うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(下)」「専門技術戦略、自らが基準となる、揺籃期でのスタート、不断の努力、戦略の条件」

ラーメン学校最終日に作った野菜だけのラーメン
本日のテーマは「夜明け前が、一番暗い」で、一番苦しいときは、神様に試されているときなのです。

今週は、藤澤常務と学校講師の松原部長が開店指導で香港にいて、私は来週の13日から19日までインドネシア、マレーシア訪問で、両国とも10年ぶりの訪問で、大きく変化していることと思います。

現在の日本も大きな変革の途中で、生産年齢人口の急激な減少の大きな影響が麺業界にも現れているのです。

麺のジャンルで、当社の生徒さんが現在、新規に開店して一番苦戦しているのは、うどん店ビジネスで、先日の広島の『太閤うどん』等は、規模が小さいながら、たいへん健闘している事例で、たとえ、規模が小さくても、多少、立地が悪くても、高い商品力で繁盛している店は少なからずあるのです。

『太閤うどん』は、広島市内で、自店の居場所を見つけて、キチンと生き延びている勝ち残りの事例です。

飲食ビジネスは一種の椅子取りゲームであり、その商圏内で自分の居場所を見つけるビジネスゲームでもあるのです

自分の得意分野の技を駆使して、自分の居場所を見つけて、居場所を拡大し続ける闘いでもあるのです。

当社も、最初の設計業の時は居場所を見つけることが出来なかったのですが、製麺機ビジネスに転向してからは、麺の美味しさとか安全性、メンテナンス等に特化して居場所を見つけたのです。

麺の美味しさを特徴として、美味しい麺を作れる製麺機を開発し、安全性に注力し、ユーザーの幅を拡大し、年中無休365日メンテナンスで、お客さまの信頼を勝ち取ったのです。

更に麺学校に力を入れて、レベルの高い内容の授業で生徒さんたちを失敗しないようにガイドしているので、当社の麺学校卒業生の廃業率は業界全体の10分の1から、6分の1程度で、非常に低いのです。

当社は振り返ってみると、創業以来、ほぼ現在と同じような、一貫性のあるポリシーで経営してきましたが、創業して30年間くらいは、なかなか軌道に乗らなかったのです

その理由の一番大きなものは、今から振り返ると妥協でした、常に資金面の不安を抱えていたので、目先の生き延びるために、妥協せざるを得ず、やむなく妥協をしたことが何度かあったのです。

妥協の結果は、決して芳しいものではなく、そのために、資金の大切さは嫌と言うほど味わいました。

しかし、苦しい時代を長く味わったお蔭で、さまざまな知恵と忍耐力を授かることが出来たのです。

例えば、「夜明け前が、一番暗い」ということであり、「好転する直前が、一番苦しい」のです。

しかし、ほとんどの人は、一番苦しいときにギブアップするのです。

もう少し、この苦しいのを頑張り抜けば、トンネルを抜けることが出来るのに、一番苦しい、好転する直前でギブアップする人が多いのです。

私も『夜明け前が、一番暗い』を言うことを、自分に言い聞かせ続けてきたのですが、やはりその通りで、一番たいへんな時を乗り越えると、新しい展開が出来たのです。

もし、一番苦しい時に、投げ出してしまえば、現在の当社はなかったのです。

現在も当社の麺学校の卒業生の中で、苦しい中で頑張り続けている生徒さんが何人かいます。

私に出来ることは、励まし続け、アドバイスを与え続け、成功するまで頑張り続けることが出来るようにすることだけなのです。

もし、生徒さんが投げずに頑張り続けるのに、私のアドバイスとか、応援が少しでも役に立ち、生徒さんが挫折せずに成功することが出来れば、こんなに嬉しいことはありません。

現在の日本は、非常事態であり、ほとんどの麺専門店にとっても、難しい局面が多いと思います。

そこで、当社の40周年を記念して、当社の正規ユーザーさまに限り、当面、麺学校の2日間の経営講義の授業料を無料にして、再度、最新の情報、ノウハウの提供と、もし、悩んでいるユーザーさまがいれば、悩み解決の場にしたいと思ったのです。

