麺学校校長ブログ

HOME > 麺学校校長ブログ > 校長ブログ

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「今時代の空気、行って、見て、聞く」

昨日のドリームスタジオ高崎のセミナーの様子です。私の誕生日は来月なので、少し早いのですが、セミナー後、スタッフたちが私の誕生日をお祝いしてくれました。

本日のテーマは「人手不足に陥らない方法」です。

今朝も早朝に起き、高崎市内を散歩していると、約6年前にドリームスタジオ高崎を開業する前に、立地を探し回ったことを思い出します。

当社のほとんどの拠点は、私が自分自身で探し回って、最終的に決定した物件ばかりで、特に高崎の物件はなかなか思ったような物件が見つからず、暑い夏に何度も来て、探し回ったことを思いだします。

当社のドリームスタジオの物件を決める場合の要件は、公共機関の駅の近くで、駐車場がシッカリあり、アクセスの良い場所で、建物のイメージも悪くない、分かり易く、家賃も高すぎない、ショールーム機能の可能な場所です。

駅からも歩いて近い場所で、分かり易い場所となると、最初はなかなか見つからず、名古屋と高崎は相当時間がかかりました。

これは、麺ビジネスの物件探しも同じで、多分、最適な場所が見つかった頃には、物件紹介コンサルタントになれるくらいのレベルになっているはずです。

不動産屋から上がってくる物件を見て歩くくらいでは、良い物件を見つけ出す眼力は出来ず、どのような物件が麺ビジネスに最適であるか、物件を見つけるプロになれるくらいに、物件を見つけ出す眼力、ノウハウが出来ていないと、良い物件に巡り合うことは難しいのです。

だから、物件探しのプロになっていれば、店舗展開を行なう場合に非常に便利で、私もこれから国内、海外においてドリームスタジオを拡充していく場合のノウハウは出来ているのです。

昨日は、ドリームスタジオ高崎の午後1時と4時からの私のセミナーで、最新の麺ビジネスの情報を共有し、特に人手不足については、多くの参加者の興味を引いたのですが、最近分かったことは、人手不足を起こしている会社、店舗、人手不足をぜんぜん起こしていない会社、店舗があることです。

先週の新潟でのパワーアップ・イベントで、ラーメン学校の卒業生で新潟でラーメン店を経営して頑張っている若い人がいるのですが、その生徒さんの店は大きいラーメン店ではないのですが、普段の仕事はパートさんがすべて行ない、店主である生徒さんは、その気になれば、いつでも店舗を抜けることが出来る状態になっているのです。

そして、彼が言っていたのは、当店には良いパートさんが勤めてくれていて、その人たちの紹介で新しいパートさんが次つぎと入店してくるので、人手には
ぜんぜん困っていないというのです。

要するに現在、その店舗で働いているパートさんたちが満足して働いているので、満足して働いているパートさんたちが仲の良い、入れても良いと思われる友人を紹介してくれるので、人手には一切困らないのです。

業績も好調で、働いているスタッフたちに感謝しながら、ビジネスを行なっている若い店主で、新潟で当社がイベントを開催する度に毎回熱心に参加して、私のセミナーの内容をビジネスに役立てている生徒さんです。

多分、この生徒さんはスタッフたちを決して甘やかすのではなく、真剣に育て上げ、強力な戦力にし、スタッフたちを素晴らしいビジネスパートナーにしていて、働いているスタッフたちも仕事に満足しているので、自分の大切な友人を同じ職場に紹介しているのです。

このような人手不足の時代においても、人手の不充足感を感じない会社とか店舗とそうでない会社、店舗の差は、今働いてくれているスタッフを本当に満足させているかどうかの違いではないかと思います。

単に給料だけの問題ではなく、マズローの欲求5段階説の上位の欲求をいかに満足させることが出来るかどうかが問われているのです。

因みに昨日の究極の人手対策のセミナーで、私が話した次は、従業員が仕事において重視していることで、働く人と、雇う側のニーズのずれが起きているのです。

企業で働く従業員が大切にしていることで、自分たちの仕事においてどの要因を最も重視しているかにつき、従業員が考えるであろう重要度に従って、さまざまな要素をランク付けしたもので、以下がそのランキングです。
①自分を尊重してくれる人々と働くこと(マズローの第4階層の尊厳欲求)
②興味の持てる仕事(マズローの第5階層の自己実現欲求)
③良い仕事に対する評価(マズローの第4階層の尊厳欲求)
④スキルを磨く機会(マズローの第5階層の自己実現欲求)
⑤業務の改善案を提示した時に聞いてくれる人のために働くこと(マズローの第4階層の尊厳欲求)
⑥指示通りに行うだけではなく、自分自身で考える機会があること(マズローの第5階層の自己実現欲求)
⑦自分の仕事の最終結果を見届けられること(マズローの第5階層の自己実現欲求)
⑧有能な経営者・管理職のために働くこと(マズローの第5階層の自己実現欲求)
⑨仕事が容易すぎないこと(マズローの第5階層の自己実現欲求)
⑩状況をよく知らせてもらっていると感じること(マズローの第4階層の尊厳欲求)
⑪仕事の安定(マズローの第2階層の安全欲求)
⑫高い給与(マズローの第1階層の生理的欲求)
⑬良い手当・福利厚生(マズローの第2階層の安全欲求)

以上のように、最近の仕事を求めている人たちの優先順序はマズローの欲求5段階説の中では、上位の尊厳欲求と自己実現欲求が中心であることが分かり、これらの欲求を満たすことが大切なのです。

当社もお蔭で、最近の極端な人手不足の中にあっても、それほど人手の不充足感は感じておらず、必要なところに次つぎと素晴らしい人が入社し、活躍をしてくれているのですが、本日も継続、価値観を社内で定着させるためにも、明確にし続けたいと思います。

1. 顧客にフオーカスし、自ら奮闘者になり、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(顧客とのコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「今時代の空気」

人口の年齢構成に関して、とくに重要な意味をもち、かつ確実に予測できる変化は、最も急速に成長する最大の年齢集団の変化、すなわち人口の重心の移動であり、1950年代末のアイゼンハワー政権の末期、アメリカの人口の重心は史上最も年齢が高い水準に達し、そのわずか数年後、人口の重心は大きく下方へ動き、ベビーブームの結果、人口の重心は急激に下がり、1965年には、17歳から18歳というアメリカの独立以来最低の水準まで下がったのですが、人口の年齢構成を重視し、その数字を真剣に見ていたならば、アメリカ社会の空気や価値観が劇的に変化するであろうことは容易に予測できたのです。

1960年代の「若者の反乱」も、昔から若者の典型的な行動形態とされていたものに脚光があてられた結果、浮かび上がったものにすぎなく、それ以前の、人口の重心が20代終わりから30代初めという超保守的な年代にあった頃には、若者の行動は「いつの時代も若者は若者だ」との言葉で片づけられていたのですが、1960年代は、その若者たちの行動が、人口の重心が移動したために時代の空気となったにすぎなく、しかも、ようやく「価値観の変化」や「アメリカの若者化」について論じられはじめた頃には、人口の重心の振り子は、すでに激しく反対方向へ戻っていたのです。

