本日のテーマは「40周年記念植樹と営業会議」です。
昨日が前期期末で、スタッフたちの賢明な頑張りで、前期も無事終了し、一夜明けた本日から今期が始まり、本日は朝から全社を挙げての創業40周年記念植樹で、玄関先に全員が集まり、桜の木を5本植樹したのです。
今までは創業記念イベントで、植樹等を考えたことがなかったのですが、創業記念日で植樹を行なうと、桜の花が咲くようになれば、社員たちの心のよりどころになり、木々の緑で心が癒されるのです。
本社移転して5年経過しているのですが、本社の敷地は2千坪あり、敷地の周囲が緑地帯になっているので、緑の植栽を巡らせると、会社の雰囲気が大きく変わってくるのです。
シンガポールは独立以来50周年ですが、建国にあたって国の施策として、海外から観光客を呼ぶために、国内を緑で埋めるようにしたのです。
従って、自動車道路のような大きな道路沿いには、すでに大木になっている木々が、林のように道路の上に生え茂っていて、暑い国ではあるのですが、清涼感が溢れているのです。
私もシンガポールに見倣って、当社の社屋もグリーンで埋めたいと思っているのです。
今回の植樹によって、玄関先が見違えるようになったのですが、その後、全員が食堂に集まり、今期の方針発表会を行ない、全員を集めた方針発表会は普段はやっていないので、基本的なところから説明をしていきました。
最初に説明したのは、今回変更した価値感の内容で、新しい価値感を明確にしたのです。
次に、1月に新しくした使命を明確にし、前期の経営数字の結果、今期の戦略を全員で共有したのです。
方針発表会は、全社員を対象にしているので、前期までの過去の経営数字を詳しく説明し、前期に起きたこと、前期の数字上の課題を説明して、販売スタッフの最後の頑張りで、前期が当初の予定よりどれほど改善されたか等を数字で説明したのです。
変動費率がほんの0.8%改善されただけでも、利益額が1千数百万改善されたのです。
どこをどのように改善すると、どのような変化が現われるかを説明し、今日から始まる新しい今期の予算を説明し、今期はこのような結果になるということを見せてみたのです。
全員参加なので、あまり難しいことは説明し、分かり易く説明をしたので、今期はこのように素晴らしい状態になるということが分かったと思います。
経営の概況説明を行った後、前期の頑張りを称えると、頑張った営業関係のスタッフを中心に皆、感動をしたのです。
この後、新しく結婚したスタッフのお祝いをし、今月の誕生月のスタッフの誕生日のお祝いをしたあと、突然のサプライズですが、前期の頑張りを称えて、社員全員にわずかではあるのですが、金一封を贈ったのです。
急に決めた話だったので、総務のスタッフたちには、封筒に名前を書いたり、新札を封筒に詰めたりで、たいへん明確を書けたのですが、全社員が子供のように喜んでいたのを見て、私もたいへん嬉しくなりました。
皆の頑張りに対して、ほんの気持ちでも構わないので、報いることは非常に効果があることが分かったのです。
その後は営業会議が始まり、最初はいつもの通りの私の話ですが、内容は毎回変えていて、今回は当社に足りない価値感を明確にして、その価値感に関する説明を加えていきました。
当社は5年前に現新社屋に移転したのですが、移転した翌年1月に札幌、高崎、名古屋に3ヵ所のドリームスタジオを開設した直後、予期せぬ出来事の東北大震災が発生し、当社の業績に大きな影響が出て、3年前にも業績に影響を及ぼす出来事が急に発生し、昨年は急激な人手不足で、これも業績に影響を及ぼし、5年間に合計3回も予期せぬ出来事が起き、その度に、スタッフたちが大奮闘し、スタッフたちの頑張りで、成果を上げることが出来たのです。
こうして、当社のビジネスを振り返ってみると、40年前に創業してからずっと奮闘の連続で、製麺機業界の厳しさを味わい続けているのです。
小規模の企業が多い業界なので、特に価格競争が厳しく、当社は安全装置とか使い勝手を良くするための装備等をフルに装備しているので、コストが高くなってしまうのです。
製麺機業界は、特に中小企業の多い、競争の厳しい業界ですが、当社は、そのような業界の中で比較的順調に業績を伸ばしてきたので、傍目には良い業界であると見られているかも知れません。
このような難しい業界の中で生き残ることが出来ると、会社の体質もさらに強くなっているはずです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「多角化ではなく、新たな展開を」
先に挙げたパソコンと本のスーパーのケースは、すべて純粋なイノベーションですが、これらのいずれもが、いわゆる多角化ではなく、IBMのパソコン事業は、コンピュータ産業の枠内にあり、書店チェーンは、長い間、ショッピング・センターやブテイックで、小売業に携わっていた人たちが始めたのです。
外部の予期せぬ変化を、イノベーションの機会として利用し、成功するための条件は、その機会が自らの事業の知識と能力に合致していることであり、小売業の能力がないのに、書店チェーンなどの大量流通業に乗り出した企業は、みな惨敗し、自分の持っている強みの活用こそ、新展開には重要であり、われわれはここで、多角化と、自分の持っている強みの新たな展開の違いを理解しなければいけないのです。
従って、外部の予期せぬ変化は、既存の能力の新たな展開の機会として捉え、イノベーションを起こす大きなチャンスとしなければならず、それまで携わってきた「自らの事業」の性格を変えてはいけないし、多角化ではなく、独自の強みを活かせる、関連した方向へ展開出来なければならないのです。
もちろん前述のケースに明らかなように、製品やサービス、流通チャンネルのイノベーションの追加も必要となり、あらゆるイノベーションのチャンスが存在するのです。
「大企業の優位性」
これらのケースについて次に言えることは、すべてが大企業のケースだということであり、本書で紹介するケースの多くは、大企業のもので、原則として、公開された資料、新聞や雑誌の経営欄で取り上げられたケースのほとんどが、大企業のものであり、中小企業のケースは資料を手に入れることが難しく、信頼関係を損なうことなく公開することは、さらに難しく、特に中小企業は、オーナー企業が多く、外部に開かれていない企業が多いので、幾らドラッカーが指導して成功しても、その成果がオープンになることは、少なかったことが想定されるのです。
しかし外部の予期せぬ変化は、むしろ企業として既に確立された企業、しかもある程度の大きさ以上の企業に適した、イノベーションの機会であるように思われ、ドラッカー自身、中小企業が、外部の予期せぬ変化をイノベーションの機会として利用し、成功したという例をあまり知らないし、イノベーションや起業家精神に詳しい、ドラッカーの知人に聞いても、あまり知らないというのです。
単なる偶然かもしれないのですが、既存の大企業の方が、「より大きな構図」を見ることが出来るのかもしれず、消費者が、どこで、いかに消費しているかを示す数字を常に見ている企業は、何と言っても大規模小売業であり、大規模小売業はショッピング・センターが成功する条件を、よく知っていて、いかなるショッピング・センターが良いかを知っているのです。
そもそも中小企業がIBMのように、まったく新しい製品ラインの開発のために、一流の設計者と技術者からなる2つのプロジェクト・チームを作ることは出来ず、急速に成長しつつある産業に属する中小のハイテク企業は、進行中のプロジェクトに必要な人材にさえ、事欠いているのが普通だからで、従って、外部の予期せぬ変化こそ、おそらく大企業に対し、最小のリスクで、最大のイノベーションの機会を与える領域といってよく、特に既存の大企業によるイノベーションに適しているのです。
専門知識と資源を直ちに動員する能力が大きな意味を持つとは言え、前述のケースも示しているように、単に規模が大きく、事業の基盤が確立しているというだけでは、外部の予期せぬ変化を認識し、イノベーションの機会として利用する体制が取れる訳ではなく、IBMの競争相手も、それぞれの売上数十億ドルという大企業であったのですが、その中に、パソコンを機会として捉えたところは、1社もなく、いずれもIBMとの闘いに忙殺されていたのです。
言い換えるならば、機会は存在しているし、しかも、大きな機会がいくつも存在していて、とくにそれらの機会は、既存の大企業にとって大いなる約束となるのですが、そのようなイノベーションの機会を得るためには、幸運や感覚以上のものが要求され、NYのブレンダーノのような老舗の大規模書店チェーンも、新しい書籍販売市場を自ら構築することは出来なかったのは、意識してイノベーションを求め、イノベーションのために組織し、イノベーションのために、マネッジメントすることが要求されるのです。
ドラッカー博士は上記のように、予期せぬ出来事は中小企業より、大企業の方がイノベーションに有利だと説明していますが、それはイノベーションの大切さを意識している企業だけについての話であり、イノベーションの大切さを理解していないと、IBMのライバルのようになってしまい、現在、大企業であっても、元々は小企業が大企業になった場合がほとんどで、中小企業から大企業に駆け上がる段階では、多くのイノベーションを起こし、自己変革を繰り返してきているはずなのです。
