開業で繁盛店を目指すラーメン・うどん・そば・パスタ|「イノベーションと起業家精神(上)」「予期せぬ成功」

これがハンバーガー・レストランのあいさつ文

早いもので、日本を発ってから既に3日を経過していますが、今回はまったく時差ぼけがなく、LAに到着した初日から、夜は熟睡し、昼間も快適に過ごすことが出来ています。

いつもは、この時期、昼と夜が反対になり、昼間は眠たくなり、夜はベッドに入っても寝られず、夜中ずっと仕事をしていたりした場合が多かったのです。

ところが、今回は到着したその日の昼間、現地時間で午後3時頃、眠くなってきたので、ホテルで1時間くらい仮眠を取ると、すっかり体調が整い、現地の昼夜にすぐに馴れることが出来たのです。

このように時差に早く馴れるようにするのにも、少しのコツがあるようです。

本日から、LAでの多彩なセミナーが始まるので、昨日はさまざまな前準備を行ないました。

だしの調整とか、食材の買い出し、特に食材については、北米の参加者の方がたが驚くような盛り付けをやってみようと思い、Whole Foodsで、さまざまな食材を準備しました。

但し、国内と同じように出来ないのが、本物のスープを炊けないことなのです。

これだけはどうしようもないので、Whole Foodsでスープ・ストックを買ってきて、味付けで何とかする予定です。

チキン、ビーフ、さまざまなベジタブルといろいろと買ってきたので、明日、本番で試してみます。

いきなり、明日の本番でやってみるのですが、以前はラーメン・スープに関するノウハウが充分でなかったので、こんな難しいことは出来なかったのですが、最近は、頭の中と舌が完全に連動して、簡単にスープの成功方程式を組み立てることが出来るのです。

トッピングもさまざまなトッピングを準備し、明日はイチゴの天ぷらもやってみる予定です。

昨日、当社のスタッフに連れられ、面白いハンバーガー・ショップに行ってきました。

店名は「Umami Burger」で、LA発で既に10店余りに増えていて、急速に店舗拡大しているようです。

他のファースト・フードのハンバー店と大きく異なるのは、
①美味しいこと、
②待たせること、
③高いこと、
④店名で分かるように、和をコンセプトにしていること、
⑤すべてイート・インであり、チップ制であること
です。

ロンドンでもたいへん繁盛している店のほとんどは、ラーメンであり、和食であり、寿司でした。

ハンバーガーでさえ、和がテーマになっていることを見て、日本の食が世界的なトレンドになっていることに改めて気づきました。

そして、残念なことにそれらを企画し、生み出しているのは日本人ではないということです。

日本人が日本の良さを理解していないのに、日本人でない人たちが日本の良さを理解し、それをビジネスに活用して大成功しているのです。

これらも、何らかの予期せぬ兆候として捉えることにより、新しいイノベーションを起こすことが出来るのです。

食の世界では、世界中が日本に注目しているのです。

海外に来て、実際の姿を見れば見るほど、今は非常の大きな機会にわれわれは遭遇していることを感じます。

この機会を活用するかどうかで、10年後のわれわれの状態、境遇は大きな差になっていることでしょう。

以前からお知らせしているように、次回の補助金のセミナーは次の通りで、ドリーム・スタジオ札幌で、3月16日(月)15時30分です。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=1851&ref=top

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。

第三章 予期せぬ成功と失敗を利用する

「予期せぬ成功」

予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはなく、これほどリスクが小さく、苦労の少ないイノベーションはないのですが、予期せぬ成功は、ほとんど無視されるのです。

困ったことには、その存在を認めることさえ拒否される傾向があるのです。

ここに一つの例があります。

30年以上前、ドラッカーはNYの最大の百貨店は、R・H・メイシーの会長から「家電の売れ行きを抑えるにはどうしたら良いか」と相談されたので、「どう してですか、損をしているのですか」と聞いたところ、「いや、婦人服よりも儲かっている。返品や万引きもない。」とのことでした。

「家電の客が多いと、婦人服の顧客が来なくなるのですか。」と聞くと、「いや、以前は婦人服の顧客に家電を売っていたが、この頃では家電の顧客に婦人服を 売っているくらいだ。だが、うちのような店では、売上の7割は婦人服でなければいけない。家電の伸びが大きく、6割に達したというのは異状だと思う。健全 な水準に戻すために婦人服の売り上げを伸ばそうとしたが、どうしてもうまくいかない。だから、家電の方を抑えるしかない。」という答えでした。

