本日のテーマは「盛り付け」です。
昨日は朝から、盛付の教科書の画像撮影日であり、私が朝から夕方までずっと立ち会って、1日中盛り付けを行ないました。
当初は8パターンの撮影の予定でしたが、途中で変更して合計11パターンの撮影を行ないましたが、以前よりは相当手馴れてきたので、当初の予定の時間内に終了しました。
そして、終わってみると、最近は盛り付けのきれいさに大きなウエイトを置き、研究してきたので、盛付のことがだいぶ理解出来てきたことが、今回、手際よく盛り付けが出来た大きな原因であったのです。
盛付の研究を行なってきた結果、盛付のきれいさを決定づける要素は、以下の通りなのです。
1. 食器の選定
2. 食材の選定と食材のカット方法
3. 盛付の方法で、色バランスの取り方、立体感、高さ
4. あしらいの選定
5. 薬味の選定
1.先ず、盛付において一番大切なことは食器選定で、盛り付けの良さの半分は食器選定で決まり、盛付が上手く出来ない多くの場合は、食器選定のミスであるのです。
特に、食器の色、食器のサイズ、形状は大切で、どのような盛り付けをするのかを頭に描いて、食器を選定します。
多くの人が失敗しているのは、模様のついた食器、形状のいびつな食器、食器だけが存在感を示しているが、盛り付け全体を引きたてない食器、白色でない、色の付いた食器、盛付に対して、サイズの小さい食器を使い、盛付と食器のサイズが合っていない場合等があります。
盛付が食器と合っていないと、食器だけが存在感を示したり、全体のバランスが取れず、きれいに見えないのです。
2番目に重要なことは、食材の選定とカット方法で、全体の盛付のバランスに合った食材の選定が重要であり、同時にカット方法によって、ぜんぜん見え方が異なります。
昨日、新たに体験し、分かったことは、手元にある食材に合せて、その食材の良さを活かせる最高の盛付をしなければいけないということであり、もし、食材がその食材本来の良さを持っていない場合は使用出来ず、昨日購入していたアボカドは、熟れておらず、硬すぎて、アボカド本来の良さをどうしても演出することが出来なかったので、使うことを諦めたのです。
昨日はメニューの教科書の撮影を行なうので、季節感あるメニューをこの時期に行なわなければならず、最も難しかったのが、春のメニューで、春の食材はこの時期にほとんど売られていないので、水煮とか、似ているものを探し出して、何とか、それなりの雰囲気が出るような食材を見つけてきたのです。
朝一番で取り組んだのは、アボカドを使ったラーメンで、アボカドが硬過ぎて、どんなにしてもアボカドの雰囲気が出ないので、急きょ、ズッキーニに切り替えると、面白い画像が撮れました。
改めて、食材選定の大切さが分かり、選んだ食材の品質が悪いと、どんなに頑張っても、狙った盛り付けが出来ないので、食材の品質は、絶対条件です。
次に、それぞれの食材の持ち味を、最大限に引き出すには、それぞれの食材の持ち味を大きく引き出すような食材の使い方の研究が重要で、食材によっては、切り方によって、まったく異なった良さを発揮してくれます。
例えば、ミニトマトでも半分にカットする場合、平面的に切る場合、断面的に切る場合では、見え方がまったく異なり、更に断面的に切る場合でも、種のある断面とない断面では、種のある断面の方が、はるかにきれいに見えるのです。
普通のサイズのトマトでも、平面的に薄くカットする場合、櫛形にカットの場合、カットしないで、皮を湯ムキして使う場合、サイコロ状にカットの場合、櫛形にカットの場合でもカットの大きさによって、イメージがまったく異なり、使う場所も異なります。
食材は、カット方法により、まったく異なった一面、良さを表現してくれます。
従って、食材のカット方法は、盛付をきれいに見せる上では、非常に重要な役割を果たすのです。
3番目に重要なことは、盛付方法で、麺専門店の場合は、早く、きれいに盛り付ける必要があるので、食材を小さくカットし過ぎると、部品点数が増え、盛付時間が長くなってしまうので、カットサイズも重要な要素です。
盛付の手法には、大きく分けて、立体的に見せる場合と、平面的な盛り付けの方法がありますが、最近では、立体的な盛り付けが多くなり、立体的な盛り付けの方が、インパクトが得られやすいのです。
また、日本人の多くは右利きであり、右手で箸を使うので、右手前は低く、左奥ほど高く盛り付けるのが、盛付の基本です。
盛付では、色バランスも重要で、さまざまな配色をバランス良く並べる場合と、色の種類は絞り、同系色を使った色のグラデエイションでシンプルなきれいさを演出する場合、対比色を使い、インパクトを与える場合等、色遣いも、際立ったきれいさを生み出す要素なのです。
このようなことは、実際に体験し、学びを深めることを繰り返すことにより、秀逸した素晴らしい盛り付けが出来るようになるのです。
