昨日は朝から、東京支店の前田さんの車で高崎に移動し、12時半からのセミナーに臨みました。
関越自動車道を北進し、昼前になったので「上里SA」で、昼食を取ることにしたのです。
以前にも何度か、このSAを利用したことがあり、以前には、このレストランにはサラダバーがあったのですが、今回、サラダバーはもちろん、サラダのメニューは一つもなくなっていました。
SAのレストランにもかかわらず、サラダバーまで備えているレストランであったのが、今回はサラダメニューが一つもなくなっている、一貫性の無さに驚いたのです。
最初にサラダバーを始めたのは、多分時流に沿った考え方であり、サラダバーをなくしたのは、採算を考えてのことだったのかもしれないのですが、そこには、真剣にお客さまの問題解決を行なおうとする姿勢は、見えないのです。
従って、昨日、食事をしている間も従業員からの、お客さまに対しての温かいサービス、心遣いはぜんぜんなかったのです。
この様に客としてその店に行き、店の雰囲気に浸ってみると、その店の考え方、取り組みがよく分かります。
お客さまを幸せにしようと、真剣に取り組んでいるのか、目先の儲けを急いでいる店であるかが分かるのです。
どんなレストラン・ビジネスも価値観、使命、コンセプトの明確化が、最初であることがよく分かります。
レストランの本部の社長はそこまで考えてやっていないでしょうけれど、このような末端での心遣いの差が、お客さまの心に伝わっているのです。
昨日のドリーム・スタジオ高崎のセミナーのタイトルは「スタッフのモチベーション・アップ」と「利益倍増計画~多店舗展開へのステップアップ~」で、さすがに、利益倍増計画については、ご参加のお客さま方から熱心な質問がありました。
特に小さい席数の店と大きい席数の店で、売上と利益に大きな差が出ること、郊外で駐車場の足りない店が、売上を上げるのをいかに妨害しているかを説明すると、驚いていました。
事業計画書を作成し、シュミレーションを行なってみるとよく分かるのですが、新規に開業する人たちは、それを深く考えないで、駐車場が足りないけれど、美味しければ、路上駐車をしたりして、何とかなるだろうと甘く考えてしまうのです。
開業してみて、初めてその問題の大きさに気づくのですが、気付いた時は、もう遅いのです。
だから、昨日も今からの開業を考えている参加者には、先に麺学校の経営講義を受けることを勧めたのです。
既に開業している人たちも何人かいて、関心あるセミナー内容であったので、いろんな質問が出て、都度、詳しく説明を加えていきました。
ドリーム・スタジオ高崎も開設して既に4年を経過し、担当しているスタッフの安藤さんもスッカリ慣れて、お客さまに製麺講習を安心して、出来るようになっています。
そのようなスタッフの成長している姿を見ると、頼もしくなり、本人の努力もありますが、ここまで来るまでに周りの人たちも一生懸命に彼女を育ててくれたのです。
彼女を育ててくれたのは、社内のスタッフたちだけではなく、お客さま方も、彼女の成長に大きく寄与してくれているのです。
来年は、ドリーム・スタジオ高崎も5周年、東京支店も品川に移転してからちょうど5周年になる節目の年になります。
この様にして、各地のドリーム・スタジオが完全に地域密着して、多くのお客さま方に愛され、なくてはならない存在になり続けることが私の願いです。
そして販売活動を一切なくしても、当社の商品、サービスが、お客さまに指名され続けるようになることが理想状態で、そのような日々が早く近づくことを夢見て、今日も熱心にセミナーを行ないました。
次は、来週からのLAでのイベントのお知らせです。
昨年の10月に続き、3月2日(月)から4日(水)までの3日間、LAで、イベントが開催され、私のセミナーも合計3本入っています。
https://www.yamatomfg.com/special-noodle-events/
現在の北米の事情に合ったテーマであり、本来は麺學校で教えている、実務に役立つ内容ばかりの私のセミナーで、タイトルは次の通りです。
1.事業計画・レイアウトセミナー((仮)ビジネスの成功、利益差はここで決まる) “Understanding Successful Noodle Business by numbers”
2.コンセプトの重要性~コンセプトがビジネスの成功を左右する
“Different noodle restaurant concepts that work”