人類の歴史を振り返っても、地球上で一番弱かった生物が進化を続け、人類になり、霊長類の頂点に君臨しているのですが、進化したのは、外部の環境変化によって、進化せざるを得なくなって進化したのであり、われわれのビジネスも人類の歴史と同じであり、中小企業ほど、イノベーションを起こして、進化しないと存続が難しい種であるのです。
中小企業庁と経済産業省による報告書「中小企業におけるイノベーションの特徴」によれば、以下の通りで、イノベーションの実現に向けた中小企業の取組について現状や課題を見ていくと、中小企業によるイノベーションには、どのような特徴があるのかについて、大企業と比較しながら整理してみると以下の通りです。
中小企業のイノベーションの特徴
中小企業は、大企業に比べて経営組織がコンパクトであるといった特性があり、そうした特性を反映して、中小企業によるイノベーションには、次の3つの特徴があると思われる。
1.経営者が、方針策定から現場での創意工夫まで、リーダー・シップをとって取り組んでいること。
2.日常生活でひらめいたアイディアの商品化や、現場での創意工夫による生産工程の改善など、継続的な研究開発活動以外の創意工夫等の役割が大きい。
3.ニッチ市場におけるイノベーションの担い手となっていること。
一方、大企業によるイノベーションについては、大規模な研究開発や、その成果が現れるまでに長期間を要する研究開発のプロジェクトに対し、その組織力を活かして多くの研究者や資金を投入し、イノベーションを実現していることが中小企業と比べた特徴と思われ、中小企業は、イノベーションに向けて「経営者による創意工夫」に最も力点を置いており、また、大企業に比べて「経営者のチャレンジ精神」や「経営者の素早い意思決定」が若干上回っており、経営者の資質やリーダーシップを重視する内容となっている。
一方、「研究開発活動」や「マーケティング活動」では、中小企業は大企業を下回り、大企業は、巨額化している研究開発投資や、大規模な営業網を活用したマーケティング活動にも力点を置いているためと考えられる。
従って、中小企業の場合は、オーナー企業がほとんどで、その強みである経営者の意思決定のスピードが速さ、小回りを利かせた早い展開、全員参加等々、スピードの占める割合が大きく、日本での成功事例としてわれわれが普段見聞きしているのは、小林製薬のユニークな製品群とか、電気配線用機器において、松下電器に一歩も引けを取らない、未来工業等が有名なのです。
従って、中小企業では経営者の力量、リーダー・シップの大切さは大企業と比較しても、比較にならない位、大切なものであり、経営者は現役でいる以上、日々、自分自身との格闘を続けざるを得なく、これは猿の群れを見ていても、ボスざるの生きざまと共通するように思えます。
画像は、昨日の入社式の様子で、今年の新入社員はグループで3名で、海外部門1名、国内1名、讃匠1名で、それぞれ緊張感あふれる入社式でした。
役員も全員参加していたのですが、それぞれ、先輩として心構え等を説明し、新入社員たちがスムーズに馴染めるようにしているのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
本日のテーマは「本当の食と人間の身体との関係」です。
最近、お客さまからの要望とか、問合せでときどきあるのが、グルテンフリーまたは、糖質制限についてで、グルテン・アレルギーは今のところ、日本より北米、ヨーロッパで多く、日本は蕎麦アレルギーの方が課題なのです。
グルテン・アレルギーの原因としては、一説によれば、アメリカでの遺伝子組み換え小麦で問題になっているようで、日本の国産小麦では問題が出ていないようです。
また、糖質制限は肥満を気にするお客さま、或いはダイエット食として、最近脚光を浴びているのですが、糖質制限でのダイエットを推進していたリーダー的な方が60歳という若さで急死してしまったので、糖質制限も本当に正しい健康法であるのかが、疑問なのです。
最近、雨後の竹の子のように、さまざまな健康法が喧伝されていますが、その本質を見極め、あまりこのような情報に右往左往しないことが大切です。
このことに関して、幕末から明治にかけて日本が「殖産興業」を目的に、先進技術や学問・制度を輸入するために雇用した、いわゆる「お雇い外国人」の1人だったドイツ人のベルツが著した「ベルツ日記」が有名なのです。
以下は、ネットよりの情報です。
(http://blog.goo.ne.jp/ag…/e/a78f444ea539d44ee6c624d6ea939bcc)
ベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をし、道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたのですが、2度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまい、しかもその間は1人の車夫が交替なしに車を引き続けたのです。
普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのですが、これではまるで逆であり、この体力はいったいどこから来るのだろうと、ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えで、聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食で、もちろん肉など食べず、彼からみれば相当の粗食だったのです。
そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みたのが、「ベルツの実験」であるのです。
22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせたのです。
然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきたので、仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになり、一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができたのです。
and myths
sole immovable night when for to and of he.当時の人力車夫は、1日に50km走るのは普通で、ベルツの思惑は見事に外れ、彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかったのです。
また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしているくらいで、それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったというのです。
西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が、実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙にいとまがなく、例えばフランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に、「彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦も食べるが少量であり、野菜や山菜は豊富で、それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」と書き残しているのです。
以上のように、食については、最近、さまざま新しい情報が氾濫しているのですが、人類の歴史の中で長く食べられている食べ物は、その有効性が充分に確認されているはずなので、われわれはもっと伝統的な食の良さも見直す必要があるのです。
小麦についても、すでに5千年も以上前から栽培され、パンになったり、麺として食べられている歴史があるのです。
未確認の情報に振り回されるのではなく、真実を追求することが大切であり、同時に、われわれは自分の身体を通して、良い食事を取ったときとそうでない時の体調の変化を理解することでも、身体に良い食事かどうかが分かるのです。
私はいつも自分の身体を使って、さまざまな食事の良さを測定していますが、気を付けて食べていると、何が有効で何が有効でないかが、徐々に分かってくるのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「パソコンと、本のスーパー」
次にあげる2つの例は、外部の予期せぬ変化を利用して、イノイベーションの機会とすることに成功した典型的なケースであり、その一つがIBMのパソコン市場への進出に関してで、IBMでは、1970年代に入ってからもしばらく、社内の経営管理者や技術者の間にさまざまな意見の対立が見られたが、唯一、意見が完全に一致していることが一つだけあり、それは、より大きなメモリーと計算能力を持つメイン・フレーム・コンピュータこそ、未来を担うものだということであり、IBMの技術者たちは、それ以外では費用がかかり過ぎ、しかも複雑すぎて能力に限界があると確信していたので、IBMはメインフレーム分野でトップの地位を守ることに、あらゆる資源と努力を集中していたのです。
