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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「産業構造の変化が起こるとき 変化の兆候」

蕎麦学校の生徒さんの店の蕎麦は、なかなかの出来で、安心しました。

来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「売上の原点」です。

昨日は、朝一番の私のセミナー「究極の売上対策」が始まり、約40年間、麺ビジネスを見てきた私の経験で、麺ビジネスの売上と関連性の深い因子の研究では以下の通りで、これらの因子と売上アップの関係性を説明したのです。

1.食べログ点数
2.原材料比率
3.席数
4.駐車場台数
5.店内の人間関係、コミュニケーションの良さ
6.店主ならびに、従業員のレベル
7.価値感、使命、コンセプト、理念の有無
8.飲食ビジネス=料理×アート×サイエンス×ユーモア×哲学(ポリシー)9.小が大に勝つ戦略

最近の麺ビジネスは、以前の麺ビジネスと比較すると非常に複雑になり、以前であれば、料理が美味しければ繁盛していた時代でしたが、さまざまな要素が複雑に絡み合っているのです。

例えば、昨日、30数年うどん店を経営している参加者の方から、「食べログとは一体何か?」との質問があり、食べログのことを一切知らなかったのです。

念のために、そのお客さまの店の食べログの点数を見ると、点数は良くなく、書き込みの内容も厳しい内容が書かれていたのですが、本人はぜんぜん知らなかったのです。

たまたま通りかかったお客様が、初めの店に入るかどうかは、最近は食べログとかSNSの情報を参考にして、入ってから失敗したということを避けるお客様が増えているので、食べログとかSNSの情報はバカに出来ないのです。

もっと言えば、店主の知らない間に、食べログとかSNSの情報が、その店の味方になって新規のお客さまを増やす応援をしたり、反対に足を引っ張ったりしているのです。

食べログ点数を見ることで、客観的な自店のレベルが分かるので、自店のレベルが市場の中でどの位のレベルでいるのか、簡単に知ることが出来るのです。

食べログのような仕組みのない時は、そのようなことはまったく分からなかったのですが、今は便利な仕組みが出来ていて、常に自分の店の通信簿がオープンになっていて、誰にでも見られるような状態なのです。

これは、店舗を運営している人たちにとっては、自店が丸裸になって、人前に晒されているようなもので、たいへんな時代になったものです。

そして、自分が知らない間に、丸裸にされているので、インターネット時代に生きるということは、隠し事が一切出来ない、すべてオープンな時代に生きることなのです。

だから、成功しようと思えば、実力を上げて、プロ中のプロになる他はなく、以前であれば、上手な広告に引き寄せられてきたお客さまもいたのですが、今は上手な広告の意味がなくなり、既存の広告会社が苦戦し、ネット広告の時代になり、広告よりも実力の方がもっと大切な時代になっているのです。

このような時代の大きな変化を理解していない既存の麺ビジネスをやっている人たちもいる一方で、当社の麺学校とか、セミナーに来て、いろんなことを学び、実行している若い人たちも多く、そのような人たちは、売上にも人手不足にも、ぜんぜん困っていないのです。

昨日はセミナーの後、ラーメン学校の生徒さんで、ラーメン店を立ち上げ、非常に成功している生徒さんの案内で、半年ほど前、新潟市で蕎麦店を起ち上げた、蕎麦学校の生徒さんの店に行ってきました。

郊外にある50席程度の店舗で、外装、内装、商品のどれも見ても、安心感のあるレベルで、蕎麦学校で教えてことの多くを実践していたのです。

商品を幾つかオーダーして、試食をしてみたのですが、それらのレベルは学校で教えているレベルで安定していて、どこを見ても違和感のないレベルに仕上がっていたのです。

試食をしながら幾つか気になった点があったのですが、それでもこのレベルでスタートを切れているので、まずまずのスタートです。

ひとつ気になったのは価格とスイーツ、ドリンクで、女性ターゲットの店なので、もっと価格の高いメニューも必要で、スイーツ、ドリンクの充実も必要であると指摘してきたのです。

後は、一貫性を持ち、商品力とサービス力を上げ続けていけば、繁盛店になるのは間違いないと思われます。

こうして、麺学校を巣立った生徒さんたちが、実際の競争の場で学校で習ったことを実践し、成功していく姿を見るのは、たいへん嬉しいことです。

昨日も訪問した生徒さんのお店で、蕎麦学校で教えた器の使い方、盛り付けの方法等を含め、多くのことが実践されている様子を見て、学校で教えたことを忠実に再現していることに、感激しました。

しかし、少しの部分で気になる部分があったので、帰る前にアドバイスをして、店を後にして、新潟駅、東京駅、品川駅、羽田空港経由で高松空港まで帰り、自宅に夜8時頃到着しました。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「産業構造の変化が起こるとき 変化の兆候」

イノベーションの機会としての産業構造の変化は、次のようなとき、ほぼ確実に起こるのです。

(1)最も信頼出来、最も識別しやすい前兆は、急速な成長

この前兆は前述のすべてのケースに共通して見ることが出来、ある産業が経済成長や人口増加を上回る速さで成長するとき、遅くとも規模が2倍になる前に、構造そのものが劇的に変化し、それまでの仕事の仕方でも、ある程度成功を続けることは出来るので、そのため、誰もそれを変えようとしないのですが、仕事の仕方は確実に陳腐化し始め、シトロエンやAT&Tは、この事実を認めようとしなかったので、新規参入者、外部の者、それまで2流だった者が、まさに彼らの産業において、彼らを破ることが出来たのです。

生産年齢人口が急激に減少していく日本において、急速な成長を遂げている分野は非常に少なくなり、高齢者対象の介護ビジネス等においては、成長が続いていて、私が定点観測しているセブン・イレブンの個食惣菜とか食事の宅配ビジネス等を見ていると、一部では急成長している分野は必ず存在し、急成長している分野は、国内よりもむしろ海外が多く、当社のジャンルでも急成長しているのは国内ではなく、海外で、海外の急速な成長をみると、産業構造の変化に繋がっていることがよく分かりますが、国内ビジネスに比べて、はるかにリスクは大きく、安心領域から大きくはみ出す必要があり、そのような急成長して分野を見つけるための専門のセンサーのような部門が社内には必要なのです。

(2)産業の規模が2倍に成長する頃とときを同じくして、それまでの市場のとらえ方や市場への対応の仕方では、不適切になってくる

それまで、業界トップの地位にあった企業の市場のとらえ方や分類の仕方が、現実を反映せず、歴史を反映しただけのものになってきて、報告や数字は、古くなった市場観に従ったままであり、ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットや、「賢明な投資家」を顧客とする中西部の証券会社が成功した要因もここにあり、彼らは、既存の証券会社には見えなかった市場、従って適切に対応することの出来なかった市場、すなわち既存の証券会社にとって、新しい存在だった年金基金や、ウオール・ストリート的な投資家とは異なる「賢明な投資家」を見つけたのです。

急激な成長のあとではすべてが変化するという典型が病院で、第2次世界大戦後、病院では、医師以外の医療従事者として、X線技師、検査技師、療法士などが急速に増加し、いずれも、第2次世界大戦前にはほとんど存在さえせず、病院経営さえ経営管理者によって行なわれるようになり、こうして管理業務が、病院経営上、大きな問題になり、さらには、病院の従業員、とくに賃金の低い従業員が、労働組合によって組織化されるに伴い、費用のかかる厄介な問題となったのです。

書店チェーンの成功も、急速な成長による構造変化によってもたらされ、出版社や書店は、従来の顧客である「読書家」に加えて、新しいタイプの顧客として、「買物客」が現れたことに気がつかず、昔から書店は、この新しい顧客の顔が見えず、相手のしようとしなかったのです。

急激な成長に出会った企業は、それだけで満足し、安易に利益を得ようとし、AT&Tが長距離電話の増加に対してとった対応がそうだったのですが、そのような対応は、つまるところ、競争相手の登場をもたらすだけであり、急激な成長がもたらすイノベーションの例は、美術の世界にもあり、かって上流階級のものだった美術館に、第2次世界大戦後は中流階級も行くようになり、各地に美術館が作られ、かっては限られた金持ちの趣味だった美術品の収集を、第2次世界大戦後は、大勢に人たち、さほど豊かでない人たちが、行なうようになり、美術館で働くある若者が、この変化をイノベーションの機会として捉え、彼はその機会を予想外の分野、それまで美術とはあまり縁のなかった分野で見つけたのが、損害保険で、彼は美術館や美術収集家を専門とする保険代理店を作り、それまで美術品の保険に乗り気でなった大手の保険会社が、彼の専門能力を信頼し、通常の保険料よりも70%安く保険を引き受け、この代理店は、今日大きな成功を収めているのです。

(3)幾つかの技術が合体したときも、産業構造の急激な変化が起こる

その一つの例が、構内交換機(PBX)、すなわち大口の電話利用者が、社内に設置する交換機であり、基本的にはPBXに関わる技術のすべては、AT&Tの研究機関であるベル研究所によって開発されたのですが、その恩恵を受けたのは、ROLMのような新規参入者であり、新しく生まれたPBXでは、2つの技術、すなわち電話の技術とコンピュータの技術が合体し、それはコンピュータを使う通信機器としても、通信用に使うコンピュータとしても見ることが出来、技術的には、AT&Tこそ、この新製品を扱うことが出来たはずであり、もともと、AT&Tが先駆者だったのですが、AT&Tは、コンピュータ市場や顧客を自分たちには無縁の異質な存在と見ていたので、せっかくPBXの設計と導入を手がけながら、販売に力を入れなかった結果、戦闘機用小型コンピュータのメーカーとして、4人の若手技術者によって創設され、偶然、通信産業に迷い込んできたROLMのようなまったくの新規参入者が、PBX分野でAT&Tの競争相手となり、今日、AT&Tはその技術的な優位にもかかわらず、3分の1のシェアを持つに過ぎないのです。

