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本日のテーマは「エンターテイメント」です。
社内で勉強会を続けていると、部門ごとの価値観が明確になり、それぞれの部門の特徴が更によく分かるようになります。
部門ごとの価値観が明確になるだけでなく、全体に共通するビジネスの原理原則が明確になるのです。
このように、部門ごとの価値感を明確にすること、全員で勉強会をすることは、学びを深めるのに役立ち、スタッフ間の共通の価値感を共有するのに役立つのです。
今回の勉強会を通じて、明確になったのは、企画メンバーとの勉強会の折に、引合件数を増やす対策について話し合っている時でした。
当社の場合、売上を上げる要因として、お客さまからの引合件数(問合せ件数)がありますが、インターネットの場合、引合件数のベースになるのは、日々、HPを訪問するお客さまの数(訪問者数)と、訪問したお客さまのうち、問合せまで行ったお客さまの割合(コンバージョンレート)で決まるのです。
従って、引合件数を伸ばすには、訪問者数を増やすことと、引合を出したくなるような、興味のあるコンテンツがあるかどうかで決まってくるのです。
従って、企画担当者の役割は、訪問者を増やし続けることと、引合をしたくなるようなコンテンツ作成に集中すれば、引合数を増やし続けることが出来るのです。
訪問者数を増やし続けるには、まず、存在を知ってもらうことが大切ですが、インターネットの場合は、検索エンジンで検索して貰えるので、検索エンジンの上位に選ばれるようにSEO対策をすれば、見つけて貰え易くなり、訪問者数を増やし続けることが出来るのです。
さらに、これを強化するには、SEO対策のようなテクニックだけではなく、話題に登るような存在になることが、さまざまなメデイアに露出するので、さらに訪問者数を増やし続けることが出来易くなるのです。
そして、さらに引合を増やすには、訪問者にとって引合をしたくなるような、コンテンツが豊富にあることが、引合を増やすには必要であり、内容そのもののクオリテイの高さが要求されるのです。
以上の関係は、どのようなビジネスにも同じように当てはまり、うどん蕎麦、ラーメン店のような麺専門店でも、お客さまの数を増やし続けようとすると、まず存在を認知して貰い、入ってみたくなるような要素が必要なのです。
それには、お店の外装、内装、店名、アクセスのし易さ、駐車場等の店舗力は、コンセプトそのものの表現であり、存在を知って貰うための重要な要素になり、商品力、サービス力、雰囲気等のクオリテイの高さは、継続して来店頻度を上げるための重要な要素になるのです。
以前は、店舗の存在を知らない人に知って貰うために、広告宣伝をしていたのですが、最近はインターネットの発達により、自分でお金を使って広告宣伝をしないでも、お客さまが広めてくれるようになったのです。
だから、話題性があり、多くの人が広めてくれる、際立つ個性とエンターテイメント性が、ビジネスを成功させる上で、重要な要素になっているのです。
このことは、過去10年間余りの丸亀製麺の快進撃を見ればよく分かり、成功店の真似をするのではなく、差別化され、際立つ個性とエンターテイメント性のあるビジネスモデルを作り上げることが、最も重要なテーマになってきます。
そして、このような際立つ個性で、楽しく、感動するような店は、インターネット効果により、早く広まり易くなっているのです。
今朝も社内の勉強会を通して、エンターテイメント性は、現在のビジネスにおいて、たいへん重要な要素であることが分かりました。
普通に生きていると、今の時代はストレスの多い社会であるので、癒しとか、楽しい要素は欠かせず、ストレスを発散してくれるビジネスは、すべての人たちに人気があるのです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
◆リード・タイムは予測可能
人口構造の変化は、そもそも予測が不可能なのかもしれないのですが、たとえそうであっても、人口構造の変化が現実の社会に影響をもたらすまでには、リード・タイムがあり、予測が可能なリード・タイムがあり、新しく生まれた赤ん坊が幼稚園児となり、幼稚園の教室や先生を必要とするようになるには、5年を要し、彼らが消費者として意味をもつ存在になるには、15年、成人の労働力となるには19年から20年以上を要し、いずれも計算でき、ラテン・アメリカの人口は、乳幼児死亡率の激減の直後、増加を始めたのですが、死なずにすんだ赤ん坊が学校に入るには5年から6年を要し、15、6歳の少年として職を求めるようになるには15年かかったのです。
