ラーメン屋・うどん屋・そば屋・パスタ屋開業で繁盛店に|「イノベーションと起業家精神(上)」「社会的イノベーション」

ラーメン学校の様子

昨日は東京支店でのラーメン学校の最終日であり、生徒さんたちの作品作成の日でした。

朝から東京支店に入り、ドリーム・スタジオの責任者である木口さんと打ち合わせを行ない、昼前から、ラーメン学校の指導に入りました。

最初は、生徒さんたちのスープの味の最終確認で、生徒さんたちが作ったスープの味を修正していきます。

この段階では、ある程度、完成度の高い生徒さんもいますが、まったく修正の必要のない生徒さんは皆無です。

何らかの修正を加えれば、生徒さんのスープは見違えるようになり、完成度は高まるのです。

生徒さんによっては、一つの味だけしかチャレンジしない生徒さんもいるのですが、大半の生徒さんは幾つもの味にチャレンジします。

次つぎと、私のところに持ってくる生徒さんたちのスープは、少し微調整すると、生まれ変わったように良くなるのです。

無化調で、インパクトのある、美味しい味が創り出されることに、生徒さんたちは驚きますが、これも「デジタル・クッキング」の大きな恩恵なのです。

無化調で、インパクトのある、美味しい味を創り出すことは小さいイノベーションであるかも知れないのですが、社会的イノベーションと言えないことはないのです。

ある程度、スープの味の方向性が決まり、レシピが決まると、次は盛り付けのチャレンジで、生徒さんたちにとっては最大の難関なのです。

昨日もラーメン学校のすべての工程を終え、質疑応答の時間に生徒さんから、盛り付けに関して次のような質問がありました。

「どうすれば、校長先生のような盛り付けのセンスを身につけることが出来るのですか?」と。

その質問に対して、私はいつものように、「普段から、服装等のセンスを磨くことを熱心にやっておくことが大切で、レストランへ行った時もいつもきれいな料理を画像に収めて、自分で実際に作ってみることです。」と答えたのです。

その後、昨晩、ホテルに帰ってから、このことについて考えてみると、以上の回答も正しいのですが、それだけでなく、私の場合は、責任の重さが大きな影響を及ぼしていることが分かったのです。

私は麺学校の校長なので、経営講義にしろ、このような実技にしろ、最高のレベルを、生徒さんたちに披露しなければいけないという責任感があるのです。

従って、経営講義もこのような起業家向けの学校としては、最高レベルの内容にしなければいけないと思って、常にコンテンツの刷新を行なっているのです。

盛り付けに関しても同様で、常に新しい技術を盛り込んでいるのです。

この責任感の大きさは、人がどれだけ早く変わり、成長するのに役立っているか分かりません。

私の場合は、社長としての最終責任、学校の校長としての最終責任があり、「ビジネスの成功方程式=責任×夢×情熱×意志力×集中力×経験×直観力×忍耐力」なのです。

本日夕方には、成田からLAに向けて発ちます。

以前からお知らせしているように、次回の補助金のセミナーは次の通りで、ドリーム・スタジオ札幌で、3月16日(月)15時30分です。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=1851&ref=top

この様に、イノベーションは特別なものでなく、われわれの身の回りにあり、イノベーションを活用して大きな成果を出すことが大切なのです。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。

「社会的イノベーション」

イノベーションは技術に限ったものではなく、モノである必要さえないのです。

それどころか、社会に与える影響力において、新聞や保険を初めとする社会的イノベーションに仇敵するイノベーションはないのです。

割賦販売は、まさに経済そのものを供給指導型から需要主導型へと変質させたのです。

1948年のチェコスロバキアや1959年のキューバのように、共産主義が権力を得て、最初に禁止する経済活動が、割賦販売である理由もここにあるのです。

同様なお金に関するイノベーションとしては、今では当たり前で、誰でも使っているキャッシュ・カード、プリペイド・カード(スイカ等)、お財布携帯、電子マネー等々、数えきれない種類の新しい貨幣が出来たのです。

使い始めのころは少し違和感があったのですが、今ではまったく当たり前になり、誰でも普通に使っています。

そして、現在政府が行なっている補助金政策も、税収確保のための一種のイノベーションであるのです。

今ではごくごく当たり前になっている、給与制度もイノベーションであり、これからもイノベーションを起こし続けていかなければいけない分野なのです。

その時代、時代のニーズに合った給与制度でなければいけないのです。

18世紀啓蒙主義による社会的イノベーションの1つである近代病院は、いかなる医学上の進歩よりも、医療に対し大きな影響を与えたのです。

明治維新までの日本には、病院はなく、病気になれば、町の医者に診て貰い、薬を買って飲むしか方法がなかったのです。

明治以降の日本の医療において、病院の果たした役割は限りなく大きく、昔は人生の終わりを迎えるのは、自宅であったのが、現在ではほとんどの人が病院で亡くなっているのです。

多様な知識や技術を有する人たちを、共に働かせるための知識としてのマネッジメントもまた、今世紀最大のイノベーションであるのです。

それは、まったく新しい社会、いかなる政治理論や社会理論も準備されていない組織社会を生み出したのです。

明治以前の日本では、会社で誰かと一緒に働くという概念がなかったのです。

明治以降、会社組織が出来、人びとの働き方が一変したのです。

経済史によれば、ドイツではじめての蒸気機関車を作ったのはオーガスト・ボルジヒですが、彼は、はるかに重大なイノベーションとして、ギルドや教師、或いは官僚の抵抗を押し切り、今日、ドイツ産業の基盤となっているドイツ特有の工場システムを作ったのです。