(4)仕事の仕方が急速にかわるときにも、産業構造の変化が起こっている

30年前アメリカでは、圧倒的に多くの医師が自ら医院を開業していたのですが、1980年には、その割合が60%に落ち、今日では、医師の40%(特に若手の医師の場合には、75%)が、共同経営の医院やヘルス・メンテナンス・オーガニゼーション(HMO)や病院で働いていて、早くも、1970年頃、この傾向に気づいた何人かの人たちが、そこにイノベーションの機会があるはずだと考え、共同で働く医師のための事務所の設計、マネッジメント、さらには経営管理者の訓練を行なう会社が設立され、今日の日本でも、勤務医と開業医の違いは、勤務医の場合、基本的に給与所得者(サラリーマン)であるため、多くの医療機関において定年が存在し、一般的に定年後も医業を継続したいと思う医師がほとんどであるため、特に大学教授等で定年後の再就職先が安定しているような場合を除いて、40~50歳代頃までに個人事業主たる「開業医」へと転向する傾向にあるのです。

近年、新卒医師の傾向において、皮膚科・眼科など主に外来診療を基本業務とし、開業しやすい診療科への希望が多くなり、外科・脳神経外科等の診療科への希望が少なくなってきている傾向にあり、都心・大都市圏においては、開業医が乱立してきており、特に歯科においてはコンビニエンスストアの出店数より多いとされる中で、患者数の確保は厳しい競争となってきています。

以前は地方・過疎地においては比較的開業医の数は少ないとされていましたが、それでも新規開業の際には各地域の医師会(主な構成員は各地域の開業医)が懸念してくる場合も少なくはなく、また、給与所得者である勤務医は仕事量に関わらず収入はほぼ固定であるが、個人事業主たる開業医は診療実績がそのまま収益となるため「利益追求型の診療」と取られ得るような診療が行われている場合もあり、危惧されていて、近年、医療技術の進歩に伴い、各種医療機器無しには標準的な診療が困難でもあるため、高額な設備投資が要求されてくるので、個人開業は難しくなっているのです。

昨日の午前中は新潟のセミナー、昼過ぎには蕎麦学校の生徒さんの店、その後、新幹線、飛行機を乗り継いで帰宅したのです。

蕎麦学校の生徒さんの店の蕎麦は、なかなかの出来で、安心しました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「イノベーションの機会、外部の者にとってのチャンス」

昨日は新潟のイベントに参加後、最近人気のあるカフェに行ってきました。野菜サラダとパンケーキの店で、女性だけで運営し、シンプルですが、楽しいカフェでした。

来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「グローバルへ」です。

昨日は、朝一番でホテルをスタッフたちと一緒に出て、私は品川駅経由で東京駅から新潟に向かい、新潟駅には11時に到着しましたが、新潟は東京よりは温度が少し低く、東京では桜がほぼ終わりでしたが、新潟では丁度満開の時期でした。

12時から私のセミナーが進まり、最初のセミナーと2回目のセミナーの間で2人の個別相談があり、最初の方は蕎麦店の新規開業者であり、2人目は3年前のラーメン学校の卒業生の相談でした。

田舎で24席のラーメン店を経営していて、月商400万円ほど売り上げているので、まずまずの成績ですが、もしこの2倍の席数であれば、優に1000万円に到達し、はるかに大きな利益を確保することが出来ているのです。

再度、ラーメン学校に参加したいとの希望であったので、近々での可能な5月の本社でのラーメン学校が1席だけ空いていたので、参加を勧めたのです。

この生徒さんも最初のラーメン学校が非常に良かったので、再度の参加を検討していたところだったのです。

例えば、あるラーメン店の店主がラーメン学校に参加する前は月商300万円だったとして、ラーメン学校に参加して月商400万円になったとすると、月商で100万円のプラスで、月間利益は最低50万円以上はプラスになります。

年間利益は600万円以上のプラスになるので、学校の授業料等は非常に安いものなのです。

当社は各地で今回の新潟のようなイベントを開催していますが、参加者の中から私の話に触発されて麺学校に参加する方が毎回1~2名いて、この人たちのほとんどは、参加後に大きな成果を上げているのです。

参加後の大きな変化、大きな成果を考えると、私の話に触発されて麺学校に参加する人たちは、人生を変えるきっかけを発見したのです。

昨日の最初のセミナーは、商圏分析、食べログ点数との関係性と事業計画書の作り方を活用した、売上アップのテクニックであり、2つのセミナーは、人手不足対策のセミナーで、それぞれ、参加者の中から困った問題を抱えている人たちから熱心な質問があったのです。

特に、食べログ点数と客席回転率の間には緊密な関係性があり、同じような商圏では、食べログの点数の高いほど、客先回転率は高くなり、1月18日のフェイスブックに記述したように、食べログ点数は3.71の場合、1日の客席回転率は13~14回転で、食べログ点数は3.5では、客席回転率は10~11回転で、食べログ点数3.08では、客席回転率は4回転でした。

そして、食べログ点数が4点を超えると、どこで出店しても行列になるのは、点数が高まるに従い、商圏が広がり、点数が4点を超えると商圏が非常に広域になるので、多くのお客さまを遠方から集めることが出来るようになるからなのです。

従って、食べログ点数を上げれば上げるほど、多くのお客さまに認知され、多くのお客さまを集めることが出来るようになるので、自店の成果を上げ、売上を上げ、利益を上げようとすると、食べログ点数を上げること、即ち、商品力を徹底的に高めることに集中した方が、麺ビジネスの成功の近道なのです。

ところが、多くの麺ビジネス経営者は、広告宣伝とか、本質以外の部分が気になる経営者が多く、麺ビジネスの本質である商品力に集中出来る経営者は多くないのです。

私は麺ビジネスの成功には、食べログ3.5以上が必要であると常々言っているのですが、食べログ3.5以上は全体の約1割程度でしかないのです。

インターネットが発達した現在において、上位10%以内に入ること、或いは、95点以上のプロ中のプロのレベルに達することが、ビジネスで成功する条件であると思います。

私が創業した40年前は、素人でもビジネスになっていた時代ですが、インターネットの急速な発達により、競争条件が変わってしまい、特に日本全体が世界から取り残されようとしているのです。

一昨日も東京支店での経営講義で、大卒の初任給が25年前とほぼ同じであるのですが、世界の国々では大卒の初任給は何十倍、何倍にもなっているのです。

本日のニュースでアメリカでの最低賃金が15ドルになり、日本だけが人手不足であるにも関わらず、賃金が上がらないとのことでした。

賃金を上げるには、ビジネス自体の成果を上げ続ける他はなく、スイスは現在国民1人当たりのGDPでは世界4位で、日本の約2倍であるのですが、スイスの人口は800万人しかいないので、スイスの企業のほとんどは、中小を問わず、グローバルで競争している企業なのです。

日本も同様に、これからはグローバルで競争する企業が増えて来ないと、日本の国自体が豊かにならないので、もっとわれわれはグローバル競争に打って出ることが欠かせないのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

イノベーションの機会

外部の者にとってのチャンス

産業構造の変化は、その産業の外にいる者に対し、例外的とも言うべき機会を与えるのですが、ところが産業の内にいる者にとっては、その同じ変化が脅威に見えるので、イノベーションを行なう外部の者は、さしたるリスクを冒すことなく、急速に大きな勢力を得ることが出来、以下のような、幾つかの例があります。

1950年代、ウオール・ストリートの証券会社で働いていた3人の若者が知り合い、彼らは、大恐慌以来20年間無風状態だった証券業界が、大きな変化の時代に入ろうとしていること、またその変化が、資金もコネもない者に対し機会を、提供しているということで考えが一致したので、彼らは、ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットという証券会社を設立し、その5年後の1959年、同社はウオール・ストリートで主要な地位を占めるまでに成長したのです。

彼らは、証券業界にとっての新しい顧客、すなわち年金基金の運用責任者という新しいタイプの顧客が、急速に大きな存在になっていることを知り、しかもその新しい顧客は、さして難しいことを求めているわけではなく、単に新しいことを1つ求めているだけで、既存の証券会社は、それらのサービスを提供していなかったので、ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットは新しく登場してきた新しい顧客に的を絞り、「調査サービス」を行なう証券会社になったのです。

同じころ、証券業界にいたもう一人の若者が、証券業界に構造変化が起ころうとしており、その変化が新しい証券会社をつくる機会になり得ることを理解し、この若者が発見したイノベーションの機会は「賢明な投資家」で、彼はその機会をとらえて大きな事業、しかも今日さらに成長しつつある事業を築いたのです。

医療の世界でも、1960年代の初めか半ば頃に構造変化が起こり始め、中西部のある大病院の管理部門で働いていた3人の若者、しかも全員20代の若者たちが、この構造変化がイノベーションの機会を提供していると判断し、彼らは、病院の厨房、洗濯、建物管理などの庶務的な仕事には、専門能力が必要になるということで意見が一致し、そこで、彼らはそれらの仕事を組織的に行なう会社を作り、各地の病院に対し、自社の訓練した要員を派遣し、その費用はコストの削減額の一部で賄うという契約を示し、20年後の今日、この企業は10億ドル規模に発展しているのです。

