うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「開発研究、知識ニーズ、的を絞る、「タイム」の例」

先週のうどん学校の盛付の実習風景
本日のテーマは「常にアイデアを思考する」です。

昨日はホテルを朝6時に出て、学校インストラクターの三ツ井さんに空港まで送って貰い、高松空港では讃匠で勤務している長女に迎えに来て貰い、9時過ぎには、会社に到着しました。

昨日も重大な意思決定を幾つか行ないましたが、周りの人から見れば、唐突な意思決定に見えるようなことでも、意思決定の前には意思決定のための条件がすべて揃っているのです。

経営者の場合、辛い、やりたくない思決定をしなければいけない場面は、日々あり、意思決定するためのさまざまな事前情報は、常に収集しておかねば出来ないのです。

昨日、行なった意思決定もすべて、事前のさまざまな情報の結果であって、周りの人たちは、突然の決定のように見えるかも知れないのですが、意思決定のための条件が揃ったので、意思決定に至っただけであったのです。

昨日、開発メンバーとも打合せを行なったのですが、新しい製麺機の開発に当たっても、私は以前から温めていたアイデアがあったのです。

先週末の経営講義の間も、空いた時間を使って、このアイデアをもっと進化させるために、絵を描きながら、短時間に集中して取り組んでいると、その結果、今までの他の製麺機メーカーの発想にない、面白いアイデアが浮かんだのです。

経営講義の間でも、生徒さんの質問に答える以外の時間で、事業計画書作成とか、商圏分析等の私がタッチしないで済む、わずかな時間で、アイデアに集中していたのです。

どんな細切れの時間でも、寄せ集めると大きな時間になり、今朝も朝から散歩、筋トレを行なっていましたが、特に散歩の時間は素晴らしいアイデアを考え出す時間なのです

そして、次つぎと新しいテーマについて、前もって、頭の中にアイデアを温め続け、新しい課題の解決を行なっているのです。

従って、新しい仕事に取りかかってから、何か、新しいアイデアを出すのではなく、新しい仕事に取り掛かる前に、今やっている仕事と並行してアイデアを思考し続けるのです。

例えば、新しい機械の開発に関しても、ほとんどの担当者は、開発が始まってから新しいアイデアの検討を始めるのですが、私の場合は始める前に、アイデアだけは、ずっと考え続けておくと、仕事に取り組んだ時には、すべて解決しているのです。

図面を書くだけの仕事は、自分がタッチしないでも、他の誰でも書くことが出来るのです。

大切なことはアイデアを出すことであり、結論を出すことであり、自分自身を常に進化させ続けようとする人は、誰かに支持されてやるのではなく、常に自分の頭で考え続ける癖付けを行なわなければいけないのです。

そして、何かがあれば、直ぐに普段から思考しているアイデアをすぐに役立つように準備しておくことが大切なのです。 

私も以前はこのような習慣を持っていなかったのですが、当社の経営において、マネッジメントの大切さを理解するようになってから、常に、未来の仕事について、情報を収集し、アイデアを温めておくようにしているのです。

大切なアイデアは、騒々しい雑踏の中から出るのはなく、深い思考に集中しているときに得られるので、出来るだけ、短時間であっても集中出来る時間を取ることも大切であるのです。

或いは、何かまとまった仕事をしたい時は、その仕事をこなすのに必要なまとまった時間を取ります。

例えば、社内にいると常に邪魔が入るので、社内ではない場所、社外の静かな場所、或いは早朝、或いは長いフライトの時間、或いは、出張における空いた時間等々、思考の時間は常に必要なのです。

日々の生活の時間の中で、思考の時間を創り出すことは、それほど難しいことではないのです。

私は朝型なので、出来るだけ朝の時間に思考を行ない、夜の時間は成果が上がらないので、出来るだけ早く床に就くように努力しているのです。

昔、アルコールを飲んでいた時代は、遅い時間まで飲み歩いていた時期もありますが、今は、時間のロスになるので、一切、行っていないのです。

今は、健康に力を入れて、効率的に生きることに集中しているのです。

それでも日々の生活を目一杯楽しんでいます。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。

「開発研究」 

「知識ニーズ」

イノベーションの機会としてのニーズには、プロセス・ニーズと労働力ニーズが、最も一般的でありますが、利用がより難しく、より大きなリスクを伴ってはいるが、非常にしばしば重要な意味を持つニーズとして、知識ニーズがあり、(科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての)「開発研究」の目的としてのニーズであり、そこには、明確に理解し、明確に感じることの出来る知識が欠落していて、その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要になり、写真ほど、非常に早い速度で、成功したイノベーションはあまりなく、写真の歴史をウイキペデイアで調べると、最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像で、彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索し、瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとし、彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影したのですが、カメラによる画像ではあったにもかかわらず、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だったのです。 