この話があってからほぼ20年間というもの、メイシーは低迷を続け、メイシーがNYの小売業界で、その支配的な地位を利用出来なかった原因は、市内の荒廃 や店舗規模の問題など、幾つでも挙げることが出来るのですが、メイシーは、1970年にマネッジメントが交代し、戦略を変え、家電に力を入れるようになる と、市内の荒廃や人件費の高さ、店舗規模の問題にもかかわらず、再び隆盛を極めるようになったのです。

メイシーが予期せぬ成功を拒否していたちょうど同じころ、同じNYの百貨店、ブルーミング・デイルが、まったく同じ予期せぬ成功を利用して、NYの小売業界で2位の座を占めるまでに成長したのです。

それまで業界4位であったブルーミング・デイルは、メイシーよりも、さらに婦人服中心の店であったのですが、1950年代初めに家電の売上が伸び始めると、これを絶好の機会として捉え、予期せぬことが起こっていることを知り、分析したのです。

そして、家電と家具部門を中心とする、新しい百貨店としての地位を築いたのです。

さらに、家電の伸びが意味する新しい顧客層に目を向け、婦人服などの衣料品の戦略を大幅に婦人服に変えたのです。

今日、メイシーはかろうじて業界1位を保っていて、ブルーミング・デイルは、しゃれたNYの百貨店として2位の座を確保したのです。

かって、ブルーミング・デイルと2位を争っていたベストを初めとする1950年代の婦人服小売りの雄は、いずれも姿を消したのです。

メイシーの話は極端に思われるかもしれないのですが、この話で例外的なところは会長自身が、自分が何をしているかを自覚していたことなのです。

自らの愚かさを自覚せずに、メイシーと同じ失敗をしているマネッジメントは多いのです。

マネッジメントにとって、予期せぬ成功を認めるのは容易ではなく、勇気がいり、具体的な方針が必要なのです。

さらには、現実を直視する姿勢と、「間違っていた」と素直に認めるだけの謙虚さもなければならないのです。

人間は誰しも、長く続いてきたものこそ正常であり、永久に続くべきものであると考え、マネッジメントにとっても予期せぬ成功を認めることは、難しいのです。

自然の法則のように受け入れてきたことに反するものは、すべて不健全、不健康、異常なものとして拒否してしまうのです。

メイシーの場合で、一番の課題だったのは、「うちのような店では、売上の7割は婦人服でなければいけない。」という、CEOの思い込みであり、自分で自社が立ち行かなくなるような制約を設けていたのです。

その裏には、百貨店は売上の大半以上を婦人服で稼ぐものであるとの思い込みがあり、お客さま方のライフスタイルの予期せぬ変化を見落としていたのです。

このような事例は、たくさんあり、予期せぬ成功の事例として、ドラッカー・マネッジメントの師、国永先生はドラッカー名言録で、次のような事例を挙げているのです。

「予期せざる成功・失敗にこそ革新への源が」

ドラッカーは第二次世界大戦後の約1250件の画期的新製品から、カンバン方式のようなシステムに至るまでのイノベーションを徹底的に調べて、その源は何かを追求して、7つほどの「革新の源泉」を導き出したのです。

そのリストのトップにあるのが、この「予期しなかった成功あるいは失敗」であり、たとえば、このプロジェクトなら3%はいくと見込んでいたのが、予想に反して13%も伸びた場合、ああ、当たって良かったなどといって、ここで安心するのは一流の経営管理者ではないのです。

それなりに人智を働かせて立てた予想がはずれたことの背後には、何か計り知れなかった、新しいファクターが潜んでいるはずであると考えることによって、イノベーションへの貴重なヒントや策が得られるとドラッカーはいうのです。

そして、かつて来日してこの話をしたときに、古い事例だが、と断って、今日の高級筆記具クロスのボールペン誕生物語がその好例だと、こう話してくれたのです。

あるとき、同社はあるイベントへの記念品として、今日の金張りの高級ボールペンの原型となるものを来客に配ったところ、これが大好評で、もっとないかとい う問合わせがしきりにあり、喜んでいただいてよかったというだけで止まらず、これはいったいどういうことだろうと営業担当の副社長が調べたのです。