最後の例が、MCIやスプリント(スプリントは、私鉄のサザン・パシフィックが設立)を初めとする長距離通話割引会社で、いずれも通信産業以外から参入した企業で、それらの企業はAT&Tの長距離通話の料金体系にほころび(矛盾)を見つけたのです。

長距離通話は、第2次世界大戦までは、政府機関や大企業のもの、或いは家族の死亡など緊急連絡用のものだったのですが、第2次世界大戦後、日常のものとなり、成長分野になったのですが、AT&Tは、料金決定の権限を持つ州当局からの圧力もあって、長距離通話を贅沢品として位置付け、コストを大幅に上回る料金を取り、その利益を近距離通話の補助に回し、AT&Tはこの不合理に対する緩和策として、長距離通話の大口利用者に対してだけ、大幅な割引を行なったのです。

1970年頃、長距離通話からの収入が、近距離通話の収入と肩を並べ、追い越しそうになってきたのですが、料金体系は据え置いたままだったので、新規参入者はこの状況を機会としてとらえ、彼らは大口利用したとして、割引を受け、それを分割して再販し、割引分は利用者との山分けで、彼らは大きな利益を上げ、利用者も長距離通話料金を大幅に節約することが出来、10年後の1980年初めには、割引会社の扱う長距離通話は、彼らが登場した頃、AT&Tが扱っていた長距離通話を上回るに至ったのです。

ここに挙げた例には、1つだけ共通することがあり、それは、イノベーションを行なったものが、もともと機会の存在を知っていたことで、しかも彼らは、最小のリスクのもとに成功することを確信していたのです。

日本にも、同じような事例は無数になり、以上の事例から学べることはたくさんあり、日本の事例では、戦後の1946年(昭和21年創業)で、オートバイ事業から出発したホンダ技研は、創業17年後の1963年(昭和38年、東京オリンピックの前年)には、四輪車業界に参入し、この頃の日本は高度成長期に突入した頃であり、オートバイから始まったモータリゼーションの波は、欧米のように、すぐに四輪車の時代になることは、この頃の人たちの誰もが予見することが出来たのですが、この頃の2輪車メーカーのうち、果敢に4輪車ビジネスに参入したのは、ホンダとスズキだけであったのですが、結果として、両社とも大成功し、もし、両社とも4輪車ビジネスに参入していなかったら、現在の企業規模の何分の1でしかなく、企業としての体力も十分でなかった頃であったのですが、自動車ビジネスの到来を予見し、新市場に積極果敢に進出し、結果として大成功したのです。

ホンダは、国内での自動車メーカーとしての地歩を固めながら、同時に世界一の2輪車メーカーとして、世界各地に製造工場を作り始め、アメリカにおいても、設備投資の軽い2輪車工場を先に作り、その後、1982年(昭和57年)には、オハイオ州メアリーズビル(コロンバス郊外)にて、日本の自動車メーカー初となるアメリカ合衆国での四輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な日本国外への展開を、時代に先駆けて行ったのです。

2輪車のジャンルで世界一であったにせよ、業界最後発で、自動車に進出し、日本では業界2位のシェアを占めるようになっている現実を見ると、必要な時期に、伸びている市場(構造変化が起きている市場)に進出することの大切さを読み取ることが出来、本田技研の場合、4輪車に進出した時は最小のリスクではなかったかも知れませんが、4輪車工場を海外展開した時は2輪車工場を最初に作り、現地でのさまざまな経験を積んでから4輪車工場を作ったので、他の4輪車メーカーより、はるかに小さいリスクで海外進出が出来たのです。

他に、産業構造の大きな変化を予見して、過去成功したビジネスに、冷凍食品ビジネスがあり、家庭の主婦が外へ働きに出るようになり、料理を作る時間を省くためのさまざまな商品が出始め、デパ地下の惣菜、スーパーの惣菜コーナー、持ち帰りすし、弁当、そして冷凍食品ビジネスが大きく伸び、同時に、外食ビジネスも大きく伸び、最初はファミレスから始まり、次に専門店が強くなり、うどん蕎麦店、ラーメン店の順で伸び続けてきました。

最近までは、日本の外食はサラリーマンを対象にしていたビジネスが成功していたのですが、生産年齢人口の減少と共に、これからの日本は、女性とシニアの時代になり、更にビジネスの内容も大きく変貌を遂げていこうとしていて、常に、外部環境は10年単位で大きく変わり続けています。

しかし、さまざまな構造変化をシッカリ凝視していると、どのように変わっていくのかは、予見することが出来なくはなく、その予見により、自社の資源を有効活用出来る、可能性の高いビジネスの仮説を立てることは難しくはないので、いよいよ、われわれの出番なのです。

昨日は新潟のイベントに参加し、セミナーと個別相談があり、夕方には最近人気のあるカフェに行ってきました。

野菜サラダとパンケーキの店で、女性だけで運営し、シンプルですが、楽しいカフェでした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「第2の波、ニッチ市場での成功」

東京支店の経営講義2日目では、生徒さんたちから多くの質問があり、たいへん盛り上がりました。

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来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
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本日のテーマは「人間の本質」です。

昨日の東京支店での経営講義2日目は、すでに開業している生徒さん、海外から来ている熱心な生徒さんが何人かいたので、私のポテンシャルを引き出してくれた、たいへん思い出深い経営講義になりました。

生徒さんから出る質問のお蔭で、私の頭の片隅にあった概念、データ、経験を基にして、生徒さんの条件にベストマッチした、新しい概念、ソリューションを生みだすことが出来るのです。

それは、生徒さんの抱えている問題のソリューションであり、人生にとってもたいへん役立つ考えであったりするのですが、同時に私にとっても新しい概念を構築することが出来、周りにいる生徒さんたちへの新しい示唆になるのです。

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今回の麺学校に参加している生徒さんの中には、人前で話すことが苦手な人がいたり、対人関係が苦手な人も何人もいました。

私自身も過去、人前で話すことはたいへん苦手であったし、対人関係の決して得意な方ではないのですが、人前で話すことも、やらざるを得なくなり、苦手意識もいつしかなくなっていたのです。

私は、過去の自分自身の体験から、人前で話すことが苦手というような、苦手意識は簡単に消え去ることが可能であることを理解しています。

私が人前で話すことの苦手意識を払しょく出来たのは、イスラエルのゴールドラット博士とか、ジェイエブラハム、ジェームス・スキナー等の外国人のセミナーに参加してからで、彼らのセミナーに触れてみると、身体全体でセミナーを行ない、セミナー中は動き回り、決して日本人のセミナーのように座って話したり、一ヵ所に立てって静かに話すようなことはないのです。

人前で話す場合は、深呼吸して、大きな声で話すことが必要で、自分自身の話し易い状態を作り出すことが大切で、私の場合も一ヵ所でおとなしく話すのではなく、動き回る方が話し易いのです。

以前の私は人前で話すことに対して非常に苦手意識を持っていたのですが、今ではそのような苦手意識もなくなってしまい、毎月2回の経営講義は私にとって、至高の時間とさえなっているのです。

もし、毎月2回の経営講義が楽しい時間ではなく、苦手な時間であれば、私は毎月2日間も経営講義を継続して行ない続けることは絶対に出来ないのです。

毎月2回の経営講義を続けているお蔭で、私自身のマネッジメント・レベルを高め続けていくことが出来、麺ビジネス、サービス・ビジネス自体への理解も深まり続けているのです。

自分自身でも理由が分からないくらい、私は経営講義にのめり込み、毎月2回の経営講義が私の生きがいの1つになっているのが、不思議なくらいです。

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私の持っている力を最大限に引きだし、生徒さんの質問に回答していくのは、自分自身へのチャレンジであり、昔の侍の真剣勝負の試合のような気持で毎回臨んでいるのです。

同じように、私は料理の盛り付けにも非常に興味を持ち、盛り付けの研究もずっと行ない、麺学校の実習の最終日の生徒さんの盛り付けのチェックも、私にとっては、真剣勝負の舞台であるのです。

麺学校のことだけではなく、私はもともとエンジニアであったので、製麺機のメカニズムに対してもたいへん興味を持ち、新しいメカニズムへの取組み等は私にとって、至高の時間でもあるのです。

当然、会社の経営についても同様で、マネッジメント、マーケテイング、イノベーション、生産性向上、社内のあらゆる経営上の問題等にもたいへん関心を持っているのです。

もし、創業のころから、私自身が現在の私のような素養を持っていたら、もっとスムーズに会社が成長していたことと思いますが、このような素養に対する興味も年齢を経るごとに強くなっているのです。

普通の人たちの人生においては、私の年齢はそろそろリタイヤーする年齢であるかも知れないのですが、私の人生は今始まりのような人生であるのです。

若いころ出来ていなかった分だけ、今からが勝負であり、今からが私の本当の人生の始まりであるのです。

ウルグアイ元大統領のホセ・ムヒカ氏(80歳)が現在来日し、素晴らしいメッセージで、多くの日本人に感動を与えていますが、ムヒカ氏の言動は、自身の苦しい体験を通じて得られた、人間の深い洞察に基づいた言葉で、われわれが真剣に考えなければいけないことばかりで、昔の侍のような一貫性のある生き方を貫き通している人物が、日本の反対側の地球上に住んでいることじたいに、驚かされるのです。

