本日のテーマは「トップを目指す」です。
シンガポールのラーメン学校の経営講義で使用するコンテンツを「ラーメン、うどん、蕎麦店の教科書」より、抜粋しますが、本日は第2章からです。
(http://www.yamatomfg.com/book/schoolbook.php)
ほとんどの店主は1位を目指していない
景気が悪くなると、トップしか生き残れない
1位を目指さないといけない一番大きな理由は、現在の時流です。
25年前にバブルが崩壊し、日本の経済が右肩下がりの経済に入ってしまっているからです。
北海道では、冬になると観光客が減って不景気になり、強いお店しか潤いません。
それと同様に、景気の良いときはすべてのお店が潤いますが、景気が悪くなると強いお店しか潤わないのです。
すでに日本は、生産年齢人口が1995年をピークとして、それ以降下り坂で、ピーク時と比べると12%も減少しています。
生産年齢人口とは、15歳から64歳までの働き盛りの消費人口でもあるわけですから、日本の消費が減退していくのは、やむを得ないことです。
そのような時代におけるビジネスは、強いポジション、すなわち「トップを目指していく」ということでしか、生き残る方法がないということを理解しなければいけないのです。
トップになるメリット
市場のリーダーすなわちトップになれば、次のような実に様々なメリットがあります。
① リーダーになると価格や基準を決めやすくなり、市場をコントロールしやすくなる
② 仕事がやりやすくなる
③ 良いお客様が集まってくる
④ 良い情報、必要な情報が集まる
⑤ 周囲の人たちの見る目が異なってくる
⑥ 周囲の期待度が高まり、仕事の基準が高くなる
⑦ 組織のスタッフに自信と誇りができる
⑧ ブランド価値が上がる
⑨ 利益が出やすくなってくる
⑩ 努力と成果、行動と成果の比率が変わってくる
トップになるには次の注意が重要で、麺専門店を始める場合、どこを目指すかということを決めておくと、何をしなければならないか見えてきて、あとは必要なことを着実にやり続け、妥協せずに一貫性を持ち、ひたすらやり続けることです。
どこのエリアで一番、どのジャンルで一番と、範囲を狭くすると実現しやすくなるので、最初は小さな目標で構わず、そのジャンルでトップになったら、次は範囲を広げます。
市内で一番、県北部で一番、県下一番と少しずつ目標を高め、最終的に日本一を目指し、夢のような大きな目標に向かって邁進することで、売上の数字を目指すのではなく、トップになることが重要です。
トップになるには、次の3つの価値基準の1つだけに焦点を当てて、取り組むことです。
① ペレーショナル・エクセレンスを目指す
生産方法や販売方法の改善を目指すアプローチで、スピードやコスト優位性により、競合他社との差別化を図る方法で、お手軽方向で、これを目指すことができるのは、規模が大きい場合だけで、新規開業者とか、規模の小さい店はオペレーショナル・エクセレンスを絶対に目指すべきではありません。
要するに「旨い、安い、早い」は目指してはいけないのです。
事例としては、丸亀製麺、吉野家などです。
② 品リーダーを目指す
たえず最新で価値の高い製品・サービスを提供し続けることで競争優位性を保ち、イノベーション追求型で、常に新しい製品・サービスで高い価値を提供し続けることにより、競合他社が模倣しにくい状況をつくり出し、常に95点以上の高いレベルの商品力を保ち続けることです。
事例としては、美登利寿司、花まる寿司などです。
③ スタマー・インテイマシーを目指す
顧客ロイヤルティを築き上げることに焦点を当て、顧客との親密さを強化し、販売力を高めるとともに、顧客からのフィードバックを改善に活かすアプローチで、他社ブランドへの乗換えが生じにくい状況を生み出し、95点以上の高いサービスレベルを保ち続けることが重要です。
カスタマー・インテイマシーの例としては、カッシータ、リゴレットなどです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
第15章 ベンチャー・ビジネスのマネジメント
企業であれ社会的機関であれ、既存の事業において、「起業家的マネジメント」というとき、ポイントは前半の「起業家的」にあるのですが、ベンチャー・ビジネスについては、ポイントは後半の「マネジメント」にあり、既存企業の起業家精神にとっての障害は既存の事業の存在にあるが、ベンチャー・ビジネスの起業家精神のそれは、既存の事業の欠落にあり、既存企業のイノベーションにとっての障害は、既存事業の存在であり、既存事業を担っている人たちが、往々にして抵抗勢力になり、イノベーションを妨げていて、社内全体がこのメカニズム、力学が働いていることの理解が欠かせなく、往々にして、自分たちがイノベーションの妨げになるマインドに陥り易いことの理解が欠かせないのです。
