うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「規模は関係ない、大学と病院の例」

昨日訪問した岐阜の篠田さんのお店「仁麺魚」

7月12日(日)から7月14日(火)までの3日間、ドリーム・スタジオ東京にて、「麺専門店繁盛支援イベント」を開催し、さまざまなセミナーがあり、13日は、私も参加します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2245&ref=top

7月20日(月)、21日(火)の2日間、シンガポールで「1day ramen school」と「1day udon school」を開催し、2日間とも、私も参加します。
http://www.yamatomfg.com/dl/072015_1dayeventsg01a.pdf

本日のテーマは「店舗回りは、欠かせないトップの仕事」です。

昨日は、昼で私のセミナーが終えたので、午後から岐阜エリアのお客さま回りをしました。

私が47年前に高松高專を卒業した後、最初に勤務したのが川崎重工航空機事業部で、岐阜の各務原であったので、岐阜県は懐かしい、思い入れのある場所なのです。

最初にお伺いしたのは、岐阜県の有名な企業が経営している蕎麦店で、立派な御殿のような建物を活用した蕎麦店で、1時頃にお伺いすると、広い座敷が満席になっていて、多くのお客さまが整備されたきれいな庭を眺めたりしながら、蕎麦料理を味わっていました。

われわれも天ぷら蕎麦を戴きましたが、黒い田舎蕎麦の板蕎麦の2段重ねで、黒い田舎蕎麦の場合、食べにくい蕎麦が多いのですが、この店の蕎麦は食べ易い、美味しい蕎麦に仕上がっていました。

食事の後、築50年近い、立派な建物をご案内戴きましたが、贅を尽くした内装の屋久杉とか、北山杉等の今では手に入らないような木材とその使い方には、驚きました。

蕎麦も美味しかったのですが、それ以上に店舗の素晴らしさに驚き、このような舞台での飲食店は、舞台の素晴らしさを活かし切れば、非常に成功し易いことが改めてよく分かりました。

日本には、まだこのような隠れた資産が眠っているので、隠れた資産をもっと生かせば、もっと素晴らしい飲食店が出来るはずであり、このようなことに、飲食ビジネスをやっている人たちはもっと気づくべきだと思います。

次に訪問したのは、仁麺魚の篠田さんで、ラーメン学校の卒業生であり、彼は元俳優であったので、ラーメン学校でも記憶に残る生徒さんの一人でした。

開店してもうすぐ2年で、その間に結婚もし、すでにかなり繁盛していますが、さらに進化を続けている様子がよく分かりました。

昨日は、たまたま休日でしたが、篠田さんと奥さんが店にいて、久しぶりに懐かしい対面をしました。

麺学校を巣立った生徒さんたちが、こうして元気に各地で頑張っている様子を見るのは、本当に嬉しい限りです。

暫く話し込み、篠田さんと分かれた後、少し寄り道をして、私が47年前から3年間勤務した川崎重工、各務ヶ原工場に向かいました。

昔、工場の正門であった場所は、国道が高架になり、高架下になっていたために、正門の位置が変わっていて、最初はどこが入口か分からなかったのですが、正門を見つけ、守衛に確認して、元の正門の場所に行ってみると、私が昔勤務していた懐かしい建物が当時と同じ姿でそこに建っていたのです。

私が勤務していたころに、勤務していた人たちは全員すでに退職していて、守衛でいる人たちも、知らない人たちばかりでしたが、建物を見ただけで、昔、仕事に情熱を傾け、社内を走り回っていた若いころを思いだしました。

同時に、私と同じ同期の人たちのほとんどは、リタイアーして悠々自適な生活を送っていると思いますが、47年前に岐阜県各務原市で始まった、私の仕事人生はまだこれからずっと続き、終わりのない格闘が続くのです。

昨日は夕食を兼ねて、うどん学校の卒業生が経営している、カフェを訪問し、本日は一日中、私と同い年の北陸の篠原さんと一緒に朝から名古屋市内のホテルを出て、一緒に福井に向かい、福井県内のお客さまとか、さまざまな店舗を見て回る予定です。

このように時間の許す限り、生徒さんの店を訪問し、お客さまの店を訪問し、また、気になる繁盛店を訪問し、各地での新しい情報を収集続けるのです。

企業のトップとして、出来るだけ多くのモノを見て、出来るだけ多くの人に会い、多くの生々しい情報を仕入れることは必須であり、昔は国内が中心であったのですが、最近は国内でいることが少なくなってきているので、出来るだけ時間を見つけて、この様にたくさんのものを見るようにしているのです。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。

