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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「外へ出て調べる、取引先や競争相手の成功と失敗」

麺学校のキッチンの片づけの様子

本日のテーマは「天ぷらもデジタルクッキング」です。



昨日もずっと社内でいたので、うどん学校の生徒さんの授業をときどき覗いていると、夕方近くに、ある生徒さんから玉ねぎの掻き揚げを教えて欲しいとのリクエストがあり、手ほどきをしてみました。野菜の掻き揚げを、きれいに見せるためには、まず、野菜のカットサイズが重要で、玉ねぎの場合は、最初に皮をむき、上下を少しカットして、縦半分に切り、カットした面を下にして、まな板の上に置き、幅8mm程度で横にカットし、一片一片を全部バラバラにほぐします。

天ぷら粉の打ち粉を軽く全体にまぶし、カットした玉ねぎの材料の重量を計ります。

昨日は、玉ねぎの重量が220g程度であったので、天ぷら粉1対水2の割合で作った衣を50g計り、玉ねぎところもを混ぜ、完全にころもが玉ねぎ全体に行き渡るようにします。

ここで重要なのは、野菜重量と衣重量の割合で、野菜と衣の重量比は、約4対1前後で、衣の割合が多くなると、衣が厚くなり、野菜の質感が出なくなり、野菜の食感も落ちるので、最低必要な衣の量が大切なのです。

学校では掻き揚げ専用のレードルの使用を進めていますが、レードルの中に衣をまぶした玉ねぎを落としますが、決して一気に落とさずに、少しづつ落としていきます。

こうすると、出来上がった時に、空間のある、ふんわりした掻き揚げが出来上がります。

べたっとした隙間のない、スーパーの惣菜コーナーで売っているような掻き揚げは、材料を一気に落とすと、簡単に出来るのです。

材料を一気に落とさないで、徐々に落とし、材料がすべて入ると、上から小さい網杓子で、軽く押さえ、形を整えます。

最期に、三つ葉を3本程度、長さ8cm程度にカットして、衣を付けて、掻き揚げの上に、彩りのために置きますが、これは、生海老等でも構いません。

玉ねぎは水分が多く、揚がり時間が早いので、下の方は先に揚がるので、途中で、レードルを抜き、上下ひっくり返します。

キツネ色に仕上がったら、完成で、茶色になるまで、揚げすぎないことが肝心です。

天ぷら類は食材の持っている水分を高熱で蒸発させて調理するので、出来上がると、水分が抜けて軽くなり、浮き上がります。

また、調理直後は高熱になっているので、フライヤーから取り出しても、煮え続けていて、エビの天ぷら等は、フライヤーの中で完全に揚げてしまうと、余熱で揚がり過ぎになるのです。

従って、美味しい天ぷらを作る場合は、揚げ時間の管理が重要になります。

また、食材のカットサイズにより、揚がり時間が大きく異なるので、食材に合ったカットサイズが重要になります。

食材の違いにより、揚げる衣の厚さの調整も重要で、イチゴとか、イチジクのようなフルーツの天ぷらは、厚めのころもにして、直接に熱が伝わり難くし、揚がったらすぐに半分カットにして、衣の熱が中に伝わるのを避け、きれいな断面を見せ、反対に、ナスとか、カボチャ、サツマイモ、アスパラ等のように、食材の持つきれいな色彩を表現したい場合は、薄衣にします。

厚衣の場合は、天ぷら粉と水の比率は1.5対1で、薄衣の場合は、天ぷら粉と水の比率は2対1の割合です。

使用する食材の違いにより、衣の厚さを変更し、食材の持ち味を最大限引き出すようにします。

料理はサイエンスであり、天ぷらもサイエンスで、長年の勘よりも科学的に分析し、今までの常識に捉われない、新しい料理を目指し続けることです。

科学的に分析していけば、合理的に美味しい料理を誰でも簡単に出来るようになり、これから国内だけでなく、海外で日本食を広めるには、デジタルクッキングは欠かせないのです。

デジタルクッキングは、まさに美味しさの科学であるのです。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

「外へ出て調べる」

しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えているのです。

第2次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。

さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことは、すべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが、関の山だったのですが、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。

彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。

1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。

1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。

この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。

家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。

この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。

マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。

予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。

私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。

マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。

今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。

儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであり、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることであり、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることであり、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。

「取引先や競争相手の成功と失敗」

もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。

競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。

ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。

画像は、麺学校のキッチンの片づけの様子です。

以前は、生徒さんのキッチンテーブルの引き出しに必要な道具が入っておらず、ひとまとめになっていたので、今回は、一人ひとりの引き出しに必要な道具を分類してみました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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