ベンチャー・ビジネスにはアイデアがあり、製品やサービスもあるかもしれない、売り上げさえあるかもしれない、かなりの売り上げがあるかもしれない、コストはたしかにあり、そして収入があり、利益さえあるかもしれないのですが、ベンチャー・ビジネスには事業と呼べるものがなく、組織された命ある活動としての事業がなく、何を行い、何を成果とし、何を成果とすべきかが明確にされている事業がなく、ベンチャー・ビジネスは、いかにアイデアが素晴らしくとも、いかに資金を集めようとも、いかに製品が優れていようとも、さらにはいかに需要が多くとも、事業としてマネジメントしなければ生き残れず、19世紀における最大の発明家トーマス・エジソンは、このことが理解できなかったために、手がけた事業のすべてに失敗したのです。
エジソンの夢は、実業家として成功し、大企業の社長になることで、最高の企画力をもっていた彼が、事業に成功しても何の不思議もなく、彼は自分の発明した電球を使えるようにするためには、いかなる電力会社をつくるべきかを知り、いかに資金を集めたらよいかも知り、彼の製品は直ちに成功し、需要はいくらでもあったにもかかわらず、彼は起業家のまま終わり、マネジメントとはボスであることだと考えていた彼は、マネジメント・チームをつくらなかったので、彼のベンチャー・ビジネスは、中企業に成長した段階でことごとく倒産寸前に追い込まれ、いずれも、彼を追い出し、専門のマネジメントに置き換えるしか、救う方法はなかったのです。
ベンチャー・ビジネスが成功するには、以下の4つの原理があるのです。
1.市場に焦点を合わせること
2.財務上の見通し、とくにキャッシュフローと資金について計画をもつこと
3.トップ・マネジメントのチームを、それが実際に必要となり、しかも可能となる、はるか前から用意しておくこと
4.創業者たる起業家自身が、自らの役割、責任、位置づけを決断すること
上記のすべての項目について、本気で取り組むこと以外に、起業家から、事業家への変身はあり得ないのであり、起業家精神はイノベーションに欠かせないのですが、事業として永く繁栄するには、マネッジメントが欠かせないのです。
I市場志向の必要
通常、ベンチャー・ビジネスが期待にそえず、それどころか生き残れなくなったときのセリフは、「あの連中に市場をとられるまでは、うまくいっていて、彼らが市場に出したものは、うちのと大して違わなかった。」であり、あるいは、「うまくいっていた。ところが、あの連中がとんでもない客に売りはじめ、そのうち、こちらの市場までもっていってしまった」であるのですが、実際には、ベンチャー・ビジネスが成功するのは、多くの場合、考えてもいなかった市場で、考えてもいなかった客が、考えてもいなかった製品やサービスを、考えてもいなかった目的のために買ってくれることによってであるのです。
普通の経営者にとっては、想定外のお客さまが、想定外のものを想定外の目的で買ったのかも知れないのですが、アップルのステイーブ・ジョブズのようなマーケテイングの達人には、分かり切っていて、達人の域に達していない人は分からずに企画しているだけなのです。
◆予期せぬことを当然とする
ベンチャー・ビジネスは、この事実を認識し、予期せぬ市場を利用できるよう自らを組織しておかなければならず、あくまでも市場志向、市場中心でなければ、単に競争相手のために機会をつくっただけで終わり、競争相手のために市場を創るのは、ビジネス競争において一番下手くそな方法であり、絶対にやってはいけない取り組みで、とくに特定の使用目的しかない科学的、技術的な製品の場合、意図した市場において、意図した使用目的のために買われることがあるのですが、つねにそうとはかぎらず、特定の病気の治療を目的として開発した薬でさえ、別の病気の治療に使われることがあり、その例として、現在、胃潰瘍の治療に使われているある薬があります。
あるいはまた、人間のために開発されながら、獣医が使っている薬があり、真に新しいものは、予期せぬ市場を生み出し、1960年頃、ゼロックスが開発した最初のコピー機が現れるまで、オフィス用のコピー機が必要になるとは考えられなかったのですが、5年後には、コピー機なしの仕事が考えられなくなったのです。
最初のジェット機が開発された頃、最も優れた市場調査は、すでに就航中の航空機と製造中の航空機の座席数を合わせると、大西洋便の乗客数を超えると予測したのですが、5年後、ジェット機による大西洋便の乗客は、50倍さらには100倍に伸びたのです。
