うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「急激な変化、原因は不明」

先週のうどん学校の生徒さんの作品事例
本日のテーマは「価値感で習慣を変える」です。

昨日は早朝6時にホテルを出て、本社に到着し、午前中は営業関係の勉強会、午後からは讃匠の経営会議、夜は開発の勉強会でした。

最近の勉強会では、それぞれの部門の価値感を明確にしていますが、時間をかけて、皆で検討を重ねていくと、自然に落ち着くところへ落ち着き、以前から気になっていた要素が価値感にピタリと収まるのです。

何年も前から価値感について社内で検討してきましたが、価値観は4つ程度にまとめた方が、覚えやすく、理解し易いのが分かりました。

因みに営業企画部門の価値感は次の通りです。

1.お客さまの利益の代理人 
2.大和魂(謙虚、素直、親切、愛情 )
3.イノベーションの追求(進化)
4.効率の追求

開発部門の価値感は次の通りです。

1.商品力 
2.イノベーション(革新性)
3.エンターテイメント 
4.効率の追求

以上のように、営業企画部門の価値観が明確になると、営業方針は明確になり、ぶれがなくなるのです。

開発の価値感も同様で、明確になることにより、開発に関する方針のぶれがなくなり、何か問題が出たときは、常に価値感に立ち戻れば良いのです。

これからは、明確になった価値感を部門内に浸透させ、スタッフ全員がいつでも価値感に沿った行動を取れるようにすることなのです。

そして、これらの価値感は一度作れば、永遠に使えることではなく、時代の変化と共に、常に最適化をしていかねばならないのです。

自社、自部門の進化と共に、内容のレベルを高め続けていかなければならないのです。

今朝も朝から散歩をしていると、今日はゴミの収集日であったのですが、近くのごみの集積場に近くの家庭の主婦が、きれいなベンツにゴミ積んで、捨てに来ていたのです。

すぐに私の目に浮かんだのは、私の小さかったころの原風景で、あのころの日本では考えられないような風景が、目の前に繰り広げられているのです。

私が住んでいるのは、東京のような都会でもなく、むしろ田舎の方ですが、そのような田舎でも、ほとんどの人は、自宅からの至近距離のゴミ集積場に車でゴミを捨てに来ているのです。

ベンツのような高級車で捨てに来ている人は、わずかですが、ほとんどの人は車で捨てに来ているのです。

田舎ではどこへ行くのも、車で移動するのが当たり前になっているのですが、自分の足を使って歩くことの大切さを理解していない人たちが非常に多く、その結果、さまざまな不都合を引き起こしているのです。

当社のスタッフの1人は、かなり遠方から通っていて、以前は車で通勤していたのですが、最近、電車と徒歩に切り替えたところ、毎日1万歩近く歩くようになり、身体が非常に良くなってきたそうです。

この様に、歩かないですぐに車を使う生活は、自分自身の価値感の上位に健康志向が来ていないのです。

価値観の上位に健康志向を持って来ることにより、食べ物、運動と健康に必要な習慣に日々の行動が変わってくるのです。

従って、価値観を明確にすることにより、日々の行動が変わり、その結果として、成果が変わるのです。

従って、価値観の順序を明確にすることは、ビジネスだけではなく、プライベートの生活からすべての項目に関連していることなのです。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

「◆急激な変化」

企業人、経済学者、政治家は、人口構造の変化の重要性をつねに口にしていて、今さら人口構造の変化の重要性について云々する必要はないと考えられるのですが、自らの意思決定においては、人口構造の変化に注意する必要はないと、信じているかのようで、出生率、死亡率、教育水準、労働力構成、就業年齢、人口分布、人口移動など、人口構造の変化は、緩慢かつ長期にわたる変化であって、実際的な意味は、ほとんどないと信じているのです。

14世紀におけるヨーロッパのペストのような災厄が、社会や経済に、直接の影響を与えることは誰もが認めるのですが、そのような事態を別にするならば、人口の変化は緩慢であり、歴史家や統計学者の関心事ではあっても、企業人や政府には関係がないとするのは、危険な間違いであり、19世紀に起こったヨーロッパから南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドへの大量移民は、世界の経済地図と政治地図を大きく変え、起業家のための膨大な機会を生み出し、それまでの数世紀にわたり、ヨーロッパの政治と軍事の戦略の基礎となっていた地政学的な概念を陳腐化し、しかもこの変化は、1860年代半ばから1914年までのわずか50年間に起こり、この変化を無視した者は、急速に時代から取り残され、ロスチャイルド家は、1860年まで、世界の金融界において支配的な地位にあったのですが、彼らは、大西洋を越える移民の意味を認識できず、くずのような人たちがヨーロッパを出ていくだけと見たので、その結果、早くも1870年頃には、ロスチャイルド家は重要な存在ではなくなり、単なる金持ちにすぎなくなったのです。

