものばかりであるのです。
必要なことは問いを発することであるのですが、統計を読むだけでは十分でなく、統計は出発点にすぎないのです。
メルビルは統計から出発して、テイーン・エイジャーの爆発的な増加が、ファッション製品の小売りにとって、いかなる機会を意味するかを自問したのです。
シアーズ・ローバックは統計から出発して、潜在的市場としてのラテン・アメリカに目を向け、しかる後に、両社のマネジメント、あるいはニューヨークのペイス大学やサンフランシスコのゴールデン・ゲート大学のような大都市の大学のマネジメントは、現場に行って見て、聞いたのです。
シアーズ・ローバックのラテン・アメリカ進出は、そのようにして決定され、1950年代の初め、会長のロバート・E・ウッドは、メキシコシティやサンパウロが、1975年までにアメリカのどの都市よりも大きくなるという記事を読んだのです。
興味を引かれた彼は、自らラテン・アメリカに行き、メキシコシティ、グワダラハラ、ボゴタ、リマ、サンチアゴ、リオデジャネイロ、サンパウロなどの各都市で一週間を過ごし、街を歩き、店を覗き、そして強い印象を受けたのです。
街の交通まで調べ、いかなる層を客とし、いかなる場所に立地し、いかなる店をつくり、いかなる商品を用意すべきかを知ったのです。
同じように、地中海クラブの創設者たちは、パッケージツアーの団体客を観察し、話しかけ、耳を傾けてから、最初のリゾート施設を作ったのです。
メルビルを並のさえない靴屋のチェーンから、アメリカで最も成長性の高い人気ファッション・チェーンに変えた2人の若者は、何か月もの間ショッピング・センクーに行き、見て、聞き、買物客たちにとっての価値を探り、若者たちの買い物の仕方や、男女別の店と、男女共通の店のどちらを好むかなど、店の好みを調べ、そして若者たちに、実際に買った品物のどこに価値を認めたのかを聞いたのです。
現場に行き、見て、聞く者にとって、人口構造の変化は生産性と信頼性のきわめて高いイノベーションの機会となるのです。
以上のように、現地へ行くことは欠かせないので、当社の場合でも、私も世界中、出張を繰り返していますが、私だけではなく、常にスタッフたちも世界中に送り出しているのです。
画像は、昨日の広本さんの作品のトマト・ラーメンです。
上部のキュービック・フルーツは、トマト、バナナ、リンゴ、オレンジの4種類でした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。