うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「外部の予期せぬ変化、パソコンと本のスーパー」

当社の卒業生と10年ぶりの再会

本日のテーマは、「後ほど、楽な方が良い」です。

幼いころを振り返ると、同級生とか、同い年のいとこたちで、勉強がよく出来、賢く、光り輝いていた同級生とか、いとこたちがいました。

小学校時代、中学生時代、素晴らしく輝いていた同級生たちも、大人になると、普通の大人になってしまった人たちがほとんどで、彼は、将来どのように出世するのだろうかと思っていたのに、そうならなかったのです。

反対に小学校、中学校のころは先生の鼻つまみだったのに、社会で出てから頭角を現し、大成功する人もいます。

或いは、私が起業してたいへんなころに、素晴らしい成果を上げて、光り輝いていた会社とか、人たちもたくさんいましたが、永く続いている人たちは、ほとんどいないのです。

会社でも同じで、長い苦労の下積み生活の揚句に、驚くような、大きく化ける会社もあります。

今まで生きてきて感じるのは、初めから終わりまで、ずっと成功し続けることの難しさです。

一時は、たいへん成功する人たちはたくさんいますが、永く成功を続けるのは、簡単ではないのです。

私はスタッフたちによく話すのは、若い時に苦労して晩年に楽になるのと、若い時、成功して、晩年に苦労するのとどちらが良いかと尋ねるのです。

すると、10人いれば、10人とも若い時に苦労しても、晩年に楽になる方が良いと言います。

私も自分の事業を通じて、なかなか芽が出ないので、いつも、今苦労しておけば、いつかは必ず楽になると、自分に言い聞かせながら、やってきました。

少しづつ、夢は実現しているのですが、最初に、自分が想定していた時間軸とはまったく合っていないのです。

40年間、会社を経営してきて感じるのは、永く成功するのは、日々、愚鈍で平凡な積み重ねしか、ないのではないかということです。

宝くじに当たった人で、幸せな人生を送った人はないと言いますが、一攫千金を狙ったり、誰か成功者を真似て、成功することを狙っても、上手くいかないのが、世の常です。

ビジネスを始めると、誰でも早く成功したいと思うものですが、実力が伴っていないと本当の成功はなく、たまたま運がよくて、まぐれ当たりで成功することがあるかもしれないのですが、そのような場合は、成功した後のしっぺ返しが恐ろしいのです。

世の中のほとんどの企業は成功したことが、仇になって駄目になっている場合がほとんどで、要するに、成功が失敗の芽を生んでいるのが、特に日本の企業には、多いように感じます。

何かに成功すると、気持ちが大きくなったり、安心したくなるのは、人の世の常であり、心情としては非常によくわかります。

今回は、ドラッカー・マネッジメントのイノベーションを学んでいるので、予期せぬ成功、予期せぬ失敗がイノベーションの大きな原因になることを理解出来ているので、予期せぬ成功と予期せぬ失敗こそ、上手く理解し、コントロールすることで、大きいイノベーションの芽になるのです。

成功したことを次の成功につなげることが出来るようになれば、本当の実力が備わってきた証であり、アメリカのP&Gとか、グローバルで成功している企業をみれば、成功が次の成功の芽を生んでいるのです。

遇直なまでの努力の積み重ねを、常に気を引き締めながら行なうのは、トップに課せられた大きな責任であり、この仕事こそ、トップにとっての最大の仕事であるのです。

トップとして、散々な失敗を積み重ねてくると、良い時も悪い時も常に危機意識を持つ大切さが身に沁みて分かるのです。

私も日々、実戦の矢面に立たされているので、常に感じるのは忍耐の大切さであり、簡単には成功しないことばかりです。

今回もドラッカー・マネッジメントの「イノベーションと起業家精神」の復習を兼ねて、2回目学んでいますが、初回と比べると、今回はだいぶ腹に落ちてきました。

しかし、イノベーションを道具のように使いこなせるようになるには、まだあと、1,2回は復習を行なう必要があると感じています。

牛のように遅々とした歩みですが、学びを深め、理解度を高め、自分自身の身につけないと、今後、役立てることが出来ないのです。

完ぺきに使いこなせるようになれば、かけた時間はまったく苦にならないどころか、大きな成果を今後、永く得ることが出来るのです。

頭の筋トレと、精神力の筋トレも、健全な進化には欠かせないのです。

来週6月14日(日)から16日(火)までの3日間、ドリーム・スタジオ高崎にて、皆さんのパワーをアップするイベントを開催し、私も新しいレジメを準備して参加します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142&ref=top

