本日午前中で、ドリーム・スタジオ大阪で開催のパワー・アップ・イベントの私のセミナーがすべて終了し、12時頃から奈良県にあるうどん学校の生徒さんの店に向かいました。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-osaka/
本日のセミナー・タイトルは、「オーナー様、店長、スタッフ必聴!~スタッフのモチベーションアップセミナー~」で、スタッフのモチベーション・アップの一番のカギは、オーナー、店長等、お店の中心人物のモチベーション・アップだったのです。
経営者が抱える3つの大きな悩みは、売上、お金、人であると言われており、今回のテーマは、経営者の3大悩みの一つの人である従業員のモチベーションを上げるテーマだったのですが、従業員のモチベーションを上げるための原点は、経営者或いは、それに近いポジションの人たちのモチベーション・アップが先だったのです。
私も40年近い経営者としての経験から言えば、経営者の3大悩みをなくするための出発点は、経営者自身のモチベーションを上げ続けることが、何よりも最優先で、そのためには、モチベーションの高い状態でいることが出来る状態を作ることが大切なのです。
常に、何でも出来る、何でも可能であるとの強い気持ちで日々を送り、どんなに難しい問題に遭遇しても、決して投げないで、堂々と立ち向かう強い精神力が必要なのです。
経営者の仕事は、サラリーマン時代と異なり、どんな問題が起きようと、すべて自分が責任を取らなければならないし、処理しなければならない、大きな責任が伴います。
従って、経営者は日々、そのような精神状態に日々の自分を保つためには、売上とか、お金の問題を抱えない方が良いのは当たり前なのです。
そのためには、ビジネス自体において、勝ち戦になるような、成功しやすいようなビジネス・モデルを作成し、戦略を貫くべきです。
そのために、本日は席数の問題、駐車場台数の問題、原材料費をかける大切さを訴えました。
例えば、折角ラーメン店を開業しても、15席の店を作り、平日の昼間6回転で、90人の来客があり、土日は7回転で105人の来客があり、月商200万円程度であれば、すべての経費を支払っても自分の手元に残るお金は20万円強程度なのです。
ところが、40席の店を作り、回転率が同じであれば、売上は2倍になり、毎月の手元に残るお金は150万円になるのです。
どちらが、オーナーが豊かな気持ちになれるかは、一目瞭然です。
15席の店舗の総投資金額は約1200万円、40席の店舗の総投資金額は、約2200万円で、その差は約1千万円です。
毎月の利益の差は約130万円で、1年間では約1500万円の差になります。
すると、1年も経たないうちに、この差は埋めることが出来るのです。
ビジネスの本質は、実はこのようなもので、いかにマネッジメントを理解するかによって、このような差を生んでしまうのです。
但し、折角、席数があっても駐車場台数が足りないと、お客さまがお店に入ることが出来ないので、この数字は実現出来ないのです。
但し、郊外の普通の場所であれば、駐車場1台当たりの月間コストはだいたい、1万円以下で、3千円から6千円程度です。
30台借りても、30万円以下であり、駐車場代よりも、駐車場があることによって得られる利益の方がはるかに大きいのです。
併せて、現在の日本では、飲食ビジネスの競争が非常に激しいので、十分な原材料費をかけて、顧客満足を上げ続けることも大切です。
また女性客を狙うのであれば、レベルの高い接客は当然重要です。
このような基本的であり、大切なことをマスターするには、当社の麺学校の経営講義は、生徒の皆さんの人生を大きく変えるチャンスなのです。
以上のように、私の役目は生徒さんをプロの経営者にして、社内のスタッフをプロの経営者にすることなのです。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「経済発展に必要なのは人」です。
72.経済発展に必要なのは人
経済的発展において最大の資源となるのは人間である。
経済を発展させるのは、人間であって、資本や原料ではない。
(解説)私は出自がエンジニアであり、学生時代はハードを主に学んできたので、過去、一番学んでこなかった部分が人間に関する部分ですが、ビジネスに長く携わっていると、最終的に一番重要な部分であることを気付かされます。
人類の誕生はいろんな説がありますが、一説によれば、400万年前と言われており、有史以来、人間の本性はほとんど変わっていないとも言われていますが、時代の変化とともに、人の価値観は常に変化しているのです。
そしてわれわれビジネスを志す者にとって、常に本当の対称は、人間であり、従って、人間の本質、人間学、人間の研究なくして、ビジネスはあり得なかったのです。
人間の本質については、エンジニアの端くれとしての私の見解で、人間を次の大きな3つの側面から考えてみます。
1.肉体を持った、物質的な存在として人間
2.学習機能とか感情を持った知的な存在としての人間
3.霊的な存在としての人間