1969年には、少子化の最初の影響が、数字だけでなく、実態に出はじめ、16、7歳のティーン・エージャーが人口の重心の一部を構成する最後の年が、1974年ないし75年となり、その後、人口の重心は上昇を続け、1980年代の初めには、再び20代の後半に戻り、人口の重心の移動に伴い、時代の空気が変化し、もちろん10代は相変わらず10代のように行動するのですが、その行動は、もはや社会の空気や価値観とは関係のない、単なる10代の行動として受けとめられ、こうして1970年代の半ばには、やがて大学のキャンパスが「運動」や「反体制」とは無縁となり、学生が再び成績や就職先に気をとられること、さらには、あの1968年卒の運動家たちでさえ、その圧倒的多数が、キャリア、昇進、節税、ストック・オプションを考える、上昇志向の知識労働者になるであろうことは、ほぼ確実に予測できることとなっていて、事実、そのように予測した者もいたのです。

日本の場合は、最大の年齢集団(人口の重心)は団塊の世代であり、60歳の半ばから後半にかけての世代であり、私もその世代のちょうど中心で、日本の平均年齢は現在46歳で、この年齢は年々増加していき、10年後には48.3歳、20年後には49.9歳に達し、その後もずっと高齢化を辿っていく予定で、平均年齢が若く、若々しい国と比較すると、日本は高齢者の国になっているので、中心世代のわれわれこそが、年齢など一切気にしないで、常に若々しい気持ちで、日々送ることが大切で、われわれから世間の空気を変えていかねばならないのです。

「◆行って、見て、聞く」

教育水準による人口区分も重要な意味をもち、百科事典の販売、専門職再訓練コース、休暇旅行のマーケティングなど、事業によってはとくに大きな意味を持ち、人口構造の変化については、就業者と失業者の別もあれば、職業別の区分もあり、所得階層とくに可処分所得による区分もあり、たとえば共働き夫婦の貯蓄性向は、どのようなものになるのか、それらの問いに対しては、ほとんどについて一応の答えを出すことができ、市場調査の検討項目に入っているものばかりであるのです。

必要なことは問いを発することで、統計を読むだけでは十分でなく、統計は出発点にすぎなく、メルビルは統計から出発し、テイーン・エイジャーの爆発的な増加が、ファッション製品の小売りにとって、いかなる機会を意味するかを自問し、シアーズ・ローバックは統計から出発し、潜在的市場としてのラテン・アメリカに目を向け、しかる後に、両社のマネジメント、あるいはニューヨークのペイス大学やサンフランシスコのゴールデン・ゲート大学のような大都市の大学のマネジメントは、現場に行って見て、聞いたのです。

シアーズ・ローバックのラテン・アメリカ進出は、そのようにして決定され、1950年代の初め、会長のロバート・E・ウッドは、メキシコシティやサンパウロが1975年までにアメリカのどの都市よりも大きくなるという記事を読み、興味を引かれた彼は、自らラテン・アメリカに行き、メキシコシティ、グワダラハラ、ボゴタ、リマ、サンチアゴ、リオデジャネイロ、サンパウロなどの各都市で1週間を過ごし、街を歩き、店を覗き、そして強い印象を受け、街の交通まで調べ、いかなる層を客とし、いかなる場所に立地し、いかなる店をつくり、いかなる商品を用意すべきかを知ったのです。

同じように、地中海クラブの創設者たちは、パッケージツアーの団体客を観察し、話しかけ、耳を傾けてから、最初のリゾート施設を作り、メルビルを並のさえない靴屋のチェーンから、アメリカで最も成長性の高い人気ファッション・チェーンに変えた2人の若者は、何か月もの間ショッピング・センクーに行き、見て、聞き、買物客たちにとっての価値を探り、若者たちの買い物の仕方や、男女別の店と、男女共通の店のどちらを好むかなど、店の好みを調べ、そして若者たちに、実際に買った品物のどこに価値を認めたのかを聞き、現場に行き、見て、聞く者にとって、人口構造の変化は生産性と信頼性のきわめて高いイノベーションの機会となるのです。

以上のように、現地へ行くことは欠かせず、私は国内、海外、世界中の出張を繰り返していますが、私だけではなく、常にスタッフたちも世界中に送り出しているのです。

画像は、昨日のドリームスタジオ高崎のセミナーの様子と、セミナーの後、スタッフたちからのサプライズがあり、本当は私の誕生日は来月なのですが、来月はこのメンバーが誕生日頃に一緒になることがないので少し早いのですが、私の誕生日のお祝いをしてくれたのです。

突然のことでしたが、私の誕生日を気にかけ、みんなに祝って貰い、いくつになっても誕生日のお祝いは嬉しいものです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「女性の社会進出、人口構造の変化の分析」

先週のラーメン学校での生徒さんの作品事例と私の作品事例、そして、紹介した雑誌の画像です。

本日のテーマは「自分自身の生き方」です。

一昨日は、朝一便で東京から帰ったばかりですが、昨日は正午に自宅を出て、午後1番の便で羽田に向けて発ち、羽田空港では、出迎えてくれた東京支店のスタッフの前田さんと一緒に高崎に到着しました。

本日の私の出番は昼からなので、いつものように、昨日の最終便で東京に入り、東京で1泊して明朝高崎に向かっても良かったのですが、今回は先に来ているスタッフたちとの打合せの時間の確保のために、少し早い昼の便で出発したのです。

高松空港ではいつも本屋に寄る癖があり、並んでいる雑誌等で気に入ったのがあれば、直ぐに買っているのですが、今回も雑誌「PEN」のグラフィック・デザイン特集と「一個人」の京都についての編集が面白く、買ってみました。

機内では、いつも一番前席の通路側を確保するのはPCを使うためで、エコノミー席の場合、2番目以降の席ではPCを開いて仕事をするのは厳しいのです。

高松空港から羽田空港までは約1時間余りのフライト時間ですが、機内は電話も鳴らず、誰の邪魔もないので、思考に耽り、仕事をするのは最適の環境なのです。

機内では、いつも持参しているノンアルコール・ビールを楽しみながら仕事をしていて、私はアルコール類は一切飲まないので、ノンアルコール・ビールが気分をハイにさせてくれ、喉の渇きを潤すだけでなく、精神的な影響があると思っているのです。

日本のノンアルコール・ビールも徐々に美味しくなり、ビールの味に近づいているのですが、ドイツで昨年飲んだノンアルコール・ビールの味と比べると、まだ天地の開きがあり、早くドイツのノンアルコール・ビールのような、美味しい味になればと思っています。

私は、ほぼ年中無休で仕事をしているので、多くのお客さまとか麺学校の生徒さんから、「どこからそのようなエネルギーが沸いてくるのですか?」と聞かれることが多いのですが、別に仕事をしていると思っていないで、自分のやるべきことをやっているとしか思っていないのです。

