ラーメン・うどん・そば・パスタ開業で成功店に!|「イノベーションと起業家精神(上)」「知識ニーズ」

サンドイッチ店「さえら」

昨日で、札幌のイベントはすべて終了しましたが、今回の札幌のイベントは、当社にとって忘れられないイベントになりました。

それは、当社のユーザーさまになるかもしれないお客さまと、当社のスタッフのやり取りの問題でした。

あるお客さまが当社のスタッフの対応に立腹し、その情報が藤澤常務の耳に入り、藤澤常務が早速、そのお客さまの元に駆けつけ、当社のさまざまな課題をそのお客さまから突き付けられたのです。

お伺いすればするほど、お客さまの言い分はもっともで、当社のさまざまな問題点が浮き彫りになったのです。

もし、藤澤常務がお客さまの元に駆けつけて、真摯にお客さまの声を聞かなければ、気付かなかったような問題点が明確に分かったのです。

当社も長くビジネスをやっているので、今まで社内では当たり前に処理していたことが、お客さまにとっては当たり前ではなかったのです。

今までのわれわれにとっての常識も、お客さまにとっては非常識であったのです。

このことは、当社に素晴らしい気づき、今までは当たり前で気付かなかった、貴重な問題点を教えてくれたのです。

そして、当社がこれから、お客さまとのやり取りについては、大きく変わらなければいけない、きっかけを作ってくれたのです。

お客さまからのご指摘と同時に、素晴らしいスタッフを持っていることを誇りに思いました。

昨日の藤澤常務の行動は、まったく期待以上であり、ますます社内のお客さま研究室で、深くお客さま研究を続けなければいけないことを教えてくれました。

お客さまは先生であり、特に正しく、厳しい意見を言ってくれるお客さまこそ、素晴らしい先生です。

今回のやり取りを通じて、骨のあるお客さまこそ、素晴らしいお客さまであり、われわれの問題点をズバリ指摘してくれるのです。

普段から、当社も正しいことを実行しているつもりではあるのですが、日々の担当者一人ひとりのやっていることの100%を完全にチェックすることは、出来ないのです。

従って、正しいことが行なわれていると思っていても、実際はそうではないことが行なわれていても、気付かないことがあるのです。

そして、今回のように、気骨あるお客さまの行動により、気付かされることがあるのです。

このようなことが起きないようにするためにも、改めて、人の重要さを理解し、価値観の共有化の大切さがよく分かりました。

価値観が充分に共有出来ていない部分で、このようなことが起きているのです。

4月3日には、全社集合しての営業会議があるので、営業会議ではこのことを改めて明確にしていく予定です。

われわれは、常に正しいことを行なっているつもりですが、まだまだ未熟な部分が多く、このような抜け落ちている部分が、まだまだたくさんあると思いますので、もし、フェイス・ブックの読者の方がたで、お気づきの点があれば、ぜひ、教えて戴きたいと思います。

本当に昨日の件は、当社が生まれ変わる最高のきっかけになり、改めて、人が変わるきっかけは、人であることがよく分かります。

素晴らしい人に会うことが、自分を変えるチャンスであったのです。

本日、朝からホテルで、入社希望者を面接しましたが、その人を通しても、当社の今までの課題が明確になりました。

過去の思い込みがどれだけ、成果を上げることにブレーキをかけているかが、よく分かります。

来週、3月24日(火)には、東京支店では新規開業セミナーを開催し、熱い講師の藤澤常務が担当します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2022&ref=top

新規に開業を志している方がたへ、自分にとって麺専門店を開業することが、正しい人生であるかどうかの素晴らしい判断材料になり、方法を誤らないための指標になります。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

「開発研究」「知識ニーズ」

イノベーションの機会としてのニーズには、プロセス・ニーズと労働力ニーズが、最も一般的でありますが、利用がより難しく、より大きなリスクを伴ってはいるが、非常にしばしば重要な意味を持つニーズとして、知識ニーズがあるのです。

すなわち、(科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての)「開発研究」の目的としてのニーズであり、そこには、明確に理解し、明確に感じることの出来る知識が欠落していて、その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要になるのです。

写真ほど、非常に早い速度で、成功したイノベーションはあまりないのです。

写真の歴史をウイキペデイアで調べると、最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像であったのです。

彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索し、瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとしたのです。

彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影した のですが、カメラによる画像ではあったにもかかわらず、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だったのです。

その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始め、これが銀塩フィルムの元になったのです。

写真は、発明後20年で世界中に普及し、有名な写真家も大勢現われ、マシュー・プレデイの南北戦争の写真は、今日でも抜きんでているのです。

既に、1860年頃(明治維新の8年前)には、あらゆる花嫁が写真を撮って貰っていて、日本に最初に入った西洋の技術も写真であり、明治維新のはるか前、まだ日本が外国人や外国の事物に固く門戸を閉ざしていた頃でした。

写真が素人の趣味になったのが、1870年前後であるのですが、当時の写真の技術は、素人にとっては厄介な代物で、重く壊れやすいガラス板を原板として 使っていたために、慎重に扱わなければならなく、カメラ自体も重く、撮影前の準備もたいへんだったので、誰もがそのような問題を知っていたのです。

