本日のテーマは、「今まで通り、今までより、お粗末」です。
私は、高松高專を1968年に卒業し、川崎重工に入社し、サラリーマン生活を6年間過ごしました。
仕事に取り組む姿勢として、常に念頭においていたことは、今まで、先輩たちがやってきたレベルよりも、絶対に高いレベルの仕事をしようとしていたことです。
特にそのことを意識し、仕事をしていたのは、坂出の造船事業本部、造船設計部機装設計課に配属されたときでした。
機装設計課では、20万トンタンカーのエンジンルーム内のさまざまな装置の設計を行ない、3年間の在籍期間中に私が設計したのは、煙突の設計、プロペラ・シャフトの抜き取り装置、配管設計、タンクの設計等でした。
それらの設計を担当したときに、私は過去の先輩たちが設計した事例の通りに設計しないで、すべて現場に行き、どのような設計であれば一番使い易いのか、作り易いのか、確認して、納得をしてから設計をしていたのです。
機械設計において、一番時間をかけなければいけないのが構想の部分で、構想の時間のかけ方で、出来上がった製品の品質が決まるのです。
品質の高い設計を行なうには、使用現場での確認、製造現場での確認、どのような設計にすれば使い易いか、安全であるか、どのような設計にすれば、作り易いか、メンテナンスがし易いかを徹底的に研究しなければいけないのです。
しかし、職場の周りの先輩たち、同僚たちを見ていると、ほとんどの人たちはそのような視点で仕事をしていなかったので、先輩たちとか同僚の仕事は私にはぜんぜん参考にならなかったのです。
すべて、自分で現場に行き、現物を確認して設計を進めていきました。
だから、完成させた図面はすべて、考えられる要素を織り込んでいるので、どこへ出しても胸を張れるものばかりでした。
しかし、私のような仕事の仕方は、その頃の川崎重工造船事業部の設計課内では、あまり評価はされませんでした。
自分で会社を始めてからも、以上の考え方は常に忘れずに、過去を否定し、新しい、以前よりも進化したものの設計に取り組んできました。
従って、当社の「真打」、「リッチメン」、「坂東太郎」、「パスタ・ファブリカ」等は、過去の他社の機械には、ぜんぜん似ておらず、すべてオリジナルです。
今も社内で、うるさく言っているのは、常に進化であり、進化していない仕事はやってはいけないのです。
何をやっても、以前より進化しているか、少しでも改善改良がされているかが重要であるのです。
昨日も社内のスタッフと仕事していると、以前と比較すると、むしろ、レベルの低い仕事しているのです。
そのことについて、私もすぐに気づき、スタッフも気づいたのですが、レベルの低い仕事の原因は、準備不足、思考の不足で、レベルを上げるために、事前の準備と思考が不足していて、何も考えずに、以前と同じような資料を同じように準備していたことが原因でした。
これはプロとして、非常に恥ずかしいことであり、プロ意識の欠如であり、常に進化を目指していない人は、プロ意識が欠けていて、責任感が欠けているのです。
社内でも、麺学校においても、私は常に進化を目指している人は評価しますが、そうではなく、ルーテイン業務を当たり前のように常に同じレベルで、こなす人は評価しないのです。
そうすれば、失敗は少ないし、努力は要らないので楽で、何か新しいことを付け加えようとすると、失敗する可能性もあり、時間も余分に取られ、余計な努力も必要になるのです。
しかし、自分のレベルを上げようとすると、常に、このような過去の殻を破るチャレンジが欠かせないのです。
何も考えずに、過去と同じことを繰り返すのは楽であり、それはプロの行なう仕事ではないのです。
過去にとらわれず、過去のレベルを上げ続けるのが、プロの仕事なのです。
そうしないと、いつしか、社会から見放されてしまい、そのような会社の屍は累々としているのです。
安心領域にいることは、ひとときの快楽であるのですが、長い目で見ると、決して快楽ではなく、将来の苦痛を生んでいるのです。
従って、「今まで通り、今までより、お粗末」は絶対にあってはいけないのです。
次に、大切なお知らせがあります。
今月26日(火)、27日(水)の2日間、北海道の十勝で、自家製麺出張教室を開催します。
(https://www.yamatomfg.com/special-noodle-events/)
今回は、ドリーム・スタジオ札幌の宍戸だけでなく、ドリーム・スタジオ大阪の看板娘の武藤、そして、福井から篠原が駆けつけ、最近、関西地区でヒットしている面白い麺類の実演も行ないます。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
終章 起業家社会
Ⅰわれわれが必要とする社会
「それぞれの世代がそれぞれの革命を必要とする」とは、トーマス・ジェファーソン晩年の言葉であり、同時代のドイツの偉大な詩人ゲーテも、その保守性にもかかわらず、「存在の理由はなくなり、恵みは苦しみとなる」と、晩年同じ気持ちをうたったのです。
いずれも、啓蒙思想と、フランス革命がもたらしたものに対する幻滅を表していたのです。
この彼らの言葉は、150年後の今日、あの偉大な約束である、福祉国家がもたらしたものについてもいえるのです。
真に困窮した者、障害ある者のためにプロイセンで生まれ、世界に広がり、やがて、すべての者の権利となり、今や、生産的活動に携わる者すべての負担となっている福祉国家についていえるのです。
イノベーションと革命の違いは何かについて、思考を加えてみます。
ウイキペデイアによれば、革命(かくめい、英語: Revolution、レボリューション)とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われることで、対義語は保守、改良、反革命などです。
「レボリューション」の語源は「回転する」の意味を持つラテン語の「revolutio」で、ニコラウス・コペルニクスの科学革命で使用され、後に政治的変革に使用されるようになり、また漢語の「革命」の語源は、天命が改まるとの意味で、王朝交代に使用されたのです。