決して苦痛に思ってやっている訳ではなく、むしろ楽しんでやっているので、疲労も溜まらないし、自然体でやっているだけなのです。

このような話をすると、私はいつも仕事ばかりしかしていないように思われるのですが、仕事もしていますが、自分自身の生活も楽しんでいるのです。

好きな物を食べ、好きな本を読み、自分の身体のパーフォーマンスを上げ続けることを研究し、会社のパーフォーマンスを上げ続けることも研究し、何ごとにも興味を持って取り組んでいて、興味の範囲が非常に広く、だから、日々の生活を思い切り楽しんでいるのです。

常に、良質な深い睡眠を取るように心掛け、体調の変化に気遣い、健康オタクくらいに健康には気を付けているのです。

去年まで分かっていなかったことで、今年になって分かった新しい概念が幾つかあります。

もし、去年までで私の生命が終えていると、その新しい概念を学ぶことなく、この世を去っていたのですが、幸いなことに今年も命があるので、新しい概念を学ぶことが出来ているのです。

だから、個人にとっても、会社にとっても最高の戦略は、長く生き残ることなのです。

最近は、人間の個性はまったく異なり、誰かにとっての成功法則は、他の人にはまったく当てはまらないと思えるようになり、100人いれば、100通りの成功法則あり、他人の成功法則は自分には当てはまらないのです。

巷には成功法則の本、ネットが溢れ返っていますが、自分自身の生き方を見つけることは欠かせず、自分自身の成功法則を見つけ出すことが大切で、他人のことを羨ましく思ったりしないことが大切で、それぞれ1人ひとりに異なった使命、異なった成功法則があるのです。

最近来日したウルグアイの元大統領ムヒカさんの言動を見ていても、自分自身で生き方を見つけた人が成功者であり、見つけることが出来なかった人が、成功者ではないのではなかろうかと思います。

だから、人生のどこかの時点で、自分自身の生き方を見つけることが大切で、一旦見つけておいたと思っている生き方も、更に、もっと上位の生き方を見つけることが出来るかも知れないのです。

最近、当社は会社の価値感を大きく変えましたが、この価値感をいつも振り返っているのですが、現在の当社に最も相応しい価値感を見つけることが出来たと思っています。

価値観を社内で定着させるためにも、常に明確にし続けたいと思います。

1. 顧客にフオーカスし、自ら奮闘者になり、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(顧客とのコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

女性の社会進出

人口構造の変化を、イノベーションの機会としてとらえ、生産性の高い優れた労働力を手に入れることに成功した顕著な例がいくつかあり、ニューヨークのシティバンクの成長は、主として意欲に燃える若い女性の社会進出をいち早く認識したことによるもので、1980年ころにはアメリカの大企業のほとんどは、それらの女性の存在を「問題」としてとらえていて、今日でも、そのような企業はかなり多いのですが、大企業のうち、シティバンクだけは、彼女たちの出現こそイノベーションの機会であると見て、1970年代を通じて、積極的に女性を採用し、訓練し、各地の支店へ貸付担当者として配置し、シティバンクが主導的な地位の銀行、しかもアメリカではじめての全国銀行となるには、それら意欲ある若い女性の業績が大きくものをいったのです。

同じ頃、(あまりイノベーションやベンチャーには関係のなさそうな)貯蓄貸付組合が、子育てのために退職し、労働力人ロから脱落した既婚女性が、パートタイムの正社員として強力な戦力になりうることを発見し、それまでは、パートタイムは臨時社員であることが常識で、しかも一度労働力市場から離れた女性は職場に戻ってこないことが常識で、いずれも、かつては当たり前のことだったのですが、人口構造の変化が常識を陳腐化させ、それらの貯蓄貸付組合、とくにカリフォルニアの貯蓄貸付組合は、統計によってではなく、外に出かけて観察することによってこの現実を受け入れ、類のない愛社精神をもつ有能な労働力を手に入れたのです。

旅行およびリゾート産業における地中海クラブの成功もまた、労働者階級のわずか1世代後にしかすぎないにもかかわらず、高い教育を受け、豊かな生活を送るにいたった大量の若い大人たちの出現という、人口構造の変化をイノベーションの機会としてとらえた結果、もたらされ、旅行慣れしていない彼らは、休暇や旅行やレジャーに詳しい者を必要とし、しかも、労働者階級の両親や、中流階級の年輩者と一緒では気づまりであり、そのような彼らが、10代のたまり場の異国版としての地中海クラブにとって、上客となったのです。

以上の結果より、ビジネスは人口が大きく関連しており、日本の現状においては、一番人口の多い世代は、団塊の世代であるシニア世代であり、まだまだ、シニア世代は元気で購買力も旺盛であり、女性の活用もたいへん有効な労働資源であると同時に、強力な消費者であることが分かります。

起きている現象を直視し、観察を繰り返すことにより、思考を重ねて次の時代のニーズを探り出すことは、時間をかけてわれわれ経営者が未来のためにやらなければいけない、非常に重要なことであり、イノベーションの種は、その気になり、目を開けてみると、われわれの周りに存在しているのですが、ただ漫然と見ているだけでは見えず、イノベーションの種を探すのにも、マネッジメントの原理原則を理解していないと、見えるものが見えないのですが、他の人たちに見えなくても、ドラッカーには常に見えていたのは、ドラッカーがマネッジメントの大家であり、マネッジメントを道具にように使えることが出来ていたためであり、われわれもマネッジメントを学ぶことにより、少しでもドラッカーに近づくことが出来るのです。

3人口構造の変化の分析

もちろん人口構造の変化の分析は、人口にかかわる数字から始まるのですが、人口の総数そのものにはあまり意味がなく、年齢構成の方が重要で、1960年代の西側先進国(ベビー・ブーム期の短かったイギリスを除く)で、最も注目すべき変化は、若者の急激な増加で、1980年代の最も注目すべき変化は、若者の減少、中年前期の人口の着実な増加、70歳以上の高齢者の急激な増加で、これらの変化は、1990年代以降には、さらに重要な意味をもつことになり、これらの変化はいかなる機会をもたらし、これら各年齢層の人たちの価値観、期待、ニーズ、欲求はいかなるものになるかが、今後のビジネスに大きな影響を与える要素なのです。

たとえば、正規の大学生の数は増えようがないので、減らさないようにするだけで精一杯であり、どの程度まで高卒者の進学率が上昇し、高卒者の総数の減少を補えるかであるのですが、30代半ばや40代の大卒者が増大することによって、さらに高度の訓練や再訓練を望む高学歴の人たち、すなわち医師、弁護士、建築家、技術者、経営管理者、教師などの数は、大幅に増加するので、以下の質問が大きな意味を持つようになるのです。

1.彼らが求めるものは何か、
2.彼らが必要とするものは何か、
3.彼らはいかに支払うか、
4.正規の学生とは異質な彼らのような学生を引きつけ、満足させるためには何をしなければならないか。
5.高齢者の欲求、ニーズ、価値観はいかなるものか。
6.高齢者は、高齢者グループとしてまとめて考えることができるのか。
7.それとも、異なる期待、欲求、ニーズ、価値観をもついくつかのグループに分類されるのか。