ところが、1975年か76年頃、驚いたことに、10歳そこそこの子供たちが、コンピュータでゲームをするようになり、ときを同じくして、その父親たちが、最も小型のメインフレームと比べてさえ、はるかに性能の劣るパソコンを使い始め、起こりえないとしていたことが実際に起こり、パソコンはメイン・フレーム・コンピュータに接続した端末機器よりも費用が数倍かかり、能力がはるかに劣っていただけでなく、ほとんど互換性のないさまざまなハードとソフトが作られたため、すべてが混乱状態に陥り、サービスも補修も満足には行なわれていなかったのですが、消費者の方は、一向に困った様子を見せなかったどころか、1979年から84年というわずか5年間で、パソコンの売上は、年間1500億ドルから1600億ドルという、メイン・フレーム・コンピュータが達成するのに30年かかった水準に達したのです。
もちろんIBMとしては、そのような状況を無視してもおかしくなかったのですが、IBMは、メイン・フレーム・コンピュータの市場が70億ドルだったのに対し、パソコン市場が2億ドル以下だった1977年、独自のパソコンを開発すべく、相互に競争し合う2つのプロジェクト・チームを作り、パソコン市場が爆発的に伸び始めた1980年には、独自のパソコンを生産し始め、その3年後の1983年には、早くもメイン・フレーム・コンピュータ市場と同じように、パソコン市場でもトップの地位を占め、同年には、ピーナッツという家庭用パソコンまで発売したのです。
ドラッカーはIBMの人たちと話をするたびに、「パソコンの普及など起こるはずがなく、無意味であると信じていながら、機会になると考えるようになったのはなぜか」と尋ねると、答えはいつも同じで、「起こるはずもない無意味なことと信じていただけに、ショックだった。当たり前のように信じていたことが、すべてゴミ箱行きになってしまった。そこで、外へ出て、起こるはずのないのに起こってしまったものを調べて、利用することにした。」
もう一つの話は、もっと平凡であり、派手な話しではないが、同じように示唆に富んでいて、全国に無料の公立図書館があったせいもあったのですが、アメリカでは、過去、本が良く売れたことは一度もなく、1950年代初めにテレビが登場し、多くの人たち、しかも特に高校生や大学生など読書年代の若者の多くが、ますます多くの時間を、ブラウン管の前で過ごすようになったとき、誰もが書籍の売上の大幅ダウンを当然のこととしたのです。
事実、焦った出版社の多くは、教育産業やコンピュータ・プログラムに多角化して、そのほとんどが失敗したのですが、テレビの登場後、書籍の売上は大幅な伸びを見せ、その伸び率は、所得、読書年代人口、進学率のいずれの伸び率をも数倍上回っていたのですが、なぜそのようなことが起こったかは分からず、それどころか、そのようなことが起こったことさえ気付かず、しかも相変わらず、一般的なアメリカ人家庭にはほとんど本がなく、同様に、1人当たりの書籍購入額が世界一であって、アメリカの2倍に達していた日本でも、同じことが起こっていたのです。
それらの本は、いったい、どこへ行ったのかという問いに答えられないとしても、書籍の売上が伸びているという事実は変わりなく、もちろん出版社や書店は、書籍の売上が伸びていることに気づいていたが、何もしなかったので、この予期せぬ変化をイノベーションの機会として捉えたのが、実はミネアポリスやロサンゼルスの百貨店やスーパーで、彼らは本を扱ったことはなかったが、小売については知っていたので、そこで彼らは、それまでのものとは違う新しい書店チェーンを展開していき、それらの新しい書店は、本のスーパー・マーケットで本を文献としてではなく、大衆消費財として扱い、棚面積当たりの売上が大きなものを中心に扱い、店自体も、それまでの常識だった大学近くの土地の安いところではなく、人通りの多い繁華街に開き、それまでは、書店主と言えば文学好きの人たちであり、店員には本好きが採用されていたのですが、新しい書店チェーンの店長は、化粧品を売っていた様な人たちで、彼らの間では、本の定価以外のところに目を通したがる者は店員として失格だというのが冗談混じりの定説になり、登場して10年後には、それらの書店チェーンは、アメリカ小売業全体の中で、最も急速に成長し、成功していて、あらゆる成長産業の中でも最も成長が早かったのです。
以上のように、イノベーションは技術革新だけではなく、われわれの身の回りで、想像もしていなかったような新しい社会のシステムを出現させ続けているのです。
日本では、私の小さいころはどこの街にも、魚屋、米屋、酒屋、八百屋、豆腐屋等々、単一ビジネスを営む店舗が点在して、それぞれの適正な規模で繁盛していたのですが、そのような店のほとんどは淘汰されてしまい、生き残ることは出来ず、モータリゼーションの始まりと共に、最初にスーパー・マーケットが出現し、ダイエーが話題になり、スーパー・マーケット・チェーンが全国展開を始めたのもこの頃で、その後、コンビニエンスが出現し、日本のコンビニエンスは世界最強と言われるようになったのです。
その後、ファッションの専門チェーン、電機の専門店チェーンが全国展開し、DIY、ドラッグ・ストアとさまざまな大型専門店が、続々と日本列島をカバーし、外部環境の変化に適応した店舗だけが生き残り、適応することが出来なかった店舗は淘汰されている歴史を、戦後70年の間、外部環境の変化に適応し、イノベーションを起こした店舗だけが生き残ることが出来、更に次のイノベーションが起き、エンドレスに変わり続けているので、外部環境の予期せぬ変化を捉え続け、それに対応し続けることは、生き残る上では欠かせないことなのです。
以上は、流通のジャンルですが、飲食のジャンルでも、同じような外部環境の変化が続いていて、最近の日本での傾向としては、飲酒規制の影響により地方では、飲食店におけるアルコール摂取が減少して、ノン・アルコール・ビールの伸びが大きく、洋酒メーカーであるサントリー等でも、販売におけるアルコール比率が大きく落ち込み、アルコールの入っていない飲料の割合が大きくなり、まだ日本では、それほど行き届いていないのですが、欧米では健康志向が高まり、無化調、無添加、グルテン・フリーの麺、パン類が増えていて、外部環境の変化は、外へ出て、少し注意してみれば、幾らでも見えるのです。
あれだけ、パソコンを否定していたIBMの人たちもパソコンの推移を注意深く見ていたので、スムーズに対応が出来、従って、われわれは常にわれわれの業界で起きていること、近い部分、とくに将来大きな影響を及ぼすかも分からない分野については、絶対に目を離してはいけないのです。
当社もグルテン・フリーとか、当社のビジネスに将来影響を及ぼすかも知れない分野には、常に注意を払い、業界の進む方向を見続けていくことが欠かせず、これからは、国内だけではなく、海外の動きも非常に重要になってきます。
画像は、シンガポールのラーメン学校に行く途中に当社に立ち寄り、ラーメンの製麺を練習したシアトルから来たナンシーとのショットで、インストラクターのクオンさん、通訳のハンさんと一緒です。
また、讃匠の総務の大石さんが御主人の転勤で、やむなく讃匠を明日で卒業になるので、記念撮影をしました。
昨日も本社の周りでは、桜がきれいに咲き始めていました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
本日のテーマは「お客さまの要望と当社の対応」です。
今週の土曜日から、シンガポールのラーメン学校のために、スタッフたちとシンガポールに出発しますが、そのラーメン学校に参加するために、昨日シアトルから女性のユーザーさまが突然、来社したのです。
中国系のカナダ人で、実の妹さんが神戸にいて、大学教授をしていて、その妹さんと一緒に当社を訪問したのです。
そのカナダ人のユーザーさまは、昨年のLAでの「One day ramen school」に参加したお客さまで、すでに顔見知りであったのです。
久しぶりにお会いし、いろんなことを話していると、以下のような抱えているさまざまな課題が明確になってきたのです。
このお客さまのご主人は、シアトルですでにレストランビジネスを長年やっていて5店ほど経営し、ご主人はマネッジメントに徹し、今後新しくラーメン店ビジネスの展開を予定しているのですが、3年前まで銀行勤務でレストラン・ビジネスの素人の奥さまの方が製麺とスープ他、厨房全般を担当するようになっているので、その責任の負担が大きく、負担に感じているとのことでした。
最初の計画では、昨日、当社に来社の後、妹さんと一緒に神戸に帰り、シンガポールに出発するまで、妹さんの家で過ごす予定だったのですが、遠路せっかく日本に来たので、当社で製麺とメンテナンスをマスターし、その後、シンガポールのラーメン学校に参加するように勧めたのです。
それには、本人、妹さんも驚き、感激して昨日と本日の2日間を当社で過ごすことにしたのですが、当社で製麺を学ぶだけでなく、当社の様子、社内給食の様子等を体験し、製麺だけの習得だけでなく、さまざまな学びがたくさんあったと喜んで戴けたのです。
そして、負担に感じていた部分の一部が当社で製麺講習をラーメン学校の前に行なうことが出来、気持ちが軽くなったと喜んで戴いたのです。
そして、夕食には骨付き鶏「一鶴」に海外担当の三井が案内し、宿泊は当社の新しい社宅で泊まって戴いたのです。
昨日は、インストラクターの三ツ井とハンが通訳で応対したのですが、本日は自分で麺作りをやってみたいとのことでした。
新規に開業する方はさまざまな課題を抱えていて、当社はそのようなお客さまが抱えている問題点の解決をしたいと思っているのですが、このお客さまのように、そのような問題点をオープンにして戴けない限り、一緒に問題解決をすることが出来ないのです。
