うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「パソコンと本のスーパー」

ラーメンの製麺を練習しにシアトルから来たナンシー、インストラクターのクオンさん、通訳のハンさんとのショット。また、讃匠の総務の大石さんが明日で卒業になるので、記念撮影をしました。昨日も本社の周りでは、桜がきれいに咲き始めていました。

本日のテーマは「本当の食と人間の身体との関係」です。

最近、お客さまからの要望とか、問合せでときどきあるのが、グルテンフリーまたは、糖質制限についてで、グルテン・アレルギーは今のところ、日本より北米、ヨーロッパで多く、日本は蕎麦アレルギーの方が課題なのです。

グルテン・アレルギーの原因としては、一説によれば、アメリカでの遺伝子組み換え小麦で問題になっているようで、日本の国産小麦では問題が出ていないようです。

また、糖質制限は肥満を気にするお客さま、或いはダイエット食として、最近脚光を浴びているのですが、糖質制限でのダイエットを推進していたリーダー的な方が60歳という若さで急死してしまったので、糖質制限も本当に正しい健康法であるのかが、疑問なのです。

最近、雨後の竹の子のように、さまざまな健康法が喧伝されていますが、その本質を見極め、あまりこのような情報に右往左往しないことが大切です。

このことに関して、幕末から明治にかけて日本が「殖産興業」を目的に、先進技術や学問・制度を輸入するために雇用した、いわゆる「お雇い外国人」の1人だったドイツ人のベルツが著した「ベルツ日記」が有名なのです。

以下は、ネットよりの情報です。
http://blog.goo.ne.jp/ag…/e/a78f444ea539d44ee6c624d6ea939bcc

ベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をし、道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたのですが、2度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまい、しかもその間は1人の車夫が交替なしに車を引き続けたのです。

普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのですが、これではまるで逆であり、この体力はいったいどこから来るのだろうと、ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えで、聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食で、もちろん肉など食べず、彼からみれば相当の粗食だったのです。

そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みたのが、「ベルツの実験」であるのです。

22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせたのです。

然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきたので、仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになり、一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができたのです。

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当時の人力車夫は、1日に50km走るのは普通で、ベルツの思惑は見事に外れ、彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかったのです。

また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしているくらいで、それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったというのです。

西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が、実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙にいとまがなく、例えばフランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に、「彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦も食べるが少量であり、野菜や山菜は豊富で、それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」と書き残しているのです。

以上のように、食については、最近、さまざま新しい情報が氾濫しているのですが、人類の歴史の中で長く食べられている食べ物は、その有効性が充分に確認されているはずなので、われわれはもっと伝統的な食の良さも見直す必要があるのです。

小麦についても、すでに5千年も以上前から栽培され、パンになったり、麺として食べられている歴史があるのです。

未確認の情報に振り回されるのではなく、真実を追求することが大切であり、同時に、われわれは自分の身体を通して、良い食事を取ったときとそうでない時の体調の変化を理解することでも、身体に良い食事かどうかが分かるのです。

私はいつも自分の身体を使って、さまざまな食事の良さを測定していますが、気を付けて食べていると、何が有効で何が有効でないかが、徐々に分かってくるのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「パソコンと、本のスーパー」

次にあげる2つの例は、外部の予期せぬ変化を利用して、イノイベーションの機会とすることに成功した典型的なケースであり、その一つがIBMのパソコン市場への進出に関してで、IBMでは、1970年代に入ってからもしばらく、社内の経営管理者や技術者の間にさまざまな意見の対立が見られたが、唯一、意見が完全に一致していることが一つだけあり、それは、より大きなメモリーと計算能力を持つメイン・フレーム・コンピュータこそ、未来を担うものだということであり、IBMの技術者たちは、それ以外では費用がかかり過ぎ、しかも複雑すぎて能力に限界があると確信していたので、IBMはメインフレーム分野でトップの地位を守ることに、あらゆる資源と努力を集中していたのです。

ところが、1975年か76年頃、驚いたことに、10歳そこそこの子供たちが、コンピュータでゲームをするようになり、ときを同じくして、その父親たちが、最も小型のメインフレームと比べてさえ、はるかに性能の劣るパソコンを使い始め、起こりえないとしていたことが実際に起こり、パソコンはメイン・フレーム・コンピュータに接続した端末機器よりも費用が数倍かかり、能力がはるかに劣っていただけでなく、ほとんど互換性のないさまざまなハードとソフトが作られたため、すべてが混乱状態に陥り、サービスも補修も満足には行なわれていなかったのですが、消費者の方は、一向に困った様子を見せなかったどころか、1979年から84年というわずか5年間で、パソコンの売上は、年間1500億ドルから1600億ドルという、メイン・フレーム・コンピュータが達成するのに30年かかった水準に達したのです。

もちろんIBMとしては、そのような状況を無視してもおかしくなかったのですが、IBMは、メイン・フレーム・コンピュータの市場が70億ドルだったのに対し、パソコン市場が2億ドル以下だった1977年、独自のパソコンを開発すべく、相互に競争し合う2つのプロジェクト・チームを作り、パソコン市場が爆発的に伸び始めた1980年には、独自のパソコンを生産し始め、その3年後の1983年には、早くもメイン・フレーム・コンピュータ市場と同じように、パソコン市場でもトップの地位を占め、同年には、ピーナッツという家庭用パソコンまで発売したのです。