ノーベル平和賞候補にもなったスピーチは絵本になり、ムヒカ氏は今回、出版社の招きで来日し、池上彰氏と公開対談の場で、日本とウルグアイの人たちに独自に行ったアンケートの結果を発表しましたのです。

それによると「今一番欲しいものは?」という問いに、ウルグアイ人は「治安のよさ」16.2%、2位が「健康」13.7%、3位「時間」次いで「お金」「子ども・孫の幸せ」「家」と回答し、一方、日本人は1位が「お金」17.3%、2位が「時間」16.7%、3位「特にない」「健康(若さ)」「車」と答えました。

日本人が「時間が欲しい」と欲していることについて、池上氏が意見を促すと、ムヒカ氏は「問題は、何のために時間を使うのかということです。子どもと過ごす時間? 家族、友人と過ごす時間? 自分の人生を生きる時間? russian pharmacy online もしも、もっと働いてお金を稼ぐための時間が欲しいなら、消費社会に支配されています」と答えたのです。

われわれは、人間としての原点の生き方を考え直す必要のある時期に来ているのであり、同時に、ビジネスの本質についても考え直す時期であるのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「第2の波」

再び、1960年代から80年代にかけて、世界の自動車市場の構造が大きく変化し、第1次世界大戦後の40年間というものは、世界の自動車市場は国別に分かれ、それぞれの国のメーカーが、自国市場をほぼ独占していて(国内市場中心の時代)、イタリアの道路や駐車場ではフィアットが大勢を占め、若干のアルファロメオとランチアが見られ、同様に、フランスで見られたのはルノー、プジョー、シトロエン、ドイツではメルセデス、オペル、ドイツ・フォード、アメリカではGM、フォード、クライスラーだったのです。

ところが1960年頃、自動車産業がグローバル産業になり始め、ここでも、各メーカーの対応はまちまちで、それまでほとんど輸出をせず、国内市場に専念していた日本のメーカーが輸出に取り組み、1960年代末に一度失敗したが体制を立て直し、戦略を練り直し、アメリカ車並みのスタイル、内装、性能でありながら、小型、低燃費、高品質のものを生産し、優れたアフターサービスを行ない、彼らは1979年の石油ショックという2度目の機会をとらえ、大きな成功を収めたのです。

フォードは、「ヨーロッパ戦略」によってグローバル化し、10年後の1970年代の半ばには、ヨーロッパ市場で1位の座を奪うまでになり、フィアットもまた、単なるイタリア企業からヨーロッパ企業へと脱皮し、イタリア市場第1位の座を確保しつつ、ほかのあらゆるヨーロッパ諸国で2位の座を狙ったのですが、GMは当初、あくまでもアメリカ企業としてとどまり、アメリカ市場で50%のシェアを占め、アメリカとカナダの自動車産業の総利益の70%を確保しようとして成功し、10年後の1970年代の半ばには、海外戦略を変更し、ヨーロッパでフォードやフィアットに挑むことを決意し、そこでも成功し、さらにその10年後の1983年から84年にかけて、ついに真のグローバル企業となることを決定し、何社かの日本車メーカー、初めに比較的小さな2社(スズキ、いすゞ)、そしてついにはトヨタと提携したのです。

ドイツのメルセデスも世界戦略を変え、高級車、タクシー、バスに特化しつつも、やはりグローバル企業となる事を決意し、これらの戦略は、いずれもかなりの成功を収め、これらのうち、いずれが最も成功したかを判定することは難しいのですが、困難な選択を行なうことを拒否し、或いは何かが起こっていることを認めることさえ拒否した幾つかのメーカーは、高い代償を払わされ、生き残れたのは、単に政府が倒産を許さなかったからで、その最も顕著な例がクライスラーで、クライスラーの人たちも、何が起こっているかを知っていて、自動車産業の人たちはみな知っていたのですが、クライスラーは、戦略を立てる代わりに一時しのぎの対策に走り、「アメリカ」戦略を取ることによって、世界最大の市場たるアメリカ市場に全資源を投入することも出来たのです。

あるいは、ヨーロッパの自動車メーカーと提携し、欧米という2つの大市場において、3位の座を確立することも出来たのですが、当時はメルセデスが、クライスラーとの提携に関心を持っていたのに、クライスラーは関心を示さなかっただけでなく、代わりに、その資源を小刻みに浪費し、多国籍軍(グローバル企業)に見せかけるために、業績の悪いヨーロッパの企業を買収し、その結果、何も得ることなく失敗し、アメリカ市場で機会をつかむうえで必要な資金まで失い、1979年の石油ショックとともに審判の日がやってきたとき、クライスラーはヨーロッパ市場に何も持たず、アメリカでもほとんど何も持たない状態で、周知のように、クライスラーを助けたのは、アメリカ政府だったのです。

かってイギリス最大の自動車メーカーであり、ヨーロッパ大陸の覇権を争ったことさえあるブリテイッシュ・レイランドにも、同じようなことが起こり、フランスの大手メーカー、プジョーにも起こり、両社はともに、意思決定が必要であるという事実を受け入れることを拒否し、その結果、急速に市場を失い、利益を失い、今日では、クライスラーはフィアットの傘下に、ブリテイッシュ・レイランドは倒産し、市場から消え去り、傘下の多くのブランドのうち、Jaguar、Daimler、Lanchester、Rover、Land Roverはタタ・モーターズが買収し、MG、Austin、Morris、Wolseley、Vanden Plas(北米市場以外)は南京汽車が買収し、MINI(Mini)、Riley、TriumphはBMWが買収し、プジョーは限界的な企業になっているのです。

「ニッチ市場での成功」

しかし、ここで最も重要かつ興味があるのは、これらの企業よりはるかに小さな企業の例であり、当時は、大手も中小もすべて、変化に対応しない自動車メーカーは斜陽の運命にあったのですが、ボルボ、BMW、ポルシェという3つの小さな企業が、この自動車市場の変化をイノベーションの機会として捉え、世界の自動車市場が急激に変化しつつあった1960年頃、これら3社は、来るべき生存競争のなかで完全に姿を消すものと見られていたのですが、3社はいずれも危機をしのぎ、今日では、自ら創造したニッチ市場においてトップの座を占めているのです。

これが可能だったのは、自らの事業そのものを大きく変えたイノベーションのお蔭で、1965年当時、ボルボは赤字すれすれの小企業であり、危機的な状況のもとで、かなりの赤字を出していたので、そこで、ボルボは再生をはかり、「センスのある車」、安くはないが高くもなく、流行を追わない代わりに、しっかりした作りの車として、世界中とくにアメリカで攻撃的なマーケテイングを行ない、自らの成功を車によって誇示する必要はないが、その判断力についての評判は気にするという人たち、とくに自由業の人たちの車としてマーケテイングしたのです。

同じく1960年代には、ボルボと同じように弱体の自動車メーカーだったBMWが、イタリアやフランスで成功し、仕事でかなりの成功を収めているものの、まだ若いと思われたい「これからの人たち」、違いが分かると思われるためには、喜んで金を払う人たち、金持ちではあるが、自由人だと思われたい人達のための車としてマーケテイングし、キャデラックやメルセデスが、元首や社長のための車だったのに対し、BMWは、タフガイのための「究極のマシーン」とされたのです。

その最後が、(フォルクス・ワーゲンに毛の生えたような)ポルシェで、ポルシェは、自動車を単なる輸送手段ではなく、心躍るものとする人たちのための、唯一の車、唯一の「スポーツカー」のメーカーとして位置付けたのです。

しかし、これら3社のようなイノベーションを行なわず、自らの新しい位置付けを世に示すことが出来ず、旧態依然たるままだった中小の自動車メーカーはすべて、市場構造変化の犠牲となり、イギリスのMGは、50年前には最高の「スポーツカー」として、今日のポルシェと同じ地位にあったのですが、今では消え去ったと同然で、60年前、シトロエンは技術のしっかりした頑丈な作りで、中流階級からの信頼の厚い車であり、ボルボが今日奪い取った市場こそ、シトロエンの市場だったのですが、シトロエンは、自らの事業について、分析しなかっただけでなく、イノベーションも行なわなかったので、その結果、戦略もなければ、売るべき車もない状況に追い込まれ、プジョーの傘下になったのです。

自動車産業の歴史を振り返ると、われわれのビジネスの先を行き、先生のような立場にあることがよく分かり、第1の波でそれぞれの使命を明確にし、第2の波で自国内に閉じこもることを諦め、リスクを取って、グローバル化を図り、チャレンジをした会社だけが生き残ることを許され、もう一度、世界の自動車生産台数のランキングを見ると、以上の歴史からは、想像できないようなことが、実際には起きていて、世界上位10社中、日本の会社が4社も入っていて、私が30年前に韓国に行き始めた頃には、ブリキ細工のような自動車と思っていた、現代自動車が5位に入っているのです。

1位(1)トヨタ 998万台 (2%)
2位(3)VW 973万台 (5%)
3位(2)GM 971万台 (4%)
4位(4)日産・ルノー 826万台 (2%)
5位(5)ヒュンダイ 756万台 (6%)
6位(6)フォード 633万台 (12%)
7位(-)FCA 435万台 (3%)
8位(7)ホンダ 428万台 (12%)
9位(8)PSA 282万台 (▲5%)
10位(9)スズキ 269万台 (2%)