2日間の経営講義は、土日の2日間で、受講出来、東京と香川でほぼ毎月開催しているので、気軽に参加できると思います。

但し、通常の麺学校の生徒さんがいらっしゃるので、当社のユーザーさまは、毎回3名までと限定させて戴きます。

少しでも、お客さまの成功に役立てばということで、このような企画を考えてみました。

悩んでいる方の一番の課題は、誰に相談するかということで、相談相手がネガテイブであったり、利益関係者である場合は、正しいアドバイスを受けることが出来ない場合が多いのです。

経営者は、苦しい時も精神的に安定で居続けることが非常に難しいので、誰か相談者がいれば、案外うまくいく場合が多いのです。

『People want to help you. (You just have not asked.)』人々はあなたを助けたがっているのです

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。

2専門技術戦略

大手の自動車メーカーの名前を知らない人はいないのですが、電気系統システムを供給する部品メーカーの名前を知っている人はほとんどいないし、それら部品メーカーの数は、自動車メーカーよりも少なく、アメリカではGMのデルコ・グループ、ドイツではロベルト・ボッシュ、イギリスではルーカスなどで、ミルウォーキーのA・O・スミスが、何十年も前から乗用車のフレームをつくってきたことや、ベンディックスが、同じく何十年も前からあらゆる種類のブレーキをつくってきたことを知っている人は、自動車産業の外にはほとんどいなく、今日では、これら部品メーカーのすべてが、歴史のある企業になっていて、自動車産業とともに育ってきたからであるのです。

これらの部品メーカーは、第1次大戦前の自動車産業の揺籃期に、その支配的地位を確立し、たとえばロベルト・ボッシュは、ドイツの自動車産業の先駆者たるカール・ベンツや、ゴットフリート・ダイムラーの友人であり、1880年代に会社をつくり、現在でも、自動車の部品メーカーはより専門化し、グローバル化し、規模が巨大になり、規模の大きい自動車部品メーカーは、規模の小さい自動車会社よりも大きくなり、最近の内燃機関から、電池自動車の時代になり、部品メーカーへの新規参入はハードルが高く、ほとんどないのですが、自動車メーカーへの新規参入は次々と起きているのです。

◆自らが基準となる

これら歴史のある自動車部品メーカーは、その専門技術によって、生態学的なニッチにおいて支配的地位を獲得すると、その地位をずっと維持してきて、部品メーカーが獲得したニッチは、前述の関所戦略をとった企業の市場よりもかなり大きかったが、それでもかなりユニークな市場で、それら部品メーカーは、優れた技術を開発することによって、かなり早い時期に市場を獲得し、A・O・スミスは、第1次大戦からその直後にかけて、自動車のフレームの製造において、今日いうところのオートメ化を実現し、ドイツのボッシュがメルセデスの軍用車両のために1911年頃設計した電気系統システムは、あまりに先進的であって、高級車においてさえ一般に使われるようになったのは、第2次大戦後だったのです。

オハイオ州デイトンのデルコは、1914年にGMに合併されるよりも前に、セルフスターターを開発し、これらの部品メーカーは、その専門技術によってあまりに先行しているために、ほかの企業にとっては挑戦する価値がなくなっていて、これらの部品メーカー自体が、すでに技術の基準となっているのです。

もちろん、専門技術によるニッチ戦略は、製造業に限定されることはなく、ここ10年間に、主としてオーストリアのウィーンの商社が、かつてバーターと呼ばれ、今日、カウンタートレードと呼ばれている分野で同じようなニッチ市場を手にし、先進国企業からの機関車、機械、医薬品輸出に対する代金として、ブルガリア産のタバコやブラジル製灌漑用ポンプなど、途上国の輸出品を受け取り、さらに昔、ある起業家的なドイツ人が、きわめて専門的な技術によって、今日にいたるも、当人の名前をつけた「ベーデカー」なる観光用ガイドブックをつくり、大きなニッチ市場を得ているのです。

以上のように、ビジネスの世界においては、技術分野においても、技術以外の分野においても、常にイノベーションの芽を見つけ続けることが、勝ち残るための必要最低条件なのです