3.利益倍増計画~多店舗展開へのステップアップ~
“Key to expansion strategy for your restaurant business”
Important tip for building a successful business
-Why business concept determines success in business
4.単価の上がる盛り付け実演(ラーメン、うどん、つけ麺)
その他にも、新規開業者と既存店の双方に役立つ面白い内容のセミナーとか、イベントを準備して、御来場をお待ちしています。
本日より、当分の間、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。
「大学と病院の例」
起業家精神とは、経済的な組織に限定されるものではなく、起業家精神の歴史において、近代的な大学、とくに大学の創設と発展に勝る例はないのです。
西洋における近代的な大学は、ドイツの外交官ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが構想したのです。
彼は1809年、フランスから知的、科学的主導権を奪うとともに、フランス革命によって解放されたエネルギーを、そのフランスに対して、特にナポレオンに対して向けることを目的として、ベルリン大学を創設したのです。
その60年後、ベルリン大学が頂点に達した1870年頃、大西洋を隔てたアメリカでも、社会改革の旗手としての大学というフンボルトの考えが実現したのです。
南北戦争が終わるころ、アメリカでは植民地時代の単科大学が衰退していた、1870年には、1830年頃と比べて人口は3倍近くに増えていたにもかかわらず、大学生の数は半分以下に減っていたのです。
しかしその後の30年間において、名だたる学長が次々と現れ、アメリカ型の新しい総合大学を創設し、1世紀前にフンボルトの大学が学問研究の分野で世界の 指導的地位をドイツにもたらしたように、第一世界大戦後、その地位をアメリカにもたらしたのです。(マネッジメント参照)
さらに第二次世界大戦後、起業家精神にあふれた教育界の人たちが、NYのペイス大学、フェアレイ・デイキンソン大学、NY工科大学、ボストンのノースイースタン大学、西海岸のサンタクララ大学、ゴールデン・ゲート大学のような新しい都会型の私立大学をつくったのです。
近年アメリカで最も成長した高等教育機関が、それら新しい型の大学であり、講義そのものは、以前とあまり変わらなかったが、対象が違っていて、高校の新卒者よりも、すでに働いている人たちを対象にしたのです。
寄宿舎に住み、週5日、9時から5時まで講義に出る昔ながらの学生ではなく、自宅に住み、夜間の授業に出てくる大都市の成人に的を絞り、伝統的な大学生よりも、多様な生活背景を持つ種種雑多な学生を対象にしたのです。
それらの大学は、市場の変化、すなわち学位が上流階級のものから中流階級のものに変化したこと、さらには、大学に行くことの意味が変化したことに対応した、まさに起業家精神によって生まれた大学だったのです。
日本における教育の歴史は、江戸時代の藩校に源流を見ることが出来、日本が幕末から明治維新に移行し、近代国家に早く移行することが出来たのは、江戸時代における藩校の果たした役割は、非常に大きなものがあったのです。
ウイキペデイアによれば、藩校の内容や規模は多様ですが、藩士の子弟は皆強制的に入学させられ、後に、武士階級以外にも開放された藩校もあるのです。
広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含み、全国的な傾向として、藩校では武芸も奨励され、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業します。
教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣術等の各種武術などが加わり、藩校の入学における主な試業(試験)は素 読吟味であり、四書(儒学の基本文献。「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称)のうち、抜粋した漢文を日本語訳で3回読み上げるのです。
内容の解釈はともかく、読みの誤謬(読み間違い)、遺忘(忘れてしまうこと)の多少で合否が決まり、江戸幕府では10月頃に行われていたのです。