上記のランキングを見ると、成功するビジネスはリスクを取り、果敢にチャレンジする企業しか、生き残れないことがよく分かり、私が自動車会社の中で注目しているのは、VWとBMWで、危機を何度も乗り越え、強い個性を貫き、マネッジメントにおいても、非常にしたたかなのですが、最近の排ガス規制の偽装問題で、信頼を大きく失っていますが、VWはトヨタと世界一を争うほど、大規模になっているのに、強烈な個性を放ち続けていて、傘下にベントレー、アウデイ、ポルシェ等、有力なブランドを持ち、マネッジメント・レベルでも突出しているのです。

BMWも、ホンダのようにオートバイも持っているのですが、オートバイは、大型だけで、特徴のあるメカニズムで根強いファンを世界中に持っており、自動車のジャンルでも、量産よりも強い個性で勝負していて、日本のメーカーの中でも、最近は、強い個性で勝負しているのがスバルであり、次にマツダで、弱小メーカーではあるのですが、存在感は徐々に大きくなってきているので、これからの時代は、規模の大小よりも、圧倒的な存在感、したたかなマネッジメントが大切な時代になっていくものと思います。

昨日は東京支店の経営講義2日目で、生徒さんたちから多くの質問があり、たいへん盛り上がった1日で、価値観の順序、コンセプトの作り方では、事例を交えての説明をしました。

昼食はいつものように、スタッフたちの手料理で私のために、野菜が一杯で、昼食後は、品川駅まで散歩をすると、途中でフリーマーケットがあり、桜も散り始めていましたが、最後の花見の日曜日でした。

昨日もうどん学校の生徒さんたちが、元気に巣立っていきました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「産業構造の変化を知る 第四の機会、産業の不安定性、知識の入手可能性、使い方との一致」

一昨日の盛り付けと昨日の経営講義の様子、そしてさらにスタッフたち、授業の後、相談の生徒さんを交えての楽しい夕食でした。

本日のテーマは「気持ちの持ち方(マインドセット)」です。

本日10日(日)から12日(火)までの3日間、新潟の新潟卸センターで、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2994

昨日の東京支店は、朝からいつものようにロッキーのテーマソングで経営講義が始まり、うどん学校、ラーメン学校の生徒さんたちとの、楽しい真剣勝負の1日でした。

生徒さんたちは、今までの人生の中で得たもの、持っているもののすべてを総動員して、私に質問を投げかけ、私は過去の人生において学んできたすべてを総動員して、真剣勝負で生徒さんの質問に回答していくのです。

この真剣勝負のやり取りは、私にとっての至高の時間であり、今まで生きてきて、多くの失敗を通して学んできたこと、日々の学びの中で得たことの再確認でもあり、また同時に深い思考の時間でもあるのです。

毎月の経営講義を通して、このような素晴らしい時間を持ち、素晴らしい人生を生きることが出来ていることに、深く感謝したいと思います。

毎月、海外、国内の各地から、私のための高額な授業料を払い、貴重な人生の時間を使い、集まってくれる生徒さんたちの存在があり、同時に土日の休日に頑張ってくれるスタッフたちの存在があるので、毎月2回もの私にとって、有意義な授業が開催されるのです。

特に昨日は、今から始めようとしている麺ビジネスに、絶対に失敗しないための必要な要件、例えば、価値観、使命、ミッション、経営理念のような概念的なものから始まり、考え方、気持ちの持ち方(マインドセット)が中心でした。

日本では、ビジネスの成功において、気持ちの持ち方が大切であることはほとんど理解されておらず、私が40年間の自分自身のビジネスにおいて、最も大切なことは気持ちの持ち方であることが分かったのです。

常に、自分自身に明るい気持ちで前向きに接するのと、暗い気持ちで仕事場に向かうのでは、まったく結果が異なり、自分自身の気持ちの持ち方次第で、人生を成功に導いたり、反対方向に導くことが出来るのです。

自分は絶対に成功すると硬く信じて、日々仕事に取り組むのと、失敗するかも知れないと、常にびくびくしながら取り組むのでは、結果は自ずから異なってくるのです。

自分自身が自分自身の熱狂的な応援団の団長になり、日々、自分自身を励まし、称え続けるのです。

また、仕事に熱心に取り組み、常に高みを目指すと、想定外のことに遭遇し、挫折の体験は数限りなくしなければいけないのですが、挫折の体験の度に、免疫力が出来、強くなることが出来るのです。

そして、失敗のレベル、挫折のレベルも徐々に大きくなり、それにつれて、免疫力も更に強くなっていくのです。

だから、前回と同じようなレベルの失敗、辛い体験があっても既に免疫力が出来ているので、幾らでも耐えることが出来るのです。

私は、日々、生徒さんとか当社のスタッフに接し、常に教える立場ではあるのですが、同時に、自分自身が日々、生徒さんと同じ立場で仕事と格闘しているチャレンジャーでもあり、同時に、教えられる立場でもあるのです。

だから、単に生徒さんに教えるだけでなく、自分自身が日々仕事と格闘しているので、生徒さんの立場も非常に良く分かり、生徒さんの行動を一緒になって悩み、解決することが出来るのです。

私も生徒さんと同じように、解決しなければいけない課題を山ほど抱えていて、日々、真剣に取り組み、悩むことも多いのですが、同時にそれらの課題と格闘しながら、解決していく醍醐味を味わうことが出来ているのです。

日々、一瞬、一瞬を真剣に生き、真剣に学び、真剣に遊び、「俺はいつも真剣に生きているぞ」と言えるように、自分自身の人生の時間を大切に使うことによって、われわれは自分自身の人生を行き切ることが出来るのです。

だから、人生においては、肉体的な老若男女の年齢は関係なく、何歳になろうと、その人の生き方で人生の値打ちが異なってくると思うのです。

われわれは無限の可能性の中で生きていて、思うことは何でも実現することが出来、数十年前の昔、SF漫画家が空想で描いた、夢物語であったような漫画のほとんどは実現しているのです。

自分が真剣に考え、求めていくと、その多くは実際の人生において実現することは、多くの人たちの人生においてよく見受けられてきているのです。

従って、思考とか、気持ちの持ち方(マインドセット)は、われわれの人生を変える素晴らしいツールでもあるのです。

だから、私はいつも経営講義の最初にマインドセットの大切さを一番に説明し、生徒さんたちの心の奥深くに、今までにすでに構築されてしまっているネガテイブな思考を消すように勧めているのです。

人生の長い間において構築された思考なので、簡単に消すわけにはいかないのですが、大きな衝撃を与えることによって、消し去ることは出来るのです。

だから、生徒さんの今までの思考にない、インパクトのある新しい思考を植え付けることによってのみ、可能になるのです。

まだまだ、生徒さんの考え方を経営講義に参加するだけで、大きく変えていくことは難しいのですが、一瞬で変えてしまうことが次の私の課題でもあるのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

第六章 産業構造の変化を知る  第四の機会

1.「産業の不安定性」

「産業構造は不変か」

産業や市場の構造は、下記のように永続的であり、きわめて安定的に見えるのです。

世界のアルミ産業は、基本特許を持っているピッツバーグのアルミニウム・カンパニー・オブ・アメリカと、そのカナダの系列会社、モントリオールのアルキャンにより、1世紀の間支配されてきて、世界のタバコ産業は1920年代以降、大手の新規参入者としては南アフリカのレンブラント・グループを迎えただけであり、世界の家電業界でこの1世紀間に登場した大手メーカーは、オランダのフィリップス社と日本の日立だけで、アメリカの小売チェーン業界では、シアーズ・ローバックが通信販売から小売店舗業に進出し、1920年代から、10セント・ストアのクレスゲがデイスカウント・ストアのKマートを始めた1960年代までの40年間に、大手の新規参入はなかったのです。

従って、産業や市場の構造は非常に安定的に見えるため、内部の人間にとって、そのような状態こそ秩序であり、自然であり、永久に続くものと考えるのですが、現実には、産業や市場の構造は脆弱であり、小さな力によって、簡単に、しかも瞬時に解体するので、産業構造の変化が少しでも見えると、その産業に属するあらゆる者が、直ちに行動を起こさなければならなくなり、昨日までと同じ仕事のやり方をしていたのでは惨事を避けられなり、潰れ、少なくともトップの地位を失い、その地位はほとんど取り戻せないのですが、産業や市場の構造変化は、イノベーションをもたらす機会でもあり、実にそれは、その業界に関わる全ての者に対し、起業家精神を要求し、あらゆる者が「わが社の事業は何か?」を改めて問わなければならなくなり、あらゆる者が、この問いに対して新しい答えを出さなければならなくなるのです。

以上のような産業と市場の構造変化が、自動車産業では下記のように、何度も起きたのです。

「自動車産業の構造変化の第1の波」

20世紀の初め、世界の自動車産業が破竹の勢いで成長し、それまで「馬車階級(金持ち階級)」用の贅沢品だった車の売り上げが3年ごとに倍増し、市場が急速に拡大し、市場の構造が大きく変化したのですが、この変化に対しては4種類の対応が取られ、いずれも成功を収めたのです。