彼は、広範な裁量権のもとに職場を動かす、敬意を払われる存在としてのマイスター制度や、現場訓練と学校教育を結合させた徒弟制度を作りました。

今でもドイツは世界屈指のモノ作り大国になっているのは、こうした先輩たちが基礎を作った努力のお蔭であり、今でもその遺産が脈々と引き継がれているのです。

マキャベリの「君主論」(1513)による近代的な政府の概念と、その約60年後の後継者ジャン・ボーダンによる近代国家の概念は、いかなる技術的イノベーションよりも、近代社会に永続的な影響をもたらしましたのです。

社会的イノベーションとその重要性について最も興味ある例は、近代日本であり、開国以来、日本は、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、或いは真 珠湾の勝利、さらには1970年代と80年代における経済大国化、世界市場における最強の輸出者としての台頭にも関わらず、欧米からは常に低く評価されて きたのですが、その主たる理由、恐らく唯一の理由は、イノベーションとはモノに関するものであり、科学や技術に関するものであるという一般の通念にあった のです。

実際、日本は、(欧米だけでなく日本においても)イノベーションを行なう国ではなく、模倣する国だと見られてきました。

これは、科学や技術の分野で日本が際立ったイノベーションを行なっていないためだったのです。

しかし日本の成功はイノベーションによっていて、日本が開国に踏み切ったのは、征服され、植民地化され、西洋化された、かってのインドや、19世紀の中国の二の舞をしたくなかったからです。

日本は、柔道の精神により、欧米の道具を使って欧米の侵略を食い止め、日本であり続けることを目指したのです。

日本にとっては、社会的イノベーションの方が蒸気機関車や電報よりもはるかに重要であり、しかも、学校や大学、官僚機構、銀行、労使関係のような社会的機関の発展、すなわち社会的イノベーションの方が、蒸気機関車や電報の発明よりもはるかに難しかったのです。

ロンドンからリバプールへ列車を引く蒸気機関車は、いかなる応用も修正もなしに、そのまま東京から大阪へ列車を引くことが出来るのです。

だが社会的機関は、日本的であると同時に、近代的でなければならないのです。

日本人が動かすものでありながら、同時に西洋的かつ技術的な経済に適合するものでなければならないのです。

技術は安いコストで、しかも文化的なリスクを冒すことなく導入できるのですが、社会的機関が発展していくためには、文化的な根を持たなければならないのです。

日本はおよそ100年前、その資源を社会的イノベーションに集中することとし、技術的イノベーションは模倣し、輸入し、応用するという決断を下し、見事に成功したのです。

この日本の方針は今日でも正しいと言えるのです。

なぜならば、ときには冷やかしの種とされている創造的模倣なるものこそ、きわめて成功の確率の高い立派な起業家戦略だからであり、今日、仮に日本が他の国 の技術を模倣し、輸入し、応用する以上のことを行なうべく、自ら純粋に技術的イノベーションを行なわなければならなくなっているとしても、日本を過小評価 してはならないのです。

そもそも開発研究そのものが、ごく最近の社会的イノベーションであり、日本はこれまで行ってきたように、そのようなイノベーションに長じていて、しかも日本は、起業家としての戦略にも長じているのです。

まさにイノベーションとは、技術というよりも、経済や社会に関わる用語であるのです。

イノベーションは、J・B・セイが起業家精神を資源の生産力を変えることと規定したのと同じように定義することが出来、或いは、近代経済学者がしばしば言 うように、供給に関わる概念よりも需要に関わる概念、「消費者が資源から得られる価値や満足を変えること」と定義することが出来るのです。

ドラッカーは日本の明治維新以降の社会的イノベーションについて、たいへん高い評価を下しています。

このような見方は、ほとんどの人が行なっていないのですが、ドラッカーは、一般的な日本の理解とは異なる理解を示しているのです。

私も明治維新以降の日本について、考察してみると、栄光と挫折の繰り返しであることがよく分かります。

日本のイノベーションも近代国家になる前半、特に明治維新から大正時代にかけては、非常に成功しているのですが、第二次世界大戦で大敗し、第二次世界大戦後の復興期においては、大成功し、成功の後、ずっと沈滞が続いているのです。

日本国のイノベーションの歴史を振り返ると、明治の初期の弱小国であった頃は、思い切りリスクを取っていたのです。

その後、日本が欧米の強国に肩を並べるようになってから、日本は方向を変え、戦争に突入したのです。

第二次世界大戦後の焦土で何もない日本は、ゼロからの再スタートになり、思い切り、リスクを取らなければいけない状態になったのです。

その後、経済は急成長し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるようになったころから、日本は再びおかしくなり、経済的(国民一人当たりのGDPの伸び)にはこの25年間ずっと停滞しているのです。

現在の日本において、一番イノベーションが必要な部分は社会的イノベーションであることがよく分かり、そのリーダー・シップを取らなければならないのは、政府であり、われわれ起業家であるのです。

画像は昨日のラーメン学校の作品作りで、今までのラーメンにはない、新しい盛り付けもイノベーションなのです。

新しい盛り付けに毎回チャレンジしているのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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