昨日の土曜日は天候にも恵まれたので、久しぶりに家内と金比羅さまへお参りに行きましたが、金比羅参りは、古くからの家庭に伝わる行事で、代々の先祖たちがお参りをしてきたのです。
最初は、裏参道でお参りをし、途中から表参道に合流すると、ほとんどの桜の木はまだつぼみだったのですが、一部の木だけが満開になっていました。
いつものように、本殿まで勾配の厳しい石段を2段づつ駆け上がっていくと、さすがに、汗だくになり、多くの参拝客も汗一杯になっていました。
家内は毎月、金比羅参りをしていて、私は出張等の仕事の都合で、完全に毎月お参りすることが出来ませんが、こうしてお参りすると、心身が整うのです。
参拝の帰り道も社務所から、いつものように、裏参道に回り、古木が鬱蒼とした景色の素晴らしい、細い参道を下っていくと、配送会社の大きいトラックとすれ違ったり、大きな乗用車とすれ違うのです。
以前は、このようなことは殆どなかったし、金比羅さまの神々しい場所なので、参拝道を車が往来しているのは、違和感を感じてしまいます。
ちょっとした事かも知れませんが、このような少しのことから、少しづつ、ロイヤルテイのようなもの、或いは、信頼をなくしていることがよく分かります。
信頼は、まさに空気のようなもので、常に、わが社、わが身の立居振舞を外からの厳しい目でチェックし続けなければいけないし、お客さまの期待値が高まれば高まるほど、余計に気を使わなければいけないことがよく分かります。
本日は、昨日の晴天とうって変わり、朝から雨交じりの曇り空で、たくさんの宿題を抱えて、朝から仕事に取り組んでいます。
毎月、1日か2日は、ほとんどスケジュールが入っていない日があり、溜まった仕事とか、ある程度まとまった仕事をこなすのには、最高の日になります。
昨日、本日の2日間は珍しくスケジュールの入っていない日で、まとまった仕事を行なう、最高の日であり、深い思考を行なうには、まとまった時間がないと出来ないのです。
だから、細切れの短い時間で出来ることは、常に準備していて、少しでも時間が空くと、細切れの時間で出来ることを処理し、じっくりと時間が必要なときには、そのような時間を取るのです。
例えば、経営講義等でも、商圏分析の時間のように、少しのアイドル・タイムが取れるときは、PCを持ち込んでおくと、細切れの時間で処理できる仕事が片付いていくのです。
細切れの時間の有効活用で、それらの時間も貯まったら、大きい時間になるのです。
そして、スケジュールを入れるときには、わざと詰めて入れて、何もスケジュールがない空いた日を残しておくようにすることは大切なことなのです。
昨年末から、自宅における仕事は、机と椅子から、座卓と畳に変えていますが、座禅をしながら仕事を行なっているような調子で、仕事に含まれている思考のレベルが上がったような気がします。
作家が椅子ではなく、座布団を使って仕事をするのには、訳があるような気がします。
座禅に近い姿勢で、背筋を伸ばして、瞑想をする状態で仕事をすると、違った発想が生まれそうな気がします。
明日、明後日の2日間がいよいよ、今期最後の2日間で、今期取り組んできたことの最後の締めくくりになります。
今期も相当頑張ったつもりですが、今期はなかなか成果の得られない年であり、多くの課題を残した1年でもあり、振り返ってみると、反省すべきさまざまな点がたくさんありました。
現在の日本は、大きな時代の転換期を迎えていますが、10年後に振り返った時に、あの時は、たいへんだったが、正しい道を歩んだお蔭で今日がある、と言えるような、厳しいけれども、正しい道を選んでいきたいと思っています。
厳しく、正しい道の選択こそ、われわれがまさに真剣に取り組まなければいけない道であり、後輩たちに残していかねばならない考え方なのです。
来月、4月7日(火)~9日は、東京支店でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
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私3つのセミナー・タイトルは、【オリンピック景気 必勝法!】、【スタッフのモチベーションアップセミナー~オーナー様、店長、スタッフ必聴~】、【富裕層客の獲得必勝法!】で、今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致します。
