うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「予期せざる成功・失敗にこそ革新への源が、マネッジメントへの挑戦、しかも、予期せぬ成功は腹が立つ」

ラーメン業界で活躍している「ムタヒロ」さんと

7月20日(月)、21日(火)の2日間、シンガポールで「1day ramen school」と「1day udon school」を開催し、2日間とも、私も参加します。
http://www.yamatomfg.com/dl/072015_1dayeventsg01a.pdf

本日のテーマは「ホームポジション」です。

昨日は朝2便目で東京支店に移動し、12時から来客と食事をしながらの商談、午後1時半から私のセミナーが始まり、夜8時半まで、2つのセミナーを多くの来場者の方がたと共有しました。

私は、昼ごろのお客さまとの商談、面談の場合は常に昼食を兼ねていて、今回来社されたお客さまには、孟支店長の打った、美味しい蕎麦を一緒に食べ、食事を共にしたので、初対面のお客さまはビックリしていました。

当社の場合は、面接であっても、食事を一緒に取りながらの面接とか、商談でも食事を取りながらは当たり前なので、違和感はないのですが、外部から来られたお客さまは、だいたい驚かれるのです。

食事を取りながらの商談であれば、食事を取る時間の短縮が図れるのです。

そして、本日は7時20分羽田発の始発便で高松空港に帰ってきたので、今回の出張は日帰りに近い出張でした。

昨日の最初のセミナーが最近の大きな課題である、人の対策、次のセミナーが、商圏分析、事業計画書、レイアウトの問題でした。

最初のセミナーの途中で披露した、食べログの分析データを見せたところ、多くの参加者の希望により、食べログの話をして欲しいとのリクエストがあり、食べログについても最近当社が分析、研究した、食べログのからくりの説明を行ないました。

この話は普段はなかなか聞けない話なので、参加者の方には相当、役立ったと思います。

2番目のテーマの事業計画書については、ほとんどの新規開業は理解しないままに開店し、結果として成果を上げることが出来ていないのです。

昨日のセミナー参加者の顔ぶれを拝見すると、初めて当社のセミナーに参加したお客さまが多く、ほんの一部で、すでに麺学校を卒業した生徒さんの顔が見えていました。

私の話は一般の人たちにとっては、奇抜で、当たり前でない話が多いので、なかなか理解出来ていないのではと思います。

一度、私の経営講義でも受けていれば、理解度は高いと思いますが、そうでないと、なかなか違った世界の話なので、難しいと思います。

そんなに分かり難い話なのに、熱心に最後まで聞いて戴いたお客さまが多かったことに、感謝です。

本日も、外部より招いたコンサルの先生と2人きりで、朝からずっと当社の状況の説明と今後の対策の打合せを行なってきましたが、外部の方から第3者の目で冷静に判断して貰うと、私が経営講義で生徒さんたちに諭していることが、丁度立場が変わったような状態になります。

人は誰でも他人のことは冷静に判断出来るのですが、自分のこととなると、主観が入ってしまい、違った判断をしてしまうことが多くなるのです。

私は毎月、この様に、冷静に第3者の目で当社のビジネスを俯瞰することが出来る時間を取っているので、これが今後の経営に大きく役立つことと思います。

熱心に取り組めば、取り組むほど、客観的に自社、自分のことを判断することが難しくなってくるのです。

長い時間をかけて打合せをしていると、自分の課題が自然と見えてくるのです。

本日の打合せでも、私がエンジニアであることを再確認するような出来事に出合いました。

私は必要に迫られて、マーケテイングとかマネッジメントの学びを深めていますが、原点に帰れば、やはり、自分のホームポジションは、技術の世界であることがよく分かります。

技術の分野では、大きな間違いはしていないのですが、後から学んでいるマーケテイングとか、マネッジメントのジャンルは、まだプロ中のプロの領域に達していないことが改めてよく分かりました。

まだまだ学び続けなければいけない分野はたくさん残っているようです。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。