その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始め、これが銀塩フィルムの元になり、写真は、発明後20年で世界中に普及し、有名な写真家も大勢現われ、マシュー・プレデイの南北戦争の写真は、今日でも抜きんでていて、1860年頃(明治維新の8年前)には、あらゆる花嫁が写真を撮って貰っていて、日本に最初に入った西洋の技術も写真であり、明治維新のはるか前、まだ日本が外国人や外国の事物に固く門戸を閉ざしていた頃で、写真が素人の趣味になったのが、1870年前後であるのですが、当時の写真の技術は、素人にとっては厄介な代物で、重く壊れやすいガラス板を原板として使っていたために、慎重に扱わなければならなく、カメラ自体も重く、撮影前の準備もたいへんだったので、誰もがそのような問題を知っていて、事実、最初の大衆向け専門誌である当時の写真専門誌には、写真撮影に伴うもろもろの問題や解決策が取り上げられていたのですが、1870年当時の科学や技術では解決出来なかったのですが、1880年代の半ば、遂に新しい知識が得られ、イーストマン・コダックの創立者ジョージ・イーストマンが、それらの知識を利用し、彼はガラス板を、重さなどないに等しく、手荒な取扱いにも耐えるセルロイドに代え、カメラ自体も軽量化し、10年後には、イーストマン・コダックは世界の写真業界でトップの地位を得、永くその地位を保っていたのですが、デジタル・カメラの登場により、2012年1月に倒産し、132年の長い歴史を終えたのです。

以上のように、写真の歴史は進化するために、常に新しい知識を必要として、新しい知識の開発に伴って進化し、プロセス・ニーズを満たす上でも、しばしばこの開発研究が必要となり、ここでも、まずニーズを知り、何が必要であるかを明らかにし、そうしてはじめて、必要な新しい知識を生み出すことが出来、プロセス・ニーズに基づいて、開発研究を行なった典型的な人間が、エジソンであり、電力産業が産業として成立するであろうことは、20年以上の間、知らない者はなく、特にその最後の5,6年では、プロセスの1部で欠けているものが、電球であると明らかになっていて、電球がなければ、電力産業は成立しなかったので、エジソンは電力産業を、単なる可能性から現実のものとするうえで、必要な知識を明確にし、開発研究に取り組み、2年後、実用的な電球を開発したのです。

「的を絞る」

今日、可能性を現実のものとするための開発研究は、企業の研究所はもちろん、国防、農業、医療、環境保護などのための研究所において行われていて、開発研究というと大規模なものに聞こえるかもしれず、多くの人たちにとって、それは、月への人を送ることや、小児麻痺のワクチンを発見することを意味するのですが、成功を収めているものの多くは、目標の明確な小さなプロジェクトであり、開発研究は、的を小さく絞るほど良い結果が得られ、その最もよい例、恐らくプロセス・ニーズに基づくイノベーションの最も成功したものが、日本の自動車事故を3分の1に減らした視線誘導標の開発で、1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進され、車はスピードを出せるようになったのですが、日本の道路は、基本的には10世紀のままで、2台の車がすれ違うのがやっとなど、道幅が狭く、死角のあるカーブも多く、数キロごとにいろいろな角度で交差していたため、とくに夜間は自動車事故が増え、マスコミや野党は対策を要求したが、道路を作り直すには20年もかかるので、作り直すわけにはいかなく、安全運転を呼びかける大掛かりな広報キャンペーンも、ほかのあらゆる種類のキャンペーンと同じように、効果はほとんどなかったのですが、この危機的な状況をイノベーションの機会として捉えたのが、岩佐多聞という若者で、彼はビーズ状のガラス球が、あらゆる方向からの光を反射する視線誘導標をつくり、やがて、日本の自動車事故は大幅に減ったのです。

「タイム」の例

もう一つの例をあげると、第一次世界大戦後、アメリカでは国民がニュースを求め始めたのですが、誰もがこの変化に気づいたので、第一次世界大戦直後の新聞や雑誌には、いかにしてこの新しいニーズに応えるかを論じる記事がたくさん出ていて、地方紙では解決出来ない問題で、「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとする大手の新聞社や出版社さえ、このニーズを捉えようとして失敗し、そのとき、ヘンリー・ルースが現われ、ニーズを明確にし、求められているものを明らかにし、発行部数や広告の関係からして、全国的なメデイアであることが必要だったのですが、多くの人たちが関心を持つニュースの数は限られており、日刊紙とすることは無理だったので、以上より、知識ニーズはプロセス・ニーズと深い関係があるものが多く、プロセス・ニーズを解決するために、知識ニーズが発生し、こうして世界最初のニュース週刊誌「タイム」が生まれ、直ちに成功したのです。

以前に説明しましたうどんの熟成工程における熟成庫は、プロセス・ニーズにより出来上がったものではありますが、その過程において、熟成のメカニズムという知識ニーズの解決が伴っていたので、このように、ほとんどのプロセス・ニーズには、知識ニーズが伴うようです。

画像は先週のうどん学校の盛付の実習風景で、生徒さんの作品のチェックを行ない、問題点を指摘し、修正をした作品をさらにチェックするのです。

問題点を指摘すると、見違えるようになる生徒さんもいますが、そうでない生徒さんの作品は最終的に、私が修正するのです。

修正すると、以前とはぜんぜん違った作品になる場合が多いのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

 

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