うどん・ラーメン・そば屋開業・繁盛店を目指す|名言集 17-32 ピーター・ドラッカー解説(産業の変化は知識の意味の変化が根底にある)

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 昨日も朝から、滋賀県、京都府、大阪府と2府1県をまたいで、ラーメン学校の生徒さん、うどん学校の問題を抱えている生徒さんの店を回りました。

問題を抱えている生徒さんほど、抱えている問題点が見えていないので、それを問題と思っていないのです。

最初に行った店は、原材料比率が30%程度で、提供している商品を確認すると、美味しいのですが、特にインパクトもなく、その価格であれば、どこででも食べることの出来るような商品なのです。

多分、点数にすれば、75点か80点レベルの商品です。

従って、お客さまの数、売上が思うように伸びていないのです。

これだけラーメン業界の競争の厳しい日本においては、そこそこの良い程度のレベルでは競争に勝って、行列を作り、多くのお客さまを呼ぶことは出来ないのです

95点以上のインパクトのある、強い商品でないと勝てないのですが、やっている本人はそのことに気づいていなくて、この程度の商品で満足していて、場所が悪いとか、店員のレベルが低いからしょうがないとしか、思っていないのです。

一番大きな問題点は、私が行って指摘しないと、やっている本人がそのことに気付いていないで、現状の商品に満足していることです。

この店は立地もそれほど悪くなく、席数も50席程度あり、駐車場も十分にあるので、キチンとした商品を出せば、十分に売上の上がる店なのに、オーナーがケ チっていて、特に問題であったのは、テーブルの上に置いているメニュー・ブックより、出て来た商品のチャーシューがお粗末であったことです。

絶対にやったらいけないのは、メニュー・ブックよりお粗末な商品を作ることで、お客さまは裏切られたような気になるのです。

次に行った店もラーメン店で、商品を見ると、盛り付けに問題があったのと、元ダレが効きすぎて、塩度が高かったのです。

特に、濃厚な野菜のスープなので、元ダレは普通の場合の半分程度で良いのに、塩の元ダレの量が多すぎ、塩辛さが出ているのです。

煮干しラーメンの一部等ではわざと塩味を利かすことがありますが、濃厚なスープでは絶対に塩をきつくしてはいけないのです。

スープ濃度と塩の濃度は反比例するのです。

女性をターゲットにしている店ですが、甘さが足りなかったので、スイート・チリ・ソースを入れて、甘さのバランスを取ると、丁度良くなりました。

盛り付けの問題は、トッピングの材料が足りなかったので、明日のラーメン学校の盛り付けの時間に送って貰った食器とスープを使って、さまざまな盛り付けをやってみて、画像を送るようにしました。

ラーメン学校の食器ではなく、お店で使っている食器と同じものでないと、同じような盛り付けにならないので、食器も一緒に送って貰ったのです。

最後に行った店は、カフェでうどんを出していて、鍋料理を始めていたので、味をチェックしてみました。

ここも女性ターゲットなのに、甘さが足りなかったので、スイート・チリ・ソースで味を調えると、丁度良い味になりました。

昨日はクリスマス・イブで昨日も出張先での、お客さまのお店でのクリスマス・イブになりました。

本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「産業の変化は知識の意味の変化が根底にある」です。

39.産業の変化は知識の意味の変化が根底にある

3つの段階、産業革命、生産性革命、マネジメント革命の根本にあったものが、知識における意味の変化だった。
こうして我々は一般知識から専門知識へと移行してきた。
かつての知識は一般知識だった。
これに対し、今日知識とされているものは、必然的に高度の専門知識である。