当社の製麺機を使って新規に開業して戴ける多くのお客さまは、この様に直接にご要望を聞くことがないので、抱えている問題点を理解しないまま、開店してしまう場合が多いのです。
国内の場合は、当社の経営講義に参加して戴き、問題点を発表して戴ければ、一緒に問題点の解決に取り組むことが出来るのですが、そのようなお客さまの数は非常に少ないのです。
経営講義に参加し、ご自分の問題点を積極的に話したり、或いは事業計画書を自作して来て、確認して欲しいとの要望を持つ生徒さん等も非常に少ないののが現状です。
前々回の本社の経営講義では、そのような熱心な生徒さんが一人参加していたのですが、そのような熱心な生徒さんには、徹底的にお手伝いをしたくなるのです。
日本人のビジネス上の悪い点は、次の3点だと言われていて、①遠慮がち、②結論を出さない、引き延ばす、③殻を破らないなのです。
経営講義中にも、非常に気になるのは、質問をしないことで、分かっているのかと確認すると、分かっていないのに、質問をしないのです。
自分がこれから始めようとしているビジネスを、命懸けで成功させようという意欲が感じられないのです。
最近、特にこの点を強く感じるようになり、意志を持っている生徒さんの数が少なくなってきているように思います。
同時に、急激に新規開業数も減少し、日本全体にビジネス、新規開業への意欲が徐々に薄れているような気がするのです。
或いは、すでに開業していても、熱心に取り組んでいる人たちの数が減少し続けているような気がして心配なのです。
特に、うどん店ビジネスに取り組む人たちの減少が続いているので、本当はうどん店ビジネスが今は一番可能性が高く、熱心に取り組む人が出てくれば、本当は面白いジャンルであると思います。
昨日、来社された中国人のお客さまも中国人の従業員のレベルが非常に低いことを話していたのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「分析と知覚の役割」
本書のテーマであるイノベーションとは、組織的かつ体系的に行なう仕事であるのですが、それは同時に、分析的であるとともに、知覚的な仕事でもあり、もちろんイノベーションを行なうとする者は、見聞きしたものを論理的かつ、詳細に分析する必要があり、知覚するだけでは駄目なのです。
「知覚」が、単に「感じること」を意味するのであれば、イノベーションにおいて、知覚はまったく役に立たず、そのような知覚は、「見えるもの」ではなく、「見たいもの」を見ているに過ぎないのであり、自分の「見たいもの」を見るのではなく、「既に起きている真実」を見なければ(知覚しなければ)いけないのです。
イノベーションは分析的であるとともに、知覚的な仕事であり、実験と評価を伴う緻密な分析といえども、その基礎は、あくまでも変化、機会、現実、現実と認識のギャップなどに対する知覚であり、「分析できるほど、未だ分からない。しかし、必ず見つけ出す。外に出かけ、観察し、質問し、聞いてくる。」と言わなければならないのです。
予期せぬものは、通念や自信を打ち砕いてくれるからこそ、イノベーションの宝庫であり、まさに日本のうどん蕎麦店、ラーメン店ビジネスに起きているのが、予期せぬものであり、数年あとには、あのとき大きな変化があったと言われる可能性があることが今、起きていて、起きていることは感じるのですが、原因は分かっていないのです。
過去、当社はうどん蕎麦店市場と景気の関係を読み解き、うどん蕎麦店の市場規模は、日経平均株価と反比例していて、株価が下がると、うどん蕎麦店市場規模は拡大し、株価が上がると、反対にうどん蕎麦店市場が凹むという現象を見つけ出したのは、過去のデータの分析で分かったので、私は分析の大切さも身をもって理解しています。
「原因はわからなくても良い」
実際のところ、起業家たる者にとって、現実が変化した原因を知る必要はなく、先ほど述べた2つのケース(インドの錠前とアメリカの住宅)の場合は、なぜ起こったかが簡単に分かったのですが、何が起こったかは分かっても、なぜ起こったかは、分からないことの方が多いのですが、例えそうであっても、われわれはイノベーションを成功させることが出来るのは間違いなく、ここに1つの面白い事例があるのです。
1975年に起こったフォードのエドセルの失敗は、余りにも有名であり、少なくともアメリカ人ならば、当時まだ生まれていなかった者でさえ、聞いたことのある話なのですが、エドセルがギャンブルのようなプロジェクトだったという、一般に伝えられている話は、まったくの誤りで、フォードのエドセルほど、慎重に設計し、売り出し、マーケテイングした製品はなかったのです。
第2次大戦後の倒産寸前の状態から、GMの競争相手としてアメリカ市場で2位に座を確保し、急速に成長しつつあるヨーロッパ市場で、1位の座を狙うに至った10年間に及ぶフォードの大戦略において、エドセルは総仕上げとなるべきモデルで、1957年当時、フォードは、アメリカ4大自動車市場のうち、3つの市場でGMの強力な競争相手としての地位を確保していて、「一般」市場にはフォード、「中流の下」市場にはマーキュリー、「上流」市場にはコンチネンタルを擁していて、残る1つの市場、すなわち競争相手のGMがビュイックとオールズ・モビルによって支配していた「中流の上」市場を狙ったのが、エドセルだったのです。
この市場は、とくに第2次大戦後急速に成長している市場でありながら、第3位のクライスラーも手をこまねいている市場であり、フォードにとって、ドアは大きく開かれていて、フォードは企画と設計に時間をかけ、市場調査によって得た情報、特に車体についての消費者の好みを設計に組み込むとともに、品質管理についても最高の基準を設定したのですが、それにもかかわらず、エドセルが失敗だったことは、発売と同時に明らかになったのですが、失敗に対するフォードの対応は目を見張るものだったのです。
消費者の行動の不合理をこぼす代わりに、消費者行動についての、それまでの考え方、長い間有効であったために、自明の理とされていた考え方とは、合致しないことが、何か起こっているに違いないと結論を出し、そして外へ出て調べた結果、1920年代にアルフレッド・P・スローンがGMの成長の基礎とした、アメリカの自動車市場の区分けの仕方、即ち、「一般」「中流の下」「中流の上」「上流」という区分が、まったく新しい市場区分、すなわち、ライフ・スタイルと今日言われているものに変わりつつあること、或いは少なくとも、それと共存するようになっていることを知ったのです。
その結果として考えられたのが、エドセルの失敗のわずか数年後、自動史上、ヘンリー・フォード・シニアによる、1908年のT型フォード以来の大成功となったサンダーバードの開発で、フォードは、GMの関係者としての地位を脱し、強力な競争相手として再登場し、今日でもわれわれは、自動車史上、重要なこの変化の原因を、知ることが出来ないでいるのです。
それは、ベビー・ブームによる人口の重心が10代へ移行したことや、高等教育の恐るべき普及、女性の生き方の変化など、一般に指摘されている現象が、生じる前に起こっていて、しかもわれわれは、そもそも、ライフ・スタイルが何を意味するかさえ、まだ知らず、ライフ・スタイルについて、これまで行われてきた説明はいずれも決定版ではなく、われわれが知っていることは、何かが起こったということだけであるのです。
しかし、成功にせよ、予期せぬことが起こったことを知るだけで、イノベーションの機会とするには十分であり、フォードのエドセルの失敗により、今まで長い間行なわれてきた、市場のセグメント方法そのものが崩れ去っていたのが分かったのです。
予期せぬ失敗は、そのような一番基準となるものが、時代の変化とともに変化していることを見つけ出すのには、最適な方法であり、われわれのビジネスの源泉である、うどん蕎麦市場、ラーメン市場も同じ様な地点に立っていることを認識出来、例えば、うどん蕎麦店、ラーメン店のメイン・ターゲットは今までずっとサラリーマンであると信じられてきていたのですが、サラリーマンの絶対人口が既に大きく減少し、大手外食も同様にサラリーマンをターゲットにしているので、この市場のウマミが急激に減少し、反対に、女性とシニアが消費者市場としても、労働力供給市場としても、大きくクローズアップされるようになってきて、過去の常識が崩れ去ろうとしているのです。
1人世帯の増加、晩婚化、生涯未婚率の急激な増加、生産年齢人口の更なる減少、コンビニによる外食分野への参入等々、日本の外食を取り巻く環境は、日増しに厳しくなっていて、分析だけでなく、われわれは外へ出て、現に起きている現象を理解しなければいけないのですが、経営講義に参加していた生徒さんが早速、セブン・イレブンに行き、下記のような報告をしてくれました。
「早速学んだ事でできる事を始めようと、昨日、セブンイレブンのメニュー、棚割、商品チエックを帰宅途中の店舗で行ってみました。総菜麺など、商品のネーミングまでいろいろ考えてあって、とても参考になりました! たとえば、「ドーンと4枚!チャーシュー麺正油味」とか「ごっつ盛り肉野菜とんこつラーメン」など工夫されているのに驚きました。(今まで、気づいていませんでした)。」
「3.外部の予期せぬ変化」