「予期せざる成功・失敗にこそ革新への源が」

ドラッカーは第2次世界大戦後の約1250件の画期的新製品から、カンバン方式のようなシステムに至るまでのイノベーションを徹底的に調べて、その源は何かを追求して、7つほどの「革新の源泉」を導き出し、そのリストのトップにあるのが、この「予期しなかった成功あるいは失敗」であり、たとえば、このプロジェクトなら3%はいくと見込んでいたのが、予想に反して13%も伸びた場合、ああ、当たって良かったなどといって、ここで安心するのは一流の経営管理者ではなく、それなりに人智を働かせて立てた予想がはずれたことの背後には、何か計り知れなかった、新しいファクターが潜んでいるはずであると考えることによって、イノベーションへの貴重なヒントや策が得られるとドラッカーは言い、かつて来日してこの話をしたときに、古い事例だが、と断って、今日の高級筆記具クロスのボールペン誕生物語がその好例だと、こう話してくれたのです。

あるとき、同社はあるイベントへの記念品として、今日の金張りの高級ボールペンの原型となるものを来客に配ったところ、これが大好評で、もっとないかという問合わせがしきりにあり、喜んでいただいてよかったというだけで止まらず、これはいったいどういうことだろうと営業担当の副社長が調べると、当時はペーパーメイトとか、スクリプトといった安い値ごろのボールペンはあったのですが、エグゼクティブが使用するのにふさわしい、ハイクラスのものはなく、フランス発のビックもようやく誕生したばかりで、プレスティージのある高級ステーショナリーの一環としてゴールドやプラチナのスリムなボールペンを開発したところ、これが大ヒットしたというわけで、まさに「予期しない成功」が一つのビジネスを生んだ事例で、ドラッカーは「予想外の成功や、その逆の失敗の教訓を決しておろそかにしてはいけない。そこを、これまたドラッカー好きな言葉でいうならば、「シンク・アウト(トコトン考え抜く)」ことによって、イノベーションへのきっかけが生まれ、革新への新しい道筋がみえてくる。」というのです。

この言葉の中に潜んでいるもう一つのドラッカー的発想は、その現実主義的、あるいは難しくいうならば実存主義的考え方であり、未来に絶えず、目を据えており、数々の大胆な予測と予見を成し遂げて、その鋭い未来透察力を賞賛されているドラッカーが、現実主義で、しかも「いま、ここで(ヒア・アンド・ナウ)」という実存的現在志向が強いと、いぶかしく思う人も多いかもしれないのですが、「明日何が起こるかは誰もわからない」「未来についてわかっていることは、たとえば人口動態のように、“今すでに起こっている未来”だけである」という言葉の端々からも伺い知れるように、人智の限界を骨身にしみて了解しているドラッカーにとって、その心の底には人間の考えなどはたかが知れているという冷めた眼が光っていることも忘れてはならず、ギリシャ神話の中のシジフォスのように、大きな石を額に汗してようやく山頂に押し上げた途端にその石は転げ落ちることを知りつつも、再び石を運び上げるべく黙々と山を降りていく人間の姿と、こうした営みをドラッカーは冷徹な、しかし底には温かい眼でもってみているのだと言えるのです。

次に、1970年前後に、あるアメリカの大手製鋼メーカーが、電炉の導入を嫌った原因も同じで、同社のマネッジメントは、自社の高炉が急速に陳腐化し、その近代化に数十億ドルの資金が必要なこと、しかも、その資金を調達できないことを知っていたので、取るべき道は電炉しかなかったのですが、その鉄鋼メーカーは、たまたま電炉メーカーを合併していて、新しく手に入れた電炉は生産量を増やし、かなりの収益をもたらしたので、若手の何人かが、資金を電炉の追加買収と増設に充てることを提案し、その提案によれば、数年を経ずして、特定の市場に的を絞った生産能力を数百万トン増加させることが出来るはずだったのですが、トップ・マネッジメントは、その提案を退けただけでなく、数年後には、この提案に関わった者は全員、退職の憂き目をみただけでなく、トップ・マネッジメントは「高炉中心の一貫製鉄所こそ唯一の道である。その他のいかなるものも、ごまかしに過ぎない。流行は不健全であり、長続きするはずがない。」としたのですが、10年後の今日、アメリカの鉄鋼業界において成長を続け、繁栄を誇っているのは電炉で、一貫製鉄所の完成に半生をかけ、高炉に馴染んだ(鉄鋼業界によく見られる)親子2代の鉄鋼マンにとって、高炉以外のものは、すべて新奇な異物であり、脅威だったのです。