イノベーションを行う者自身の視野は狭くなりがちであり、狭窄症とさえいってもよいかもしれなく、自分が知っている世界しか見えなく、外の世界が見えず、そのよい例がDDTであり、第2次大戦中、兵隊を熱帯の害虫や寄生虫から守るために開発されたDDTは、やがて家畜や作物を害虫から守るために使われ、あまりの効き目に、使用を禁止されるまでになったのですが、DDTを開発した者のうち誰1人として、そのような使い方を予測できなかったのです。
もちろん彼らは、赤ん坊が夏、蠅が運ぶ細菌による下痢で死んでいることは知っていて、家畜や作物が害虫や寄生虫の被害を受けていることも知っていたのですが、彼らは、それを単に常識として知っているにすぎず、専門家として熱帯病に関心をもっているだけであり、初めにそれをほかの分野で使ったのは、自分が専門家である分野、すなわち自分の牛や綿花畑で使った徴兵された農民だったのです。
同じように、3Mは、工業用の研磨剤と接着剤のメーカーとして工業用品市場で成功していて、工業用に開発した接着テープがスコッチテープとして家庭や事務所でさまざまな使われ方をするとは考えもしなかったし、家庭や事務所を市場として考えたことはなく、売れない工業用品をつくった技術者が、消費財としてそれが売れることに気づいたのは偶然で、その技術者は、会社が製品を諦めることを決定した後、たまたま見本を家に持ち帰っていると、驚いたことに、10代の娘が夜、髪をカールするために、それを使ったのであり、この話の変わっているところは、この技術者や上司たちが、新しい市場の発見を直ちに理解したことだったのです。
1905年、ドイツのある化学者が局部麻酔剤としてノボカインを開発したのですが、それを使う医師はおらず、彼らは全身麻酔にこだわっていたのですが、予想もしなかったことに、歯科医がそれを使いはじめ、その化学者は、そのような目的のために開発したのではないと、あちこちで文句を言っていたというのです。
たしかに、このような反応は極端であるのですが、起業家という者は、イノベーションの目的を自分なりにもっていて、そのため、別の使われ方をすると腹を立て、予定外の客に売ることを拒否はしないかもしれないが、歓迎できない客だということははっきりさせたがるのですが、コンピュータに起こったことが、まさにこれで、最初にコンピュータを開発したユニバックは、その巨大な機械を科学用に設計していて、一般の企業が関心を示していることを知っても、「そもそも企業は、コンピュータが何たるかさえ知らないのではないか」と、言って、セールスマンを派遣しなかったのです。
IBMも、最初はコンピュータを科学用に設計し、とくに天文学の計算が目的だったのですが、IBMは、企業からの注文を喜んで受け、サービスを提供し、10年後の1960年頃、ユニバックは最高のコンピュータを手にしていたのですが、IBMは、市場を手にしていたのです。
経営学の教科書は、このような問題の解決策として、市場調査を教えるのですが、間違った処方箋であり、まったく新しいものについては、市場調査はできず、市場に出ていないものを市場調査することは不可能であり、1950年頃、ユニバックが行った市場調査では、紀元2000年までに1000台のコンピュータが売れると予測していたのですが、1984年の実数値は100万台であり、ユニバックの市場調査は最も緻密かつ科学的なものだったが、1つだけ間違いがあり、コンピュータが先端的な科学研究のためのものであるとする前提からスタートしていて、たしかに、そのような使われ方では、販売台数が限られて当然だったのです。
同じように、コピー機の特許の売り込みを受けた印刷機メーカーも、完璧な市場調査を行ったが、その結果、印刷会社はコピー機を使わないという結論を得て、特許を買うことを断わり、企業や学校や個人が、コピー機を買うようになるとは思いもしなかったのです。
したがってベンチャー・ビジネスは、自らの製品やサービスが、思いもしなかった市場において、思いもしなかった使われ方のために、なじみのない素人の客によって買われることがあって当然であるとの前提のもとに、事業をスタートさせなければならず、市場志向でなければ、生み出すものは、競争相手のための市場だけということになり、数年後には、「あの連中」が市場をもっていき、あるいは「とんでもない客」に売りはじめ、やがて市場を全部もっていってしまうのです。
画像は、昨日のラーメン学校の実技最終日で、京都の卒業生の店で提供している商品です。
二郎系のラーメンで、インパクト抜群の商品で、生徒さんの依頼で、生徒さんから送られた材料を組み立てて作ってみて、商品をチェックしましたが、塩度計でチェックしたら、問題点は簡単に分かりました。
野菜と肉が一杯のラーメンでした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。