すると、当時はペーパーメイトとかスクリプトとかいった安い値ごろのボールペンはあったのですが、エグゼクティブが使用するのにふさわしいハイクラスのも のはなく、フランス発のビックもようやく誕生したばかりで、プレスティージのある高級ステーショナリの一環としてゴールドやプラチナのスリムなボールペン を開発したところ、これが大ヒットしたというわけです。

まさに「予期しない成功」が一つのビジネスを生んだ事例であるのです。

したがって、ドラッカーは「予想外の成功や、その逆の失敗の教訓を決しておろそかにしてはいけない。そこを、これまたドラッカー好きな言葉でいうならば、 「シンク・アウト(トコトン考え抜く)」ことによって、イノベーションへのきっかけが生まれ、革新への新しい道筋がみえてくる。」というのです。

この言葉の中に潜んでいるもう一つのドラッカー的発想は、その現実主義的、あるいは難しくいうならば実存主義的考え方であり、未来に絶えず、目を据えてお り、数々の大胆な予測と予見を成し遂げて、その鋭い未来透察力を賞賛されているドラッカーが、現実主義で、しかも「いま、ここで(ヒア・アンド・ナウ)」 という実存的現在志向が強いと、いぶかしく思う人も多いかもしれないのです。

しかし、「明日何が起こるかは誰もわからない」「未来についてわかっていることは、たとえば人口動態のように、“今すでに起こっている未来”だけである」 という言葉の端々からも伺い知れるように、人智の限界を骨身にしみて了解しているドラッカーにとって、その心の底には人間の考えなどはたかが知れていると いう冷めた眼が光っていることも忘れてはならないのです。

ギリシャ神話の中のシジフォスのように、大きな石を額に汗してようやく山頂に押し上げた途端にその石は転げ落ちることを知りつつも、再び石を運び上げるべ く黙々と山を降りていく人間の姿と、こうした営みをドラッカーは冷徹な、しかし底には温かい眼でもってみているのだと言えるのです。

次に、1970年前後に、あるアメリカの大手製鋼メーカーが電炉の導入を嫌った原因も同じだったのです。

同社のマネッジメントは、自社の高炉が急速に陳腐化し、その近代化に数十億ドルの資金が必要なこと、しかも、その資金を調達できないことを知っていたので、取るべき道は電炉しかなかったのです。

その鉄鋼メーカーは、たまたま電炉メーカーを合併していて、新しく手に入れた電炉は生産量を増やし、かなりの収益をもたらしたので、若手の何人かが、資金を電炉の追加買収と増設に充てることを提案したのです。

その提案によれば、数年を経ずして、特定の市場に的を絞った生産能力を数百万トン増加させることが出来るはずだったのですが、トップ・マネッジメントは、その提案を退けただけでなく、数年後には、この提案に関わった者は全員、退職の憂き目をみたのです。

トップ・マネッジメントは「高炉中心の一貫製鉄所こそ唯一の道である。その他のいかなるものも、ごまかしに過ぎない。流行は不健全であり、長続きするはずがない。」としたのです。

言うまでもなく、10年後の今日、アメリカの鉄鋼業界において成長を続け繁栄を誇っているのは電炉であったのです。

一貫製鉄所の完成に半生をかけ、高炉に馴染んだ(鉄鋼業界によく見られる)親子2代の鉄鋼マンにとって、高炉以外のものは、すべて新奇な異物であり、脅威だったのです。

自らにとっての最善の機会を敵の中に見出すには、相当なエネルギーを必要としたのです。

このような事例は、数えれば、きりがないほどたくさんあり、現在、生き残り隆々としている企業は、このような幸運に浴している企業ばかりであると言っても過言ではないのです。

改めて、経営者に必要な素養として、何歳になっても、素直、謙虚であることは欠かせないことが分かります。

特に、人間の場合は、年齢を経る毎に頑固になる傾向があるので、年齢を経ても余計にフレキシブルで、素直で、謙虚になり続けるのも、経営者の大切な修行なのです。

昨日訪問した、「Umami Burger」での一コマです。

客単価は高く、昼間で一人25ドル(約3千円近く)、夜はアルコールが入るので、もっと高くなるはずで、食べもののクオリテイもなかなかもものでした。

因みに入口正面に掲示してある、あいさつ文は別紙の通りで、これがハンバーガー・レストランのあいさつ文とは、誰も思わないと思います。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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