「規模は関係ない」

新しい小さな事業には共通するものが多いのですが、事業が起業家的であるためには、新しさや小ささを超えた何かが必要であり、事実、新しい小さな事業のなかでも、真に起業家的な事業は少なく、起業家的な事業は、何か新しいもの、異質なものを創造し、変革をもたらし、価値を創造し、起業家たるためには、新しさや小ささは必要なく、それどころか、起業家精神は大企業、しかもしばしば歴史のある企業で実践され、100年以上の歴史を持つ世界的な大企業GEは、昔から起業家的な事業をゼロからスタートさせ、立派な産業に育て上げていて、その起業家精神を製造業に限定せず、金融子会社のGEクレジットは、アメリカの金融システムを一変させ、ヨーロッパにまで進出して、金融界のマジノ線を迂回することに成功し、これにより、産業金融における銀行の伝統的な独占を破ったのです。

イギリスの大店舗小売業マークス・スペンサーは、過去50年間、ヨーロッパで最も革新的かつ起業家的な企業として、イギリスの経済、さらには社会に対して大きな影響を与え、おそらくその影響は、政府や法律よりも大きく、GEやマークス・アンド・スペンサーは、起業家的ではない大企業とも共通するものを数多く持っていて、彼らを起業家たらしめているのは、規模や成長とは異なる、別の何かであり、同じような日本の事例は、コマツで、コマツは世界中で販売しているブルドーザーをインターネットでつなぎ、ブルドーザーの稼働率を見て、部品交換の時期とか、オーバーホール時期を確認したり、盗難にあったブルドーザーの位置を確認したり、エンジンのスイッチを切り、使用出来ないようにしているのです。

大企業であっても、起業家精神を持ち、イノベーション体質を持って成功している企業は世界中にたくさんあり、グーグルとかアップルはその典型的な事例であり、起業家精神を持つことは、事業を行なう上で、また、どんなに小さい事業を始める上でも欠かせず、従って、われわれ起業家にとって大切なことは、社会に良い影響を及ぼし、多くの人たちを幸せにするためにイノベーションと起業家精神を持ち合わせて、果敢にビジネスを進めることが欠かせないのです。

「大学と病院の例」

起業家精神とは、経済的な組織に限定されるものではなく、起業家精神の歴史において、近代的な大学、とくにアメリカの大学の創設と発展に勝る例はなく、西洋における近代的な大学は、ドイツの外交官ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが構想し、彼は1809年、フランスから知的、科学的主導権を奪うとともに、フランス革命によって解放されたエネルギーを、そのフランスに対し、特にナポレオンに対して向けることを目的とし、ベルリン大学を創設し、その60年後、ベルリン大学が頂点に達した1870年頃、大西洋を隔てたアメリカでも、社会改革の旗手としての大学というフンボルトの考えが実現し、南北戦争が終わるころ、アメリカでは植民地時代の単科大学が衰退していた、1870年には、1830年頃と比べて人口は3倍近くに増えていたにもかかわらず、大学生の数は半分以下に減っていたのですが、その後の30年間において、名だたる学長が次々と現れ、アメリカ型の新しい総合大学を創設し、1世紀前にフンボルトの大学が、学問研究の分野で世界の指導的地位をドイツにもたらしたように、第一世界大戦後、その地位をアメリカにもたらしたのです。(ドラッカー著書 マネッジメント参照)

さらに第2次世界大戦後、起業家精神にあふれた教育界の人たちが、NYのペイス大学、フェアレイ・デイキンソン大学、NY工科大学、ボストンのノースイースタン大学、西海岸のサンタクララ大学、ゴールデン・ゲート大学のような新しい都会型の私立大学をつくり、近年アメリカで最も成長した高等教育機関が、それら新しい型の大学であり、講義そのものは以前とあまり変わらなかったのですが、対象が異なり、高校の新卒者よりも、すでに働いている人たちを対象にし、寄宿舎に住み、週5日、9時から5時まで講義に出る昔ながらの学生ではなく、自宅に住み、夜間の授業に出てくる大都市の成人に的を絞り、伝統的な大学生よりも、多様な生活背景を持つ種種雑多な学生を対象にしたので、それらの大学は、市場の変化、すなわち学位が上流階級のものから中流階級のものに変化したこと、さらには、大学に行くことの意味が変化したことに対応し、まさに起業家精神によって生まれた大学だったのです。

日本における教育の歴史は、江戸時代の藩校に源流を見ることが出来、日本が幕末から明治維新に移行し、近代国家に早く移行することが出来たのは、江戸時代における藩校の果たした役割は、非常に大きなものがあり、ウイキペデイアによれば、藩校の内容や規模は多様ですが、藩士の子弟は皆強制的に入学させられ、後に、武士階級以外にも開放された藩校もあり、広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含み、全国的な傾向として、藩校では武芸も奨励され、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業し、教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣術等の各種武術などが加わり、藩校の入学における主な試業(試験)は素読吟味であり、四書(儒学の基本文献。「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称)のうち、抜粋した漢文を日本語訳で3回読み上げ、内容の解釈はともかく、読みの誤謬(読み間違い)、遺忘(忘れてしまうこと)の多少で合否が決まり、江戸時代の藩校では現在では考えられないような厳しい教育制度であり、その制度の下で、幕末に海外から日本に来た諸外国の外国人たちは、日本人の素養の素晴らしさに舌を巻いていたのです。