今の日本では、上記のように、一旦大学を卒業して企業で働いている成人の再教育のニーズは、まだ十分に満たされていないので、当社の麺學校は、麺専門店開業者のニーズを満たしているだけでなく、最近では、麺専門店の従業員教育を請け負い、従業員教育のニーズも満たしていて、当社の麺學校の特徴は、麺専門店の麺打ち職人ではなく、経営者を育成するための学校なのです。

最近、ハロー・ワークは就職希望者のパソコンとか、特殊技術の再教育を行ない、成果を上げていますが、今後の日本では、このような社会人を対象にしたビジネス・スクールのニーズが高まり、特に経営者育成のニーズが高まるものと思います。

画像は、先週のラーメン学校での生徒さんの作品事例と私の作品事例で、常に新しい盛り付けの研究を行なっているのです。

雑誌の画像も掲載します。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「リード・タイムは予測可能、変化の無視、「イノベーションの機会」としての利用、成功例」

昨日のお客さまの会社の社屋完成披露祝賀会の様子で、高本さんが麺打ち、私が茹でを担当しました。

今回もまったく想定外に襲ってきた熊本、大分地区の地震ですが、時間の経過とともに厳しさが増し、大きな余震が継続し、過去に前例のないような地震は、地震列島日本に連続の地震の兆しが始まりを告げているのかも知れません。

今回の件で現在の日本の地震予知の技術はほとんど出来ていないことが分かり、日本に住んでいる以上、どこで地震が起きても不思議ではなく、当社も全社を挙げて、地震対策を普段から行なわなければいけないことを教えられたのです。

同時に、自分の住んでいる街の地震を調べるのは、過去の地震年表を見れば、地震は繰り返しているので、ある程度の危険な可能性は分かるのです。

本日17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「地震へのリスクヘッジ」です。

昨日は朝一便で、羽田空港から高松空港を経て本社に帰り、社内で簡単な打合の後、善通寺にあるお客さまの新築記念祝賀会の会場へ向かいました。

タオルの販売をしている会社で、創業年度はほぼ同じで、会社の規模も良く似ていて、今回新社屋が完成し、社長の夢であった、大きな社員食堂を設け、その中に当社の製麺機でうどんの食事を提供するのです。

昨日は、社員全員、社員OB、近隣からのお客さまを含め、総勢200名以上のお客さまを招いての大規模なセレモニーで、当社の担当スタッフの高本さんも製麺のお手伝いに来ていたので、私も一緒にお手伝いをしたのです。

食堂担当者の方がたも製麺が始めてであったり、茹でもやったことがなかったので、見ていると間に合いそうになかったので、私が茹でを担当し、高本さんが麺打ちを行ない、次つぎと出来上がったうどんを提供したのです。

私も亀城庵の店内ではいつも麺打ちをしたり、茹でをやっていたので、年季が入っているので、このような時は非常に便利であり、同時に常に作務衣を来ているので、どこへ行ってもすぐにこのようなお手伝いが出来るのです。

今朝は自宅でいたので、神棚にお水を供え、灯明をともしていきながら、今回の地震に思いを馳せると、5年前の東北大震災からまだ5年しか経過していないのに、今回は日本の南の地で阪神大震災並みの大地震が発生し、多くの方がたが命を落とし、被災している現実を考えると、日々、こうして無事に過ごせていることが、奇跡のようであることに感謝せずにいられないのです。

東北大震災で被災した方がた、今回の熊本、大分で被災された方がたも、われわれと同じような平穏無事な日々を直前まで過ごしていて、或るとき、突然、降ってわいたような大きな災害に見舞われたのです。

その直前まで、われわれとまったく同じような平和な日々を過ごしていた方がたが、突然、違った世界に放り込まれているのです。

こうして考えると、今朝も無事な朝を迎えられていること、無事な土地の上に住んでいられることも、当たり前ではなく、有難いことであることが改めてよく分かるのです。

私は、大きな地震を迎える度に、今後の地震対策のために、過去の地震年表を見て、今後の地震の可能性を見てみるのです。

日本で住んでいる以上、地震列島の上に住んでいるので地震から避けることは出来ず、地震の特性は過去、同じような地震が同じプレートの境界線と断層の上で何度も起きているので、自分が住んでいるエリアでの未来の地震の可能性を知ることは出来るのです。

そして、すでに分かっている断層の位置を見ると、断層の非常に多い地域とそうでない、比較的断層の少ない、地震の可能性の低い場所を知ることが出来るのです。

海外の都市を見ても、ソウルとか、香港、シンガポール等は硬い岩盤の上に都市があるので、地震はほぼ起きないのです。

たまたま、日本の国は地震の非常に発生確率の高い地域であり、世界の都市の中でも地震がほぼ発生しない都市も多いのです。

特にシンガポール等は、地震とか、台風のような自然災害の非常に少ない都市としても有名なのです。

ビジネスがますますグローバル化していく中で、われわれはこのようなリスクヘッジも考えていかねばいけない時代になったことを感じるのです。

5年前の東北大震災のときには、丁度本社移転と新しく3ヵ所のドリームスタジオの開設直後であったので、当社のビジネスにも余計に大きな影響が出たのですが、地震大国日本でビジネスをやっていると、地震に対するビジネス上の備えも欠かせないのです。

ビジネスとは、リスクを取ることでもありますが、常にリスクを軽減するための対策も欠かせないのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

◆リード・タイムは予測可能

人口構造の変化は、そもそも予測が不可能なのかもしれないのですが、たとえそうであっても、人口構造の変化が現実の社会に影響をもたらすまでには、リード・タイムがあり、予測が可能なリード・タイムがあり、新しく生まれた赤ん坊が幼稚園児となり、幼稚園の教室や先生を必要とするようになるには、5年を要し、彼らが消費者として意味をもつ存在になるには、15年、成人の労働力となるには19年から20年以上を要し、いずれも計算でき、ラテン・アメリカの人口は、乳幼児死亡率の激減の直後、増加を始めたのですが、死なずにすんだ赤ん坊が学校に入るには5年から6年を要し、15、6歳の少年として職を求めるようになるには15年かかったのです。

教育水準の向上についても、その結果が労働力人口の構造変化や、技術水準の向上となって現れるには、少なくとも10年、通常15年を要するので、以上のように、赤ん坊として生まれ、次の段階に進むのには、ある一定の時間が必要で、それらの時間は、必ず計算でき、いつの将来に何が起きるかは完全に予測できるのです。

◆変化の無視

このような人口構造の変化が、起業家精神を持った起業家にとって、実りあるイノベーションの機会となるのは、ひとえに既存の企業や社会的機関の多くが、それを無視してくれるからであり、彼らが、人口構造の変化は起こらないもの、あるいは急速には起こらないものであるとの仮定に、しがみついているからであり、まったくのところ、彼らは人口構造の変化を示す、明らかな証拠さえ認めようとしない、いくつかの典型的な例があります。

