本日のテーマは、「自分の得意な部分で、相手の弱い部分と勝負する」です。
昨日からデユッセルドルフに初めて来ていますが、来てみて驚いたのは、飲食ビジネスが非常に遅れていて、全般にレベルが低いことです。
ドイツでは、自動車ビジネスは、レベルが非常に高く、ベンツ、BMW、AUDIのような高級車から、VWのような大衆車まで、グローバルで強い競争力を持っています。
このような、相手(ドイツ)の強い分野に向けての競争は厳しいのですが、飲食のような分野であれば、個人で開業しても十分に可能性があります。
昨日も、デユッセルドルフで訪問したのは、カフェ1軒だけであったのですが、道すがら、いろんなレストランを外から見ても、競争力のありそうなレストランは、ほとんど見当たらなかったのです。
デユッセルドルフ空港のカフェは、普通のレベルだったのですが、ホテル近くにあるカフェのサービス・レベルは恐ろしくなるほど、酷く、多分、日本であれば誰も行かなくなるようなレベルで、客を客と思っていないようなレベルでした。
自動車産業のように、規模の大きい業界ほど、グローバル競争になりがちですが、飲食業はまだ一部の大手企業だけがグローバルで競争しているだけで、まだまだ個人事業で十分に戦える分野なのです。
そして、同じ外食産業のレベルをデユッセルドルフと日本を比較すると、日本の方が、はるかにレベルが高く、競争力が高いのです。
従って、国内に住んでいるほとんど人たちは、国内での飲食店の開業を目指しているのですが、もっと競争のレベルの低い、外国で開業した方がはるかに成功する確率が高いのです。
また、日本の麺文化、食文化は、日本から、或いは本場から、遠ざかるほど、価値が上がるのです。
例えば、さぬきうどんの価値は、本場さぬきが一番低く、どこででも美味しいうどんを食べることが出来、価格も非常に安いのです。
従って、さぬきうどん店を香川県で開店するほど、厳しい競争に晒されることはなく、亀城庵を経営している私には、痛いほどよく分かります。
だから、2度と香川県ではさぬきうどんの店は出さずに、開店するのであれば、競争のないビジネスを始めます。
或いは、国内で開店するにしても、競争しないビジネスを始めることです。
他店と競争しなければいけないレベルで開店しないで、他のライバル店が逆立ちしても敵わないような、無茶苦茶高いレベルで開店するとか、明らかに勝負にならない状態を作ることです。
ところが、ほとんどの新規開業者は、このことを理解せずに、そこそこのレベルで、他の先輩たちと競争しているので、上手くいかないのです。
先日、東京支店に商談に来られたお客さまは、混ぜ麺の店を2店ほど、経営していて、ビジネスが非常に上手くいっているそうです。
この最も大きな原因は、他店と競争していないためで、混ぜ麺の店はほとんどなく、無風地帯なのです。
このように、自店の強みが発揮できる、競争のないビジネスを目指せば、そのエリアでトップになることが出来、絶対にトップの座をチャレンジャーに譲り渡さないことです。
繁盛すれば、日本の場合は、真似をしたチャレンジャーが必ず現れ、一度、抜かれてトップを奪われると、2度と浮上しないだけでなく、時間と共に、多くの駄目な店と同様に、埋没してしまうのです。
私は、40年間、業界を見つめ続けてきて、そのような事例をたくさん見て来ました。
本日は、ドリーム・スタジオの担当者山本が、面白い報告をしてくれました。
在社歴はまだ1年ですが、彼から見た繁盛店とそうでない店の違いです。
「先日、ユーザー様訪問した際、流行っているお店とそうでないお店、大和麺学校の卒業生とそうでない方との大きな違いが見受けられました。
【流行っているお店】
・商品の味もそうですが、材料に至るまで、「真似る」という感覚がなく自身で研究を重ね独自のスタイルを自ら確立することができる
・感性、発想力豊か
・探究心が強い、研究熱心(よりおいしいものを作る為に)
・商品力だけでなくサービス面においてもお客様目線(特に女性)に立ち細部にわたり配慮できている
・直接的にお金を生むものではないものにも気を配れる
【流行っていないお店】
・商品や材料にしてもどこか流行っているところのものを真似ようとする
・自分でどうにかしようという気持ちに欠けている
・流行っていない為に「よりいいものを」という考えより「いかにしてコストを抑えるか」という負のスパイラルに陥って抜け出せない
・コストを下げることに研究熱心
・サービス面に関しても極限まで人件費を削りサービスにも粗が目立つ
・いい客層が来なくなり更に悪循環
機械の操作性への理解や、衛生面に関しても、よりおいしい麺を作ることより作業効率やスピード、コストのほうが優先し、当社の手順を無視してやる方、是正しても止めない方など流行っていないお店ほど繁盛していないのです。」
