先ずは、お知らせが2つで、1つ目は、明日11月3日(火)~5日(木)の3日間、ドリームスタジオ名古屋で、創業40周年記念イベントがあり、各種セミナー、製麺講習等が行なわれ、私も2日目から参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-nagoya/)
2つ目は、来週11月10日(火)~12日(木)の3日間、ドリームスタジオ東京で、創業40周年記念イベントがあり、各種セミナー、製麺講習等が行なわれ、今であれば、3日間とも余裕があり、私も2日目から参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-tokyo/)
本日のテーマは「経営を引き継ぐことは、DNAを引き継ぐこと」です。
昨日は朝から全体朝礼の後、全国のスタッフが集まっての営業会議で、上半期を終えての当社の現状の課題、将来に向けての課題と展望等を分かり易く説明していったのです。
営業会議は3ヶ月に一度開催していますが、いつも私が全員に理解して欲しいと思い、熱心に説明しているのは、当社の過去の成り立ちから始まり、現状の状態に至るまでの過程において、どのような考え方で、どのような行動を起こし、それがどのように成果につながって来て、今後、どの方向に向かっていこうとしているのかということです。
要するに、社内のベクトル合わせのために、優しいことから難しい話まで、さまざまな話をさまざまな視点で、その時々に合せ、伝えなければいけないと思っている内容を伝えているのです。
当社の過去の歴史的な部分は、それほど変わらないのですが、何度も参加している人でも、聞き飽きないように、私でも過去気づいていなかったような違った視点から捉えて、伝え続けているのです。
毎回の営業会議のために、テーマを決め、事前からずっと準備をし、資料を集め、最終的には、当日の朝、昨日も朝2時から、最終のレジメをまとめているのです。
だから、私にとって、3ヶ月の1度の営業会議は、重要な会社の方針発表会であり、スタッフ全員に伝えたりことを伝えるために、戦場に赴くような気持で臨んでいるのです。
だから、営業会議が近づくにつれ、頭の中では、話す内容の絞り込みが始まり、さまざまなデータ収集、過去の情報の取りまとめ、思考を重ね、内容が深く、成果が上がるような内容への取りまとめを行なうので、緊張感も高まるのです。
従って、営業会議は私にとって真剣勝負の試合の場であり、自分自身を進化させるためには、素晴らしいチャンスになっているのです。
もし、このような営業会議がなければ、進化はもっと遅れていたことと思いますが、昨日の営業会議を見ても、まだまだ反省することばかりでした。
理解度の浅いスタッフが混じっていたので、全体の緊張感が高まらないのです。
今後は、営業会議参加者の人数は絞り、参加したスタッフから、次の参加していないスタッフに内容を伝えて貰うようにしたいと思いました。
要するに部門ごとに、人数を絞り込み、マネッジメントに関心の低いスタッフの参加をさせないことで、マネッジメントレベルが上がってから、営業会議に参加させなければいけないことを認識したのです。
反対にマネッジメントに関心の高いスタッフは、例え、新入社員であっても、どんどん参加せて、能力を伸ばし続けることが必要なのです。
昨日は、成果を上げるスタッフとそうでないスタッフの差を書いたのですが、昨日の営業会議の様子を見ても、成果を上げ続けているスタッフとそうでないスタッフの差が大きく出ているのです。
成果を上げ続けるスタッフは、何ごとにおいても、非常に熱心なのです。
3ヶ月に1度の営業会議では、全員が集まるので、1人ひとりの取組みの熱心さも行動を通じて、すべて見えてしまうのです。
何気ない行動一つひとつのそのスタッフの価値感が現われているので、本人は何気なく、行動していても、行動を通して、持っている価値感を理解することが出来るのです。
従って、その人の考え方を知るのは、日報の書き方からも判断することが出来、日報はその人の考え方、レベルを判断するのに、非常に有効な方法なのです。
優れた仕事をする人とそうでない人の差は、小さいところに現れ、挨拶の仕方、掃除の仕方、何気ない日々の行動こそ、持っている価値感、生き方が滲み出ているのです。