1970年当時、アメリカでは、学校の生徒数が、少なくとも10年から15年間は、1960年代の25パーセントから30パーセント減になることが明らかになっており、1970年に幼稚園児になる子供は、1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が、急に変わる様子もなかったのですが、アメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとせず、子供の数が、年を追うに従って増加することは、自然の法則であるとでも考えているかのようで、彼らは、教育学部の学生の募集に力を入れ、その結果、わずか数年後には卒業生の就職難を招き、教師の賃上げに対する抑制圧力を生み出し、挙げ句の果てに教育学部の廃止を余儀なくされ、この現象は、日本でも起きた現象で、ベビー・ブームの反動による人口減であり、赤ん坊の出生数を見れば、一目瞭然であったのです。

ドラッカー白身、2つの経験をしており、ドラッカーは1970年代の半ばには、すなわち1957年の約20年後には、アメリカの大学生は1000万人ないし2100万人になると予測し、この数字は、すでに発生していた2つの人口の変化を単純に足した結果であり、出生率の増加と大学進学率の増加で、この予測は完全にあたったのですが、当時、アメリカの大学当局のほとんどすべてが、この予測を一笑に付したのです。

その19年後の1976年、ドラッカーは人口の年齢構成を見て、アメリカでは10年以内に退職年齢が70歳まで延長されるか、あるいは撤廃されると予測したのですが、実際の変化はドラッカーの予測より早く起こり、翌1977年、カリフォルニア州で定年が禁止となり、1年後の1978年には全国的に70歳前の定年はすべて禁止され、このドラッカーの予測の人口統計は公表されていたものでしたが、政府のエコノミスト、労組のエコノミスト、経済界のエコノミスト、そして、統計学者のほとんど全員が、ドラッカーの予測を、唐突なものとして片づけ、「そんなことはけっして起こらない」が、一致した反応だっただけではなく、当時の労働組合は定年を60歳以下に引き下げることを、要求していたのです。

専門家たちが、自分たちが自明としていることに合致しない人口構造の変化を認めようとせず、あるいは認めることができないという事実が、起業家に対し、イノベーションの機会をもたらし、しかも、リード・タイムは明らかであり、すでに変化は起こっているのですが、誰もそれを、機会とするどころか、単なる事実としてさえ受け入れようとしないので、通念を捨てて現実を受け入れる者、さらには新しい現実を自ら進んで探そうとする起業家は、長期にわたり、競争にわずらわされることなく事業を行うことができるのは、通常、競争相手が人口構造の変化を受け入れるのは、その次の変化と現実がやってきた頃だからです。

同じことは、日本でも既に起きており、日本では生産年齢人口(15歳~64歳)の人口が1995年にピークを打ち、既に12%減少しているので、労働者が不足による人手不足が、産業界で起きていて、これを緩和するのは、65歳以上のシニアの退職を遅らせるのが一番効果的であり、年金支給年齢も徐々に後ろにずれているので、将来は70歳から80歳まで働くのは、当たり前になり、また、介護を減らし、介護に要する国家予算を減少させるためにも、労働人口の高齢化は避けて通ることが出来ない、日本と世界の課題であり、日本の企業にとって、シニアと女性の活用は、これからの重要な課題であり、優秀な戦力としての人の雇用は、ますます重大な課題になり、適切な人を集めることが出来る、魅力的な企業作りが、これからの日本企業の最優先課題になってきたのです。

2「イノベーションの機会」としての利用

◆成功例

人口構造の変化を、イノベーションの機会としてとらえることに成功した、いくつかの例があり、アメリカの大きな大学のほとんどは、1970年代には大学生の数が1千万人から12百万人に達するというドラッカーの予測を、唐突なものとして受け入れなかったのですが、この予測を真面目に受けとめた、起業家精神にあふれた大学は、NYのペイス大学と、サンフランシスコのゴールデン・ゲート大学で、これらの大学も初めは懐疑的だったのですが、ドラッカーの予測の内容を調べた結果、有効であり、唯一の合理的な予測であることを知り、この予測をもとに新入生の増加に備えたのですが、これに対し、伝統のある有名大学は何もせず、20年後には対策を講じていた大学は学生を増やし、しかも、その後の少子化により、アメリカ全体の学生数が減少した後でさえ、さらに成長を続け、大学は良識の府と呼ばれ、このような少し検討すれば分かることを理解しようとしなかったという事実に驚きます。

ベビー・ブームという現実を受け入れた小売業者の一つが、無名に近かった小さな靴のチェーン店メルビルで、団塊の世代の第一陣がティーン・エージャーになる直前の1960年代の初め、メルビルはこの新しい市場に力を入れることにし、10代を対象にする新しい店をたくさんつくり、デザインも大幅に変え、広告や販売促進も、16、7歳のティーン・エイジャーを対象にし、さらに、男の子や女の子の着るものにまで進出し、メルビルは、アメリカで最も急速に成長し、最も利益をあげる小売チェーンとなったのですが、その10年後、すなわちアメリカの人口の重心が10代から離れ、20歳から25歳の「若い大人」に移りはじめた頃になって、ほかの小売店が10代に目をつけ、彼らを相手にする商売を始めたのですが、その頃には、メルビルはいち早くこの「若い大人」に的を移していたのです。

1961年、「進歩のための同盟」について助言を求めるべく、ケネディ大統領が招集した学者たちは、ラテン・アメリカにおける都市化の波を予測できなかったのですが、大店舗小売業のシアーズ・ローバックは、その数年前に、統計によってではなく、現地へ赴き、メキシコシティ、リマ、サンパウロ、ボゴタなどの街を観察することによって、この変化に気づき、同社は1950年代の半ば、けっして金持ちではないが、立派な中流階級になっていた、新しい都市住民のためのアメリカ流百貨店を、ラテン・アメリカの主要都市に建設し、数年後には、ラテン・アメリカの小売業界において主導的な地位を占めるにいたったのです。

一方、日本における、われわれのビジネスにおいても、人口構成の変化は外すことの出来ない重要な課題であり、日本での外食の歴史を振り返ってみると、まったく、人口の年齢構成の通りに人口の最も多い団塊の世代を中心に、ビジネスの栄枯盛衰の歴史を辿っていることが分かり、われわれ、団塊の世代が若いころにファミレスが出現し、小さい子どもを持つ若い家族は、ファミレスを随分使い、次に、マクドナルド等のファースト・フードが盛んになり、小さい子供たちが中学生、高校生になる頃には、ファースト・フードが全盛になりました。

団塊の世代が40代に乗ると、居酒屋文化がピークを迎え、サラリーマンの小遣いもピークを迎え、その後、日本はデフレに陥り、サラリーマンをターゲットにしていた居酒屋を含め、サラリーマンをターゲットにしていた外食は、売上を徐々に落とし、マクドナルドが半額セールを始め、牛丼の吉野家が大幅値下げに踏み切り、大きな成果を上げ、うどんのジャンルでは、はなまるがセルフで大成功し、その後、丸亀製麺が大成功したのは、周知の事実であり、現在は徐々にデフレの方向から、価値の高さが重要な要素になり、競争の激しい、サラリーマンをターゲットにするビジネスよりも、多くの飲食ビジネスが、シニアと女性をターゲットにしたビジネスに方向転換を進めているのです。