次に、大切なお知らせがあります。
今月26日(火)、27日(水)の2日間、北海道の十勝で、自家製麺出張教室を開催します。
(https://www.yamatomfg.com/special-noodle-events/)
今回は、ドリーム・スタジオ札幌の宍戸だけでなく、ドリーム・スタジオ大阪の看板娘の武藤、そして、福井から篠原が駆けつけ、最近、関西地区でヒットしている面白い麺類の実演も行ないます。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
5起業家社会における個人
起業家社会では、一人ひとりの人間が、自らの機会とすべき重大な挑戦、すなわち継続学習と再学習の必要性に直面するのですが、これまでの社会では、学習 は、青年期あるいは少なくとも社会人に達したとき完了するものと想定することができ、事実、そのように想定されていたのです。
21歳頃までに学ばなかったことは、それ以後も学ぶことはなく、その反面、21歳頃までに学んだことは、その後の人生において、何ら変わることなく使うことができたのです。
そのような前提のもとに、見習い制度も成立し、教育制度や学校も成立し、職能、資格、教育、学校は、今日でも多かれ少なかれ、これを前提としているのです。
もちろん例外的に、継続学習と再学習を行う人たちはいて、芸術家、学者、禅僧、イエズス会の修道士などだったのですが、それらの例外は、無視できるほど少なかったのです。
私の人生を振り返ると、気付くことがあり、それは、私の場合は20歳で高松高專を卒業した後、川崎重工に入社してから、本格的な学びが始まったのです。
そして、現在でも日々、学びが続いていて、私の人生から学びは切り離すことが出来ないのです。
自分の知らないことを学び続けることは、私にとって、快楽ホルモンの放出を伴う、大きな快感であり、学び続けることこそ、人生であり、学びがなくなると、あの世への出発になるのです。
◆不断の学習
起業家社会では、この例外が標準となり、起業家社会では、成人後も、新しいことを一度ならず勉強することが常識となり、21歳までに学んだことは、5年から10年で陳腐化し、新たな理論、技能、知識と替えるか、少なくとも磨かなければならなくなるのです。
このことは、一人一人の人間が、自らの継続学習や再学習、あるいは自己啓発、キャリアについて、ますます大きな責任をもたなければならなくなることを意味 し、もはや、少年期や青年期に学んだことが一生の基盤になることを前提とすることはできず、それは、その後の人生において全面的に依存すべきものではな く、そこから離陸すべきスタート台にすぎなくなるのです。
そのうえこれからは、軍隊の昇進コースのような、道筋と到達点の明らかなキャリアはなく、一人一人の人間が、自らの人生において、自らの意志によって、さ まざまなキャリアを探し、進んでいくことを当然とする必要があり、しかも高等教育を受けている人ほど、起業家的なキャリアを選び、厳しい学習に挑戦してい かなければならないのです。
今後とも大工は、見習いや渡り職人として得た技能が、40年後も役に立つと想定できるのですが、医師、技術者、冶金専門家、化学者、会計士、弁護士、教 師、経営管理者は、今後15年間において習得し、実際に使う技能、知識、道具でさえ、今日彼らがもっているものとは、まったく異なる新しいものになってい ることを前提とする必要があるのです。
それどころか、わずか15年後でさえ、自分がまったく新しいことを行い、まったく新しい目的をもち、多くの場合、まったく新しいキャリアを進んでいるかもしれないことを想定しておいたほうがよいのです。
そして、そのために必要な継続学習や再学習、さらには方向づけの責任を負うことができるのは、自分自身しかなく、そのとき、伝統、慣例、方針は、助けになるどころか障害になるだけであるのです。
私もエンジニア出身であった自分が、麺学校を開校し、料理から、マネッジメントまで教えるようになることは、まったく想定していなかったのです。
当社の麺学校では最新のノウハウ、テクニックを教えていますが、一般の義務教育、高等教育は現場で役立つようなことを教えるのではなく、すでに使い古された理論とか、ノウハウを教えているように思います。
◆教育の改革
このことは、起業家社会が、学校や学習にかかわる今日の前提や慣行に疑問を投げかけることを意味し、今日、世界中の教育制度が、基本的には17世紀ヨー ロッパの教育制度の延長線上にあり、もちろん、新しいことが付加され、修正されたのですが、今日の学校や大学の基本の構造は、300年以上前と変わらない のです。