教育水準の向上についても、その結果が労働力人口の構造変化や、技術水準の向上となって現れるには、少なくとも10年、通常15年を要するので、以上のように、赤ん坊として生まれ、次の段階に進むのには、ある一定の時間が必要で、それらの時間は、必ず計算でき、いつの将来に何が起きるかは完全に予測できるのです。
◆変化の無視
このような人口構造の変化が、起業家精神を持った起業家にとって、実りあるイノベーションの機会となるのは、ひとえに既存の企業や社会的機関の多くが、それを無視してくれるからであり、彼らが、人口構造の変化は起こらないもの、あるいは急速には起こらないものであるとの仮定に、しがみついているからであり、まったくのところ、彼らは人口構造の変化を示す、明らかな証拠さえ認めようとしない、いくつかの典型的な例があります。
1970年当時、アメリカでは、学校の生徒数が、少なくとも10年から15年間は、1960年代の25パーセントから30パーセント減になることが明らかになっており、1970年に幼稚園児になる子供は、1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が、急に変わる様子もなかったのですが、アメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとせず、子供の数が、年を追うに従って増加することは、自然の法則であるとでも考えているかのようで、彼らは、教育学部の学生の募集に力を入れ、その結果、わずか数年後には卒業生の就職難を招き、教師の賃上げに対する抑制圧力を生み出し、挙げ句の果てに教育学部の廃止を余儀なくされ、この現象は、日本でも起きた現象で、ベビー・ブームの反動による人口減であり、赤ん坊の出生数を見れば、一目瞭然であったのです。
ドラッカー白身、2つの経験をしており、ドラッカーは1970年代の半ばには、すなわち1957年の約20年後には、アメリカの大学生は1000万人ないし2100万人になると予測し、この数字は、すでに発生していた2つの人口の変化を単純に足した結果であり、出生率の増加と大学進学率の増加で、この予測は完全にあたったのですが、当時、アメリカの大学当局のほとんどすべてが、この予測を一笑に付したのです。
その19年後の1976年、ドラッカーは人口の年齢構成を見て、アメリカでは10年以内に退職年齢が70歳まで延長されるか、あるいは撤廃されると予測したのですが、実際の変化は、ドラッカーの予測より早く起こり、翌1977年、カリフォルニア州で定年が禁止となり、1年後の1978年には全国的に70歳前の定年はすべて禁止され、このドラッカーの予測の人口統計は公表されていたものでしたが、政府のエコノミスト、労組のエコノミスト、経済界のエコノミスト、そして、統計学者のほとんど全員が、ドラッカーの予測を、唐突なものとして片づけ、「そんなことはけっして起こらない」が、一致した反応だっただけではなく、当時の労働組合は定年を60歳以下に引き下げることを、要求していたのです。
専門家たちが、自分たちが自明としていることに合致しない人口構造の変化を認めようとせず、あるいは認めることができないという事実が、起業家に対し、イノベーションの機会をもたらし、しかも、リード・タイムは明らかであり、すでに変化は起こっているのですが、誰もそれを、機会とするどころか、単なる事実としてさえ受け入れようとしないので、通念を捨てて現実を受け入れる者、さらには新しい現実を自ら進んで探そうとする起業家は、長期にわたり、競争にわずらわされることなく事業を行うことができるのは、通常、競争相手が人口構造の変化を受け入れるのは、その次の変化と現実がやってきた頃だからです。
同じことは、日本でも既に起きており、日本では生産年齢人口(15歳~64歳)の人口が1995年にピークを打ち、既に12%減少しているので、労働者が不足による人手不足が、産業界で起きていて、これを緩和するのは、65歳以上のシニアの退職を遅らせるのが、一番効果的であり、年金支給年齢も徐々に後ろにずれているので、将来は70歳から80歳まで働くのは、当たり前になり、また、介護を減らし、介護に要する国家予算を減少させるためにも、労働人口の高齢化は避けて通ることが出来ない、日本と世界の課題であり、日本の企業にとって、シニアと女性の活用は、これからの重要な課題であり、優秀な戦力としての人の雇用は、ますます重大な課題になり、適切な人を集めることが出来る、魅力的な企業作りが、これからの日本企業の最優先課題になってきたのです。
