本日のテーマは「廃棄の大切さ」です。
先週の土曜日から、大和は正月休みに入っていますが、讃匠は年末一杯まで出勤で、本日も午後から今年最後の経営会議があります。
私にとって、昨年までと今年の年末の一番大きな違いは、駅うどん店亀城庵を閉店したことで、年末の私の時間がうどん店に割かれることがなくなり、その分、自分自身のための時間に有効に使えることです。
特に、亀城庵のうどん店のことは一切気にしないで良いので、気持ちの上でも非常に楽になった年末、年始であり、廃棄の大切さを、止める勇気の大切さを理解させられました。
新しいことを始めるには、現在やっている中で、すでに時代遅れになっている部分を廃棄することが大切で、亀城庵のビジネスモデルは、とっくに時代遅れになっていたのです。
限りある社内の資源の中では、私の時間が最も貴重な資源であり、私の時間を最大限有効活用出来るような部分だけに投入することが大切であり、今年閉店した亀城庵は、廃棄の意味を教えてくれた貴重な教訓になりました。
廃棄については、ダイアモンド社のドラッカー塾で学び、最近、「イノベーションと起業家精神」を復習していても、その意味するところが分かるのですが、実際のインパクトの大きさは、亀城庵を閉店してよく分かったのです。
普段、必要であると思い、当たり前のように行っている行動の中に、本当は廃棄しなければいけない仕事が混じっていて、新しく取り組まなければいけない仕事を取り組めなくてし、阻害しているのです。
私が毎月当たり前のように取り組んでいる麺学校も、そろそろ新しい麺学校に脱皮していかねばならない時期であり、各ドリームスタジオで行っているイベントにしても同様で、ビジネスモデルが古くなりつつあるのです。
いずれにしても、新しいことを始めるには、すでに時代遅れになっている行動を廃棄しなければ、新しい行動を開始することが出来ないし、時代遅れになっている仕事が、いかに全体の足を引っ張っているかが良く分かります。
今の時代は、何か新しいことを始めるとすぐに成果が上がるのですが、成果が長続き場合と、そうではなく、直ぐに成果が上がらなく場合があります。
当社の場合は、後者が非常に多いのですが、直ぐに成果が上がらなくなる場合は、新しいことに反応するお客さまの数は少なかったということになります。
現在は、お客さまの価値感も多様化しているので、同じような提案で反応するお客さまの数は、以前と比較して非常に減少しているので、その分、お客さま一人ひとりのニーズに合った対応が必要になるので、余計にエネルギーがかかるので、今までのような人力による対応だけでは出来ず、ITを使った、さまざまなニーズに対応出来る、フレキシブルな対応が必要になってきます。
お客さまを価値感とライフスタイルに合せて、何通り、何十通りにも分類し、分類したお客さまのニーズに合せて、一番合っている方法での対応が必要になってくるので、ますます、お客さま研究が欠かせない時代になってきているのです。
ある通販ビジネスで成功している会社もお客さまのパターンを数十通りに分類し、それぞれのお客さまに一番合ったDMを作成し、反応率の最大化を図っているのです。
このように、ビジネスが進化すればするほど、理想と思われる状態に一番近い対策が取れるのですが、それには、今やっていることで時代遅れになっていることを廃棄し続けないと、新しいことに取り組むことは出来ないのです。
うどん店、蕎麦店、ラーメン店等の既存の飲食の麺ビジネスに携わっている人たちにとっても、すでに古くなり、時代遅れになっているビジネスを廃棄し、新しい取組みにチャレンジするには、歳が改まる年末、年始は絶好のチャンスと言えるのです。
ビジネス全体ではなく、ビジネスの一部についても同様で、麺ビジネスの場合は、メニューの入れ替え、人の更新、システムの更新等々、さまざまな課題があるはずです。
昨年の年末は、教科書の執筆があり、年末から元日にかけて1晩徹夜していたのですが、今年は、違った新しい仕事をたくさん抱えているのです。
多分、私と同い年のほとんどの友達は、こんなにたくさん仕事を抱えて、正月休みも仕事に囲まれて過ごしている人たちは、ほとんどないと思います。
これが良いかどうかは別にして、私にとっては、人生を充実させる一つの手段になっていることは間違いなく、新しい目標に向かってチャレンジをし続けることが出来るのです。
同時に、やっていることが少しでも人の役に立ち、世の中の役に立っていれば、これほど嬉しいことはないのです。
それには、ますます学びを深めていく必要があり、楽しい日々を送り続けることが出来るのです。
これからも、さらに学びを深め、皆さまに新しい情報を提供し続けます。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「外へ出て調べる」
しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えているのです。
第2次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。
さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことはすべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが関の山だったのですが、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。
彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。
1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。
1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。
この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。
家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。
この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。
マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。
予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。
私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。
マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。
今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。
儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであり、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることであり、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることであり、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。
「取引先や競争相手の成功と失敗」
もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。
競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。
ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。
画像は、自宅の庭の様子で、今年も甘夏、キンカン、柚子がたくさんの実を付けています。
すべてオーガニックです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。