画像は、昨日のお客さまの会社の社屋完成披露祝賀会の様子で、高本さんが麺打ち、私が茹でを担当しました。

マグロの解体ショー、回転ずしコーナー等、晴やかで、大規模な祝賀会でした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「急激な変化、原因は不明」

昨日の東京支店での生徒さんの盛り付けの最終チェックの日で、同時に私はさまざまな自分自身の仕事をこのチャンスを利用して行なうのです。

九州地区の地震が続いていますが、当社の九州のスタッフからも思った以上の惨状が伝わってきて、今朝の1時過ぎにも大きな地震があり、大きな余震が続いていて、今まで伝わってきた状況よりも厳しい状況のようです。

震災地の方がたにはお見舞い申し上げますと共に、ユーザーさまで被災され、製麺機等に問題が出たお客さま方には、何でもお手伝いしたいと思っておりますので、速やかにご連絡下さい。

明日17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「進化と学びの動機、材料」です。

昨日は麺学校のスタッフたちと一緒に、朝から東京支店へ行き、ラーメン学校の最終日への参加ですが、私の出番は10時半からで、少し時間があったので、PC持参で品川駅へ行き、行きつけのカフェで仕事に取組みました。

東京支店から品川駅までは徒歩で15分程度で、品川駅港南口から北品川にかけてのビル街の中にある公園を通るルートで、木々に囲まれた環境が素晴らしく、散歩には最適なのです。

私の行きつけのカフェは、品川駅の中にあるベーカリーカフェで、朝から外国人等のお客さまが一杯で、日本にも本格的なカフェ文化が根付いてきていることを感じさせる素晴らしいカフェです。

雰囲気の良いカフェでの仕事は、非日常の世界の中で心も改まり、違った発想が生まれ易いので、私は気分転換して仕事をする場合は、よくカフェを活用しているのです。

私の出番近くの時間になったので、東京支店に戻ると、生徒さんたちは最終の味の決定に取り組んでいて、生徒さんたちの完成形に近い味のチェックをしていきました。

昨日は、いつものラーメン学校と比較すると、味の問題点を抱えている生徒さんが多く、生徒さんの希望するラーメンをいかに言葉で表現して、われわれに伝えて貰えるかが難しいのです。

改めて、味の方向性を言葉で伝える難しさを理解した次第で、遠方から来ていた1人の生徒さんは、目指したい有名店のスープを持参していたので、それを分析し、比較的楽に方向性が定まったのです。

味の方向性を決める場合は、このような基準があると生徒さんとわれわれ講師陣の間のコミュニケーションが非常に取り易いのです。

当然、たくさんある当社のレシピでの味の比較を行なうのですが、かすかな味の違いをお互いの言語で理解し合うのは、非常に難しいことを昨日のラーメン学校で改めて体験したのです。

このような生徒さんとの新たな問題点の発見が、ラーメン学校をさらに進化させ、ラーメン学校も既にスタートして13年ですが、難しい生徒さんの存在がラーメン学校を無理やり進化させてきたのです。

難しい生徒さんの存在があり、そしてそのような生徒さんの要望に真剣に応えれば応えるほど、ラーメン学校を今までの安心領域から大きく抜け出させてくれるのです。

当社のラーメン学校はこの様にして進化出来てきたのであり、また当社自身の進化もこの様にしてなされたのであり、難しいことに果敢に挑んできた結果であり、もし、難しい問題に尻込みして取り組んでいなかったら、当社の存在はすでになかったのです。

機械の開発のような技術部門においても、製造部門においても、メンテナンス、企画、総務等、あらゆる部門において、現状の安心領域から逸脱し続けるのは会社の意志であり、同時にスタッフ一人ひとりの意志でなければ、イノベーションを継続することは出来ないのです。

日々の忙しい仕事に追われているスタッフたちに、今までの安心領域から逸脱して、背伸びをし続けることを要求することは、簡単ではないのです。

まず、安心領域にどっぷり浸かっていることを良しとしない人材を採用し、新たなことに挑戦し続けることが好きなスタッフを集めないと、そのようなことが出来ないし、また、そのようなスタッフを集めたとしても、常にトップがこのことについて、社内に意識づけし続けることが欠かせないのです。

当社は、変わり続けてきたのでここまで来れたのですが、同時にまた反省するのは、もっと真剣に、もっと大きく変わり続けてくれば、このようなレベルではなく、もっと違った場所に到達していたとのではというジレンマがあります。

だから、これ以上後悔しないためにも、われわれは日々もっと真剣に学び続け、実践し続けていくしかないのです。

昨日も大きな書店により、最新のビジネス書を見てみると、世の中の大きな変化を感じざるを得ず、新しい概念が次つぎと生まれ、次つぎとイノベーションを起し続けている会社が生まれているのです。

われわれの周りには、われわれを大きく変えてくれる教材が転がっていて、われわれはその気になれば、幾らでも非常に安いコストで多くの書籍から学ぶことが出来るのです。

今までは主に、私が先に学んで、スタッフたちに新しい概念を伝えていたのですが、これからは、私の代わりをするスタッフたちを社内に作り続けていかねばならないのです。

自発的に会社の仕組みを大きく変えてくれるような、マネッジメントに長けたスタッフたちで、そのようなスタッフたちをいかに社内に作り上げることが出来るかが、問われているのです。

日々の忙しい仕事をこなしながら、難しい仕事を通じてスタッフたちを成長させ続けることは、トップとしてたいへん楽しい、やりがいのある仕事であるのです。

本日は、朝一便で東京から本社に帰り、その後、善通寺市にあるお客さまの新工場と食堂のお披露目で、20数年来の親しいお客さまが社内食堂を作り、当社の製麺機を導入し、社員たちに美味しいうどんを振る舞うようになったので、私もお祝いに駆けつけるのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「◆急激な変化」

企業人、経済学者、政治家は、人口構造の変化の重要性をつねに口にしていて、今さら人口構造の変化の重要性について云々する必要はないと考えられるのですが、自らの意思決定においては、人口構造の変化に注意する必要はないと、信じているかのようで、出生率、死亡率、教育水準、労働力構成、就業年齢、人口分布、人口移動など、人口構造の変化は、緩慢かつ長期にわたる変化であって、実際的な意味は、ほとんどないと信じているのです。