(解説)知識について深く思考するために、当社の生い立ちから今日に至るまでを、振り返ってみました。

創業のころ、私が持っていた知識は、一般的な機械工学とか、機械設計に対するものしか、持っていなかったのです。

最初は、製麺機ではなく、一般的な精密機械の設計であったので、それで十分間に合ったのです。

ところが、徐々に製麺機ビジネスに特化するようになると、機械工学は勿論、製麺理論の学習が必要になり、製麺理論を深く追求しました。

そして、この当時はまだ深く製麺理論を極めている先達の数は少なく、いろんな文献を探して、製麺理論を学ばなければならなかったのです。

そして、製麺理論を深めていけばいくほど、昔学校で習った機械工学の科目の中の金属工学がたいへん役立つことが分かりました。

特に麺生地を鍛える場面では、金属工学の疲労破壊の理論がたいへん役立ち、麺生地の熟成の概念を創り上げ、熟成庫を業界で最初に開発し、売り出すことが出来たのです。

そして、この概念の延長線上で、防腐剤を一切入れないで、半生麺を作る技術を確立したのです。

当社の真打とか、坂東太郎で作ったうどん、蕎麦が美味しいのは、創業して間もないころから、熱心に製麺理論の解明に取り組んできたことが大きな原因になっているのです。

専門的な製麺理論とは、熟成の概念以外にも、ミキシング時の撹拌造粒の理論、生地のPHコントロール、塩の違いによる麺質の差、水の違いによる麺質の差、圧延の方法、麺断面のカット方法、茹で理論等々、美味しい麺作りに必要な、専門的な知識ばかりなのです。

ドラッカーがこだわっている知識とは、このような専門的に特化したもので、学校で教えるような一般的な学問ではないのです。

従って、当社の麺学校で教えているのは、すべて専門的で、即、実践で役立つ新しい知識なのです。

要するに、成果を上げるための専門的な知識を教えているのです。

さらに、商品力を高めるには、美味しい麺の知識だけではなく、スープ、だし、つゆの知識、次に天ぷらとか、トッピング、更には盛り付けの綺麗さ等の知識と幅がどんどん広がっています。

まさに、蟻地獄の穴を深く掘れば、周辺が自然に大きくなり、穴自体が巨大になってきたのです。

更に、お客さまの店舗の繁盛の課題を突き詰めていけば、商品力だけではなく、サービス力、店舗力と知識の範囲は無限に広がるのです。

広がるだけではなく、それぞれの課題は、より専門的になり、より奥が深くなってきたのです。

創業のころに当社が携わり、お客さまにお教えしていた内容とは、まったく異なっているのです。

要するに、専門化と細分化、さらに範囲の広がりと、お互いに矛盾するようなことを同時に、進めていかねばならないのです。

ドラッカーは、知識について、更に次のように説明を加えているのです。
(週刊東洋経済2001.6.9-7.28 「入門ピーター・ドラッカー-8つの顔」より、引用)

今日、知識とは、成果を生むための高度に専門化された知識のことで、ドラッカーは、つい最近まで行動のための知識は、テクネ(技能)として低い地位しか与えられていなかったと指摘するのです。

そして、知識は体系的に教えられるものではなく、中世のギルドに見られるように徒弟制度の中で会得すべきものだったのです。

しかし、今日われわれに必要とされている知識とは、この行動のための知識ですが、客観的で伝達可能な体系化された専門知識なのです。

さらに知識は高度化するほど専門化し、専門化するほど単独では役に立たなくなり、他の知識と連携して初めて、役に立つのです。

そして、知識は、他の知識と結合したとき爆発し、得意な知識で一流になると同時に、他の知識を知り、取り込み、組み合わせることで大きなパフォーマンスをあげられるのです。

ドラッカー自身、統計学から中世史に至るあらゆる領域について、いちどきに1つのテーマに絞って徹底的に勉強し、これを60年以上続けているのです。

「知識社会は組織社会である」

ここでドラッカーの組織論が出てくるのです。

専門知識を有機的に連携させ、さらには結合させる場が組織であり、組織とは、企業、政府機関、NPOなど、人が目標に向かってともに働く場すべてを指すのです。

したがって、知識が中心となる社会は、必然的に組織の社会となり、脱大組織はあっても脱組織はないのです。

もちろんここにいう組織とは、硬直的閉鎖的なものではなく、特にこれからは出入り自由のものとなり、雇用関係の有無さえ問わず、協力、連携、パートナーシップを含む多様なつながりとなるのです。

かつては「お仕事は」と聞き、今では「お勤めは」と聞くのですが、これが再び「お仕事は」と聞くようになるのです。

知識の力が、組織社会を生んだのですが、その知識の力が、組織にしばられない組織社会へと、組織社会の変質をもたらすのです。

資本主義社会の後の、今日の転換期として、ドラッカーはポスト資本主義社会と呼び、このポスト資本主義社会の後にくるものがおそらく知識社会であり、そのころには「え、おカネが中心の社会があったのか」というようになるのです。