ドラッカーはIBMの人たちと話をするたびに、「パソコンの普及など起こるはずがなく、無意味であると信じていながら、機会になると考えるようになったのはなぜか」と尋ねると、答えはいつも同じで、「起こるはずもない無意味なことと信じていただけに、ショックだった。当たり前のように信じていたことが、すべてゴミ箱行きになってしまった。そこで、外へ出て、起こるはずのないのに起こってしまったものを調べて、利用することにした。」

もう一つの話は、もっと平凡であり、派手な話しではないが、同じように示唆に富んでいて、全国に無料の公立図書館があったせいもあったのですが、アメリカでは、過去、本が良く売れたことは一度もなく、1950年代初めにテレビが登場し、多くの人たち、しかも特に高校生や大学生など読書年代の若者の多くが、ますます多くの時間を、ブラウン管の前で過ごすようになったとき、誰もが書籍の売上の大幅ダウンを当然のこととしたのです。

事実、焦った出版社の多くは、教育産業やコンピュータ・プログラムに多角化して、そのほとんどが失敗したのですが、テレビの登場後、書籍の売上は大幅な伸びを見せ、その伸び率は、所得、読書年代人口、進学率のいずれの伸び率をも数倍上回っていたのですが、なぜそのようなことが起こったかは分からず、それどころか、そのようなことが起こったことさえ気付かず、しかも相変わらず、一般的なアメリカ人家庭にはほとんど本がなく、同様に、1人当たりの書籍購入額が世界一であって、アメリカの2倍に達していた日本でも、同じことが起こっていたのです。

それらの本は、いったい、どこへ行ったのかという問いに答えられないとしても、書籍の売上が伸びているという事実は変わりなく、もちろん出版社や書店は、書籍の売上が伸びていることに気づいていたが、何もしなかったので、この予期せぬ変化をイノベーションの機会として捉えたのが、実はミネアポリスやロサンゼルスの百貨店やスーパーで、彼らは本を扱ったことはなかったが、小売については知っていたので、そこで彼らは、それまでのものとは違う新しい書店チェーンを展開していき、それらの新しい書店は、本のスーパー・マーケットで本を文献としてではなく、大衆消費財として扱い、棚面積当たりの売上が大きなものを中心に扱い、店自体も、それまでの常識だった大学近くの土地の安いところではなく、人通りの多い繁華街に開き、それまでは、書店主と言えば文学好きの人たちであり、店員には本好きが採用されていたのですが、新しい書店チェーンの店長は、化粧品を売っていた様な人たちで、彼らの間では、本の定価以外のところに目を通したがる者は店員として失格だというのが冗談混じりの定説になり、登場して10年後には、それらの書店チェーンは、アメリカ小売業全体の中で、最も急速に成長し、成功していて、あらゆる成長産業の中でも最も成長が早かったのです。

以上のように、イノベーションは技術革新だけではなく、われわれの身の回りで、想像もしていなかったような新しい社会のシステムを出現させ続けているのです。

日本では、私の小さいころはどこの街にも、魚屋、米屋、酒屋、八百屋、豆腐屋等々、単一ビジネスを営む店舗が点在して、それぞれの適正な規模で繁盛していたのですが、そのような店のほとんどは淘汰されてしまい、生き残ることは出来ず、モータリゼーションの始まりと共に、最初にスーパー・マーケットが出現し、ダイエーが話題になり、スーパー・マーケット・チェーンが全国展開を始めたのもこの頃で、その後、コンビニエンスが出現し、日本のコンビニエンスは世界最強と言われるようになったのです。

その後、ファッションの専門チェーン、電機の専門店チェーンが全国展開し、DIY、ドラッグ・ストアとさまざまな大型専門店が、続々と日本列島をカバーし、外部環境の変化に適応した店舗だけが生き残り、適応することが出来なかった店舗は淘汰されている歴史を、戦後70年の間、外部環境の変化に適応し、イノベーションを起こした店舗だけが生き残ることが出来、更に次のイノベーションが起き、エンドレスに変わり続けているので、外部環境の予期せぬ変化を捉え続け、それに対応し続けることは、生き残る上では欠かせないことなのです。

以上は、流通のジャンルですが、飲食のジャンルでも、同じような外部環境の変化が続いていて、最近の日本での傾向としては、飲酒規制の影響により地方では、飲食店におけるアルコール摂取が減少して、ノン・アルコール・ビールの伸びが大きく、洋酒メーカーであるサントリー等でも、販売におけるアルコール比率が大きく落ち込み、アルコールの入っていない飲料の割合が大きくなり、まだ日本では、それほど行き届いていないのですが、欧米では健康志向が高まり、無化調、無添加、グルテン・フリーの麺、パン類が増えていて、外部環境の変化は、外へ出て、少し注意してみれば、幾らでも見えるのです。

あれだけ、パソコンを否定していたIBMの人たちもパソコンの推移を注意深く見ていたので、スムーズに対応が出来、従って、われわれは常にわれわれの業界で起きていること、近い部分、とくに将来大きな影響を及ぼすかも分からない分野については、絶対に目を離してはいけないのです。

当社もグルテン・フリーとか、当社のビジネスに将来影響を及ぼすかも知れない分野には、常に注意を払い、業界の進む方向を見続けていくことが欠かせず、これからは、国内だけではなく、海外の動きも非常に重要になってきます。

画像は、シンガポールのラーメン学校に行く途中に当社に立ち寄り、ラーメンの製麺を練習したシアトルから来たナンシーとのショットで、インストラクターのクオンさん、通訳のハンさんと一緒です。

また、讃匠の総務の大石さんが御主人の転勤で、やむなく讃匠を明日で卒業になるので、記念撮影をしました。

昨日も本社の周りでは、桜がきれいに咲き始めていました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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