14世紀におけるヨーロッパのペストのような災厄が、社会や経済に、直接の影響を与えることは誰もが認めるのですが、そのような事態を別にするならば、人口の変化は緩慢であり、歴史家や統計学者の関心事ではあっても、企業人や政府には関係がないとするのは、危険な間違いであり、19世紀に起きたヨーロッパから南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドへの大量移民は、世界の経済地図と政治地図を大きく変え、起業家のための膨大な機会を生み出し、それまでの数世紀にわたり、ヨーロッパの政治と軍事の戦略の基礎となっていた地政学的な概念を陳腐化し、しかもこの変化は、1860年代半ばから1914年までのわずか50年間に起こり、この変化を無視した者は、急速に時代から取り残され、ロスチャイルド家は、1860年まで、世界の金融界において支配的な地位にあったのですが、彼らは、大西洋を越える移民の意味を認識できず、くずのような人たちがヨーロッパを出ていくだけと見たので、その結果、早くも1870年頃には、ロスチャイルド家は重要な存在ではなくなり、単なる金持ちにすぎなくなったのです。

支配的な力を得たのはJ・P・モーガンで、彼の成功は大西洋を越える移民の流れに注意を払い、その意味を理解することによってもたらされ、この大量移民をイノベーションの機会としてとらえ、移民労働力が可能にした、アメリカ産業の発展に資金を供給する機関として、世界的規模の銀行をヨーロッパではなく、アメリカにつくったのですが、ヨーロッパやアメリカ東部が農業社会から大都市工業文明へと変貌するには、1830年から60年にいたる30年を要したにすぎなく、昔から、人口構造の変化は急激であり、唐突であり、衝撃的で、昔からの人口構造の変化が緩慢だったというのは誤解にすぎなく、むしろ長期にわたって移動することのない人口こそ、歴史的に見るならば例外であり、20世紀ともなれば、人口構造の変化を無視することは単なる間抜けであり、とくに現代社会においては、基本的に人口は不安定であって、急激かつ大幅に変化するものと考えなければならないのです。

人口こそ、企業人であれ政治家であれ、意思決定を行う者が初めに分析し、徹底的に検討すべき要因であり、たとえば国内政治や国際政治において、先進国における人口の高齢化と第3世界における若者の増大ほど、決定的に重要な意味をもつ要因はなく、しかも原因が何であれ、20世紀は、先進国と途上国のいずれも前触れもなく急激な人口構造の変化に見舞われたのです。

1938年、フランクリン・D・ルーズヴェルトが招集したアメリカの著名な人口学者たちは、アメリカの人口は1943年ないし44年頃、1億4000万人に達し、その後減少していくということで意見が一致したのですが、実際は、移民の受け入れを最小限に抑えたにもかかわらず、1986年頃は2億4000万人(2014年は3億1852万人)に達し、1949年、アメリカは何の前触れもなく、かつてない大家族化をもたらすことになるベビー・ブーム時代を迎え、それは21年間続き、1961年には、同じように突然、かってない小家族化をもたらすことになり、少子化時代を迎えたのですが、1938年当時の人口学者たちが、無能や間抜けだったわけではなく、当時、ベビー・ブームの到来を示すものは何1つなかったのです。

そのおよそ20年後、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、「進歩のための同盟」なるラテン・アメリカ開発援助計画をまとめるため、専門家を招集したのですが、1961年当時、彼ら専門家の誰1人として、その15年後には、ラテン・アメリカの社会と経済を一変させることになる、乳幼児死亡率の激減に気づかず、しかも彼らは、何の疑いもなく、ラテン・アメリカは、農業社会でありつづけることを前提とし、彼らもまた、無能でも間抜けでもなく、当時、ラテン・アメリカにおける乳幼児死亡率の激減や都市化は、まだ始まっていなかったのです。

1972年あるいは73年にいたっても、労働力人口についての専門家たちは、女性の労働力市場への参入は、それまでの傾向どおり、着実に減少を続けていくと信じて疑わず、例のない数のベビー・ブームの子供たちが、労働力市場に参入してきたとき、彼ら専門家は、(杞憂ではあったが)成人男性の職場が十分にあるかどうかを心配し、当時、彼らのなかに、成人女性の職場を心配した者は1人もいなく、彼女たちに職場は必要ないとしていたのですが、10年後には50歳未満の女性の就業率は64パーセントという史上かつてない高い水準となり、しかも彼女たちの就業率に、配偶者の有無、子供の有無による差は、ほとんどなかったのです。

◆原因は不明

これら人口構造の変化は、驚くべき速さで起こるだけではなく、しばしば、不可思議であって、説明がつかず、途上国における乳幼児死亡率の減少については、今ならば説明することができ、既存の技術と新しい技術の相乗効果、保健婦が増えたこと、便所を井戸よりも低いところにつくるようになったこと、ワクチンが普及したこと、窓に金網をつけるようになったことに加え、抗生物質やDDTをはじめとする殺虫剤など、新しい技術が一般に使われるようになったためだったのです。

しかし、先進国におけるベビー・ブームと少子化の原因は何だったのか、アメリカにおける労働力市場への女性の殺到(およびその数年後のヨーロッパにおける労働力市場への女性の殺到)の原因は何だったか、あるいは、ラテン・アメリカにおける、田舎から大都市スラムへの大量の人口流入の原因は何だったのかは分からず、日本でも、第2次世界大戦後にベビー・ブームが起き、団塊の世代が生まれ、第2次世界大戦(太平洋戦争を含む)が終わると、戦争から兵士が帰還した際や、戦争の終結に安堵した人々が子供をつくったため、前後の世代に比べて極端に人口比が高い現象が世界的に見られたのです。

この時期に結婚・出産した世代は、概ね1910年代末期-1920年代初期に生まれた世代と見られており、1946年から1952年頃の間に、北米、欧州、オセアニア、日本など世界各国で同種の現象が起きたのですが、国や地域によって時期については前後することがあり、第2次世界大戦後のベビー・ブームの原因は不明ではないのです。

画像は、昨日の東京支店での生徒さんの盛り付けの最終チェックの日で、同時に私はさまざまな自分自身の仕事をこのチャンスを利用して行なうのです。

昨日も、柑橘類を使ったうどんの冷たいソースを作り上げたのです。

卒業生も2人ほど、自分のラーメンの復習に参加していたのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「人口構造の変化に着目する-第5の機会、人口構造の変化、ドラッカー式の人口動態分析」

工場内の様子で、当社では毎日のように海外向けの機械の出荷があり、国内向けの出荷も厳しくチェックしているのですが、海外向けの機械はさらに厳しく、現地の電圧、周波数、麺の種類に応じたテストを行なっています。

来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「複雑な時代に」です。

昨日は朝からの面接、来客と昼前まで続き、当社と取引を希望している新しい取引予定の社長と部下の方、合計3名の方がたが来られて、いろんな話をしていると、面白い情報が次つぎと入手できたのです。

当社の仕入とか外注先の業者の方がたは、以前は地元がほとんどでしたが、徐々に地元の業者だけでは間に合わなくなり、地域が広がり、遠方の業者が増え、昨日も瀬戸内海を渡り、対岸から来られていたのです。