すでにがんや心臓病の特効薬を見つければ、おカネなど、どこからでもやってくるのです。

教養とは生きた知識のことで、知識社会では、一般教養となる知識の性質が、かつてのものとは変わってきて、生きた知識が教養として求められるのです。

かつては、むしろ役に立たない知識、生きていない知識が教養とされた時代があり、ドラッカーはその典型として、ラテン語教育を挙げるのです。

欧米ではいまだに教養としてラテン語を教えている学校があり、論理性を養うとか、他の外国語を学ぶ基礎になるとかの理屈を付けているのですが、開き直って、役に立たないからこそ教養なのだとの説もあるのです。

ところが、歴史をみると、ラテン語は、ヨーロッパではどの国でも、公用の書き言葉として使われていて、物書きを職業とする官吏や書記にとっての必須の技能だったからこそ、書記養成のための高等教育機関で必修科目にされていたのです。

しかも、ドラッカーによれば、論理性うんぬん等のラテン語擁護論が現れたのは、書き言葉が、ラテン語から各国それぞれの国語に変わった後のことであり、せっかくのラテン語擁護論も、ラテン語教師の失業防止策ととられても仕方のない面があるのです。

このように、ドラッカーは学校の科目も新陳代謝がなかなか行われないと嘆いているのです。

ところが今や、知識は役に立つことがわかり、世の中を変えるのは知識であり、これからはますますそうなることが明らかになったのです。

ドラッカーは30年以上前に、これを指摘したのは、世紀のベストセラーで、今も読まれている『断絶の時代』(1969年)においてだったのです。

今後、特に必要とされる知識がマネジメントですが、大学の経営学部以外ではまったく教えられておらず、中学、高校および大学の他の学部では、相も変わら ず、1人ひとりの人間が、組織などとは関係なく、1人で仕事をしている時代と同じことを教えていて、しかも経営学部で教えていることさえ、日進月歩の実業 の世界に追いついていないのです。

マネジメントとは、高度に専門的な知識を他との協働で有効なものとするための方法であり、これがドラッカーのマネジメント論であるのです。

したがってマネジメントもまた、日々進化していき、マネジメントのパラダイムは転換してやまないし、マネジメントとは企業のためのものという前提がすでに崩れているのです。

それは、あらゆる種類の組織のためのものであり、さらには、一人ひとりの人間のためのもので、今や、自らをいかにマネジメントするかが、重大な意味を持つのです。

ドラッカーが『明日を支配するもの』(1999年)で展開したパラダイム転換論は体系としてのマネジメントの本質と、その現在の状況を確認するものだったのですが、いかに働き、いかに貢献するかという問題は、いかに生きるかという問題に直結するのです。

ドラッカーによれば、教育の中身と方法が、これまでとはまったく異なるものとなり、知識が中心である社会における教養とは、読み書きに加えてコンピュー タ、外国語、マネジメントの知識、自らの専門領域についての高度な知識、その他の専門領域の意味性の知識、そして自らをマネジメントするための知識を持つ ことであるのです。

「いかに自らをマネジメントするか」

特に、いかに時間をマネジメントするか、いかに自らの考えをプレゼンテーションするか、いかに他人とコミュニケーションを図るか、いかに変化の先頭に立つか、つまるところ、いかに自らをして貢献せしめるかといった、自らをマネジメントする能力が不可欠となるのです。

かつては、経営幹部に特有の機能だったマネジメントが、あらゆる人間にとっての教養、常識となり、意思決定の能力やイノベーションの能力は、知識労働者にとって、成果を上げる能力そのものであるので、こうして全員がチェンジリーダーとならなければならないのです。

ドラッカーは15世紀の半ば、グーデンベルグの活版印刷の発明に始まった印刷革命が教本を可能とし、教育を変えたと同じように、IT革命も教育を変えるというのです。

ドラッカーは身に着けるべき知識を、学ぶことと教わることの2つに分け、算数の九九に始まり反復学習によって学ぶことは、「学習ソフト」が助けとなり、こうして教師は監視する役から解放され、物事の意味を教えるという本来の役を果たすようになるのです。

そこからさらに進んで、教わる者の強みを引き出し、それを伸ばすことができるようになり、知識が中心となる社会では、強みを伸ばすことによって得られる高度の専門性と、周辺知識の意味性への理解が物を言うのです。

クリスマス・イブの夜の大阪の街はきれいなイルミネーションでした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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