それには、従業員に対するインターナル・マーケテイングが、お客さまに対するエクスターナル・マーケテイングよりもっと重要な理由であり、従業員の価値を高め、従業員満足度、従業員ロイヤルテイを高め続けることは、企業として欠かせないのです。
2「イノベーションの機会」としての利用
◆成功例
人口構造の変化を、イノベーションの機会としてとらえることに成功した、いくつかの例があり、アメリカの大きな大学のほとんどは、1970年代には大学生の数が1千万人から12百万人に達するというドラッカーの予測を、唐突なものとして受け入れなかったのですが、この予測を真面目に受けとめた、起業家精神にあふれた大学は、NYのペイス大学と、サンフランシスコのゴールデン・ゲート大学で、これらの大学も初めは懐疑的だったのですが、ドラッカーの予測の内容を調べた結果、有効であり、唯一の合理的な予測であることを知り、この予測をもとに新入生の増加に備えたのですが、これに対し、伝統のある有名大学は何もせず、20年後には対策を講じていた大学は学生を増やし、しかも、その後の少子化により、アメリカ全体の学生数が減少した後でさえ、さらに成長を続け、大学は良識の府と呼ばれ、このような少し検討すれば分かることを理解しようとしなかったという事実に驚きます。
ベビー・ブームという現実を受け入れた小売業者の一つが、無名に近かった小さな靴のチェーン店メルビルで、団塊の世代の第一陣がティーン・エージャーになる直前の1960年代の初め、メルビルはこの新しい市場に力を入れることにし、10代を対象にする新しい店をたくさんつくり、デザインも大幅に変え、広告や販売促進も、16、7歳のティーン・エージャーを対象にし、さらに、男の子や女の子の着るものにまで進出し、メルビルは、アメリカで最も急速に成長し、最も利益をあげる小売チェーンとなったのですが、その10年後、すなわちアメリカの人口の重心が10代から離れ、20歳から25歳の「若い大人」に移りはじめた頃になって、ほかの小売店が10代に目をつけ、彼らを相手にする商売を始めたのですが、その頃には、メルビルはいち早くこの「若い大人」に的を移していたのです。
1961年、「進歩のための同盟」について助言を求めるべく、ケネディ大統領が招集した学者たちは、ラテン・アメリカにおける都市化の波を予測できなかったのですが、大店舗小売業のシアーズ・ローバックは、その数年前に、統計によってではなく、現地へ赴き、メキシコシティ、リマ、サンパウロ、ボゴタなどの街を観察することによって、この変化に気づき、同社は1950年代の半ば、けっして金持ちではないが、立派な中流階級になっていた、新しい都市住民のためのアメリカ流百貨店を、ラテン・アメリカの主要都市に建設し、数年後には、ラテン・アメリカの小売業界において主導的な地位を占めるにいたったのです。
一方、日本における、われわれのビジネスにおいても、人口構成の変化は外すことの出来ない重要な課題であり、日本での外食の歴史を振り返ってみると、まったく、人口の年齢構成の通りに人口の最も多い団塊の世代を中心に、ビジネスの栄枯盛衰の歴史が辿っていることが分かり、われわれ、団塊の世代が若いころにファミレスが出現し、小さい子どもを持つ若い家族は、ファミレスを随分使い、次に、マクドナルド等のファースト・フードが盛んになり、小さい子供たちが中学生、高校生になる頃には、ファースト・フードが全盛になりました。
団塊の世代が40代に乗ると、居酒屋文化がピークを迎え、サラリーマンの小遣いもピークを迎え、その後、日本はデフレに陥り、サラリーマンをターゲットにしていた居酒屋を含め、サラリーマンをターゲットにしていた外食は、売上を徐々に落とし、マクドナルドが半額セールを始め、牛丼の吉野家が大幅値下げに踏み切り、大きな成果を上げ、うどんのジャンルでは、はなまるがセルフで大成功し、その後、丸亀製麺が大成功したのは、周知の事実であり、現在は徐々にデフレの方向から、価値の高さが重要な要素になり、競争の激しい、サラリーマンをターゲットにするビジネスよりも、多くの飲食ビジネスが、シニアと女性をターゲットにしたビジネスに方向転換を進めているのです。
昨日、オーガニック食堂のスタッフの大場さんが、産休中ですが、数か月の子どもを連れて会社を訪ねてくれました。
大場さんに似て、目がくりくりした可愛い女の子です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。