パスタ学校・ラーメン学校・うどん学校・そば学校で成果アップ|「イノベーションと起業家精神(下)」「イノベーションと起業家精神」

量目の多い、一番人気のあった「Traditional England Breakfast」

本日のテーマは、「プロ意識を持ち、進化しているのは、ほんの一握り」です。

デユッセルドルフの空港のレストラン街を見て、たいへん驚いたのは、あまりにも市内のレストランと空港のレストランの差が大きかったことでした。

デユッセルドルフの空港内にあったレストランは、ドイツの自動車ビジネスに負けないくらいの高いレベルであり、進化している企業と、そうでない企業の落差が非常に大きかったのです。

デユッセルドルフ空港の素晴らしいレストラン3店ともに、店舗数を持ち、競争力のあるレストランばかりで、3店に共通していたのは、書籍を出版し、店内で 書籍を販売していたことで、過去、グローバルで成功している、ほとんどの新進気鋭のレストラン・オーナーは書籍の発刊をし、どのレストランもオーナーの主 張が色濃く出て、ポリシーの明確さ、コンセプトの一貫性、料理にかける情熱が滲み出ていました。

最近、当社の社内調査の結果、日本のラーメン店、うどん店、蕎麦店の食べログ人気ランキングを調査した結果、面白いことが分かったのです。

食べログに掲載されている店舗の食べログ総合点の点数をすべて調べてみると、その結果は次のようになっていました。

ラーメン店の場合、食べログ点数の最高位は、4.3で、3.5以上の店舗は全体の10.4%、3.0以上の店舗は全体の76.78%で、品質上の平均点である3.5以上の店舗は全体43、365店の約1割強しかないのです。

うどん店の場合、食べログ点数の最高位は、4.2で、3.5以上の店舗は全体の3.8%、3.0以上の店舗は全体の64.64%で、品質上の平均点である、3.5以上の店舗は全体30、117店の約4%以下しかないのです。

そば店の場合、食べログ点数の最高位は、4.2で、3.5以上の店舗は全体の4.7%、3.0以上の店舗は全体の67.26%で、品質上の平均点である3.5以上の店舗は全体30、509店の約5%以下しかないのです。

以上のデータを見て、私は衝撃を受けたのは、あまりにも、総合点3.5以上の店舗の数が非常に少ないことで、さらに、うどん蕎麦店と比較して、ラーメン店の競争がいかに厳しいかが分かります。

うどん蕎麦店は、無競争の状態の中にいるような気がしてなりません。

また、総合点3.0は決して高い点数ではなく、標準的な店舗の最低点であり、本来はあってはいけない点数であり、平均点である3.5が必須の点数であることを理解して戴きたいと思います。

私は麺学校の生徒さんたちには、とりあえず、食べログ点数で、総合点3.5以上の合格圏内に入ることを勧めているのです。

因みに亀城庵は、食べログ3.54で、全国のうどん店30、379店のうち、5月25日現在、438位で、1.44%以内にいて、98%以上の全国のうどん店の点数は、亀城庵より低いのです。

食べログ点数だけが、絶対的に正しい評価をしているとは言いませんが、ひとつの面白い目安ではないかと思います。

うどん店、蕎麦店、ラーメン店の経営者は、必死になって自店の強みを理解し、それを掘り下げ、さらに優位性を高めていくことが、最優先なのです。

デユッセルドルフの空港で見た飲食店は、市内にあるほとんどの他の飲食店のレベルをはるかに凌駕していたと同様に、トップを狙うことは、何を置いても、欠 かせず、トップを狙い、一流のレベルを目指し、それから脱線しないことで、食べログのデータから分かる通り、一流を目指し、トップを狙っているのは、ほん の一握りの人たちだけであり、ほとんどの人たちは、トップの人たちのライバルにならずに、いつか、業界から消え去っているのです。

上記の食べログ点数から明らかなように、業界全体の人たちに、トップを目指して貰うのは、不可能であり、まず、情熱のあるほんの一握りの人たちだけが、上位10%以内、次は1%以内を目指すのです。

昨日も、ドリーム・スタジオの担当者山本が、報告してくたように、繁盛している店とそうでない店の差は、われわれに示唆を与えてくれます。

「先日、ユーザー様訪問した際、流行っているお店とそうでないお店、大和麺学校の卒業生とそうでない方との大きな違いが見受けられました。

【流行っているお店】

・商品の味もそうですが、材料に至るまで、「真似る」という感覚がなく自身で研究を重ね独自のスタイルを自ら確立することができる
・感性、発想力豊か
・探究心が強い、研究熱心(よりおいしいものを作る為に)
・商品力だけでなくサービス面においてもお客様目線(特に女性)に立ち細部にわたり配慮できている
・直接的にお金を生むものではないものにも気を配れる