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、最近、一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。

更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。

「3.外部の予期せぬ変化」

これまで、予期せぬ成功や失敗は、企業や産業の内部で起こるものとして論じてきましたが、マネッジメントが、今日手にしている外部の事実、すなわち、情報や数字には表れない事象も同じように重要な意味を持ち、それらの事象は、企業や産業内部の事象よりも重要であることが多いのです。

「パソコンと、本のスーパー」

次にあげる2つの例は、外部の予期せぬ変化を利用して、イノイベーションの機会とすることに成功した典型的なケースであり、その一つがIBMのパソコン市場への進出に関してで、IBMでは、1970年代に入ってからもしばらく、社内の経営管理者や技術者の間にさまざまな意見の対立が見られたが、唯一、意見が完全に一致していることが一つだけあり、それは、より大きなメモリーと計算能力を持つメイン・フレーム・コンピュータこそ、未来を担うものだということであり、IBMの技術者たちは、それ以外では費用がかかり過ぎ、しかも複雑すぎて能力に限界があると確信していたので、IBMはメインフレーム分野でトップの地位を守ることに、あらゆる資源と努力を集中していたのです。

ところが、1975年か76年頃、驚いたことに、10歳そこそこの子供たちが、コンピュータでゲームをするようになり、ときを同じくして、その父親たちが、最も小型のメインフレームと比べてさえ、はるかに性能の劣るパソコンを使い始め、起こりえないとしていたことが実際に起こり、パソコンは、メイン・フレーム・コンピュータに接続した端末機器よりも費用が数倍かかり、能力がはるかに劣っていただけでなく、ほとんど互換性のないさまざまなハードとソフトが作られたため、すべてが混乱状態に陥り、サービスも補修も満足には行なわれていなかったのですが、消費者の方は、一向に困った様子を見せなかったどころか、1979年から84年というわずか5年間で、パソコンの売上は、年間1500億ドルから1600億ドルという、メイン・フレーム・コンピュータが達成するのに30年かかった水準に達したのです。

もちろんIBMとしては、そのような状況を無視してもおかしくなかったのですが、IBMは、メイン・フレーム・コンピュータの市場が70億ドルだったのに対し、パソコン市場が2億ドル以下だった1977年、独自のパソコンを開発すべく、相互に競争し合う2つのプロジェクト・チームを作り、パソコン市場が爆発的に伸び始めた1980年には、独自のパソコンを生産し始め、その3年後の1983年には、早くもメイン・フレーム・コンピュータ市場と同じように、パソコン市場でもトップの地位を占め、同年には、ピーナッツという家庭用パソコンまで発売したのです。

私はIBMの人たちと話をするたびに、「パソコンの普及など起こるはずがなく、無意味であると信じていながら、機会になると考えるようになったのはなぜか」と尋ねると、答えはいつも同じで、「起こるはずもない無意味なことと信じていただけに、ショックだった。当たり前のように信じていたことが、すべてゴミ箱行きになってしまった。そこで、外へ出て、起こるはずのないのに起こってしまったものを調べて、利用することにした。」

もう一つの話は、もっと平凡であり、派手な話しではないが、同じように示唆に富んでいて、全国に無料の公立図書館があったせいもあったのですが、アメリカでは、過去、本が良く売れたことは一度もなく、1950年代初めにテレビが登場し、多くの人たち、しかも特に高校生や大学生など読書年代の若者の多くが、ますます多くの時間を、ブラウン管の前で過ごすようになったとき、誰もが書籍の売上の大幅ダウンを当然のこととしたのです。

事実、焦った出版社の多くは、教育産業やコンピュータ・プログラムに多角化して、そのほとんどが失敗したのですが、テレビの登場後、書籍の売上は大幅な伸びを見せ、その伸び率は、所得、読書年代人口、進学率のいずれの伸び率をも数倍上回っていたのですが、なぜそのようなことが起こったかは分からず、それどころか、そのようなことが起こったことさえ気付かず、しかも相変わらず、一般的なアメリカ人家庭にはほとんど本がなく、同様に、一人当たりの書籍購入額が世界一であって、アメリカの2倍に達していた日本でも、同じことが起こっていたのです。