昨日参加した当社のスタッフの日報にすべて目を通したのですが、やはりこの人は違うと思った人は、そのような内容の報告になっていたのです。
これからの私の大きな仕事は、社内で経営者を育て続けることであり、経営者とは、私のDNAを引き継いでくれる人のことであり、経営とはDNAを引き継ぐことであるのです。
そのために、残すべきDNAを素晴らしいものに、命ある限り磨き続けることも大切な仕事です。
日々、一貫性を持ち、妥協をしないで、DNAを磨き続けていく所存です。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
4特有のリスク
綿密な分析、明確な戦略、意識的なマネジメントをもってしても、知識によるイノベーションには特有のリスク、特有の不確実性が伴い、そもそもそれは、本質的に乱気流の世界であり、知識によるイノベーションは、すでに述べたように、リードタイムの長さと、異なる知識の結合という特有のリズムをもつのです。
『新産業の開放期と整理期』
まず最初に、きわめて長期にわたって、今にもイノベーションが起こりそうでありながら、何も起こらないという期間が続き、そして突然、爆発が起こり、数年間にわたる「開放期」が始まり、非常な興奮と事業の乱立が見られ、華々しく脚光があてられ、そして5年後には「整理期」が始まり、ごくわずかな企業だけが、生き残るのです。
1856年、ドイツのヴェルナー・ジーメンスが、1831年にマイケル•ファラデーが発展させた電気理論を応用して、最初の電気モーターを設計し、世界的な反響を呼び、やがて電機産業が生まれ、しかもそれが大きな産業になることが確実となり、多くの科学者や発明家が働いたのですが、その後の22年間は何も起こらなかったのは、そこにはある1つの知識、すなわちマクスウェルによるファラデーの理論の発展が必要であり、マクスウエルの理論が得られるや、1878年、エジソンが電球を発明し、レースが始まり、その後の5年間に、欧米の主な電機メーカーのすべてが設立されたのです。
ドイツではジーメンスが小さな電機メーカーのシュッケルトを買収し、AEGがエジソンの発明をもとに設立され、アメリカでは、GEとウエステイングハウスの前身が設立され、スイスではブラウン•ボベリが、スウェーデンでは1884年にASEAが設立され、これらの企業は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリア、チェコ、ハンガリーなどの国々で、やがて10億ドル企業となることを期待され、投資された100社にのぼる企業のごく一部にすぎなく、サイエンス•フィクションの最初のブームをもたらし、ジュール•ヴェルヌやH・G•ウェルズを世界のベストセラー作家にしたのも、この電機産業の勃興だったのですが、1895年から1900年にかけて、それら新規の企業のほとんどが姿を消し、撤退し、倒産し、あるいは吸収されたのです。
自動車産業でも、1910年当時にはアメリカだけで200社のメーカーがあったのですが、1930年代には20社となり、1960年には4社となり、ラジオについても、1920年代にはラジオ局が数百局、ラジオ・メーカーが数百社あったのですが、1935年にはラジオ放送の主導権は3大ネットワークに握られ、メーカーの数も1ダースほどになり、新聞もまた、1880年から1900年にかけて創刊ブームがあり、当時、新聞は最大の成長産業の1つであったのですが、第1次大戦後、主要国のすべてにおいて、新聞社の数は減る一方であり、現在はインターネットの浸透により、更に発行部数の減少速度を速めているのです。
銀行についても同様で、モーガン、ジーメンス、渋沢など近代銀行の父たちに続いて、ヨーロッパと同じようにアメリカでも、爆発的な銀行の設立ブームがあったのですが、わずか20年後の1890年前後には、銀行の集約化が始まり、廃業や合併が続き、第1次大戦が終わる頃には、あらゆる主要国において、全国銀行は、その種類を問わず、わずかな数となったのですが、いずれの場合も、生き残った企業は例外なく、初期のブーム時に生まれたものであり、ブームのあとでは、新規参入は事実上、不可能となるのです。