【流行っていないお店】

・商品や材料にしてもどこか流行っているところのものを真似ようとする
・自分でどうにかしようという気持ちに欠けている
・流行っていない為に「よりいいものを」という考えより「いかにしてコストを抑えるか」という負のスパイラルに陥って抜け出せない
・コストを下げることに研究熱心
・サービス面に関しても極限まで人件費を削りサービスにも粗が目立つ
・いい客層が来なくなり更に悪循環

機械の操作性への理解や、衛生面に関しても、よりおいしい麺を作ることより作業効率やスピード、コストのほうが優先し、当社の手順を無視してやる方、是正しても止めない方など流行っていないお店ほど繁盛していないのです。」

次に、大切なお知らせがあります。

本日、26日(火)と27日(水)の2日間、北海道の十勝で、自家製麺出張教室を開催します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2086&ref=top

今回は、ドリーム・スタジオ札幌の宍戸だけでなく、ドリーム・スタジオ大阪の看板娘の武藤、そして、福井から篠原が駆けつけ、最近、関西地区でヒットしている面白い麺類の実演も行ないます。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、昨日で一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。

更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。

イノベーションと起業家精神

ドラッカーが最初に挙げているのは、1970年代の半ば以降、「ゼロ成長」「脱工業化」「コンドラチェフ不況」の言葉が当然のような不況の時代のアメリカ において、膨大な雇用が生まれている事実を興味深く指摘し、ドラッカーは、「人びとの幸せをもたらすための手段」としてのマネッジメント技術について、早 い段階から焦点を当てているのです。

この時代のアメリカ経済の事実は異なり、管理経済から起業家経済への転換が膨大な雇用を生んだ原因であるとしているのですが、アメリカの雇用増の実態は次 の通りで、1965年から85年までの20年間に、16歳以上の生産年齢人口が、1億2900万人から1億8000万人へと40%増え、しかも就業者人口 は、7100万人から1億600万人へと50%増え、1974年から84年までの10年間に限っても2400万人増えたのです。
アメリカが平時において、伸び率、実数ともに、これだけの雇用を増やしたことは、過去もこれ以降もなく、しかもこの10年間は、1973年秋の石油ショッ クの翌年に始まり、エネルギー危機と煙突産業の崩壊、2度の不況という乱気流の時代であったにも関わらず、起きたのです。

そして、より顕著なことは、アメリカで起こったことは特別で、他の国では起きておらず、反対に、ヨーロッパでは、1970年から84年にかけて300万 人~400万人の雇用が失われ、1970年には雇用人口が、アメリカより2000万人以上多かったが、1984年にはアメリカよりも1000万人は少なく なったのです。

雇用の創出については、日本でさえアメリカより劣り、1970年から82年までの12年間に、10%しか増えず、アメリカの半分以下の伸びであり、この時代の日本は、高度成長の真っただ中であり、日本製品が北米に輸出され、日米貿易摩擦の真っ只中にあったのです。

ウイキペデイアによると下記の通りで、第二次世界大戦敗戦後、日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製 品が流入しし、1960年代後半の繊維製品、1970年代後半の鉄鋼製品、1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車(ハイテク 製品)などの輸出では、激しい貿易摩擦を引き起こしたのです。

1965年以後日米間の貿易収支が逆転してアメリカの対日貿易が恒常的に赤字(日本から見ると黒字)になると、問題が一気に噴出し、1972年に日米繊維 協定(繊維製品)が締結され、続いて1977年に鉄鋼・カラーテレビにおいて日本による実質上の対米輸出自主規制が実施されたことによって一旦は収束した のですが、1980年代に入ると今度は自動車・半導体・農産物(米・牛肉・オレンジ)が舞台となり、更に1985年にアメリカの対日赤字が500億ドルに 達したことをきっかけに、日本の投資・金融・サービス市場の閉鎖性によってアメリカ企業が参入しにくいことが批判され(ジャパンバッシング)、事実上日米 間経済のほとんどの分野で摩擦が生じるようになったのです。

1985年、プラザ合意後も日本の貿易黒字・経常黒字は減るどころか1986-1988年にかけて1985年に比べ増え、1986年4月の「前川レポー ト」ではアメリカの要求にこたえて10年で430兆円の公共投資を中心とした財政支出(財政赤字)の拡大、民間投資を拡大させるための規制緩和の推進など を約束・実施したのです。

1989年以後日米構造協議が実施され、続いて1994年以後、年次改革要望書が出されるようになったのですが、その一方で1990年代に入ると中国の急 激な経済成長に伴う貿易摩擦と軍事的・政治的台頭がアメリカ側の注目の対象となり、ジャパンパッシングと呼ばれる現象も発生するようになったのです。

以上のように、普通考えると、アメリカ経済が非常に低迷している時期のはずなのに、既にアメリカでは新しいビジネスが始まり、多くの中小企業が創業し、膨 大な雇用創出を行なっていたのですのですが、「フォーチューン500社」に掲載されるようなアメリカの大企業は、日本企業との競争に敗れたりして、雇用を 喪失していたのです。