これまで、予期せぬ成功や失敗は、企業や産業の内部で起こるものとして論じてきましたが、マネッジメントが、今日手にしている外部の事実、すなわち、情報や数字には表れない事象も同じように重要な意味を持ち、それらの事象は、企業や産業内部の事象よりも重要であることが多いのです。
昨日の給食は、月曜日の残りのカレーとフライが何種類かあり、残りはいつもの通りで、いつものようにサラダをたくさん取ったのです。
また、昨日は珍しくうどんもあり、カレーうどんにして食べていたのです
食事は出来る限り一人でしないで、スタッフたちと打合せしながら、食事を取るようにしているのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
本日のテーマは「PCと思考が解決してくれる」です。
今週は金曜日には、全社の営業関係者全員が本社に集合し、本社スタッフの多くも集まり、全社の営業会議である勉強会と来期の方針発表会を行ないます。
私は年4回の営業会議を開催しているのですが、毎回テーマを変え、そのときどきの当社の状態に最も相応しい、スタッフたちに最も理解して欲しい重要なことをテーマにしているのです。
昨年は想定外であった多くの問題が発生し、さまざまな課題が浮き彫りになり、今までは気付かなかった、思ってもいなかったところに当社の大きな問題点があることが分かり、そのお蔭で、明確にすべき価値感がハッキリしたのです。
最近分かったことは、社内で、何か大きな問題点が発生したときには、明確にすべき価値感と順序が違っているので、価値観とその順序を再チェックして、修正しない限り、同じような問題は発生し続けるのです。
要するに、問題を起こしている原点を絶たなければ、幾らでも同じ問題は起こり、問題を起こしている大本を絶つことが、問題解決の一番の近道であり、当社の場合は、価値観の再点検であったのです。
要するに、価値観の一番上に置かねばならないことが違っていたので、昨年は同じような問題点が次つぎと発生したのですが、多分、昨年当社で発生したような価値感のずれにより発生する問題は、当社だけの問題ではなく、多くの日本の会社がほぼ同じような課題を抱えていることと思います。
順調な時は問題なく進んでいるのですが、何かの不都合のことがあるときは、問題点が浮き上がり、大きな障害を引き起こし、結果として大きな損害を引き起こすのです。
当社の場合、今まで正しいと思っていた価値観の順序と内容が間違っていて、このようなことを価値観に設定しなければいけないということを誰も気づいていなかったのですが、昨年社内で発生した課題を洗い出していくと、このような価値感を持たなければいけないということが痛いほど分かったのです。
そのことに気づいたのは、マネッジメントの教科書を読んでいたことと、「イノベーションと起業家精神」の復習を行ない続けていて分かったのです。
だから、このような書籍に巡り合うことがなければ、到底分からず、書籍から得るものも大きく、書籍を読む場合も、書籍で伝えたい本質を理解することが大切なのです。
特に、外国人によって書かれた書籍は、いったん日本語に翻訳されているので、翻訳書を読むと、翻訳者の持っている語彙で表現が限られるので、著者が伝えたかったことと、書かれている内容にずれがある場合があるのです。
上記の「イノベーションと起業家精神」もすでに1年以上、5~6回以上繰り返して復習しているのですが、読み込めば読み込むほど、理解が更に深まり、より深い本質に到達しているのです。
良い本は、繰り返し、繰り返し、何度も読めば読むほど、今まで理解出来ていなかった、深い内容を理解する事が出来るのです。
だから、私は大切な書籍はすべてPCに全文入力し、何度も何度も読み直し、特に大切な部分は、文章の色を変えて、自分での解釈を入れ、自分独自の書籍に作り変えているのです。
本日もずっと会社でいて、あるテーマについて、スタッフたちと打合せをしながら、資料を作りながら議論を加えていくと、今までぼんやりとしか見えていなかったものが、くっきりと見えてきたのです。
くっきりと見えたお蔭で、さらにその奥にあった、本当の問題を引きずり出してしまい、解決がさらに遠のいてしまったのです。
深く追求し、深く思考すればするほど、ある程度の解決に至ったと思っていても、そこは本当の解決ではなく、さらにまだ課題がその奥に横たわっていて、もっと深く思考し、追求しなければいけないことの連続なのです。
そして、過去5年間は、何度も何度もこれを繰り返し、今度こそは解決したと思って取り組んだのですが、ある程度経った時点で振り返ってみると、まだ先があったのです。
しかし、休まずに5年間、これを繰り返してきて、過去の間違っていた解決策は分かっているので、もうそろそろ本当の解決策が見つかるころではないかと思います。
以上は、すべて金曜日の営業会議のための準備であり、資料作成ですが、1人で思考していても出来なかったことが、スタッフたちと一緒にテーマについて打合せしながら、プロジェクターでデータを共有しながら、資料を作成していくと、今まで気付かなかった面白い資料が出来るのです。
私はいつも思考のときにPCを使い、朝の瞑想の場合もあぐらをかいた足のそばにPCを置いていて、面白いアイデアが浮かぶとすぐにPCに入力できるようにしているのです。
思考のツールとしてPCを使うと、思考を深く重ね合わせるときに、PC上でつなぎ合わせることが出来るので、たいへん便利なのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「外へ出て調べる」
しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えているのです。
第2次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。
さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことはすべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが関の山だったのですが、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。
彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。
1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。
1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。
この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。
家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。
この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。
マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。
予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。
私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。
マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。
今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。
儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであり、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることであり、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることであり、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。
「取引先や競争相手の成功と失敗」
もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。
競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。
ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。
昨日の給食は、月曜日だったので私の大好きなカレーの日で、丁度昼に来られたお客さまと一緒に健康で、美味しい食事を取りました。
オーガニックの野菜類、病み付きになる自家製キムチも大好きで、食事の後は讃匠の経営会議で、いつものように、途中で試食をしたのです。
4月1日の全社の営業会議で行なう植樹祭では、私の好きな桜をスタッフたちと一緒に植樹し、画像は、植樹する位置です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
本日のテーマは「期末と新しい目標設定」です。
昨日の日曜日は珍しく、会社のイベントもなく、朝から瞑想、散歩、筋トレを済ませ、自宅に閉じこもり、仕事に取り組んでいると、誰にも邪魔されずに深い思考が出来るので、何もスケジュールの入っていない日曜日は、普段の時間では出来ない、深い思考を要する仕事には最適です。