藩校の入学試験に合格しても、次から次へと試験を行わなければならず、落第した者には厳罰が課せられ、特に3度の落第者には厳しい厳罰が設けられていたのです。
それは藩校によって様々ですが、主な厳罰として、嫡男なら相続の際、家禄の減俸、更に親の役職を継ぐにもままならず、無役のまま生涯を送ることもなりかねないのです。
以上のように、江戸時代の藩校では現在では考えられないような厳しい教育制度であり、その制度の下で、幕末に海外から日本に来た諸外国の外国人は日本人の素養の素晴らしさに舌を巻いていたのです。
徳川家光時代までの武断政治から文治政治への転換と共に、藩校が各地に設立され、日本初の藩校は、1669年(寛文9年)に岡山藩主池田光政が設立した岡山学校(または国学)なのです。
全国的に藩校が設立された時期は宝暦期(1751年〜1764年)以後であり、多くの藩が藩政改革のための有能な人材を育成する目的で設立した学校が多いのです。
また柳河藩や米沢藩のように、江戸時代中期頃に藩の儒臣の自宅につくられた孔子廟や講堂を江戸時代後期に移転、拡大し藩の役職に藩校関係職を設立して藩営化して藩校とする場合も見られます。
各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われ、発展期には全国に255校に上り、ほぼ全藩に設立されたのです。
藩校の隆盛は、地方文化の振興や、各地域から時代をリードする人材等の輩出にも至り、代表的な藩校としては、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、長州藩の明 倫館、中津藩の進脩館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の藩校時習館、鹿児島藩(薩摩藩)の造士館などが有名であり、特に薩長の雄藩では教育においても優位に立っ ており、薩長土肥の連合において有力な人材を輩出したのです。
また、越後長岡藩の就正館(文政13年(1831年)、「長岡市史」)や長州藩の有備館(天保12年(1841年)、「萩市史」)のように藩内だけでなく江戸藩邸内にも藩校を開設した藩も存在するのです。
藩校の中には、藩主の転封やその他の理由による藩庁移転に伴って、新しい領地・藩庁所在地へ移設・新設されるものもあり、立教館(白河藩→桑名藩)などは 転封による移設の例であり、また、長州藩では倒幕・攘夷戦に備えるため萩から山口へ、小倉藩では幕長戦争による小倉城落城から豊津へ、それぞれ藩庁を移転 し、新しい藩庁所在地において藩校も新設されたのです。
幕末には、佐賀藩、金沢藩、山口藩、中津藩、薩摩藩、佐倉藩等の一部の藩校は、国学・漢学に止まらず、医学、化学、物理学、西洋兵学等の学寮を併設する事実上の総合大学にまで発展していたのです。
明治4年7月(1871年8月)廃藩置県で藩校は廃止されたが、明治5年8月(1872年9月)学制発布後の中等・高等諸学校の直接または間接の母体とな り、1886年(明治19年)中学校令の公布とともに、東京大学予備門が廃止され、全国に文部大臣の管理に属する七校の官立高等中学校(後に(旧制)高等 学校と改称)が開設されたのです。
各高等中学校のうち、山口、鹿児島、金沢(第四)の本部(本科)、および岡山(第三)、仙台(第二)、金沢(第四)の医学部は、旧藩校 (山口明倫館、鹿児島造士館、金沢明倫堂)や、藩医学校(岡山医学館、仙台明倫養賢堂、金沢医学館)の流れを汲むものであり、これらの旧藩校の後進諸校 は、その後(改組・中絶・再興等を経て)大学にまで発展することになり、旧制(尋常)中学校に留められたその他の旧藩校は、現在では新制高等学校として存 続しているものが大半であるのです。
以上のように、近代日本の学問の制度は既に、江戸幕府時代に基礎が作られ、それを基にして、発展してきたことがよく分かります。
同時に、どの国を見ても、国の繁栄を担っている大本は、教育にあったことも併せてよく分かるのです。
現在では教育の世界もグローバル化が進み、優秀な学生を世界中から集めることが出来る大学が、成果を上げ続けているのです。
「世界ランキング統計局」によれば、2012年10月3日、イギリスの高等教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE Times Higher Education)」が、2012年版の「THE 世界大学ランキング 2012(World University Rankings 2012-2013)」を発表したのです。