徳川家光時代までの武断政治から文治政治への転換と共に、藩校が各地に設立され、日本初の藩校は、1669年(寛文9年)に、岡山藩主池田光政が設立した岡山学校(または国学)で、全国的に藩校が設立された時期は宝暦期(1751年〜1764年)以後であり、多くの藩が、藩政改革のための有能な人材を育成する目的で設立した学校が多く、各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われ、発展期には全国に255校に上り、ほぼ全藩に設立され、藩校の隆盛は、地方文化の振興や、各地域から時代をリードする人材等の輩出にも至り、代表的な藩校としては、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、長州藩の明倫館、中津藩の進脩館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の藩校時習館、鹿児島藩(薩摩藩)の造士館などが有名であり、特に薩長の雄藩では教育においても優位に立っており、薩長土肥の連合において有力な人材を輩出したのです。

「世界ランキング統計局」によれば、2012年10月3日、イギリスの高等教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE Times Higher Education)」が、2012年版の「THE 世界大学ランキング 2012(World University Rankings 2012-2013)」を発表し、「THE 世界大学ランキング」は、「教育環境」「国際性」「産業界からの収入」「研究」「引用」の5つの全体的指標と、13の個別的指標から評価され、その中から上位400大学が公表され、ランキング1位は昨年同様、カリフォルニア工科大学(アメリカ)が選ばれ、2位にオックスフォード大学(イギリス)、3位スタンフォード大学(アメリカ)と続き、1位から25位までは、12位のチューリッヒ工科大学(スイス)を除き、全てアメリカ、イギリス、カナダと、英語圏の国の大学で占められ、非英語圏の国の大学では27位の東京大学が最高位であり、アジアの大学では、27位の東京大学に次いで、29位シンガポール国立大学(シンガポール)、35位香港大学(香港)、46位北京大学(中国)、50位浦項工科大学校(韓国)の順となっていて、これらアジアの大学は近年、急速に順位を上げてきていて、このランキングの指標ごとのスコアをみると、日本の大学の弱点が浮き彫りになり、中でも「国際性」のスコアが総じて低いことが指摘され、特に、東京大学27.6点や京都大学の26.3点は、トップ100にランクインした世界の大学の中でも最低水準であり、「国際性」は外国人教員や留学生の比率などで評価されるのですが、今後はこの弱点を克服するために、大学制度の改革や、海外からの高度人材の誘致とそれに伴う法整備、外国人の就職環境の改善など、大学と政府、企業を巻き込んだ具体的な政策が求められるのです。

当社も麺學校を運営しているので、教育の大切さは痛いほど分かり、総合大学のような多岐にわたる、高度な内容の授業ではないのですが、麺打ち職人を育てる学校ではなく、麺専門店経営者を育てる学校を行なっているのですが、当社の本業は製麺機の製造販売であり、そのような当社が運営している麺學校であるので、ときどき、製麺機を販売するための学校であると勘違いされる場合があるのですが、もし、製麺機を売ることを目的に麺学校をすれば、本来であれば、麺専門店を開業しない方が良い生徒さんにまで開業を勧めるようになるので、当社では、もし、生徒さんが開業に失敗し、閉店すれば100%製麺機を買い戻すようにしているので、そのようなことを避けるために、失敗する可能性のある生徒さんには、絶対に開業を勧めないので、当社の麺學校の役割は、単に成功のノウハウを教えるだけでなく、生徒さんの適性を見分けるための学校でもあるのです。

近代病院の歴史からも、起業家精神についてのケース・スタデイーの本を書くことが出来、近代病院は、18世紀の末、エデインバラとウイーンで生まれ、アメリカでは19世紀に地域病院(コミュニテイ・ホスピタル)として生まれ、20世紀の初めには、メイヨー・クリニックやメニンガー基金など専門化した医療センターが生まれ、第二次世界大戦後には、保健センターが現われ、そして今日、医療界の新しい起業家たちが、救急外科クリニック、産婦人科センター、神経科センターなど、病人の介護ではなく、特定の医療ニーズに応えるための専門医療機関を生み出していて、世の中の変化に伴ない、学校にしろ、病院にしろ、あらゆるものに違ったニーズが発生し、それに対してイノベーションを起こして対応した人たちだけが社会を変えて、人びとの幸福に貢献しているのです。

画像は、昨日訪問した岐阜の篠田さんのお店「仁麺魚」で、久しぶりの対面で懐かしかったのと、頑張っている様子が嬉しかったのです。

ますます、素晴らしいお店になり、永く成功するように応援したいと思います。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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