事実、最初の大衆向け専門誌である当時の写真専門誌には、写真撮影に伴うもろもろの問題や解決策が取り上げられていたのですが、1870年当時の科学や技術では解決出来なかったのです。

ところが、1880年代の半ば、遂に新しい知識が得られ、イーストマン・コダックの創立者ジョージ・イーストマンが、それらの知識を利用したのです。

彼はガラス板を、重さなどないに等しく、手荒な取扱いにも耐えるセルロイドに代え、カメラ自体も軽量化したのです。

10年後には、イーストマン・コダックは世界の写真業界でトップの地位を得、永くその地位を保っていたのですが、デジタル・カメラの登場により、2012年1月に倒産し、132年の長い歴史を終えたのです。

以上のように、写真の歴史は進化するために、常に新しい知識を必要として、新しい知識の開発に伴って進化してきたのです。

プロセス・ニーズを満たす上でも、しばしばこの開発研究が必要となり、ここでも、まずニーズを知り、何が必要であるかを明らかにし、そうしてはじめて、必要な新しい知識を生み出すことが出来るのです。

プロセス・ニーズに基づいて、開発研究を行なった典型的な人間が、エジソンであり、電力産業が産業として成立するであろうことは、20年以上の間、知らない者はなかったのです。

特にその最後の5,6年というものは、欠けているものが何であるかさえ明らかになっていて、電球であり、電球がなければ、電力産業は成立しなかったのです。

エジソンは、電力産業を、単なる可能性から現実のものとするうえで、必要な知識を明確にし、開発研究に取り組み、2年後、実用的な電球を開発したのです。

「的を絞る」

今日、可能性を現実のものとするための開発研究は、企業の研究所はもちろん、国防、農業、医療、環境保護などのための研究所において行われていて、開発研究というと大規模なものに聞こえるかもしれないのです。

多くの人たちにとって、それは、月へ人を送ることや、小児麻痺のワクチンを発見することを意味するのですが、成功を収めているものの多くは、目標の明確な小さなプロジェクトであり、開発研究は、的を小さく絞るほど良い結果が出るのです。

その最もよい例、恐らくプロセス・ニーズに基づくイノベーションの最も成功したものが、日本の自動車事故を3分の1に減らした視線誘導標の開発だったのです。

1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進され、車はスピードを出せるようになったのですが、日本の道路は、基本的には10世紀のままだったのです。

2台の車がすれ違うのがやっとなど、道幅が狭く、死角のあるカーブも多く、数キロごとにいろいろな角度で交差していたため、とくに夜間は自動車事故が増えたのです。

マスコミや野党は対策を要求したが、20年もかかるので、道路を作り直すわけにはいかなく、安全運転を呼びかける大掛かりな広報キャンペーンも、ほかのあらゆる種類のキャンペーンと同じように、効果はほとんどなかったのです。

この危機的な状況をイノベーションの機会として捉えたのが、岩佐多聞という若者で、彼はビーズ状のガラス球があらゆる方向からの光を反射する視線誘導標をつくり、やがて、日本の自動車事故は大幅に減ったのです。

「タイム」の例

もう一つの例をあげると、第一次世界大戦後、アメリカでは国民がニュースを求め始めたのですが、誰もがこの変化に気づいたのです。

第一次世界大戦直後の新聞や雑誌には、いかにしてこの新しいニーズに応えるかを論じる記事がたくさん出ていて、地方紙では解決出来ない問題だったのです。

「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとする大手の新聞社や出版社さえ、このニーズを捉えようとして失敗したのです。

そのとき、ヘンリー・ルースが現われ、ニーズを明確にし、求められているものを明らかにしたのです。

まずそれは、発行部数や広告の関係からして、全国的なメデイアであることが必要だったのですが、多くの人たちが関心を持つニュースの数は限られており、日刊紙とすることは無理だったのです。

以上より、知識ニーズはプロセス・ニーズと深い関係があるものが多く、プロセス・ニーズを解決するために、知識ニーズが発生しているのです。

以前に説明しましたうどんの熟成工程における熟成庫は、プロセス・ニーズにより出来上がったものではありますが、その過程において、熟成のメカニズムという知識ニーズの解決が伴っていたのです。

このように、ほとんどのプロセス・ニーズには、知識ニーズが伴うようです。

こうして世界最初のニュース週刊誌「タイム」が生まれ、直ちに成功したのです。

画像は、札幌市内にある、非常に繁盛しているサンドイッチ店「さえら」のサンドイッチです。

種類も多く、一番人気がフルーツとタラバのサンドイッチです。

商品力が素晴らしいのは、見た目の迫力と、美味しさです。

そして、スイーツと食事の境目が、だんだんなくなっていることが分かります。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

他の受講生の声も見る

全国8ヶ所にある麺開業.comの相談場所で、メニュー開発や、スープ・だし講習、経営についてなどの無料のイベント・セミナーを多数行っています。

開催場所ごとのイベントを見る

【業界唯一】古い製麺機の処分コストが0円に

[sc_rand_image type="sp"]
[sc_rand_image type="pc"]