「THE 世界大学ランキング」は、「教育環境」「国際性」「産業界からの収入」「研究」「引用」の5つの全体的指標と、13の個別的指標から評価され、その中から上位400大学が公表されるのです。
ランキング1位は昨年同様、カリフォルニア工科大学(アメリカ)が選ばれ、2位にオックスフォード大学(イギリス)、3位スタンフォード大学(アメリカ) と続き、1位から25位までは、12位のチューリッヒ工科大学(スイス)を除き、全てアメリカ、イギリス、カナダと、英語圏の国の大学で占められ、非英語 圏の国の大学では27位の東京大学が最高位であるのです。
またアジアの大学では、27位の東京大学に次いで、29位シンガポール国立大学(シンガポール)、35位香港大学(香港)、46位北京大学(中国)、50 位浦項工科大学校(韓国)の順となっていて、これらアジアの大学は近年、急速に順位を上げてきていて、中でもシンガポール国立大学は昨年の40位から29 位に、清華大学(中国)は71位から51位に、ソウル大学校(韓国)に至っては124位から59位に大きく躍進したのです。
日本の大学では、昨年の30位から27位に順位を上げた東京大学がトップで、次いで、54位京都大学、128位東京工業大学、137位東北大学、147位大阪大学となっています。
また、200位以下では201-225位に名古屋大学が、251-275位に首都大学東京、276-300位に東京医科歯科大学、301-350位に北海 道大学と九州大学、筑波大学が、351-400位に慶応大学と早稲田大学がランクインしていますが、このランキングの指標ごとのスコアをみると、日本の大 学の弱点が浮き彫りになってくるのです。
中でも「国際性」のスコアが総じて低いことが指摘され、特に、東京大学27.6点や京都大学の26.3点は、トップ100にランクインした世界の大学の中 でも最低水準であり、「国際性」は外国人教員や留学生の比率などで評価されるのですが、今後はこの弱点を克服するために、大学制度の改革や、海外からの高 度人材の誘致とそれに伴う法整備、外国人の就職環境の改善など、大学と政府、企業を巻き込んだ具体的な政策が求められるのです。
当社もラーメン学校・うどん学校・そば学校・パスタも学べるユニバーサル学校などの麺学校を運営しているので、教育の大切さは痛いほど分かります。
総合大学のような多岐にわたる、高度な内容の授業ではないのですが、麺打ち職人を育てる学校ではなく、麺専門店経営者を育てる学校を行なっているのです。
当社の本業は製麺機の製造販売であり、そのような当社が運営している麺學校であるので、ときどき、製麺機を販売するための学校であると勘違いされる場合が あるのですが、もし、製麺機を売ることを目的に麺学校をすれば、本来であれば、麺専門店を開業しない方が良い生徒さんにまで開業を勧めるようになるので す。
当社では、もし、生徒さんが開業に失敗し、閉店すれば100%製麺機を買い戻すようにしているので、そのようなことを避けるために、失敗する可能性のある生徒さんには、絶対に開業を勧めないのです。
従って、当社の麺學校の役割は、単に成功のノウハウを教えるだけでなく、生徒さんの適性を見分けるための学校でもあるのです。
近代病院の歴史からも、起業家精神についてのケース・スタデイーの本を書くことが出来、近代病院は、18世紀の末、エデインバラとウイーンで生まれたのです。
アメリカでは19世紀に地域病院(コミュニテイ・ホスピタル)として生まれ、20世紀の初めには、メイヨー・クリニックやメニンガー基金など専門化した医療センターが生まれ、第二次世界大戦後には、保健センターが現われたのです。
そして今日、医療界の新しい起業家たちが、救急外科クリニック、産婦人科センター、神経科センターなど、病人の介護ではなく、特定の医療ニーズに応えるための専門医療機関を生み出しているのです。
世の中の変化に伴ない、学校にしろ、病院にしろ、あらゆるものに違ったニーズが発生し、それに対してイノベーションを起こして対応した人たちだけが社会を変えて、人びとの幸福に貢献しているのです。
画像は、昨日のドリーム・スタジオ高崎の私のセミナーの一コマです。
熱心なお客さま方と一緒に、ためになる、楽しい時間を共有しました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。