盛付の手法は、実にさまざまであり、経験の数を重ね、直観力が働くようにする必要があるので、体験する時間はかかるのですが、私の場合は、毎月の麺学校での実技最終日に生徒さんの作品の修正を行ない続けた結果、大きく進化することが出来たのです。
そして、生徒さんの作品の修正は、真剣勝負で一人ひとりの生徒さんの作品と向き合ってきたので、進化が加速したのだと思います。
4番目に大切な要素はあしらいであり、あしらいの選定を使い方で、盛付は締まり、きれいに見えるのです。
その典型的な事例が、白髪ねぎで、白髪ねぎの使い方で、白髪ねぎを置くまでの盛付の点数が60点とすると、白髪ねぎを置き、薬味を使っただけで、80~90点になるのです。
ほとんどの盛付は、最後に白髪ねぎを使うことにより、きれいにまとめることが出来るのです。
しかし、同じ白髪ねぎを使っても、使い方、丁寧さが欠けていると、ぜんぜんきれいに見えないのです。
従って、盛付においては、丁寧さは欠かせず、食材一つひとつの置き方で、見え方はまったく異なるのです。
5番目は薬味で、薬味の使い方で、見た目のインパクトと味のインパクトが加わるので、薬味の使い方も同様に、大切な要素です。
盛付は、センスであり、常にセンスを磨き続けることが大切で、これも筋トレと同じで、休まずに忍耐強く研究を続けることが大切なのです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
「パソコンと、本のスーパー」
次にあげる2つの例は、外部の予期せぬ変化を利用して、イノイベーションの機会とすることに成功した典型的なケースであり、その一つがIBMのパソコン市場への進出に関してで、IBMでは、1970年代に入ってからもしばらく、社内の経営管理者や技術者の間にさまざまな意見の対立が見られたが、唯一、意見が完全に一致していることが一つだけあり、それは、より大きなメモリーと計算能力を持つメイン・フレーム・コンピュータこそ、未来を担うものだということであり、IBMの技術者たちは、それ以外では費用がかかり過ぎ、しかも複雑すぎて能力に限界があると確信していたので、IBMはメインフレーム分野でトップの地位を守ることに、あらゆる資源と努力を集中していたのです。
ところが、1975年か76年頃、驚いたことに、10歳そこそこの子供たちが、コンピュータでゲームをするようになり、ときを同じくして、その父親たちが、最も小型のメインフレームと比べてさえ、はるかに性能の劣るパソコンを使い始め、起こりえないとしていたことが実際に起こり、パソコンは、メイン・フレーム・コンピュータに接続した端末機器よりも費用が数倍かかり、能力がはるかに劣っていただけでなく、ほとんど互換性のないさまざまなハードとソフトが作られたため、すべてが混乱状態に陥り、サービスも補修も満足には行なわれていなかったのですが、消費者の方は、一向に困った様子を見せなかったどころか、1979年から84年というわずか5年間で、パソコンの売上は、年間1500億ドルから1600億ドルという、メイン・フレーム・コンピュータが達成するのに30年かかった水準に達したのです。
もちろんIBMとしては、そのような状況を無視してもおかしくなかったのですが、IBMは、メイン・フレーム・コンピュータの市場が70億ドルだったのに対し、パソコン市場が2億ドル以下だった1977年、独自のパソコンを開発すべく、相互に競争し合う2つのプロジェクト・チームを作り、パソコン市場が爆発的に伸び始めた1980年には、独自のパソコンを生産し始め、その3年後の1983年には、早くもメイン・フレーム・コンピュータ市場と同じように、パソコン市場でもトップの地位を占め、同年には、ピーナッツという家庭用パソコンまで発売したのです。
私はIBMの人たちと話をするたびに、「パソコンの普及など起こるはずがなく、無意味であると信じていながら、機会になると考えるようになったのはなぜか」と尋ねると、答えはいつも同じで、「起こるはずもない無意味なことと信じていただけに、ショックだった。当たり前のように信じていたことが、すべてゴミ箱行きになってしまった。そこで、外へ出て、起こるはずのないのに起こってしまったものを調べて、利用することにした。」
もう一つの話は、もっと平凡であり、派手な話しではないが、同じように示唆に富んでいて、全国に無料の公立図書館があったせいもあったのですが、アメリカでは、過去、本が良く売れたことは一度もなく、1950年代初めにテレビが登場し、多くの人たち、しかも特に高校生や大学生など読書年代の若者の多くが、ますます多くの時間を、ブラウン管の前で過ごすようになったとき、誰もが書籍の売上の大幅ダウンを当然のこととしたのです。
