昨日は、朝の便で東京支店に到着し、昼から「蕎麦学校」の生徒さんたちの実技最終日の作品のチェックを松原先生と一緒に行ないました。
料理が初めての生徒さんたちにとって、最も難易度が高いのが、盛り付けです。
次つぎと出来上がった作品をチェックしていくと、どう見てもあり得ないような盛り付けが何点もありました。
ある程度、分かっている生徒さんでも細かい部分、例えば、野菜のてんぷらの揚げる時間等は難しいようです。
野菜のてんぷら等は、出来上がった色合いが重要で、特に揚げすぎによる、色の劣化は避けなければいけないのです。
また、ナスのような天ぷらは衣をつけるとすると、非常に薄衣で、素材の質感が衣を通して十分に反映されているような揚げ方が大切なのです。
或いは、ナスのような紫色をきれいに発色させようとすると、むしろ衣を付けないで、素揚げの方がはるかに鮮やかな紫色の発色が出来るのです。
この時期の旬の野菜である菜の花等の同様で、茎にだけ衣をつけ、先端のつぼみの部分には、衣を付けないで、鮮やかな緑の発色をさせるためには、短時間で揚げる必要があり、時間が伸びると、茶色の濁った色が出てしまうのです。
菜の花のグリーンとイチゴの天ぷらのカットの組合せ等は、この時期に最高の色バランスになります。
次つぎと、この時期にあった独創的な盛り付けの提案をすると、生徒さんは驚き、どの様にすれば、このような能力を身につけることが出来るのかを質問されます。
また、生徒さんの盛り付けを見ただけで、瞬時に修正することが出来るのは、どこから来ているのかとの質問もありました。
私は、日々、デザインには非常に注目していて、どこに行っても、気に入ったデザイン、盛り付けがあれば、必ず、写真を撮って残しておきます。
盛り付けに関しては、必ず、試してみるのです。
見ただけでは、理解出来ておらず、必ず、再現して、試してみると、なかなか上手く出来なかったりして、同じようにするにはどこに問題があるのかが分かるのです。
そのためには、興味を持つことが大切であり、なぜ、盛り付けが料理において大切なのかを理解する必要があるのです。
以前の飲食ビジネスでは、料理が美味しければ成功した時代があったのですが、今は、料理の美味しさだけではなく、盛り付けの綺麗さ、調理の科学的な分析、エンターテイメント性、明確なコンセプトのポリシーが必要なのです。
要するに、「飲食ビジネス=料理×アート×サイエンス×ユーモア×哲学」というたいへん複雑な時代になっているのです。
このようなことの理解もマネッジメントであるのです。
飲食ビジネスを始めても、多くの人たちが成功しないで、廃業している事実があります。
廃業する一番の原因は、マネッジメントの欠如であり、マネッジメントの理解が不足していたのです。
昨日までのドラッカー名言録に代わり、本日からはドラッカー・マネッジメント技術のエッセンスである「イノベーションと起業家精神」について、当分の間、深く取り組んでみます。
こうして学んでいくと、今まで常識として理解されていたことが、そうではなく、本質は別のところに合ったことが、改めてよく分かります。
次は、再来週からのLAでのイベントのお知らせです。
昨年の10月に続き、3月2日(月)から4日(水)までの3日間、LAで、イベントが開催され、私のセミナーも合計3本入っています。
https://www.yamatonoodle.com/
現在の北米の事情に合ったテーマであり、本来は麺學校で教えている、実務に役立つ内容ばかりの私のセミナーで、タイトルは次の通りです。
1.事業計画・レイアウトセミナー((仮)ビジネスの成功、利益差はここで決まる) “Understanding Successful Noodle Business by numbers”
2.コンセプトの重要性~コンセプトがビジネスの成功を左右する
“Different noodle restaurant concepts that work”
3.利益倍増計画~多店舗展開へのステップアップ~
“Key to expansion strategy for your restaurant business”
Important tip for building a successful business
-Why business concept determines success in business
4.単価の上がる盛り付け実演(ラーメン、うどん、つけ麺)