日曜日は時間的な制約がないので、深い思考しながら、過去のデータを突き合わせたり、気になるところを徹底的に調べたり、さまざまな取り組みを行ない、今期の問題点と来期の計画のチェックを行ない、本日午前中の役員会議と経営会議用の資料を作成したのです。
若いころは、体力勝負で仕事をしていたのですが、この年齢になると体力勝負という訳にもいかず、他のスタッフが思いつかないような、深い思考で勝負しなければ、私の存在価値がないのです。
今期も数日を残すだけになり、今期の決算は見えてきたのですが、振り返ってみると、なぜ、最初からこうしていなかったのだろうかとか、もっと良い方法があったのにとかの反省ばかりです。
その時点、時点では最大の努力をしたつもりではあったのですが、振り返ってみると、まだまだ出来る努力があったことが分かるのです。
併せて、スピードが遅かったことも問題で、その時点、時点で、もっと真剣に問題点を出しきっていれば、もっと速度が上がっていたことが大きな反省材料です。
その時点では、問題点を残さずに潰していたつもりですが、振り返ってみると、まだまだ出来る範囲が残っていたのです。
反省ばかりが多かった今期ですが、その反省の多かった分を2度と同じことをしないように、来期の準備を行なっているのです。
この時期は、期の移り変わりになるので、年末から元旦にかけて新しい年を迎えるような雰囲気で、新しい計画を練りに練っているのです。
以前には、このような計画はほとんど私が作っていたのですが、現在はスタッフたち全員を巻き込んで作っているのです。
私が中心で作っていたころは、スタッフたちにとっては、計画は自分たちで作ったものでないので、計画に対しての責任感が薄かったのですが、最近の計画はすべて、スタッフたちが参加して作っているので、スタッフたちの責任も大きいのです。
担当者の責任感に関しては、役職に関係なく、責任感の強いスタッフとそうでないスタッフの落差があり、全員に重い責任を持って貰えるようにするのも、じれったいくらいの時間経過と社内文化の醸成が必要なのです。
昨年1年間は、あるスタッフに、完全に責任感を理解して貰うために、取り組んだような1年でした。
当社は、元の営業本部から新社屋に移転して丁度5年を経過しましたが、この5年間を振り返ってみると、新しい体制作りのための生みの苦しみを味わった5年間でもあったのです。
過去5年間には、想定外のことがたくさんあり、たいへん鍛えられた5年間でしたが、これからの方向性を明確にするための5年間でもあったのです。
熱心に日々を過ごしていると、上手くいってもいかなくても、社内とスタッフ本人の中に財産が出来ているのです。
だから、われわれの日々の活動は、未来へ引き継ぐ財産作りを行なっていることになり、上手くいくかどうかは別にして、いかに大きな財産を残していくかが問われているのです。
乱気流に揉まれた5年間であり、まったく予定通りにいかなかった5年間ではありますが、目に見えない財産は少し残せたかと思います。
期の終わり、新しい期の始まりは、今やっていることを改めて検証する素晴らしいチャンスでもあり、長期の計画を立てるチャンスでもあるのです。
過去を振り返り、今から始まる未来を見通し、新しい計画を立てるのは経営者としての大きな醍醐味であり、計画の達成が難しければ難しいほど、モチベーションが上がるのです。
簡単に達成できる目標ではなく、スタッフたちがシッカリ鍛えられるような目標設定は、たいへん意味のある目標であり、簡単に到達できる目的地ではなく、到達できるかどうか分からないくらいの、難しい目的地を設定することが大切なのです。
もうすぐ、桜の開花の時期を迎えますが、桜の開花の時期にこのような目標を立て、新しい清々しい期に突入するのは、毎年のことではありますが、ビジネスマン人生の醍醐味なのです。
1年後に、どのような結果になっているか、今からワクワクするのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「予期せぬ失敗」
予期せぬ成功とは異なり、予期せぬ失敗は、取り上げることを拒否されたり、気付かれずにいることはないのですが、それが機会の兆候と受け取られることは殆どないので、現実にビジネスでもっとも多いのは予期せぬ失敗で、件数が多いだけに、単なる失敗とか、警告と受け取らずにイノベーションのための機会と、とらえることにより、新しい可能性が開け、麺専門店開業における失敗も、ほとんどすべてが、本人にとっては予期せぬ失敗で、開業に当たって、本人は当然上手くいくと思って開業しているので、上手くいかないのは、予想外の予期せぬことで、下記のデータのように、うどん、そば、ラーメン店の新規開業者の40%以上が1開店年以内に、70%以上が、開店3年以内に閉店しているのです。(シンクロ・フードの過去に閉店した飲食店の特徴より)
それに比較して、当社の製麺機のユーザーさまと麺学校の卒業生の閉店率は、以下の通りです。
「製麺機のユーザーさま(麺学校に参加していないお客さまの閉店率)」
うどん蕎麦店で、1年未満が6.3%、3年未満が14.4%
ラーメン店では、1年未満は4.6%で、3年未満が12.9%
「うどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校の卒業生で製麺機のユーザー」
うどん蕎麦店で、1年未満が4.9%、3年未満が12.7%
ラーメン店では、1年未満は0%で、3年未満は6.6%
以上より、明確なことは新規開業者の閉店による失敗は、本当は、予期せぬ失敗ではなく、下記にドラッカーが指摘しているように、単に計画や実施の段階における過失、貪欲、愚鈍、雷同、無能などの結果に過ぎないのです。
「失敗が教える機会の存在」
予期せぬ失敗の多くは、単に計画や実施の段階における過失、貪欲、愚鈍、雷同、無能などの結果に過ぎないのですが、慎重に計画し、設計し、実施したものが失敗したときには、その失敗そのものが、変化とともに機会の存在を教えることが多く、製品やサービスの設計、マーケテイングの前提となっていたものが、もはや現実と乖離するに至っているのかもしれないし、顧客の価値観や認識が変わっているのかもしれないのです。
同じように売れ続けていても、同じものを買ってはいるが、違う価値を買っているのかもしれず、かっては1つの市場、1つの最終用途であったものが、まったく異質の2つ、或いはそれ以上の市場や最終用途に分かれてしまったのかもしれなず、そのような事例が、下記の錠前の話です。
「それらの変化はイノベーションの機会である」
ドラッカー自身、高校を出て社会に入った早々、予期せぬ失敗を目にし、見習として働いていた商社は、英国領土インド向けに100年以上も前から金物、とくに錠前を輸出し、毎月、船1隻分の錠前を輸出し、それらの錠前は、ピンで簡単に開けられる安物だったのですが、1920年代当時、インドでは所得が上がってくるにつれて、錠前の売れ行きは伸びるどころか、かなり急激に減り始めたので、ドラッカーの雇用主は、対策を講じたのです。
錠前を頑丈なものに、つまり上等なものに設計し直させ、しかも余計なコストをかけずに品質を向上したが、新しい錠前はまったく売れなかっただけでなく、この錠前の輸出の不振が原因となり、この商社は4年後に倒産し、その商社の10分の1の規模しかない、生き残るだけで精一杯だった弱小の競争相手が、この予期せぬ失敗の中に、大きな変化の兆候があることを知ったのです。
インド人のほとんどを占める田舎に住む農民にとって、錠前は神秘的な存在であり、いかなる泥棒も、錠前を開けようとしなかっただけでなく、鍵がかけられることはなく、たいてい、鍵はどこかに無くされていたので、ドラッカーの雇用主が生産コストを抑えつつ、苦労して作った頑丈な錠前は、鍵なしでは開けられず、農民にとっては便利などころか、不便極まりない代物で、一方で、当時成長しつつあった中流階級は頑丈な錠前を必要とし、そもそも錠前が売れなくなったのは、彼らが安物の錠前を買わなくなったことが原因であり、彼らにとっては、改良後の錠前でさえ十分に頑丈ではなかったのです。
そこでドラッカーの働いていた会社の競争相手は、インド向けの錠前を2種類作り、1つは、価格はそれまでの3分の1、利幅は2倍という押しボタン式の超安物の鍵なし錠前、もう一つの価格は2倍、利幅も大きい3つの鍵を付けた頑丈な錠前で、いずれの売れ行きは好調で、その商社は、2年足らずでヨーロッパ最大のインド向け金物輸出業者になり、そして10年後、第2次世界大戦によってヨーロッパのインド向け輸出が中断されるまで、その地位は続き、これは昔の面白い話の1つに過ぎず、コンピュータ、市場調査、ビジネススクール出身の経営学修士(MBA)の時代である今日では、われわれは少し賢くなっているのです。
新規開業者が失敗する理由の大半が、過去の常識、過去のノウハウ、過去の知識で開店しているのですが、現在は、既に始まっている未来で、過去ではなく、多くの人が現在だと思っている、既に過ぎ去った日本の過去は次の通りです。
1.生産年齢人口の減少に伴う、働き盛りの人口の大幅な減少(売上(市場)縮小、人手不足に拍車)。
2.サラリーマンの小遣いの半減(サラリーマンから、女性とシニアへ)
3.世帯構成の変化で、1人世帯の大幅な増加
4.世界的に草食男子化、肉食女子化で、女性パワー増大
5.機能的ベネフィットから、感情的ベネフィットへ
Cannot tad but discontinue I weeks?