今日、場合によっては過激なほど新しい考え方と新しい方法とが、あらゆるレベルで必要とされていて、就学前のコンピュータ利用は一時的な流行に終わるかも しれないのですが、テレビを知っている4歳の子供は、彼らに対する教え方について、50年前の子供とはまったく違うものを期待し、要求し、かつ反応するの です。
今日何らかの専門職に就くことを志望する大学生が5分の4にのぼるのですが、彼らには「一般教養」が必要であり、当然のことながら、17世紀のカリキララムの19世紀版たる「一般教養」とは違うものでなければならないのです。
もしこの問題を解決しなければ、われわれは「一般教養」という基本的な概念そのものを喪失し、単なる職業教育、専門教育をもつにすぎなくなり、その結果、人間社会の教育的基盤、さらには人間社会そのものを危険にさらすことになるのです。
しかもまた、教育にかかわる者は、学校教育が若い人たちだけのものではなくなっていること、今や学校にかかわる最大の課題、そして同時に最大の機会は、すでに高等教育を受けている社会人の継続的な再学習であることを、認識する必要があります。
今日のところ、われわれは、これらの問題を解明する理論をもたず、チェコの偉大な教育改革者ヨハン・コメニウスが17世紀に行ったことや、イエズス会の教育者たちが、今日のいわゆる近代的学校や、近代大学を生み出しかときに行ったことをやってくれる者をもたないのです。
しかし、少なくともアメリカでは、現実が理論よりも先行していて、この20年間における最も前向きで最も期待のできる動きは、社会人とくに学歴の高い専門 職の人たちの継続学習や再学習について、アメリカに文部省なるものが存在していなかったことのありがたい副産物として、いくつかの実験的な試みが芽を出し ているのです。
20年ほど前から、アメリカでは、高学歴の社会人のための継続学習や専門教育が、特定の計画や思想とは関係なく、しかも既存の教育界からの支援もなしに、大きな成長産業となっています。
日本では社会人の再教育に関して行なわれていることは、ハローワークの関連機関が行なっている専門技術研修制度があり、失業後、進路変更するための専門分野の知識、テクニックをマスターするための学校に、国からの援助を受けながら、学ぶことが出来るのです。
当社の麺学校も、麺ビジネスという特殊な分野での再学習機関であり、当社の麺学校で心がけているのは、生徒さんたちの人生を変える学校であり、単に最新の テクニックを教えるだけではなく、力点を置いているのは、マネッジメントの大切さの理解であり、ビジネスの長い成功には、マネッジメントが欠かせないため です。
◆起業冢社会の役割
起業家社会の出現は、人類の歴史における重大な転換点かもしれないのですが、1873年の世界恐慌は、1776年のアダム・スミスの『国富論』の出版に始 まった自由放任(レッセ・フェール)の世紀に終止符を打ち、1873年の世界恐慌のなかから近代福祉国家が誕生したのです。
しかし今日では誰もが知っているように、100年をかけて、その福祉国家も道を走り終わり、福祉国家は、人口の高齢化と少子化旡いう問題に直面しつつも、 生き残っていくかもしれないのですが、それが生き残ることができるのは、起業家経済が生産性の大幅な向上に成功したときだけです。
われわれは、こちらにもう一つの新しい福祉、あちらにもう一つの福祉というように、相も変わらず福祉の大殿堂にいくつかの小さな手を加えていくかもしれな いのですが、今やオールド・リベラルでさえ知っているように、福祉国家は過去のものであって、未来のものではないのですが、その後継者は、はたして起業家 社会となるのだろうかが疑問です。
以上のためにも、われわれ企業人は頑張らなければいけないことが、よく分かります。
昨日、デユッセルドルフ空港経由で、ロンドンのヒュースロー空港に向かったのですが、デユッセルドルフの市内の飲食店のレベルには、ぜんぜん関しなかったのですが、デユッセルドルフ空港内にある飲食施設のレベルの高さには、驚きました。
これが、同じ市内かと思えるような極端な差があり、これが空港内の出発ゲート近くにあるレストランかと、疑問に持つような、むしろ市街地にしか無いような、素晴らしいレストランであったのです。
店内の内装にも、一切の妥協なく、料理も素晴らしい料理で、盛り付けのきれいさも秀逸でした。
このレストラン「BISTRO AIRPORT」からも、多くのことを教えられました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。