知識にもとづく産業には、数年間にわたって、新設のベンチャー・ビジネスが逃してはならない「開放期」があり、今日、この「開放期」は短くなってきたと見られているのですが、そのような見方は、新しい知識が技術、製品、プロセスとなるまでのリードタイムが短くなってきたという見方と同じように、まったくの誤りであり、イギリスでは、1830年にジョージ•スティーブンソンのロケット号がはじめて営業用の列車を引いた後の数年間に、100社以上の鉄道会社が設立され、その後、ほぼ10年間、鉄道はハイテクの地位を与えられ、鉄道の起業家たちがマスコミにもてはやされ、鉄道に対する投機熱は、チャールズ•ディケンズの小説『リトル•ドリオット』(1855~57)において鋭く風刺され、それは、今日のシリコンバレーの投機熱に似ているのですが、1845年頃、突然、鉄道産業の「開放期」が終わり、以来、イギリスにおいて鉄道会社はまったく設立されておらず、50年後には、1845年に100社にのぼっていた鉄道会社も5、6社に減ったのです。
家電で電話、自動車、化学でも同じ周期が見られ、新規参入のための「開放期」が長かったことなど一度もなかったのですが、今日、この「開放期」が混み合ってきたことはまちがいなく、1830年代の鉄道ブームはイギリス国内に限られ、どこの国でも、鉄道ブームは、近隣諸国のブームには関係なく起こり、これに対し、その後の電機ブームは、その25年後の自動車ブームと同じように、国境を越えて広がったのですが、それでもそれらのブームが、当時の先進国の枠を越えることはなかったのですが、今日では、そもそも先進国なるものの数が、はるかに増え、たとえば、日本があり、ブラジルがあり、非共産圏の中国系の地域、香港、台湾、シンガポールがあり、しかも通信は瞬時に行われ、旅行も簡単で早くできるようになったのです。
さらに今日では、きわめて多くの国が、100年前には、ごくわずかの国しかもたなかったもの、すなわち知識をもつ人、とくに科学や技術によるイノベーションのために、直ちに働きはじめる用意のある訓練された人材をもっているのです。
上記のように、知識によるイノベーションの場合、常に「解放期」が起こり、多くの企業が参入し、その後の「整理期」でほとんどの企業が淘汰されることを繰り返していて、イノベーションを起こした産業は、電気、鉄道、自動車のような産業から、スタートを切り、最近では、小さな産業に軸足を移していて、例えば、ダイソンがサイクロン方式で、最初に掃除機業界にイノベーションを起こしたのですが、その後、幾つかの国内の家電メーカーが参入しましたが、徐々に、サイクロン方式は、ダイソン1社に絞られてきているのです。
次に、ルンバがロボット掃除機として、登場し、現在、同じく国内の家電メーカーが似たようなロボット掃除機を開発し、販売を開始していますが、何年か後には整理期になり、最終的には1社か2社に淘汰されるはずで、スマート・フォーンは現在、解放期にあり、多くのメーカーの参入が続いていて、そのうち、整理期に入り、数社に絞られてくる可能性が高いのです。
ドラッカーが何十年も前にまとめたように、知識によるイノベーションは、必要な知識が出揃った時に、爆発的に解放期が始まり、多くの参入者が現れ、解放期がしばらく続いた後、整理期が訪れて、ほとんどの参入企業は淘汰されてしまうので、そのために、知識によるイノベーションを起こす場合の必須条件は、次の3つの要件を満たすことであったのです。
1.分析の必要性
第一に、知識によるイノベーションに成功するには、知識そのものに加えて、社会、経済、認識の変化などすべての要因分析をする必要があり、起業家たる者は、その分析によって、いかなる要因が欠落しているかを明らかにしなければならないのです。
2.戦略の必要性
第二に、知識によるイノベーションを成功させるためには、戦略を持つ必要があるのです。
3.マネジメントの必要性
第三に、知識によるイノベーション、とくに科学や技術の知識によるイノベーションに成功するには、マネジメントを学び、実践する必要があり、事実、知識によるイノベーションは、ほかのいかなるイノベーションよりも、マネジメントを必要とするのです。
画像は、ソウル出身のスタッフたちで、1人は本社のインストラクター、1人はドリームスタジオソウルのスタッフです。
2人とも熱心に取り組んでいます。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。