6.インターネットの発達による、パラダイムの変換
(事例:①95点以上の高い商品力、②開店チラシ、開店広告は絶対にやってはいけない、③一番でなければ生き残れない、④小が大に勝つ戦略しか有効でなくなる(●競争変数を増やす、●強烈な個性で勝負する)、⑤競争は絶対にしない、⑥学ぶ人とそうでない人のギャップが非常に大きくなる)
以上のように、われわれを取り巻く環境は、われわれが気付かない間に、大きく変貌し、さらに変化が加速していこうとしているので、われわれは日々、学びの時間を確保しないと成功しない時代に生きているのです。
従って、これからの時代を見据えて言えるのは、一生懸命に努力する1%以下の人たちだけが成功の恩恵に預かれて、その他大勢の人たちは日々、生きていくだけに汗を流し、そんなに楽しくない人生を送らざるを得ないのです。
われわれは、真剣に学びの時代に生きていることを自覚しなければいけないのですが、当社の麺學校に入学する、どちかと言えば比較的意識レベルの高いはずの人たちでさえ、十分にマネッジメントの教科書を読んでいなかったり、理解せずに経営講義に参加する生徒さんが多いのが現状で、当社の麺學校に来ないで開店する、99%の人たちのほとんどは、十分なマネッジメントの学びをなしで、開店しているので、上手くいく方が珍しいので、学びには情熱とエネルギーが必要であるのと、日々継続の忍耐と習慣が必要なのです。
「ビジネスの成功=責任×夢×情熱×意志力×集中力×経験×直観力×忍耐」
そして、技術革新によるイノベーションのほとんどは、予期せぬ失敗を起点とし、エジソンの電灯の発明のための何千回にわたる失敗、ダイソンの掃除機の開発の途上で起きた5千回の失敗もすべて、予期せぬ失敗を繰り返し、克服したので成功したので、予期せぬ失敗をイノベーションに活用している多くの事例は、技術革新の分野に見られるのです。
画像は、昨日の私の散歩の様子で、自宅前にある讃匠の売店の駐車場では、毎年恒例のチューリップがきれいな花を咲かせ、毎朝散歩しているグリーンベルトでも、さまざまな草花が芽を吹き、桜が徐々に咲き始めたのです。
私が毎日歩いているグリーンベルトは、季節の移ろいを移し出し、清々しい朝の空気の中を散歩出来る素晴らしい場所なのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
本日のテーマは「人手不足時代の自家製麺代行業」です。
昨日土曜日は讃匠の創業記念祭で、本社で近隣のお客さまを招いてのイベントを行ないましたが、3月下旬とは言え、まだ寒く、3階の食堂では、手打ちうどん教室を開催し、子ども連れのお客さまが手打ちうどんを親子で楽しんだり、外のテントでは、屋台が出たり、メニューコンテストを行なっていたのです。
大和は昨年の10月で創業40周年を迎え、讃匠は今年で創業32周年を迎えますが、振り返ると夢のような40年と32年で、どちらのビジネスとも決して平たんな道を来たのではなく、振り返ってみると、まさに失敗の連続ですが、よくもここまで来ることが出来たものだと思います。
大和の場合は、製麺機ビジネスで一筋で、15年前から麺学校を開校し、麺に関するビジネスであり、讃匠も半生うどん、生ラーメン、生蕎麦、生うどんと両社とも麺に関するビジネス一筋で来ているのです。
大和の場合は約20年前から飲食店向けの小型製麺機に特化し、讃匠の場合は、麺の小売と卸に特化していますが、両社とも同じようなジャンルでビジネスをやっていて、今までは大和のうどん店のユーザーさまでお土産うどんの販売を讃匠がお手伝いする程度で、相乗効果をなかなか発揮することが出来なかったのです。
ところが、最近、自家製麺代行業を始めたために、大和の製麺機のお客さまに関しても、讃匠の麺ビジネスの相乗効果が発揮されるようになってきたのです。
例えば、顕著な事例では、大和の蕎麦の製麺機を契約した或る道の駅が、最初はスペースの確保とか、人員の確保が出来ていなかったので、数か月間は讃匠から生蕎麦を供給し、蕎麦店としてのオペレーションが馴れた後、製麺機を導入し、自家製麺を始めたのです。
或いは、大和のユーザーさまで、あるラーメン店がイベントの間だけ、麺が大量に必要になり、その間だけ麺の供給を依頼されると、讃匠の製麺機は大和製の製麺機であり、お客さまの麺のレシピは大和が作り上げているので、簡単にお客さまの困っている間だけ、必要な数量の麺の供給が出来るのです。
或いは、大和の製麺機を使っていて、高齢になり、日々の麺作りが体力的にきつくなってきたので、部分的に讃匠で麺作りを手伝うことを始めたのです。
すると、最初はすべての麺を讃匠で作っていたのですが、体調も良くなり、体力的に自信を取り戻して来て、徐々に自家製麺の比率を高め、現在では忙しい日の不足分だけ讃匠から供給しているのです。
この場合も、讃匠の製麺機は大和製であるので、麺質もほぼ同じで、同じような麺が供給できるので、お客さまにとっては安心感があり、体調の悪い時だけ、或いは、忙しく間に合わない時だけ気軽に麺の供給を依頼出来るので、気持ちが非常に楽になり、安心して日々の営業が出来るのです。
今まで、製麺機だけを販売していると、このようなお客さまに対するお手伝いを思いつかないのですが、お客さまも徐々に高齢化し、それでも元気なうちは営業を継続したいとの希望のお客さまは多いので、このようなお手伝いをすれば、お客さまは安心して、いつまででも体力の続く限り、営業が出来るのです。
このような高齢のお客さまだけでなく、若いお客さまでも将来的には自家製麺をしたいが、直ぐに出来ないお客さまが、取り敢えず、自家製麺代行業で麺を購入し、営業に慣れて自信が出来てから、自家製麺に切り替えるお客さまが増えているのです。
素人から麺ビジネスを始めて、まだ麺ビジネスに自信を持てないときは、まず自家製麺代行業で、自家製麺と同じ麺を仕入れ、慣れてから自家製麺に切り替えると、安心して自家製麺に取り組むことが出来、仕入麺から自家製麺に切り替えるときに発生するリスクを抑えることが出来るのです。
或いは、自家製麺と通常の仕入麺との違いを知りたい人は、自家製麺代行業の麺を仕入れて使ってみて比較すると、直ぐにお客さまの反応が現われるので、リスクなく、自家製麺に切り替えることが出来るのです。
自家製麺に切り替えようと思っている多くのお客さまにとって、切替えた時のメリットとデメリットをリスクなく、実感することが出来るのです。
自家製麺に切り替えることによって、さまざまなメリットがあり、その最も大きなメリットは麺質であり、レシピが外に出ず、自分だけの防腐剤を使っていない安全な麺を作ることが出来ることですが、今までは事前に試すことが出来なかったのですが、自家製麺代行業であれば、必要な期間だけ幾らでも実店舗を使って試験を行なうことが出来、お客さまの反応を見ることが出来るのです。
今までのラーメン業界はどちらかといえば、スープのレベルアップには大きなウエイトが置かれていて、麺質には重点が置かれていなかったのですが、これからは、スープだけでなく、麺のウエイトも高まっているのです。
当社は、麺学校もやっているので、麺だけでなく、スープの研究を深く行なっているので、麺とスープのバランスには非常に気を付けているのです。
日本では、総人口がこれからの5年間で、240万人(総人口の2%)減少し、ますます競争が厳しくなり、人手も減少していくので、そのような時代の変化を先取りした戦略は欠かせないのです。
本日も朝のTVの政治情報では、テロの発生したベルギーでは移民政策を取っていたために、イスラム系の国民の比率が人口の23~4%に達し、IS国のメンバーがイスラム系国民の中に潜んでいるので、摘発が難しくなっているのです。
日本は現在のところ、移民政策を取っていないので、この先、人口は減少の一途で、国内のビジネスでは、そのことを想定したビジネス戦略を立てなければいけないのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「機会とは要求である」
all really.
気づかない成功(予期せぬ成功)がもたらすイノベーションの機会を利用するためには、分析が必要であり、予期せぬ成功は、分析のための兆候ですが、何の兆候かと言えば、気付かない成功(予期せぬ成功)が、単にマネッジメントの視野、知識、理解の欠如を意味しているに過ぎない場合もあり、急に売上が上がるのは、大きな市場があることを示している兆候であるのに、それを理解するには、マネッジメントのレベルの高さが必要なのです。
例えば、医薬品メーカーの多くが、動物用医薬品市場での成功を拒否したという事実は、世界の畜産市場の規模と、重要性に対するマネッジメントの認識の欠如、第2次世界大戦後における、動物性蛋白質の需要の伸びに対する読みの甘さ、農民の知識や能力の変化に対する、理解の欠如を意味したに過ぎず、メーシーにおける家電の予期せぬ成功は、ブルーミング・デールが理解したように、消費者の行動、期待、価値観が基本的に変化したことを意味し、第2次世界大戦までは、百貨店の顧客は、特定の社会的経済的階層、特定の「所得階層」の人たちでしたが、戦後は、特定の「生活様式=ライフスタイル」の人たちが百貨店の顧客となり、ブルーミング・デールは、アメリカの百貨店、特に東部の百貨店のなかで、最初にこの変化を認識し、利用し、新しい大店舗小売店を生み出すことに成功したのです。
一般企業や大学の研究室における試験用機器の予期せぬ成功は、100年近くにわたって存在していた科学機器の使用者間における目的、要求、期待の境界線が、急速に消滅したことを意味し、30年或いは40年という長い期間、自らを病院用機器の設計、生産、販売に携わる者と規定し、しかもそのように規定することによって成功を収めてきたものが、今や自らを試験用機器一般のメーカーとして規定し直し、かっての市場より大きい市場を相手として、製品の設計、生産、販売、サービスのための能力を発展させなければならなくなっていたのですが、気付いたときには、市場の大きな部分は永久に失われていたのです。