「第1の対応」

1906年に創立されたロールス・ロイスの戦略は、車が普通の商品になる事を見越し、逆に王侯の象徴となる車に特化することにし、そのため、熟練工が手作業によって1台づつ生産するという、当時でさえ時代遅れになっていた生産方法に戻し、顧客に対しては、半永久的な使用に耐えることを約束し、ロールスロイス自らが運転手を訓練し、売る相手も原則として爵位を持つ者に限定し、並の人間は間違っても買うことがないように、ほぼヨットと同じ価格、熟練工や繁盛している商人の年収の40倍に相当する価格を付けたのです。

「第2の対応」

その数年後、デトロイトでヘンリー・フォードという若者が、自動車市場の変化を見て、同じく車が金持ちの贅沢品ではなくなったことに気づいたのですが、彼の対応は、半熟練工によって大量生産する車、しかも車の所有者自身が運転し、修理さえ出来る車だったのですが、1908年のT型フォードは、今日伝えられているほどの低価格車ではなく、当時、世界最高の収入を得ていたアメリカの熟練工の年収を上回っていたのですが、それでも、T型フォードは、それまでの最も安い車の約5分の1の価格であり、運転も修理もやさしかったのです。
(今日、アメリカ市場で最も安い車は、未熟練工の年収の10分の1なのです)

「第3の対応」

同じころ、ウイリアム・クレイポ・デユラントというアメリカ人が、自動車市場の変化を見て、やがて膨大な市場になる事を見越し、あらゆる階層を客とする自動車メーカー、専門経営者がマネッジメントする自動車メーカーを作り、1908年にGMを設立し、他のメーカーを徐々に吸収合併していったのです。

「第4の対応」

その少し前の1899年、ジョヴァンニ・アニエッリというイタリアの若者が、自動車が軍の必需品、とくに将校用車両となり得ることを見越し、彼がトリノに設立したフィアットは、数年後にはイタリア軍、ロシア軍、オーストリア・ハンガリー軍の将校用車両のメーカーになったのです。

自動車産業の構造変化の第1の波は、既に100年以上も前に起きた出来事で、既に100年後に生きているわれわれは、第1の波、第2の波、第3の波の結果もすべて知っているのです。

そして、2013年における世界の自動車メーカーの販売ランキングは次のようになっています。(カッコ内は前年順位と増減率、▲はマイナス)

1位(1)トヨタ 998万台 (2%)
2位(3)VW 973万台 (5%)
3位(2)GM 971万台 (4%)
4位(4)日産・ルノー 826万台 (2%)
5位(5)ヒュンダイ 756万台 (6%)
6位(6)フォード 633万台 (12%)
7位(-)FCA 435万台 (3%)
8位(7)ホンダ 428万台 (12%)
9位(8)PSA 282万台 (▲5%)
10位(9)スズキ 269万台 (2%)

(注記)*FCAはフィアット・クライスラー・オートモーティブ、同じく、PSAはプジョー・シトロエン・オートモテイブ

構造変化、第1の波において4つの異なった対応をしたメーカーは、現在、すべて生き残っていますが、第1の対応をしたロールス・ロイスは、BMW傘下になり、第2の対応を行なった、フォードはアメリカのビッグ・スリーの中で唯一、破綻を免れたのですが、第3の波では相当、本体を揺さぶられて、破綻の寸前までいったのですが、踏みとどまり、第3の対応を行なったGMは、第3の波では小型化と品質向上に乗り遅れ、破綻後、アメリカ政府による救済が行なわれ、再上場の後は、順調に伸びていて、第4の対応を行なったフィアットも決して順調とは言えないまでも、したたかに生き残り、クライスラー他、多くのメーカーを傘下に入れて、世界ランキングでは第7位につけているのです。

第1の波で、生き残った自動車メーカーとそうでないメーカーを比較すると、生き残ることが出来たメーカーは、生き方を明確にしたメーカーだけであり、生き方(要するに、命の使い方、即ち、使命)を明確にしたメーカーだけが、第1の波を上手く乗り越えることが許され、現在、世界ランキング10位以内にいるメーカーのうち、第1の波の時代に存在していたメーカーは、3位のGM、6位のフォード、7位のフィアットの3社だけで、現在、ランキング10位以内に駒を進めているメーカーも決して安泰な位置にいるのではなく、新興国市場の台頭と内燃機関から、第四の波では電気自動車、燃料電池等の新しいエネルギーの時代を迎え、第五の波では自動運転車になり、厳しい技術革新に生き残れるメーカーであるかどうかが問われているのです。

あと100年経ったら、今日の上位10社もほとんどの会社は残っていないか、或いは、もし残っていても、会社の形は相当変わってしまっているはずで、このように、100年経ったら、産業構造も大きく変貌し、昔隆盛を極めていた会社のほとんどは消え去り、新しい時代を迎えていることがよく分かり、現在に生きるわれわれも、将来のために、今、何をしなければいけないかが、問われているのです。

昨日は、朝から東京支店で、うどん学校とラーメン学校の生徒さんたちの経営講義があり、真剣勝負での楽しい授業のでした。

画像は、一昨日の盛り付けと昨日の経営講義の様子、そしてさらにスタッフたち、授業の後、相談の生徒さんを交えての楽しい夕食でした。

盛り付けの教材の余りの材料を使って、三ツ井さんがいつも、美味しい、きれいな料理を作ってくれるのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「5つの前提と3つの条件、ニーズの理解、知識の入手可能性、使い方との一致」

昨日は、昼から東京支店で、うどん学校の生徒さんたちの最終作品のチェックと修正を行ないました。併せて、新しい盛り付けにもチャレンジしました。

本日のテーマは「お客さまへのフォーカス」です。

来週10日(日)から12日(火)までの3日間、新潟の新潟卸センターで、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2994

シンガポールからの深夜便のフライトは、昨日の朝6時前に羽田に到着し、出迎えのスタッフに案内されてホテルに入り、12時までホテルで仮眠を取り、その後、うどん学校の実技最終日の作品チェックに参加しました。

先月は、シンガポールから到着後、ホテルを取っていなかったのですが、今回はスタッフたちの計らいで、仮眠用のホテルを確保してくれていたので、12時までの仮眠でかなり快適になりました。

深夜便のフライトでも、私はフライト中は余り眠ることが出来ないので、本当は現地に夜到着するようなフライトの方が楽なのですが、このような深夜便も到着したらすぐ仕事が出来るので、これはこれで便利なのです。

昨日は、東京のうどん学校のスタッフ2名とドリームスタジオ・ソウルのジョンさんを交えて、学校終了後に食事に出かけたのですが、その席上で先日参加した本社での営業会議のことで話が盛り上がったのです。

営業会議では毎回、会社の価値感、ポリシー、戦略等について話し合っているのですが、私は会社として利益を出すことは当然大切ですが、それよりももっと大切なことは、会社が多くのお客さま方から、なくてはならない存在であると思って戴けることであると説明をしたのです。

要するに、大和製作所がこの業界で活躍してくれたお蔭で、業界が、世の中が良くなったと言って戴けることであると確信しているのです。

当社が存在したお蔭で、業界の人たちが製麺機で怪我をしなくなったとか、麺が美味しくなり、多くの人たちを喜ばすことが出来たとか、無添加とか、無化調の安心安全な麺類を提供して、多くの人たちの健康増進に役立つことが出来たとか、当社がビジネスを通して行っていることにより、少しでも世の中が良くなっていくことが大切であると思っているのです。

だから、目先の儲けよりも世の中を良くする方に取り組んでいると、最終的に多くのお客さまに喜んで戴けて、利益が出るようになると思っているのです。

銀行とか、金融機関から見れば、たくさんの利益を出す企業の方が頼もしく見えると思いますが、私は目先の利益よりもどれだけ世の中に貢献したかの方がもっと大切であると信じているのです。

或いは、上場していれば、どれだけ大きな利益を出すか、或いは毎期、最高益を更新し続けることが株価が高くなり、評価されるわけですが、われわれは、そのような利益最優先のビジネスではなく、世の中に役立つことを最優先したビジネスを展開する必要があるのです。

これは、最終的に当社の持っている価値感であり、使命であり、同時に経営理念であり、まず最初に価値感、使命、経営理念が決まり、結果として、このような行動になっていくのです。

40年前に起業した時には、このような基本的なことは何も分からずに起業したので、多くの失敗を繰り返した結果、ビジネスにおいて一番大切なことを理解することが出来たので、これからビジネスを始める人たちに、ビジネスにおいて最も大切なことを最初に教えているのです。

ビジネスを始める生徒さんたちにとって、簡単に理解して貰えることではないのですが、当社のスタッフたちにとっては当たり前のことであり、同時にスタッフたちにとって、自分たちが日々行なっていることが世の中に貢献していることは、たいへん誇らしいことでもあるのです。

私が経営講義を通して、生徒さんに説明するだけでなく、生徒さんたちが当社のスタッフたちを通して受ける刺激も、生徒さんたちに以上のような考えを理解して貰うことにたいへん役立っているのです。

先日、来社し、当社で製麺のトレーニングを受けた上で、シンガポールのラーメン学校に参加した女性の生徒さんは、シンガポールのラーメン学校に参加した他の生徒さんたちに、彼女が当社で受けたサービスについて熱心に話していたのです。

突然の来社で、当社で事前トレーニングを受けることを期待せずに当社に来たにも関わらず、2日間にわたり、2人づつのスタッフが付き添い、製麺のトレーニングとメンテナンスのトレーニングを行ない、当社の宿舎に泊めてあげたのです。