◆揺籃期でのスタート

専門技術によるニッチ市場の確立にとっては、タイミングが重要な意味をもち、新しい産業、新しい習慣、新しい市場、新しい動きが生まれる揺籃期にスタートしなければならず、カール・ベーデカーは、1828年、蒸気船が中流階級を対象にライン川観光を始めたとき、その最初のガイドブックを発行し、第1次大戦によってドイツの出版物が、ほかの国で受け入れられなくなるまで、事実上、欧米の市場を独占したのです。

ウィーンの商社は、それがまだ例外的な取引だった1960年頃、東欧の小国を相手としてカウンター・トレードを始めたので、それらの商社がウィーンに多いのもそのためで、そして10年後、第3世界が慢性的な外貨不足に陥ったとき、それらの商社は、カウンター・トレードの技術をさらに向上させて、その専門家となったのです。

専門技術による起業家戦略を使うためには、どこかで何か新しいこと、つけ加えるべきこと、あるいはイノベーションを起こさなければならず、ベーデカーの前にも旅行者用ガイドブックはあったのですが、それらは、教会や風物など文化的な情報に限られていて、イギリス貴族の旅行者は、実務的な日常の些事、ホテルや馬車の料金、チップの額などは執事に任せていたのですが、新しく現れた中流階級には、執事はいなかったので、この事実が、ベーデカーにとって機会となり、しかもベーデカーが、観光客が必要としている情報を知り、それらの情報の入手の方法や、掲載のスタイルをマスターしたあとでは、誰も同じ投資をする気にはなれなかったくらい充実していて、彼のスタイルは、今日でも多くのガイドブックに引き継がれているのです

このように専門技術による起業家戦略は、発展の初期の段階で行なわなければならず、たとえばアメリカでは、航空機用プロペラを製造するメーカーは、第1次大戦前に設立されている2社しかないのです。

◆不断の努力

専門技術によるニッチ市場が偶然見つかることはほとんどなく、いかなる場合も、イノベーションの機会を体系的に探すことにより、はじめて市場を見つけることができ、そこで起業家は、ユニークな支配的地位に就くことのできる専門技術を開発できそうな分野を探すことが重要で、ボッシュは、生まれたばかりの自動車産業を何年もかけて研究し、アメリカの飛行機用プロペラ・メーカーとして歴史のある、ハミルトン・プロペラは、創業者が草創期の航空機産業を体系的に調査して設立し、ベーデカーは、新しいタイプの観光客を対象とする、いくつかの事業を試みたあと、自らの名を高めることになったガイドブックをつくったのです。

戦略の条件

したがって、この戦略の条件として、第一にいえることは、新しい産業、市場、傾向が現れたとき、専門技術による機会を、体系的に探さなければならないということであり、ありがたいことに、そのための専門技術を開発する時間は、十分あるのです。

第二にいえることは、独自かつ異質の技術をもたなければならないということであり、自動車の組み立てメーカーの先駆者たちは、例外なく機械の専門家で、彼らは機械や金属やエンジンについては熟知していたが、電気については素人で、彼らが保有せず、習得の道も知らない知識が必要とされていたのです。

ベーデカーの時代にも出版社はあったのですが、膨大な量の細かな情報を現場で集め、確認し、旅行記者を手配しなければならないガイドブックの編集は、彼らの守備範囲ではなく、そしてカウンター・トレードは、貿易でも金融でもなく、専門技術によるニッチ市場を確立した企業は、顧客と取引先のいずれからも、脅威を受けることがなく、彼らは、技術的、気質的に異質なものに、あえて入り込んでこようとはしないのです。

第三にいえることは、専門技術によるニッチ市場を占拠した企業は、絶えずその技術の向上に努めなければならないということであり、つねに一歩先んじなければならないので、まさに、自らの手によって、絶えず自らを陳腐化していかなければならないのです。

初期の自動車組み立てメーカーは、デイトンのデルコやシュツットガルトのボッシュが尻をたたくとこぼしていたもので、両社はしばしば、当時の自動車の水準をはるかに超え、しかも顧客が必要とし、欲しがり、払えると考えているものさえ超え、さらには、組み立てメーカーが組み立て方さえ見当のつかないような電気系統システムまで提案していたのです。

画像は先週の東京支店でのラーメン学校最終日に作った、トマトだけのスープのトマトラーメンです。

このような野菜だけのラーメンも、安定して美味しいのが作れるようになりました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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