これ以外にも、たくさんの分類方法があり、例えば、個人としての人間、家庭を営む家庭人として、組織に参加する組織人として、或いは社会に貢献する社会人として等々、さまざまな視点から分類する方法があります。
私は普段から、物事の本質について深く考えることが大好きなのですが、人間を深く考えることが一番難しいテーマだと思っていて、人間の本質については、私のライフワークの一つとして、今後とも永久に取り組み続けていかなければいけない重要課題です。
最近、ロボットが進化し、人間に似たロボットの研究が非常に進んでいて、既に、上記1とか2の学習機能については、コンピュータの進化により、人間にかなり近づき、場合はよっては、人間の機能をはるかに超え始めています。
しかし、ロボットがこれから更に進化しても、人間を超えることが出来ないのが、感情と霊的な部分であり、上記の3要素が、全て機能して初めて、人間としての満足な性能を果たすようになっています。
最初に、物質としての身体の機能について、今まで西洋医学の常識になっている臓器が個別にそれぞれ機能しているのではなく、人間の身体は全体がつながり、バランスを保ち、調和の上に成り立っていて、身体全体がシステムとして、お互いに繋がりあって、作用をしているのです。
例えば、姿勢を良くすると、胃の調子を含め、体調全体が良くなり、人間の身体自体は非常に複雑で、精密な化学工場で、口から摂った食物を消化吸収し、分解し、血液、体液、さまざまな細胞、エネルギーへと変化させます。
動力源の心臓が一瞬の休みもなく鼓動を打ち、血液を常に循環させ、さまざまな身体の機能が、一瞬の休みもなく働き続けていますが、その最中に、どれか重要な身体の器官が壊れ、止まってしまうと、他の機能に影響を及ぼし、身体全体の機能が停止してしまうのです。
そして、人間は生まれた瞬間から、成長を続け、ある臨界点を超えると、劣化、老化が始まるので、われわれは自分の身体を最大限に有効活用して、出来るだけ老化を遅らせたり、長持ちするように努力を重ねながら、身体が朽ち果てるまで、この世に存在することが出来るのです。
そして、それらの機能の一番弱い部分が最初に駄目になり、致命的な影響を与えるようになると全体のシステムに影響し、死を迎えることになり、われわれの寿命は、身体の一番弱い部分で決まってしまい、幾ら他の器官が元気に働いていても、たった一つの弱い部分で寿命が決まってしまうのです。
殆どの人間は完全な老衰で亡くなるのではなく、他の臓器は未だ十分に機能しているのに、ある部分だけが悪くなったために命を落としているのが現実で、事故とか、3大成人病で平均寿命より若くして亡くなるのはその最たるもので、死を迎えた時も、その他の臓器はまだ十分に機能し、これからも十分に使えるので、脳死状態になれば、健全な臓器の提供が行われ、困っている人たちの役に立っているのです。
このように考えてみると、我々の身体は精巧な機械であり、複雑な化学工場であり、魂と頭脳の入れ物でもあり、機械に油を差したり手入れを行なうように、身体を健康に保つために良い食事を摂り、栄養ドリンクを飲んだり、運動をして鍛えたりしながら、1日も長く、死を迎えるのが遅くなるようにさまざまな努力をしているのです。
時々、人間ドックに入り、検査をしているのは、車の車検と同じで、悪い部分が見つかると、早期に治療をし、機械で言えば、修理をするのと同じことで、われわれの寿命は肉体である身体の寿命によって限定されてしまい、自己管理により、長持ちするように大切に身体を扱っていくかで、寿命は大きく変わります。
寿命だけではなく、どれだけ人生の成果を上げる事が出来るかも、同様に体調とか、身体の状態によって、大きく左右されるので、われわれ人間にとって、身体の状態を最高の状態に常に保つことは、自動車等のメンテナンスを良くして、常に安全に走る事が出来るのと同じことなのです。
だから、身体を最高の状態に保つために、それに必要な栄養素を供給しなければならないのは、われわれの身体は我々が過去に食べた食べ物で出来上がっているのですからであり、防腐剤とか、添加物とか、化学調味料まみれの食べ物で、最高の身体の状態をキープすることは出来ないのです。
こうして考えると、いかにわれわれ人間にとって、食べ物の良さが重要であり、自分自身のことが本当に大切であれば、身体に良い食べ物を取り込むのは当たり前なのです。
適切な運動をして、身体をベスト・コンデイションに保つのは、至極当たり前のことで、私は過去、運動の大切さを理解していなかったことが大きな間違いだったと今は反省しています。
次に、われわれ人間が他の生物と大きく違うのは、自分自身で考え、判断することが出来、喜怒哀楽の感情を持っていて、自分自身で何かを創り出すことが出来る、素晴らしい頭脳を持っていて、感情も身体と密接につながっていて、体調が良くなったり、悪くなったりするのも心が大きな影響を及ぼしています。
密接に繋がっている、身体、心、頭脳を鍛えることにより、更に進化することが可能なので、人間のことを単純な言葉で表すとすると、「無限に進化することが可能な、身体、心、頭脳を持った精密な機械であり、複雑な化学工場であり、同じ存在が一つもない、宇宙におけるたった一つの尊い存在である」とまとめることが出来るのではないでしょうか。