事実、焦った出版社の多くは、教育産業やコンピュータ・プログラムに多角化して、そのほとんどが失敗したのですが、テレビの登場後、書籍の売上は大幅な伸びを見せ、その伸び率は、所得、読書年代人口、進学率のいずれの伸び率をも数倍上回っていたのですが、なぜそのようなことが起こったかは分からず、それどころか、そのようなことが起こったことさえ気付かず、しかも相変わらず、一般的なアメリカ人家庭にはほとんど本がなく、同様に、一人当たりの書籍購入額が世界一であって、アメリカの2倍に達していた日本でも、同じことが起こっていたのです。
それらの本は、いったい、どこへ行ったのかという問いに答えられないとしても、書籍の売上が伸びているという事実は変わりなく、もちろん出版社や書店は、書籍の売上が伸びていることに気づいていたが、何もしなかったので、この予期せぬ変化をイノベーションの機会として捉えたのが、実はミネアポリスやロサンゼルスの百貨店やスーパーで、彼らは本を扱ったことはなかったが、小売については知っていたので、そこで彼らは、それまでのものとは違う新しい書店チェーンを展開していき、それらの新しい書店は、本のスーパー・マーケットで本を文献としてではなく、大衆消費財として扱い、棚面積当たりの売上が大きなものを中心に扱い、店自体も、それまでの常識だった大学近くの土地の安いところではなく、人通りの多い繁華街に開き、それまでは、書店主と言えば文学好きの人たちであり、店員には本好きが採用されていたのですが、新しい書店チェーンの店長は、化粧品を売っていた様な人たちで、彼らの間では、本の定価以外のところに目を通したがる者は店員として失格だというのが冗談混じりの定説になり、登場して10年後には、それらの書店チェーンは、アメリカ小売業全体の中で、最も急速に成長し、成功していて、あらゆる成長産業の中でも最も成長が早かったのです。
以上のように、イノベーションは技術革新だけではなく、われわれの身の回りで、想像もしていなかったような新しい社会のシステムを出現させ続けているのです。
日本では、私の小さいころはどこの街にも、魚屋、米屋、酒屋、八百屋、豆腐屋等々、単一ビジネスを営む店舗が点在して、それぞれの適正な規模で繁盛していたのですが、そのような店のほとんどは淘汰されてしまい、生き残ることは出来ず、モータリゼーションの始まりと共に、最初にスーパー・マーケットが出現し、ダイエーが話題になり、スーパー・マーケット・チェーンが全国展開を始めたのもこの頃で、その後、コンビニエンスが出現し、日本のコンビニエンスは世界最強と言われるようになったのです。
その後、ファッションの専門チェーン、電機の専門店チェーンが全国展開し、DIY、ドラッグ・ストアとさまざまな大型専門店が、続々と日本列島をカバーし、外部環境の変化に適応した店舗だけが生き残り、適応することが出来なかった店舗は淘汰されている歴史を、戦後70年の間、外部環境の変化に適応し、イノベーションを起こした店舗だけが生き残ることが出来、更に次のイノベーションが起き、エンドレスに変わり続けているので、外部環境の予期せぬ変化を捉え続け、それに対応し続けることは、生き残る上では欠かせないことなのです。
以上は、流通のジャンルですが、飲食のジャンルでも、同じような外部環境の変化が続いていて、最近の日本での傾向としては、飲酒規制の影響により地方では、飲食店におけるアルコール摂取が減少して、ノン・アルコール・ビールの伸びが大きく、洋酒メーカーであるサントリー等でも、販売におけるアルコール比率が大きく落ち込み、アルコールの入っていない飲料の割合が大きくなり、まだ日本では、それほど行き届いていないのですが、欧米では健康志向が高まり、無化調、無添加、グルテン・フリーの麺、パン類が増えていて、外部環境の変化は、外へ出て、少し注意してみれば、幾らでも見えるのです。
あれだけ、パソコンを否定していたIBMの人たちもパソコンの推移を注意深く見ていたので、スムーズに対応が出来、従って、われわれは常にわれわれの業界で起きていること、近い部分、とくに将来大きな影響を及ぼすかも分からない分野については、絶対に目を離してはいけないのです。
当社もグルテン・フリーとか、当社のビジネスに将来影響を及ぼすかも知れない分野には、常に注意を払い、業界の進む方向を見続けていくことが欠かせず、これからは、国内だけではなく、海外の動きも非常に重要になってきます。
画像は、昨日の撮影の風景で、アシスタントの人たちが上手く準備をし続けてくれたので、非常にはかどったのです。
お蔭で、比較的早い時間で、予定の撮影数8点より、3点も多く撮影することが出来たのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。