新規開業の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
認識の変化をとらえる第六の機会
I半分入っている
コップに「半分入っている」と「半分空である」とは、量的には同じであるが、意味はまったく違い、とるべき行動も違うのです。
世の中の認識が「半分入っている」から「半分空である」に変わるとき、イノベーションのための機会が生まれ、経済、政治、教育における認識の変化と、それらの変化がもたらしたイノベーションの機会に関する、いくつかの例があります。
以上については、アフリカに靴を売りに行った営業マンの話が象徴的であり、アフリカ人は靴を履いていないので、有望なマーケットがあると思った営業マンと、可能性がないと思った営業マンがいたのです。
そして、ほとんどの人が意識していない間に、アフリカ市場がすでに、多くのビジネスにとって、可能性の市場として、浮上してきているのです。
東南アジア市場についても同様で、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、インド等から始まった新しい市場開拓も、現在ではベトナム、ネパール、カンボジア、ミャンマー、バングラデイッシュ等も新しい市場の仲間入りをしていて、日本からのラーメン店等も進出を始めているのです。
◆健康についての認識
1960年代の初めからの20年間に、アメリカ人の健康度が未曾有の増進を見せたことは、あらゆる事実が示していて、新生児の生存率や高齢者の平均余命、あるいは癌(肺癌を除く)の発生率やその治癒率など、肉体の健康と機能にかかわる指標は大きく改善されているのです。
ところが1800年以降、アメリカ人は健康ノイローゼにかかっていて、いまだかつて健康に対する関心と恐れがこれほど高まったことはなく、突然、何もかもが、癌、心臓病、ボケの原因に見えはじめ、明らかにコップは「半分空である」の認識状態なのです。
今日われわれが目にしているのは、肉体の健康と機能の大いなる増進ではなく、いまだに不老不死からは遠く離れたままの状況であり、まったくのところ、この20年間においてアメリカ大の健康に関して悪化したものがあるとすれば、それはまさに、健康と体形に対する関心の異常な増大であり、加齢、肥満、慢性病、老化への恐怖だけであるのです。
わずか25年前(書籍出版時の)には、ごく小さな医療の進歩が、大いなる前進とされたのですが、現在では、きわめて大きな進歩でさえさして驚かれないで、原因が何であれ、この認識の変化はイノベーションをもたらす大きな機会となるのです。
たとえば、それは健康雑誌を生み出し、その一つである『アメリカン・ヘルス』は、創刊2年足らずで100万部に達したのです。
食品が、健康を損なうかもしれないという恐れをイノベーションの機会として利用することによって、多くの新しい事業が生まれ、コロラド州ボールダーのセレスティアル・シーズニングスは、1960年代の末に、ヒッピーが始めたハーブの街頭販売からスタートし、15年後、年間売上数百万ドルに達した同社は、ある大手食品メーカーに2000万ドルを超える金額で買収されたのです。
今日では健康食品チェーンも生まれ、高収益を誇っていて、ジョギング用品も大きな産業になり、1983年、アメリカで最も急成長した企業は、ある屋内運動器具メーカーだったのです。
◆食事と晩餐
かつて、食事の仕方は所得階層によって決まっていて、一般人は質素な食事をし、金持ちは豪華な食事をしたのですが、この20年間に変化し、今日では、同じ人間が質素な食事もし、豪華な食事もとり、その結果の一つが、簡単に栄養をとるだけの食事、すなわちファーストフード、簡易食品、マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキンの出現だったのです。
もう一つがグルメ食品の流行で、テレビのグルメ番組が人気となり、高い視聴率を得ていて、料理本が一般書としてベストセラーになり、グルメ食品のチェーン店が生まれ、売り上げの90パーセントが食材だったスーパーマーケットが、グルメ・コーナーを設け、加工食品よりも利益をあげていて、この変化はアメリカだけのものではないのです。