そして、本社の食堂で食べたオーガニックの食事に感動し、当社のスタッフたちの親切な応対への感動を、一緒に参加している生徒さんたちに伝えていたのです。

以上のような対応は、当社にとって、急な来客であり、スタッフたちの負担は増えるだけなのですが、お客さまにとってはどれだけ助けになるか分からないのです。

もし、マニュアル通りであるとか、儲けを優先すれば、当然このような行動を取ることはあり得ないのですが、われわれの価値感は少し違っているので、異なった行動を取ることが出来るのです。

当社の価値化の一番目では、「顧客を中心に据え、奮闘者を根幹とし、苦しい奮闘を長期にわたって続ける」であるので、常にお客さまが第一番目に来ているのでそのような行動に自然に向かうのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「5つの前提と3つの条件」

前記の例、とくに岩佐多聞の成功は、ニーズに基づくイノイベーション、とくにプロセス・ニーズによるイノベーションが成功するためには、以下の5つの前提があることを教えているのです。

(1)完結したプロセスについてのものであること

(2)欠落した部分や欠陥が1ヶ所だけあること

(3)目標が明確であること

(4)目標達成に必要なものが明確であること

(5)現状より「もっと良い方法があるはず」との認識が浸透していること

つまり受け入れ体制が整っていることなのです。

「ニーズの理解」

しかも、ニーズに基づくイノベーションには3つの条件があるのです。

第一に、何がニーズであるかが明確に理解されていることであり、何となくニーズがあると感じられてだけでは不十分で、それだけでは、目標の達成のために、何が必要なのかを明らかにしようがないのです。

例えば、数学教育に問題があることは、何百年も前から感じられているのですが、数学が簡単にわかる生徒は少なく、恐らく5人に1人もいないだけでなく、残りは一生数学が分からないままであり、確かに集中的に繰り返し勉強させれば、試験で合格点を取れるようにすることは出来、日本では特に、数学に力を入れることによって合格点を取れるようにしているのですが、だからといって、日本の子供たちがとくに数学が分かっている訳ではなく、試験のために勉強するが、その後は忘れてしまうので、10年たって20代も後半になれば、欧米人と同じように合格点は取れなくなるのです。

もちろんいつの時代にも、才能のない生徒でさえ、数学が分かるようにしてしまう天才的な教師がいるのですが、誰も真似ることが出来ず、ニーズは感じられているのですが、だが理解はされていないので、数学を教える上で必要とされるのは、天賦の才か方法論か、或いは心理的、情緒的な問題が絡むのか、それについては誰も知らず、まさにニーズが充分に理解されていないために、解決策も見つかっていないのです。

これは、日本における数学教育だけではなく、英語教育についてもまったく同様であり、ニーズが明確ではなく、もし、シンガポールのように公用語のひとつが英語であれば、ニーズが明確であるので、英語教育も今のような状態ではないはずで、従って、プロセス・ニーズによるイノベーションでは、まず最初に、ニーズが明確であることは欠かせないのです。

「知識の入手可能性」

第二に、イノベーションに必要な知識が手に入ることであるのです。

製紙業界には、現在よりも無駄が少ない経済的なプロセスという明確なニーズが以前からあり、既に1世紀にわたって、多くの優秀な人材がこの問題に取り組んでいて、ニーズが何であるかは明確に理解されていて、リグニン分子のポリマー化であり、これは容易なはずであって、既にほかの分野では行われていて、十分な経験を持つ優れた人たちが、1世紀に及ぶ絶え間ない努力をしてきたにもかかわらず、そのための知識は得られていないので、相変わらず「何か別の方法を試してみよう」と言っているだけなのです。

ライト兄弟が飛行機を発明する前から、人類が空を飛ぶというニーズはあったのですが、知識が不足していたので、実現していなかったのですが、ライト兄弟が初めて、試行錯誤の結果、知識を身につけて人類による飛行を始めて可能にし、一旦知識が出来上がると、それからの飛行機の進歩はたいへんな速度で、世界中に広がったのは、写真とまったく同じであったか、写真よりも早かったのです。

最近では、同じようなものにインターネットがあり、この広がりの速度は、更に早くなっていて、知識の活用によるイノベーションは加速していくと言えるのです。

「使い方との一致」

第三に、問題の解決策が、それを使う者の仕事の方法や価値観に一致していることであるのです。

写真の素人は、初期の写真技術があまりに複雑なため、使いこなせなかったので、彼らは、とにかく簡単に、ある程度の出来栄えの写真が撮れるようになることを望んでいたので、労力や技術を不要にしてくれる、プロセスを受け入れる素地はあり、同じように、眼科の手術医は、優雅で流れるような出血のないプロセスに強い関心を持っていたので、これを可能にしてくれる酵素は、彼らの期待や価値観に一致していたのです。

ところが、明確なニーズに基づくイノベーションでありながら、当事者の仕事のやり方に合わなかったために、なかなか受け入れられない例が実際にあり、すでにかなり前から、弁護士、会計士、技師、医師などの専門家が必要とする情報の量は、それを見つける能力の向上を上回って増大していて、彼らは、専門図書館やハンドブック、或いは情報サービスで情報を探すのにかなり時間をとられるとこぼしているので、当然、優れたデータバンクが成功するはずで、コンピュータのプログラムとデイスプレーが、弁護士は判例、会計士には税制、医師には医薬品や毒物の情報を、直ちに与えることが出来たのですが、今日、それらのデータバンクは、収支に見合うだけの加入者を得るのに苦労しているのです。

例えば弁護士向けの判例検索サービスであるレキシスでさえ、必要な数の加入者を集めるのに、10年以上の年月と膨大な費用がかかったのですが、その理由は、おそらくデータバンクが、問題をあまりに簡単に解決してしまうことにあり、専門家というものは記憶力、即ち必要な情報を記憶し、或いはその情報の取材地を記憶する力を大切にするので、未だに弁護士を志す若者は、「必要な判例は覚えるように。或いはどこにあるかを覚えるように。」と先輩から言われるのです。

従って、データバンクは、いかに仕事に役立ち、時間と費用を削減してくれたとしても、彼ら専門家たちの価値観に反し、ある有名な外科医は、自分の行なった診断をチェックし、治療に必要な情報を与えてくれるサービスをなぜ使わないかと聞かれて、「簡単に探せたのでは、私が要らなくなってしまう」と答えたというのです。

当社が製麺機「真打」を開発した時も同じ様なことが言えて、今から考えれば、嘘のような話ですが、それまでの手打ち職人のプライドが、このような機械でうどんを打つことを認めなかったのです。

ニーズによるイノベーションの機会は、体系的に探すことが出来、電気に関してエジソンが行なったことが、それであり、ヘンリー・ルースはエール大学の学生だった頃に行ない、ウイリアム・コナーが行なったこともそれだったのです。

ニーズに基づくイノベーションは、まさに体系的な探求と分析に適した分野であり、ひとたびニーズを発見したならば、まず、先に述べた5つの前提に照らしてみることが必要であり、しかる後に、3つの条件に合致しているかどうかを調べることが不可欠であり、すなわち、ニーズは明確に理解されていて、必要な知識は現在の科学技術で手に入れられるか、そして得られた解決策は、それを使うはずの人たちの使い方や価値観に一致しているかであるのです。

昨日は、昼から東京支店で、うどん学校の生徒さんたちの最終作品のチェックと修正を行ないました。

併せて、新しい盛り付けにもチャレンジしてみたのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

昨日は午前中は、ラーメンの仕上げ、午後からは、経営講義で私のフライトの時間ギリギリまで、経営講義を行ない、深夜便で羽田まで移動し、本日は、昼からうどん学校に参加し、生徒さんの作品のチェックをしました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「開発研究、知識ニーズ、的を絞る、「タイム」の例」

昨日の午前中は、ラーメンの仕上げ、午後からは、フライトの時間ギリギリまで、経営講義を行ない、深夜便で羽田まで移動し、本日は、昼からうどん学校に参加し、生徒さんの作品のチェックをしました。

本日のテーマは「現地、現物、現実」です。

来週10日(日)から12日(火)までの3日間、新潟の新潟卸センターで、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2994

シンガポールでの5日間のラーメン学校は昨日で終え、少ない人数の生徒さんでしたが、参加している生徒さんのマインドレベルは高く、生徒さんたちにとっても、われわれ講師陣にとっても、たいへん思い出深いクラスになりました。

国内の麺学校では、日本人の生徒さんはラーメン等日本の麺に慣れ親しんでいて当たり前であることが、海外の生徒さんには当たり前でないことがたくさんあったのです。

日本人にとっては、普段からラーメン店とか、蕎麦うどん店が周りにたくさんあり、ラーメンとか、蕎麦うどんとはこのようなものだという基礎知識があるのですが、海外からの生徒さん、特にシンガポールに来る生徒さんには、そのような知識がほとんどなく、それぞれの地元で提供されている麺類しか知らないので、日本のラーメン、うどん、蕎麦というものは、このようなものであるというところからの説明が必要であることが分かったのです。

しかし、このような基本的なことを大切な授業の時間の中で取ることは出来ないので、事前学習のようなもの、例えば、e-ラーニングのような事前学習を行なう仕組み作りが必要であることが分かりました。

今までの日本の麺学校であれば、生徒さんが麺学校に来てからが授業の開始ですが、海外の場合は、すでに来る前から予習を通じて授業を行ない、事前学習で分からなかったことだけをこちらに来て授業を行なえば、時間のロスが非常に少なることがよく分かりました。