革命は人類の歴史上、さまざまな方法や期間、動機となった思想によって発生し、その分野には文化、経済、技術、社会体制、政治体制などがあり、技術革新では農業革命や産業革命、社会変革ではフランス革命やロシア革命などで、革命という言葉は様々な分野・概念に派生しており、何が革命で何が革命でないかの定義は、学者の間で議論が続いているのです。
一般に革命という概念は、正当性を備えている既存の政治秩序を変更させる政治的活動と関連しており、歴史的には1688年の名誉革命や1789年のフランス革命などの市民革命を挙げることができ、近代以後の政治理論においては革命の概念は、古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革を意味しているのです。
以上のように、今回のドラッカーが使用している革命は、政治的な革命であり、産業革命等の技術革新はイノベーションに関連した革命であるのです。
新しいイノベーションを起こしても、いつしか既成の事実になり、次の新しいイノベーションを必要とし、いったん起きたイノベーションの中で生きている人たちの思考と行動により、イノベーションの結果はどのようにでも、変化し、未開の地で暮らす人たちは、イノベーションを必要としなかった人たちなのです。
従って、いったんイノベーションを起こしても、そのイノベーションはいつしか、既成の事実になり、新しいイノベーションを必要とするのです。
◆恵みは苦しみとなる
組織、制度、政策もまた、製品やサービスと同じように、生命を失ったあとも生き延び、それらのものは、目的を達したあとも生き延び、目的を達せられなくとも、生き延びるのです。
一度できあがったメカニズムは生きつづけるのですが、そのメカニズムの設計にあたって前提とされたものは、先進国の医療制度や年金制度の前提となっていた100年前の人口構造のように変化し、無効になっていて、まさに、「存在の理由はなくなり、恵みは苦しみとなる」のです。
日本の年金制度も人口減に基づいて設計されていなかったので、現在、大きな矛盾をはらんでいるのです。
しかも、ジェファーソンの時代以降明らかなように、革命は解決策にはならず、革命を構想し、方向づけし、コントロールすることはできないだけでなく、それは間違った人間に権力を与え、さらに悪いことには、当然のことのように、結果が約束の逆となるのです。
1826年にジェファーソンが亡くなって数年後、政府と政治の偉大な解剖家アレクシス・ド・トクヴィルは、革命は、体制の牢獄をなくさず、拡大するのみであると指摘し、事実、フランス革命の後に残ったものは、革命前の足かせだった制御不能な官僚システムへの従属であり、政治的、知的、芸術的、経済的活動のパリ集中だったのです。
ロシア革命がもたらしたものも、土地耕作者に対する農奴制、全能の秘密警察、腐敗しかつ硬直化した強圧的官僚システムで、まさに自由主義者や革命家が激しく攻撃したツァーの体制そのもので、同じことは、毛沢東の死の舞踏ともいうべき文化大革命にも起こったのです。
われわれはすでに、革命が幻想だったこと、19世紀最大の幻想、いつわりの神話だったことを知っていて、希望でも黎明でもなかったことを知っていて、
革命は成熟による腐敗から起こり、破綻から起こり、自己革新の失敗から起こるのです。
しかもわれわれは、理論、価値など、人の心と手によるあらゆるものが、歳をとり、硬直化し、陳腐化し、苦しみに変わることを知っているのです。
◆イノベーションと起業家精神を当然とする社会
かくして、経済と同様に社会においても、あるいはビジネスと同様に、社会的サービスにおいても、イノベーションと起業家精神が必要となり、イノベーションと起業家精神が、社会、経済、産業、社会的サービス、企業に柔軟性と自己革新をもたらしてくれるのは、まさにそれが、一挙にではなく、この製品、この政策、あちらの社会的サービスというように、段階的に行われるからであるのです。
青写真ではなく、機会やニーズに焦点をあてるからであり、暫定的であって、期待したような成果、必要な成果をもたらさなければ消え去るからであり、言い換えるならば、教条的ではなく現実的であり、壮大ではなく着実だからであるのです。
イノベーションと起業家精神は、ジェファーソンが、それぞれの世代の革命によって実現することを望んだものを実現し、しかも流血、内戦、強制収容所、経済的な破局なしに、一定の目的と方向性とコントロールのもとに実現するのです。
われわれが必要としているものは、イノベーションと起業家精神が、当たり前のものとして存在し、つねに継続していく起業家社会であり、ちょうどマネジメントが、現代のあらゆる組織において特有の機関となり、われわれの組織社会を統合する機関となったように、イノベーションと起業家精神も、われわれの組織、経済、社会における生命活動とならなければならないのです。
そのためには、あらゆる組織のマネジメントが、イノベーションと起業家精神をもって、正常にして継続的な日々の活動、日常の活動としなければならず、まさに、マネジメントに課されたこのような課題を遂行するうえで、必要な原理と方法を提示することが、本書の目的だったのです。
以上のように、革命のように流血で社会の秩序を大きく変革するのではなく、社会、経済、産業、社会的サービス、企業において、柔軟性と自己革新をもたらしてくれ、一挙にではなく、この製品、この政策、あちらの社会的サービスというように、段階的に行われるのがイノベーションなのです。
イノベーションは、機会やニーズに焦点をあて、暫定的であり、期待したような成果、必要な成果をもたらさなければ消え去り、現実的であり、着実に行なわれるのです。
画像は、先週の東京支店でのうどん学校の生徒さんの作品事例です。
肉ごぼう天うどんで、立体的に盛り付けることで、イメージが大きく変わります。
フルーツを使うことで、斬新さを引き出すことが出来るのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。