支配的な力を得たのはJ・P・モーガンで、彼の成功は、大西洋を越える移民の流れに注意を払い、その意味を理解することによってもたらされ、この大量移民をイノベーションの機会としてとらえ、移民労働力が可能にした、アメリカ産業の発展に資金を供給する機関として、世界的規模の銀行をヨーロッパではなく、アメリカにつくったのですが、ヨーロッパやアメリカ東部が農業社会から大都市工業文明へと変貌するには、1830年から60年にいたる30年を要したにすぎなく、昔から、人口構造の変化は急激であり、唐突であり、衝撃的で、昔からの人口構造の変化が緩慢だったというのは誤解にすぎなく、むしろ長期にわたって移動することのない人口こそ、歴史的に見るならば例外であり、20世紀ともなれば、人口構造の変化を無視することは単なる間抜けであり、とくに現代社会においては、基本的に人口は不安定であって、急激かつ大幅に変化するものと考えなければならないのです。

人口こそ、企業人であれ政治家であれ、意思決定を行う者が初めに分析し、徹底的に検討すべき要因であり、たとえば国内政治や国際政治において、先進国における人口の高齢化と第3世界における若者の増大ほど、決定的に重要な意味をもつ要因はなく、しかも原因が何であれ、20世紀は、先進国と途上国のいずれも前触れもなく急激な人口構造の変化に見舞われたのです。

1938年、フランクリン・D・ルーズヴェルトが招集したアメリカの著名な人口学者たちは、アメリカの人口は1943年ないし44年頃、1億4000万人に達し、その後減少していくということで意見が一致したのですが、実際は、移民の受け入れを最小限に抑えたにもかかわらず、1986年頃は2億4000万人(2014年は3億1852万人)に達し、1949年、アメリカは何の前触れもなく、かつてない大家族化をもたらすことになるベビー・ブーム時代を迎え、それは21年間続き、1961年には、同じように突然、かってない小家族化をもたらすことになり、少子化時代を迎えたのですが、1938年当時の人口学者たちが、無能や間抜けだったわけではなく、当時、ベビー・ブームの到来を示すものは何1つなかったのです

そのおよそ20年後、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、「進歩のための同盟」なるラテン・アメリカ開発援助計画をまとめるため、専門家を招集したのですが、1961年当時、彼ら専門家の誰1人として、その15年後には、ラテン・アメリカの社会と経済を一変させることになる、乳幼児死亡率の激減に気づかず、しかも彼らは、何の疑いもなく、ラテン・アメリカは、農業社会でありつづけることを前提とし、彼らもまた、無能でも間抜けでもなく、当時、ラテン・アメリカにおける乳幼児死亡率の激減や都市化は、まだ始まっていなかったのです。

1972年あるいは73年にいたっても、労働力人口についての専門家たちは、女性の労働力市場への参入は、それまでの傾向どおり、着実に減少を続けていくと信じて疑わず、例のない数のベビー・ブームの子供たちが、労働力市場に参入してきたとき、彼ら専門家は、(杞憂ではあったが)成人男性の職場が十分にあるかどうかを心配し、当時、彼らのなかに、成人女性の職場を心配した者は1人もいなく、彼女たちに職場は必要ないとしていたのですが、10年後には50歳未満の女性の就業率は64パーセントという史上かつてない高い水準となり、しかも彼女たちの就業率に、配偶者の有無、子供の有無による差は、ほとんどなかったのです。

◆原因は不明

これら人口構造の変化は、驚くべき速さで起こるだけではなく、しばしば、不可思議であって、説明がつかず、途上国における乳幼児死亡率の減少については、今ならば説明することができ、既存の技術と新しい技術の相乗効果、保健婦が増えたこと、便所を井戸よりも低いところにつくるようになったこと、ワクチンが普及したこと、窓に金網をつけるようになったことに加え、抗生物質やDDTをはじめとする殺虫剤など、新しい技術が一般に使われるようになったためだったのです。

しかし、先進国におけるベビー・ブームと少子化の原因は何だったのか、アメリカにおける労働力市場への女性の殺到(およびその数年後のヨーロッパにおける労働力市場への女性の殺到)の原因は何だったか、あるいは、ラテン・アメリカにおける、田舎から大都市スラムへの大量の人口流入の原因は何だったのかは、分からず、日本でも、第2次世界大戦後にベビー・ブームが起き、団塊の世代が生まれ、第2次世界大戦(太平洋戦争を含む)が終わると、戦争から兵士が帰還した際や、戦争の終結に安堵した人々が子供をつくったため、前後の世代に比べて極端に人口比が高い現象が世界的に見られたのです。

この時期に結婚・出産した世代は、概ね1910年代末期-1920年代初期に生まれた世代と見られており、1946年から1952年頃の間に、北米、欧州、オセアニア、日本など世界各国で同種の現象が起きたのですが、国や地域によって時期については前後することがあり、第2次世界大戦後のベビー・ブームの原因は不明ではないのです

画像は、先週のうどん学校の生徒さんの作品事例で、豚肉の生姜焼きのうどんで、肉食男児が対象です。

このように、生徒さんによって、さまざまなターゲット客を対象にしているのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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