自らにとっての最善の機会を敵の中に見出すには、相当なエネルギーを必要とし、このような事例は、数えれば、きりがないほどたくさんあり、現在、生き残り隆々としている企業は、このような幸運に浴している企業ばかりであると言っても過言ではなく、改めて、経営者に必要な素養として、何歳になっても、素直、謙虚であることは欠かせず、特に、人間の場合は、年齢を経る毎に頑固になる傾向があるので、年齢を経ても余計にフレキシブルで、素直で、謙虚になり続けるのも、経営者の大切な修行であり、トップ・マネッジメントの地位にある者の多くは、大企業、中小企業を問わず、或いは官民を問わず、特定の部門や分野から昇進してきていて、彼らにとって居心地が良いのは、それら出身部門や分野であり、メイシーの会長から先の話をされた頃、同社のトップ・マネッジメントの中で、婦人服のバイヤー以外の仕事からスタートして昇進してきていたのは、人事担当の副社長だけで、その副社長以外の者にとって、家電は他人ごとでしかなかったのです。

以上の話は、多くの企業の教訓ですが、過去の成功が大きければ大きいほど、成功の罠から抜け出すのが難しく、経済では、常にバブルが繰り返すように、忘れた頃に必ずバブル経済が発生し、経済が破綻し、その後回復することを繰り返し、過去のバブルを経験した人が経済界から消えたころ、必ず、新しいバブルが発生し、過去、体験しているにも関わらず、同じような轍を踏み、婦人服のバイヤーからスタートした役員たちにとって、自分たちにとって、心地良い安心領域から離れることは出来ないのですが、私はこれと正反対の事実を知っていて、私は高松高專が出来始めた3期目に入学したので、教官の数も足りず、民間からの一般の人たちを教師として採用し、そのような人たちは、元々専門が他の分野であっても、その分野では先に他の先生が受け持っているので、自分はまったく新しい分野を担当しなければならない先生も何人もいて、そのために、そのような先生方は、学生を教えるために、自分が独学で先に学ばなければならず、40歳代、50歳代で、再度の学びを始めなかったらいけなかったのですが、高專の授業の中では、元々の専門の先生よりもむしろ、そのような先生方の授業の方が、分かり易く、面白く、そのような先生方は、過去の自分の専門分野である、安心領域から逸脱して、新しい分野にチャレンジせざるを得ず、無理やりに安心領域から出ざるを得なかったのですが、安心領域から出ることによって、さまざまなメリットを受けることが出来るので、われわれは常に安心領域から逸脱することを、やり続けなければいけないのです。

「マネッジメントへの挑戦」

「しかも、予期せぬ成功は腹が立つ」

長年の主力商品、シンボル的な製品の改善と完成に力を入れている企業が、花形セールスマンからの求め、或いは、大事な顧客の求めを無下に断れなく、それまでの製品に、殆ど意味のないような手直しを加え、市場に出したとすると、そのような代物が売れるはずがないと思っていて、そのようなものが売れることなど望んでもいないのですが、ところが、その代物が市場を席巻し、主力商品と目論んでいた売上を食った場合、当然、不愉快に感じ、ドラッカー自身、実際に何度も耳にしたことですが、庇を貸して母屋を取られたとこぼすのです。