その他にも、新規開業者と既存店の双方に役立つ面白い内容のセミナーとか、イベントを準備して、御来場をお待ちしています。
本日より、当分の間、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。
ドラッカーが最初に挙げているのは、1970年代の半ば以降、「ゼロ成長」「脱工業化」「コンドラチェフ不況」の言葉が当然のような時代であったアメリカにおいて、膨大な雇用が生まれている事実を興味深く、指摘しているのです。
ドラッカーは、「多くの人びとに幸せをもたらすための手段」としてのマネッジメント技術について、早い段階から焦点を当てていることが分かります。
そして、この時代のアメリカ経済の事実は異なり、管理経済から起業家経済への転換が膨大な雇用を生んだ原因であるとしているのです。
アメリカの雇用増の実態は次の通りです。
1965年から85年までの20年間に、(アメリカの統計で労働可能人口とされる)16歳以上の人口が、1億2900万人から1億8000万人へと40% 増え、しかも就業者人口は、7100万人から1億600万人へと50%増え、1974年から84年までの10年間に限っても2400万人増えたのです。
アメリカが平時において、伸び率、実数ともに、これだけの雇用を増やしたことは、過去もこれ以降もなかったのです。
しかもこの10年間は、1973年秋の石油ショックの翌年に始まり、エネルギー危機と煙突産業の崩壊、2度の不況という乱気流の時代であったにも関わらず、起きたのです。
そして、より顕著なことは、アメリカで起こったことは特別で、他の国では起こらなかったことです。
反対に、ヨーロッパでは、1970年から84年にかけて300万人~400万人の雇用が失われ、1970年にはアメリカより2000万人以上多かったが、1984年にはアメリカよりも1000万人は少なくなったのです。
雇用の創出については、日本でさえアメリカより劣り、1970年から82年までの12年間に、10%しか、増えず、アメリカの半分以下の伸びであったのです。
この時代の日本は、高度成長の真っただ中であり、日本製品が北米に輸出され、日米貿易摩擦の真っ只中にあったのです。
ウイキペデイアによると下記の通りです。
第二次世界大戦敗戦後、日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製品が流入しし、1960年代後半の繊維 製品、1970年代後半の鉄鋼製品、1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車(ハイテク製品)などの輸出では、激しい貿易摩擦 を引き起こした。
1965年以後日米間の貿易収支が逆転してアメリカの対日貿易が恒常的に赤字(日本から見ると黒字)になると、問題が一気に噴出した。
1972年に日米繊維協定(繊維製品)が締結され、続いて1977年に鉄鋼・カラーテレビにおいて日本による実質上の対米輸出自主規制が実施されたことによって一旦は収束した。
1980年代に入ると今度は自動車・半導体・農産物(米・牛肉・オレンジ)が舞台となり、更に1985年にアメリカの対日赤字が500億ドルに達したこと をきっかけに、日本の投資・金融・サービス市場の閉鎖性によってアメリカ企業が参入しにくいことが批判され(ジャパンバッシング)、事実上日米間経済のほ とんどの分野で摩擦が生じるようになった。
1985年、プラザ合意後も日本の貿易黒字・経常黒字は減るどころか1986-1988年にかけて1985年に比べ増えていった。
1986年4月の「前川レポート」ではアメリカの要求にこたえて10年で430兆円の公共投資を中心とした財政支出(財政赤字)の拡大、民間投資を拡大させるための規制緩和の推進などを約束・実施した。
1989年以後日米構造協議が実施され、続いて1994年以後年次改革要望書が出されるようになった。
だが、その一方で1990年代に入ると中国の急激な経済成長に伴う貿易摩擦と軍事的・政治的台頭がアメリカ側の注目の対象となり、ジャパンパッシングと呼ばれる現象も発生するようになった。
以上のような普通考えると、アメリカ経済が非常に低迷している時期のはずなのに、既にアメリカでは新しいビジネスが始まり、多くの中小企業が創業し、膨大な雇用創出を行なっていたのです。