そして、この時代に多くの雇用を創出した中小企業がたくさん生まれた原因としてドラッカーが挙げているのは、起業家を生み出す、起業家精神であり、膨大な 雇用を生み出した、これらの企業は皆、人の働き、即ち仕事に対し、ある一つの新しい「技術」を適用している企業であり、その「技術」とは、電子工学や遺伝 子工学、或いは新素材の技術ではなく、マネッジメントの技術であるのです。

このようにして見ると、過去20年間、特にこの10年間におけるアメリカの驚くべき雇用増も容易に説明することが出来、コンドラチェフの周期との関係さえ も明らかになり、次に、シュンペーターが1939年に指摘して以来、1873年から第1次世界大戦までのおよそ50年間、アメリカとドイツはコンドラチェ フの周期に宛てはならなかったことが明らかになっているのです。

鉄道ブームに始まったコンドラチェフの最初の周期は、深刻な世界不況を招くきっかけとなった1873年のウイーン証券取引所の崩壊と共に終結し、イギリス とフランスは長期不況に陥り、鉄鋼、化学、家電、電話、或いは自動車などの新産業でさえ、鉄道、石炭、繊維などの古い産業の不況を補うに足るだけの雇用を 生み出すことが出来なかったのです。

しかし、アメリカ、ドイツ、オーストリアは長期不況に陥らず、最初は深刻な打撃を受けたが、5年後には立ち直り、再び急速な成長を始め、これらの国々は、 技術に関する限り、不況に苦しむイギリスやフランスと何ら変わるところはなかったのですが、違いをもたらした要因は一つで、起業家の出現であったのです。

1870年から1914年までのドイツにおける最大の偉業は、1870年のゲオルグ・ジーメンスによる初めてのユニバーサル・バンクの創立、すなわち起業 家を探し、資金を貸し、マネッジメントを行なわせることを目的とするドイツ銀行の創立であり、アメリカでもNYのJ・P・モーガンを初めとする起業家的な 銀行が同じような役割を果たしたのです。

次に、ドラッカーはマネッジメントの大切さを象徴する事例として、エジソンの失敗とマネッジメントの技術の大切さを挙げています。

今日でも、「優れたネズミ獲りを作れば、客はやってくる」というベンジャミン・フランクリンの金言に頼っているのですが、「ネズミ獲りをより優れたものにするものは何か、誰がより優れたものしなければならないか」を考えるには至っていないのです。

今日のハイテク企業経営者の典型は、トーマス・エジソンであり、19世紀最も成功した発明家エジソンは、発明を今日のいわゆる開発研究に転換し、一つの体 系的な活動に変え、彼の望みは事業家になることだったのですが、自ら設立した企業すべてにおいてマネッジメントを失敗し、結局、それらを救うために経営か ら退かざるを得なかったのです。

今日のハイテク企業は、ほとんどでないにしても、きわめて多くが、エジソンのようにマネッジメント、より正確には、エジソンのように間違ってマネッジメン トしていて、アップルのステイーブ・ジョブズも創業してから、アップルを追放されるようになった時までは、上記のエジソンのように、マネッジメントに失敗 していたのですが、アップルが倒産の瀬戸際に復帰したときには、マネッジメントにおいて非常に卓越した手腕を発揮し、アップルを株式価値世界一の会社に仕 上げたのです。

このように、マネッジメント技術の巧拙により、会社も駄目になったり、反対に輝くような会社に生まれ変わることが出来、マネッジメント技術は、特殊な才能ではなく、日々の仕事として日常の業務に組み込まれていることが欠かせないのです。

アメリカで膨大な雇用を生み出したのは決してハイテク企業ではなく、体系的にマネッジメントされた起業家精神を持つローテク企業は、大いに雇用を創出しているのです。

デユッセルドルフと比べると、ロンドンは比較にならないほど、活気があり、デユッセルドルフは衰退しつつある田舎町のイメージでしたが、ロンドンは、歴史 がありながら、その歴史を活用して、世界中から多くの観光客を集めて、たいへんな賑わいをしていて、街全体が明るく、とても元気でした。

同行したスタッフたちも、一斉にデユッセルドルフとロンドンが飛行機で1時間程度しか離れていないのに、なぜ、こんなに落差があるのだろうかと不思議に 思っていましたが、ロンドンはイギリスの第一の都市で、デユッセルドルフは、人口約60万人のドイツ7番目の都市にあたるので、この数字を見れば、デユッ セルドルフの沈滞ぶりが見えてくると同時に、改めて、トップの重要性が見えてくるのです。

昨日1日中、ロンドンの街を歩き、歩数にして1万6千歩、距離にして12kmを歩いていました。

ロンドンには朝からにぎわっている、カフェ、レストランが多く、昨日はサウス・ケンジントンのホテル近くにあるカフェに行ってみると、料理の内容、サービスがとても素晴らしいカフェで、朝から大行列で、30分以上待たされました。

画像は、一番人気のあった「Traditional England Breakfast」で、朝から凄いボリウムです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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