われわれは、時間をもっとコンテンツ作成に当てることが必要なようです。

今までも、海外からの多くの生徒さんを迎えて授業を行なっていたので、海外の事情についても詳しいはずであったのですが、日本人の中に混じっている海外の生徒さんの場合と、シンガポールのラーメン学校のように海外だけの生徒さんのクラスでは、海外の生徒さんたちの行動もかなり違っていて、海外の生徒さんだけであれば、自分たちにとって当たり前でないことは当たり前でないとハッキリ言うのですが、日本の学校で日本人の生徒さんと一緒に授業を行なっていると、どうも日本人の生徒さんに遠慮して自分たちは日本と違うということを言っていなかったのです。

日本人のほとんどは、日本の麺に慣れ親しんでいるので、細かい説明は不要なことが多いのですが、海外の場合はそうではなく、日本人にとっては当たり前と思えるようなことでも分からなず、細かい説明が必要な場合が多く、それらのことは事前にまとめて一覧表にしておけば、生徒さんたちにとって、たいへん親切であることが分かりました。

要するに、日本の麺文化についての、基本的な説明書のようなものが必要で、外国の生徒さん向けに作ろうとしているのですが、今後は日本の生徒さん向けにも必要になりそうです。

40年前に当社が創業したころの製麺機のお客さまは、麺打ちのプロの方が多かったのですが、今は素人の方がほとんどで、以前では必要なかったマネッジメントまでのあらゆるご指導が必要になっているのと同じように、基礎の基礎、基本の基本からの説明が必要になってきているのです。

最近、当社では国内での麺学校での経営講義の授業では、理解度の低い生徒さんが増え、生徒さんのレベルが以前と比べると落ちきていると思っていたのですが、自己批判の精神に基づけば、そうではなく、生徒さんに合せてわれわれが変わっていかねばならなかったのです。

もし、どのような生徒さんが来ても、海外の生徒さんに対応するのと同じように、われわれはそのような生徒さんたちに対応出来るような能力を磨き続ける必要があったのです。

国内の麺学校だけでは分からなかったことが、シンガポールのラーメン学校を開校することにより、さまざまなことが分かるようになったのです。

昨日のシンガポールの経営講義では、若い生徒さんから私がビジネスのどこまでを部下に任しているのかとの質問があったのです。

私は、基本的に部下が出来るようになった部分は、部下に委譲してきているのですが、大切な部分は自分の目で見るようにしているのです。

今回のようにシンガポールでのラーメン学校が始まったように、最初のころは実際に自分の目で見て確認しておかないと分からないことが多いのです。

そして、自分の目で確認してみると、日本でいては分からなかったことが分かるようになり、実際に体験したり、自分の目で見て確認することの大切さを感じるのです。

当然、このようなことは最終的には部下が出来るようにならなければいけないので、一緒に来て、一緒に体験することにより、部下たちにも同じような体験をして貰い、みんなのレベルを上げ続けることも大切です。

また、今回のシンガポールのラーメン学校の生徒さんたちと話し合ってみると、シアトルでは、景気がよく飲食ビジネスの失敗はそれほどないようですが、カナダのカルガリーでは日本以上に、新規に開業した飲食店店主の閉店率が高いようです。

海外に来れば、さまざまな情報がダイレクトに得られるので、コストはかかりますが、これからはトップが直に海外に行くことは、グローバル時代のビジネスには欠かせないのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「開発研究」

「知識ニーズ」

イノベーションの機会としてのニーズには、プロセス・ニーズと労働力ニーズが、最も一般的でありますが、利用がより難しく、より大きなリスクを伴ってはいるが、非常にしばしば重要な意味を持つニーズとして、知識ニーズがあり、(科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての)「開発研究」の目的とてのニーズであり、そこには、明確に理解し、明確に感じることの出来る知識が欠落していて、その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要になるのです。

写真ほど、非常に早い速度で、成功したイノベーションはあまりなく、写真の歴史をウイキペデイアで調べると、最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像で、彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索し、瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとし、彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影したのですが、カメラによる画像ではあったにもかかわらず、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だったのです。

その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始め、これが銀塩フィルムの元になり、写真は、発明後20年で世界中に普及し、有名な写真家も大勢現われ、マシュー・プレデイの南北戦争の写真は、今日でも抜きんでていて、1860年頃(明治維新の8年前)には、あらゆる花嫁が写真を撮って貰っていて、日本に最初に入った西洋の技術も写真であり、明治維新のはるか前、まだ日本が外国人や外国の事物に固く門戸を閉ざしていた頃でした。

写真が素人の趣味になったのが、1870年前後であるのですが、当時の写真の技術は、素人にとっては厄介な代物で、重く壊れやすいガラス板を原板として使っていたために、慎重に扱わなければならなく、カメラ自体も重く、撮影前の準備もたいへんだったので、誰もがそのような問題を知っていて、事実、最初の大衆向け専門誌である当時の写真専門誌には、写真撮影に伴うもろもろの問題や解決策が取り上げられていたのですが、1870年当時の科学や技術では解決出来なかったのですが、1880年代の半ば、遂に新しい知識が得られ、イーストマン・コダックの創立者ジョージ・イーストマンが、それらの知識を利用したのです。

彼はガラス板を、重さなどないに等しく、手荒な取扱いにも耐えるセルロイドに代え、カメラ自体も軽量化し、10年後には、イーストマン・コダックは世界の写真業界でトップの地位を得、永くその地位を保っていたのですが、デジタル・カメラの登場により、2012年1月に倒産し、132年の長い歴史を終えたのです。

以上のように、写真の歴史は進化するために、常に新しい知識を必要として、新しい知識の開発に伴って進化し、プロセス・ニーズを満たす上でも、しばしばこの開発研究が必要となり、ここでも、まずニーズを知り、何が必要であるかを明らかにし、そうしてはじめて、必要な新しい知識を生み出すことが出来、プロセス・ニーズに基づいて、開発研究を行なった典型的な人間が、エジソンであり、電力産業が産業として成立するであろうことは、20年以上の間、知らない者はなく、特にその最後の5,6年では、プロセスの1部で欠けているものが、電球であると明らかになっていて、電球がなければ、電力産業は成立しなかったので、エジソンは電力産業を、単なる可能性から現実のものとするうえで、必要な知識を明確にし、開発研究に取り組み、2年後、実用的な電球を開発したのです。

「的を絞る」

今日、可能性を現実のものとするための開発研究は、企業の研究所はもちろん、国防、農業、医療、環境保護などのための研究所において行われていて、開発研究というと大規模なものに聞こえるかもしれず、多くの人たちにとって、それは、月への人を送ることや、小児麻痺のワクチンを発見することを意味するのですが、成功を収めているものの多くは、目標の明確な小さなプロジェクトであり、開発研究は、的を小さく絞るほど良い結果が得られ、その最もよい例、恐らくプロセス・ニーズに基づくイノベーションの最も成功したものが、日本の自動車事故を3分の1に減らした視線誘導標の開発だったのです。

1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進され、車はスピードを出せるようになったのですが、日本の道路は、基本的には10世紀のままで、2台の車がすれ違うのがやっとなど、道幅が狭く、死角のあるカーブも多く、数キロごとにいろいろな角度で交差していたため、とくに夜間は自動車事故が増え、マスコミや野党は対策を要求したが、道路を作り直すには20年もかかるので、作り直すわけにはいかなく、安全運転を呼びかける大掛かりな広報キャンペーンも、ほかのあらゆる種類のキャンペーンと同じように、効果はほとんどなかったのですが、この危機的な状況をイノベーションの機会として捉えたのが、岩佐多聞という若者で、彼はビーズ状のガラス球が、あらゆる方向からの光を反射する視線誘導標をつくり、やがて、日本の自動車事故は大幅に減ったのです。

「タイム」の例

もう1つの例をあげると、第1次世界大戦後、アメリカでは国民がニュースを求め始めたのですが、誰もがこの変化に気づいたので、第1次世界大戦直後の新聞や雑誌には、いかにしてこの新しいニーズに応えるかを論じる記事がたくさん出ていて、地方紙では解決出来ない問題で、「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとする大手の新聞社や出版社さえ、このニーズを捉えようとして失敗し、そのとき、ヘンリー・ルースが現われ、ニーズを明確にし、求められているものを明らかにし、発行部数や広告の関係からして、全国的なメデイアであることが必要だったのですが、多くの人たちが関心を持つニュースの数は限られており、日刊紙とすることは無理だったので、以上より、知識ニーズはプロセス・ニーズと深い関係があるものが多く、プロセス・ニーズを解決するために、知識ニーズが発生し、こうして世界最初のニュース週刊誌「タイム」が生まれ、直ちに成功したのです。

以前に説明しましたうどんの熟成工程における熟成庫は、プロセス・ニーズにより出来上がったものではありますが、その過程において、熟成のメカニズムという知識ニーズの解決が伴っていたので、このように、ほとんどのプロセス・ニーズには、知識ニーズが伴うのです。

シンガポールでは、フルーツが豊富で、スイカは年中あり、価格も安いので、毎日、生徒さんにも提供しています。

昨日は午前中は、ラーメンの仕上げ、午後からは、経営講義で私のフライトの時間ギリギリまで、経営講義を行ない、深夜便で羽田まで移動し、本日は、昼からうどん学校に参加し、生徒さんの作品のチェックをしました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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