それらの本は、いったい、どこへ行ったのかという問いに答えられないとしても、書籍の売上が伸びているという事実は変わりなく、もちろん出版社や書店は、書籍の売上が伸びていることに気づいていたが、何もしなかったのです。

この予期せぬ変化をイノベーションの機会として捉えたのが、実はミネアポリスやロサンゼルスの百貨店やスーパーで、彼らは本を扱ったことはなかったが、小売については知っていたので、そこで彼らは、それまでのものとは違う新しい書店チェーンを展開していき、それらの新しい書店は、本のスーパー・マーケットで本を文献としてではなく、大衆消費財として扱い、棚面積当たりの売上が大きなものを中心に扱い、店自体も、それまでの常識だった大学近くの土地の安いところではなく、人通りの多い繁華街に開き、それまでは、書店主と言えば文学好きの人たちであり、店員には本好きが採用されていたのですが、新しい書店チェーンの店長は、化粧品を売っていた様な人たちで、彼らの間では、本の定価以外のところに目を通したがる者は店員として失格だというのが冗談混じりの定説になり、登場して10年後には、それらの書店チェーンは、アメリカ小売業全体の中で、最も急速に成長し、成功していて、あらゆる成長産業の中でも最も成長が早かったのです。

以上のように、イノベーションは技術革新だけではなく、われわれの身の回りで、想像もしていなかったような新しい社会のシステムを出現させ続けているのです。

日本では、私の小さいころはどこの街にも、魚屋、米屋、酒屋、八百屋、豆腐屋等々、単一ビジネスを営む店舗が点在して、それぞれの適正な規模で繁盛していたのですが、そのような店のほとんどは淘汰されてしまい、生き残ることは出来ず、モータリゼーションの始まりと共に、最初にスーパー・マーケットが出現し、ダイエーが話題になり、スーパー・マーケット・チェーンが全国展開を始めたのもこの頃で、その後、コンビニエンスが出現し、日本のコンビニエンスは世界最強と言われるようになったのです。

その後、ファッションの専門チェーン、電機の専門店チェーンが全国展開し、DIY、ドラッグ・ストアとさまざまな大型専門店が、続々と日本列島をカバーし、外部環境の変化に適応した店舗だけが生き残り、適応することが出来なかった店舗は淘汰されている歴史を、戦後70年の間、われわれは見続け、外部環境の変化に適応し、イノベーションを起こした店舗だけが生き残ることが出来、更に次のイノベーションが起き、エンドレスに変わり続けているので、外部環境の予期せぬ変化を捉え続け、それに対応し続けることは、生き残る上では欠かせないことなのです。

以上は、流通のジャンルですが、飲食のジャンルでも、同じような外部環境の変化が続いていて、最近の日本での傾向としては、飲酒規制の影響により地方では、飲食店におけるアルコール摂取が減少して、ノン・アルコール・ビールの伸びが大きく、洋酒メーカーであるサントリー等でも、販売におけるアルコール比率が大きく落ち込み、アルコールの入っていない飲料の割合が大きくなり、まだ日本では、それほど行き届いていないのですが、欧米では健康志向が高まり、無化調、無添加、グルテン・フリーの麺、パン類が増えていて、外部環境の変化は、外へ出て、少し注意してみれば、幾らでも見えるのです。

あれだけ、パソコンを否定していたIBMの人たちもパソコンの推移を注意深く見ていたので、スムーズに対応が出来、従って、われわれは常にわれわれの業界で起きていること、近い部分、とくに将来大きな影響を及ぼすかも分からない分野については、絶対に目を離してはいけないのです。

当社もグルテン・フリーとか、当社のビジネスに将来影響を及ぼすかも知れない分野には、常に注意を払い、業界の進む方向を見続けていくことが欠かせず、これからは、国内だけではなく、海外の動きも非常に重要になってきます

昨日は、当社の卒業生で、OBの中山さんが10年ぶりに本社に来て、ハンド・マッサージを施してくれました。

今は独立して、エステの店を持ち、頑張っているそうでが、相変わらず、若々しいのに、驚きました。

彼女は、10年前くらいまで、当社で2年半、当社の大きな転換期に活躍してくれたのです。

昨日話していて分かったのは、在社していた2年半の間に、営業本部の場所が、最初の飯山工場から、坂出市内の借り事務所、次に、11年前に新築した60坪の元の営業本部と目まぐるしく、3回変わったそうです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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