私の友人であるドイツ人のある若い外科の女医さんは、「週に6日は簡単な食事でよいが、1回は晩餐をしたい」と言っているのですが、一般人は毎日質素な食事ですませ、金持ちの上流階級は毎日豪華な食事をとっていたのは、ついこの問のことであるのです。
日本における健康についての考え方も大きく変わってきて、健康について注意を払っている人たちとそうでない人たちのギャップは大きくなっています。
健康志向の傾向も都会ほど大きく、田舎ではそうではないのですが、長野県のように、ある医師が県民の考え方を変え、その結果、長野県民の平均寿命は日本の最低クラスから、日本一になったのです。
この様に、県民全体の意識を変えることも不可能ではないのです。
◆黒人の意識
1960年頃、つまりアイゼンハワーからケネディに政権が移った頃、アメリカの黒人か、10年後あるいは15年後に獲得することになるものを正しく予測したならば、馬鹿にされることはなくとも、非現実的な夢想家とされたに違いなく、或いは、実際に黒人が獲得したものの半分を予測しただけでも、あきれた楽観論者と見られたことでしょう。
実際には、アメリカの黒人の地位は大幅に向上し、高校よりも上の学校へ進む黒人は白人の5分の1という割合から、1970年代初めには白人と肩を並べ、白人の人種によってはそれを凌駕するに至り、同じ進展が、雇用、所得、経営管理者や専門職への登用で見られたのです。
このような状況を12年前あるいは15年前に予測として示したならば、アメリカの黒人問題もついに解決される、あるいは少なくとも解決に向けて大きく前進すると考えられたにちがいないのですが、1980年代の今日、アメリカの黒人の多くは、コップに「半分人っている」ではなく、いまだに「半分空である」としていて、黒人にとって、苛立ち、怒り、疎外感は、減少するどころか増大しているのです。
彼らは、経済的にも政治的にも中流階級の仲間入りをした3分の2の黒人ではなく、残りの挫折した3分の1の黒人を見て、いかに変化が速かったかではなく、いかに多くが残され、いかに変化が遅く、いかに変化が困難であるかを見るのです。
これに対し、黒人にとって昔からの味方である白人のリベラル、すなわち労働組合、ユダヤ人社会、学者などは変化のほうを見て、彼らは、コップに「半分入っている」と見るのです。
その結果、黒人と白人のリベラルの間に根本的な亀裂が生じ、その亀裂が、黒人に対し、ますますコップが「半分空である」と感じさせているのです。
ところが白人のリベラルは、もはや黒人は搾取されていないと見て、逆差別のような特別な扱い、手当や雇用や昇進について優先的な配慮は必要なくなったと見るのです。
まさにこのような状況が、ジェシー・ジャクソンをはじめとする新しいタイプの黒人指導者に機会を与え、歴史的に見るならば、この100年、今世紀の初めのブッカー・T・ワシントンから、ニューディール時代のウォルター・ホワイト、さらにはケネディやジョンソンの時代のマーチン・ルーサー・キングにいたるまで、白人のリベラルの支持を得ることこそ、黒人が黒人社会の指導者となるための条件であり、それだけ黒人のために大きなものを勝ち取るうえで必要な政治力を手にする唯一の方法だったのです。
だがジェシー・ジャクソンは、昔からの味方、あるいは戦友である白人のリベラルから、黒人を分離することになったこの認識の変化が、新しいタイプの黒人指導者の存在を可能にしていることを見抜いたのです。
それは、リベラルに敵意をもち、リベラルを攻撃さえする黒人指導者の可能性だったのです。
かつては、ジャクソンのように反リベラル、反労組、反ユダヤと見られることは、政治的に自殺行為だったのですが、彼は、1984年のわずか数週間のうちに、アメリカの黒人社会において、まぎれもなき指導者となったのです。
アメリカにおける黒人の意識の変化は、一方向へ向かうだけの変化ではなく、時代背景に大きく影響されていて、それは、景気の波のように、常に繰り返されるように思います。
画像は、先週のラーメン学校に参加し、台湾の東側の田舎から、親子でうどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校と3つの学校を卒業した陳さん親子のうち、ご子息の作品です。
ラーメンの麺を使ったハンバーガー、即ち、麺バーガーで、たいへんユニークな作品を考案したのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。