いずれにしても、我々一人ひとりの存在は、凄い、尊い存在である事は間違いなく、われわれ、ひとり一人はこの世にたった一人しかいない貴重な存在であることをシッカリ認識すべきであり、その気になれば、何でも可能なのです。
上述の通り、人間は永久に生きる事が出来る存在ではなく、必ず、いつかは死を迎えるので、生きている間にどのようなことを成し遂げる事が出来るかが、人間としての存在意義の所以ではなかろうかと思います。
このような素晴らしい機能を神様から与えられ、この世に生まれ、必ず、あの世に旅立つようになっているので、われわれの人生は全て時間で出来ているので、限られた時間で成果を上げて、素晴らしい足跡を残して、次の世代に引き継ぎ、次の世代がこの地球上で、更に素晴らしい成果を上げ、更に次の世代に引き継いでいきます。
われわれ人類は何百世代、何千世代にもわたり、このような営みを繰り返してきた結果、われわれが日々の生活を楽しむことが出来ているので、われわれが享受している生活の素晴らしさは過去、何百世代前、何千世代前には味わうことが出来なかった快適さです。
現在に生きるわれわれは、過去の世代の人達の命を懸けた壮絶な生きるための格闘の結果、こんなに素晴らしい生活を享受出来ていて、次世代またその次の世代へと、遥か未来に更に素晴らしい生活を授けられるように努力し、自分の受けた恩恵を、後の世代へと引き継いでいくことが大切なことなのではないでしょうか。
今から約2千年前の紀元0年頃の日本には、約30万人しか住んでいなかったことが推定されているのに、約2千年の間に日本の人口は1億2千万人を超え、全国各地には、快適な住宅とか、大きなビルが立ち並んでいる姿を見れば、2千年前のわれわれの先祖たちはどんなに驚くか知れません。
以上から分かる通り、人間には無限の可能性があり、その可能性を最大限に活かすことがわれわれの大きな課題であり、私のドラッカー・マネッジメントの師である国永先生はドラッカーの名言録で次のようにまとめているのです。
「人間は単能マシーンではない」
その昔、人間機械論という議論がフランスの学者によって論じられたことがあり、それを受けてドラッカーは、「たとえ人間を純粋に機械であるとみなしても、人間は単脳の道具ではない」と反芻している。
人間の生産能力は、ある一つの作業だけに最大の能率を発揮することにあるのでなく、ほとんど無限ともいえる作業を組み合わせ、統合化することにあると主張したときの発言が、今号の表題であり、拙劣に設計された単能式の工作機械(マシーン・ツール)のように人間を使うなどというのは、人間をまことにもったいなく使っていることになり、非能率的に、不手際に使っているのだ・・・・・とドラッカーはいう。
そうして、早くから人間を資源としてみなしてきたドラッカーは、人間という資源の特性から、その独特な教育論に入り、「人間の発展や能力開発は、他の資源と違って、最終的には外からは、どうすることもできないものであり、人間のディベロップメントは、結局は成長であり、それも内からの成長であるとしているのです。
だから、仕事も、仕事のさせ方も、こうした内から個人の成長を刺激し、誘発し、促進し、支援するものでなければいけない」と強調し、内外で最近はやりはじめた「コーチング(直接指導)」「メンタリング(後見役活動)」の重要性を、すでに45年も前から指摘していたことになるのです。
そして、さらにおもしろい発言としては、この成長というものは、いついかなる場合においても本人の努力の結果であるとし、したがって自ら努力しない人の進歩や発達について、組織や企業が責任を感じるなんて、全くもってナンセンス!だと論じていることである。
また、人間の多能性・可塑性を信じるドラッカーは、自分の仕事のほかに何も知らないような人間は、会社や組織という観点からみても、決して成績のいい人間とはいえないと断じ、自分の仕事以外にはなんの生活にも関心を持たないような人間には、肝心の成長ができないからであるのです。
しかもドラッカーは、成長に時間がかかること、非常に時間を消費するものであるうえに、人間は時間を浪費するので、ことさら大変であると指摘するのです。
人間の多種多様な事柄を成し遂げ得る能力に着目し、一種の多目的道具とまで考えるドラッカーは、その持つ大きな潜在力を生産的に活用するには、どうしても「集中」が不可欠になるとして、有名な集中論、焦点絞り論を、うるさいほど力説するのである。
そして人間を社会や組織のための特定の資源として創造しなかったのは、神様の深いおぼしめしが、その簡単な理由だと、ちょっぴりユーモラスに片目をつぶって語るのである。
従って、人間の進化には心の内部への大きな刺激が欠かせなく、それは誰か、刺激剤になるような人に会うとか、大きなインパクトのある出来ごとに出会うとか、何かインパクトのあるものが必要なのです。
画像は、昨日のセミナーの様子で、お客さまが一杯であったので、私はお客さまの前に立つことが出来ずに、お客さまの後ろに立って、話をしました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。