しかし、「フォーチューン500社」に掲載されるようなアメリカの大企業は、日本企業との競争に敗れたりして、雇用を喪失していたのです。
そして、この時代に多くの雇用を創出した中小企業がたくさん生まれた原因としてドラッカーが挙げているのは、起業家を生み出す、起業家精神であったのです。
膨大な雇用を生み出した、これらの企業は皆、人の働き、即ち仕事に対し、ある一つの新しい「技術」を適用している企業であり、その「技術」とは、電子工学や遺伝子工学、或いは新素材の技術ではなく、マネッジメントの技術であるとしているのです。
このようにして見ると、過去20年間、特にこの10年間におけるアメリカの驚くべき雇用増も容易に説明することが出来、コンドラチェフの周期との関係さえも明らかになるのです。
次に、シュンペーターが1939年に指摘して以来、1873年から第一次世界大戦までのおよそ50年間、アメリカとドイツはコンドラチェフの周期に宛てはならなかったことが明らかになっているのです。
鉄道ブームに始まったコンドラチェフの最初の周期は、深刻な世界不況を招くきっかけとなった1873年のウイーン証券取引所の崩壊と共に終結し、イギリス とフランスは長期不況に陥り、鉄鋼、化学、家電、電話、或いは自動車などの新産業でさえ、鉄道、石炭、繊維などの古い産業の不況を補うに足るだけの雇用を 生み出すことが出来なかったのです。
しかし、アメリカ、ドイツ、オーストリアは長期不況に陥らず、最初は深刻な打撃を受けたが、5年後には立ち直り、再び急速な成長を始めたのです。
これらの国々は、技術に関する限り、不況に苦しむイギリスやフランスと何ら変わるところはなかったのですが、違いをもたらした要因は一つで、起業家の出現であったのです。
1870年から1914年までのドイツにおける最大の偉業は、1870年のゲオルグ・ジーメンスによる初めてのユニバーサル・バンクの創立、すなわち起業家を探し、資金を貸し、マネッジメントを行なわせることを目的とするドイツ銀行の創立だったのです。
アメリカでもNYのJ・P・モーガンを初めとする起業家的な銀行が同じような役割を果たしたのです。
次に、ドラッカーはマネッジメントの大切さを象徴する事例として、エジソンの失敗とマネッジメントの技術の大切さを挙げています。
今日でも、「優れたネズミ獲りを作れば、客はやってくる」というベンジャミン・フランクリンの金言に頼っているのですが、「ネズミ獲りをより優れたものにするものは何か、誰がより優れたものしなければならないか」を考えるには至っていないのです。
今日のハイテク企業経営者の典型は、トーマス・エジソンであり、19世紀最も成功した発明家エジソンは、発明を今日のいわゆる開発研究に転換し、一つの体系的な活動に変えたのです。
彼の望みは事業家になることだったのですが、しかし、自ら設立した企業すべてにおいてマネッジメントを失敗し、結局、それらを救うために経営から退かざるを得なかったのです。
今日のハイテク企業は、ほとんどでないにしても、きわめて多くが、エジソンのようにマネッジメント、より正確には、エジソンのように間違ったマネッジメントをしているのです。
アップルのステイーブ・ジョブズも創業してから、アップルを追放されるようになった時までは、上記のエジソンのように、マネッジメントに失敗していたのです。
ところが、アップルが倒産の瀬戸際に復帰したときには、マネッジメントにおいて非常に卓越した手腕を発揮し、瞬く間にアップルを株式価値世界一の会社に仕上げたのです。
このように、マネッジメント技術の巧拙により、会社も駄目になったり、反対に輝くような会社に生まれ変わることが出来るのです。
マネッジメント技術は、特殊な才能ではなく、日々の仕事として日常の業務に組み込まれていることが欠かせないのです。
マネッジメントを習得することは、経営者の永遠の課題であり、日々の研鑽が欠かせず、終わりがないのです。
そして、この時代、アメリカで膨大な雇用を生み出したのは決してハイテク企業ではなく、体系的にマネッジメントされた起業家精神を持つローテク企業は、大いに雇用を創出しているのです。
マネッジメントとしての、起業家精神も併せて、たいへん重要なのです。
画像は、昨日東京支店の蕎麦学校で生徒さんの作品を修正しているところです。
一つひとつ真剣勝負で、修正していくのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。