この様に気づかない成功(予期せぬ成功)は、イノベーションの機会であるだけではなく、それはまさに、イノベーションに対する要求であり、気づかない(予期せぬ成功)は、自らの事業の定義についていかなる変更が必要か、自らの技術と市場の定義について、いかなる変更が必要かを自らに問うことを強いるので、それらの問いに答えたとき、初めて気づかない(予期せぬ成功)が、最もリスクが小さく、しかも最も成果が、大きいイノベーションの機会となるのです。
企業規模が大きくなるにつれて、ビジネスは複雑になり、難しくなってくるので、企業のトップのあり方が問われ、われわれのようなビジネスは、企業のトップの考え方ですべてが決まると言っても言い過ぎでないほど、トップの日々のあり方が問われていて、トップを支える強力なマネッジメント・チームの存在が、その企業の明日を左右し、当社の場合も、強力なマネッジメント・チームの半数は女性たちで、女性たちはたいへんシビアにものごとを判断し、将来の危機の可能性に関して、たいへん敏感で、常にアンテナを高く張っているので、早い時期から、シビアに判断出来る女性たちをマネッジメント・チームに加えることは欠かせないのです。
また、このテーマである気づかない成功、予期せぬ成功、予期せぬ良い兆候には、用心深さが、尋常ではないくらい、用心深くしていても構わず、そんなことはあり得ないだろうと思うことが命取りになるので、トップ・マネッジメントは気付かない成功に関しては、用心深さにおいて、呆れるくらいの用心深さがあっても構わず、当社もこの件に関しては、改めて社内基準(自己批判力)を作らねばと思っている次第です。
「デユポンとIBMの事例」
世界最大級の2つの企業、即ち世界最大の化学品メーカーであるデユポンと、コンピュータ産業の巨人IBMの2社は、予期せぬ成功をイノベーションの機会として利用し、その後の発展の礎とし、デユポンは130年間、自らを火薬メーカーと規定していたのですが、1920年代の初頭、初めて他の分野に進出すべく、組織的な開発研究に取り組むことにし、その1つに、第1次世界大戦中に、ドイツが突破口を開いたポリマーの開発があったのですが、デユポンは何年もの間、一向に成果を上げることが出来なかったのですが、1928年のある週末、研究助手の1人がバーナーの火を消し忘れたところ、翌週月曜日の朝、科学者ウオレス・H・カロザースが、繊維状に凝結したポリマーを見つけた10年後、デユポンはナイロンの製造方法を発表したのです。
この話のポイントは、ドイツの大手化学品メーカーでも、これと同じ出来事がすでに何度も起こっていたということにあり、もちろん彼らもポリマーを求めていたので、彼らはデユポンより10年も早く、ポリマーとともに化学産業界のトップの地位を手にすることが出来たはずでしたが、開発研究を組織的に進めていなかった彼らは、たまたま繊維状に凝結したものを洗い流し、初めから実験をやり直すことを繰り返していたのです。
IBMの例もまた、予期せぬことから何が得られるか教えてくれ、IBMの今日があるのは、まさに予期せぬ成功を、1度ならず2度までも利用したためであり、1930年代の初め、IBMは倒産寸前で、銀行用の事務機の開発に、手持ち資金のすべてをつぎ込んでいたというのに、大恐慌の最中にあった銀行は新しい事務機を買ってくれなかったので、当時、レイオフを行なわないことを、すでに社是としていたIBMは、事務機を倉庫に積み上げるだけのために、次から次へと生産を続け、そのようなどん底にあった頃、ある晩餐会でIBMの創立者トーマス・ワトソン・ジュニアの隣に1人の女性が座り、彼の名前を知ってその女性は、「IBMのワトソンさんですか。どうしてお宅のセールスマンは、私のところに売り込みに来ないのですか。」と聞いたというのです。
彼女がNYの公立図書館の館長であることを知ったのですが、何を求めているのか分からなかったし、そもそも彼は図書館になど行ったことがなかったので、翌日、図書館の開館と同時に彼女を訪問すると、当時、図書館には政府の予算がかなりついていて、2時間後、彼は社員に翌月の給料を払えるだけの注文を貰い、この話が出るたびに、彼は笑いながら、「その時思いつきで、新しい方針を1つ作ってしまった。現金先払いだ。」と言っていたのです。
その15年後、IBMはコンピュータを作り、初期のアメリカのコンピュータがみなそうであったように、IBMのコンピュータも科学計算用であり、そもそもIBMがコンピュータを作った理由のひとつに、ワトソンの天文学好きがあったので、マジソン・アベニューのショー・ウインドウーで公開し、大勢の見物客を集めたときも、月の満ち欠けを計算するようにプログラムしていましたのですが、すぐに、この「科学の偉業」たるコンピュータを、企業が給与計算など世俗的な仕事に使い始めたのです。
当時最も進んだ技術を持ち、しかも企業にうってつけのコンピュータを開発していたユニバックは、その偉業が世俗的な企業によって、いわば汚されることを嫌ったのですが、これに対し、IBMは企業のニーズに驚かされつつも直ちに応じ、競争相手のユニバックが開発した設計を模倣してまで、会計事務に向いていなかったコンピュータを設計し直し、IBMは4年足らずで、コンピュータ市場でトップの地位を得たのですが、技術的にIBMがユニバックに追いついたのは、さらにその10年後で、IBMは顧客たる企業のニーズに応え、プログラマーの訓練を有料で行なうなど、商業ベースで企業のニーズに応じたのです。
以上の事例を見ても、IBMは初期のころから、顧客中心主義の非常にフレキシブルな企業であったことが分かり、お客さまのニーズを満たすために、先手先手とさまざまな対策を立て、実行したので、まさに技術力を持った、マーケテイング先行企業であることが分かるのです。
以上の例と同じく、ナショナルやパナソニックのブランドで知られる、日本最大の家電メーカー、松下電器産業も、予期せぬ成功を積極的に利用して発展し、1950年代の初め頃は、松下と言えどもまだ小さく、そして有名でもなく、東芝や日立などの名門の巨人と比べて見劣りし、松下も当時、他の家電メーカーと同じく、「テレビが日本で普及するには時間がかかる」と見ていたのです。
1954年か55年のことでしたが、日本のある家電メーカーの会長は、NYのある会合で、「日本は貧しく、テレビのような高いものは買えない」と講演していたほどでしたが、松下電機は、農家はテレビを買えないほど、自分たちが貧しいとは思っていないという事実を受け入れ、事実、農家はテレビが、外の世界と接触させてくれることを知ったので、経済的には大変だったのですが、彼らはテレビを買ったのです。
当時、松下より優れたテレビを開発していた東芝や日立は、東京の銀座や大都市の百貨店で売っていて、地方の農民に必要ないと思っていたのですが、これに対し松下は、農家を一軒一軒訪ねてテレビを売り、農家に対し、木綿の作業ズボンやエプロンより高い物を、エプロンの様に売ろうとしたのは、松下が初めてだったのです。
もちろん、売れない製品に対し予期せぬ関心を示してくれる女性が、たまたま晩餐会の隣の席に座ってくれるような僥倖をいつまでも待っているわけにはいかないので、多くの成功した企業とそうでない企業の明暗を分けたのは、以下のことであるのです。
1.顧客中心で、組織的に、体系的に顧客のニーズに、常に焦点を当てている
2.可能性にかけ、不可能と思わないで、チャレンジを続けている
3.むやみに実行するのではなく、必ず組織的で体系的な研究開発が欠かせない
4.IBMの事例も松下電器の事例も、技術的なイノベーションよりも、むしろ販売上でのイノベーションの方が、企業の成果に結びつきやすいことを示していて、IBMは給与計算等、企業のニーズにフォーカスし、プログラマーの訓練を有料で行なうなど、販売上のイノベーションを起こし、松下は価格の高いテレビを都会で売るのではなく、農村へ販売した
われわれは、新しい取組み、即ち、イノベーションを起こしたとしても、いつの間にか、お客さまを含む外部環境が変わり、起こしたはずのイノベーションがいつしか、古くなってしまうので、いつまでも通用する戦略はなく、常に外部の変化に合わせて、イノベーションを起こし続け、戦略を変更し続けなければいけないのです。
テレビのように技術革新の早い世界は、お客さまの変化も非常に激しいので、企業戦略も非常に複雑であり、長い将来を見据えて戦略が重要になることは、昨今の日本のお家芸であったテレビ事業が衰退してしまったのを見ても、分かり、IKEAのような家具の世界で、世界のお客さまのライフ・スタイルをリードする企業になったので、家具の世界では1人勝ちのような状態で、これもIKEAの戦略とコンセプトの良さであり、マネッジメントは何を大切にしなければいけないかを教えてくれている貴重な事例です。
世界の多くライバルがIKEAを真似、挑戦したのですが、挑戦に成功した企業はなく、ブルー・オーシャンで、ライバルが真似できないような規模になれば、最強のポジションを築くことが出来る素晴らしい事例です。
お客さまにフォーカスし、お客さまを研究し、お客さまの変化に注目し、お客さまのニーズに合せ続けることはこれからの企業には欠かせないので、これからは、企業は社内に「お客さま研究室」を持ち、お客さまの研究を深く、体系的に行ない続けることが欠かせず、当社が創業当初より、「麺研究室」を持ったように、企業規模の大小にかかわらず、「お客さま研究室」は、これからの生き残る企業には欠かせず、「お客さま研究室」の初代リーダーは、当然、トップが兼任すべきなのです。
画像は、昨日の讃匠創業祭の様子で、さまざまなイベントの様子です。
イベントでは、私が自分の盛り付けのメニューを披露する場面が少しだけあり、いつもうどん学校で作っているメニューを作ってみました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。