その反応は、半生を注いできた愛すべき婦人服の座が、望みもせず、好きでもない家電に取られてしまった会長と同じであり、まさに予期せぬ成功は、マネッジメントに対する挑戦であり、前述の鉄鋼メーカーの会長は、電炉の提案を却下するとき、「もし電炉が機会であるなら、われわれのトップ・マネッジメントがとうに手を打っていたはずだ」と言ったのですが、マネッジメントが報酬を支払われているのは、その判断力に対してであり、無謬性に対してではなく、マネッジメントは、自らの過誤を認め、受け入れる能力に対して報酬を支払われているのですが、このことを理解しているものは、稀であり、以上の話はスタッフたちに、特に聞かせたい話で、正しい判断力が要求されるのは、トップ・マネッジメントだけではなく、マネッジメントも上にいくほど、判断力の正しさは厳しく要求されるのですが、今日では社内のあらゆる部門が大切な仕事をして、日々、自分で判断することが要求され、特に営業関係者、開発関係者、メンテナンス、総務、企画部門とあらゆる部門が日々、刻々と変化する情勢の中で、常に間違わない判断を要求され、幾ら価値基準を明確にしておいても、出張中の現地での判断で間違えてしまったり、普段の仕事の中での判断を間違えてしまい、成果を上げることが出来ないスタッフがいて、成果が上がっていない部門は特に、判断のミスが多く見受けられ、マネッジメント専門家の場合の判断ミスは、誰にその仕事をさせるかという場合のミスが多く、彼では無理かもしれないが、他に適当な人がいないので、しょうがないから、彼にやらせようとした場合は、ほとんどの場合、問題が起きているのです。

そして、何でもないようなところで、判断ミスをして泣きたくなるような場合もあり、余りにも判断ミスが多い人は、社内での信頼がなくなり、大切な仕事はまず来なくなり、従って、何ごとを行なう場合も、自分は常に正しい判断をしているかどうかを、自分自身で確かめる必要があるのですが、自分がやろうとしている仕事の本質を深く思考し、理解すると、判断ミスすることはほとんどなく、仕事の本質、本当の意味が理解出来ていないので、判断ミスをしてしまうのです。

動物用医薬品業界において、世界の主導的な地位を占めているスイスの医薬品メーカーがあるのですが、扱っている動物医薬品のうち、自ら開発したものは1つもなく、それらの医薬品を開発したメーカーが、動物用医薬品市場に進出するのを嫌ってくれたために、扱えるようになったに過ぎなく、抗生物質を中心とするそれらの医薬品は、もともと人間用に開発したものだったので、獣医たちが注文を寄こしたとき、開発したメーカーは、喜びはしなかったし、ときには売ることを拒否さえし、動物用に調合を変えたり、包装を変えるようなことはしなっただけでなく、1953年頃には、抗生物質を動物の治療に使うことは、「貴重な医薬品の濫用」であると主張するある医薬品のメーカーの医師さえいたので、スイスのその動物用医薬品メーカーは、動物用医薬品としてのライセンスを簡単に取得出来ただけでなく、困った成功から解放されて喜ぶメーカーさえあったほどだったのですが、その後、人間用医薬品は、世界中で激しい価格競争に晒され、しかも行政による厳しい規制を受けるようになった結果、今日では、動物用医薬品が医薬品業界で最も利益率の良い分野になり、その利益を享受しているのは、それらの医薬品を開発したメーカーではないのです。

われわれの周りには、深く理解しようとすれば、上記のスイスの製薬会社が見つけ出したようなブルー・オーシャンの市場は必ず存在するのでが、われわれは、それを探し出す努力をしていないだけで、このスイスの製薬会社も予期せぬ成功を見逃さなかったので、得ることが出来た、チャンスであり、われわれの得意分野の中で、常に新しいブルー・オーシャンのマーケットを探し出すことをトップ・マネッジメントの仕事にするべきで、トップ・マネッジメントのうちの1人だけが、他の仕事は何もしないで、この仕事だけに取り組んでも、大きな価値があり、世の中と、世の中の価値観は変化を続けているので、昨日までは大きな意味がなかったビジネスでも、いつの間にか、ビッグ・ビジネスになり得る可能性があり、われわれは、無限の可能性の海の中で生きているのです。

昨日は、羽田空港に到着すると、珍しい人に再会しました。

ラーメン業界で活躍している「ムタヒロ」さんで、彼の突出したキャラクターは素晴らしく、丁度、沖縄にスタッフたちを連れて休暇の途中とのことでした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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