その取引業者は、中国とベトナムに海外子会社を持ち、中国とベトナムでも機械の製造を行なっていて、それぞれの国の特徴を教えてくれたのです。

この企業の国内の本社の規模は当社とそれほど変わらない規模ですが、すでに海外進出の歴史があり、海外でのビジネスを熱心に進めているのです。

多分、地方の中小企業が海外に進出する場合に、多くの問題を抱え、失敗を繰り返しながら、たくさんの犠牲、貴重な授業料を払いながらの進出のはずです。

その間で、企業は多くのことを学び、鍛えられ、免疫が出来、強くなることが出来るのです。

当社の場合も販売だけではすでに海外の体験が多いのですが、残念ながら、まだ製造の経験はぜんぜんないので、このように製造で進出している会社の情報はたいへん貴重な情報なのです。

そして、今回は取引を始めようとして、わざわざ来てくれたので、海外進出の情報だけでなく、その会社の得意な加工法についても、一度にたくさんの情報を得ることが出来たのです。

すでに当社の仕入先、外注先で海外に進出している先も何社かあるのですが、そのような企業は、普段はほとんど来社することがなく、私と会うこともないので、情報提供も受けることもないのです。

だから、一旦取引が始まった既存の仕入れ業者とは、自然と関係が薄くなってしまう傾向があるのです。

現在は技術の進化の早い時代なので、既存の取引先と言えども、強い関係性を保つためには、常に、新しい情報を提供し続け、関係性を強化していく必要があることを今回の業者の来社で思い知らされたのです。

これは当社とユーザーさまの関係においても、非常に意味あることであったのです。

一般的なビジネスにおいて、一旦取引が始まると、安心領域に入ってしまい、油断してしまい勝ちなのですが、常に緊張感を持って、関係を強化するためのさまざまな情報提供、お役立ちのためのサポートが必要であることがよく分かります。

昔から、結婚した男性の例えで、「釣った魚に餌をやるバカがいるか」という話がありましたが、今こそ、釣った魚に餌をやり続ける時代になっているのです。

当社の課題も、当社の麺学校を卒業した生徒さんたち、製麺機のユーザーさま方の成功をサポートするために、いかに手厚く育て、守り続けてあげることが大切なのです。

当社は現在、さまざまな媒体、イベントを通じて、情報を提供し続けていますが、生徒さんとか、お客さまに届いているのは、そのうち、ほんの数パーセントしかないのが、大きなジレンマです。

私が日々、書いているこのフェイスブックもそのような媒体のひとつで、熱心に読んでくれて、日々、反応して戴いているお客様、生徒さんもいますが、まだまだ少数であるのが、非常に残念なのです。

同時に、要請があれば、或いは、気になれば、時間の許す限り、訪問しているのですが、これも非常に限られたお客様しか出来ていないのです。

同時に、お客さまの数は増え続けていますから、コストが上がらないで、よりサービスを厚くすることをやり続ける必要性があり、その点ではネットの活用は外せないのです。

従って、お客さまにも当然、ネットに対する親和性は高めて戴き、PCの扱いにも慣れて戴く必要はあるのです。

現在の社会は余りにも進化が激しく、われわれは常に新しいものを学び続ける必要があることを痛いほど感じます。

ビジネスの世界においては、ネット無しにはあり得ないし、PC無しにもあり得なく、グローバル化により、英会話も当たり前になり、これらのことがらは自転車とか、自動車を運転できることと同じで、誰にも必要なことなのです。

100年前に生きた人たちは、自動車の運転、PC、ネット、英会話等、どれも出来なくても、楽に生きていくことが出来たし、ビジネスの成功においても必要ではなかったのですが、この様にわれわれは非常に複雑な世界に突入していて、さらに複雑さを増しているのです。

だから、必要なことであれば、どんな複雑なことであっても学び続け、理解し続けていかねば、シビアなビジネスの世界で生き残ることは許されないことを理解しなければいけないのです。

麺ビジネスを志す人たちにとっても、このことは同様で、永く勝ち残り、生き残るためには、たいへん難しい時代になっているのです。

昨日は、1時過ぎのフライトであったので、オーガニックの野菜の弁当を作って貰い、12時頃に本社を出て、高松空港へ向かったのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

第7章 人口構造の変化に着目する-第5の機会

予期せぬ成功や失敗、ギャップの存在、ニーズの存在、産業構造の変化などのイノベーションの機会は、企業や産業、あるいは市場の内部に現れ、もちろん、経済、社会、知識など、産業や市場の外部における変化が、原因であることもありますが、それらのイノベーションの機会が現れるのは、あくまでも産業や市場の内部においてなのです。

これに対し、以下の3つのように、産業や市場の外部に現れるイノベーションの機会があるのです。

(1)人口構造の変化
(2)認識の変化
(3)新しい知識

これらの変化は、社会的、形而上的、政治的、知的な世界における変化であるのです。

(1)人口構造の変化

産業や市場の外部における変化のうち、人ロの増減や年齢構成、雇用や教育水準、所得など人口構造の変化ほど明白なものはなく、いずれも見誤りようがなく、それらの変化がもたらすものは、予測が最も容易であり、しかも、リードタイムまで明らかであり、2015年におけるアメリカの労働力は、すでに生まれ、成人している人たちだけなのです。(ただし、これから15年後のアメリカの労働力の少なからざる部分は、今日メキシコの寒村に住んでいる子供たちかもしれないのですが。)

2040年に退職年齢に達する人たちはすべて、現在すでに労働力となっている人たちだけで、しかも多くの場合、現在と同じ職種で働いているはずであり、さらに、現在20代の前半から半ばの人たちが働く、今後40年間の職種も、これまで彼らが受けた教育によりほぼ規定されていて、;:¥たとえばアメリカの10代の女性は安い靴をたくさん買い、耐久性ではなく、ファッション性を基準にするのですが、同じ女性が、10年後にはあまり靴を買わなくなり、17歳頃の2割程度に減り、ファッション性は重要ではなくなり、履き心地や耐久性が基準になるのです。

先進国では、60代、70代の退職後間もない人たちが、旅行や保養の市場において中心的な世代となり、ところが10年後には、この同じ人たちが、高齢者コミュニティや老人ホーム、あるいは(金のかかる)介護施設の客となり、共働き夫婦には、金はあるが時間がなく、彼らはそのようなライフスタイルで、消費生活をするので、ネット通販等に購買を頼ったりし、若いときに高等教育、とくに高度の技術の教育を受けた人たちとか、自由業の人たちは、卒業の10年後、20年後には、高度の再教育コースの受講者となり、高等教育を受けた人たちは、主として知識労働者になるのです。

1955年以降の乳幼児死亡率の激減によってもたらされた、第3世界における若者の増大や、末熟練工や半熟練工にしかなれない若者を大量に抱える低賃金国との競争が存在しないと仮定しても、欧米や日本などの先進国は、オートメ化せざるを得ず、少子化と教育水準の向上という人口構造の変化だけを見ても、先進国の製造業における伝統的なブルー・カラーの雇用が、2010年までの間に1970年当時の3分の1以下に減少することは、ほぼまちがいないのです。(しかし、オートメ化の結果、製造業における生産性は3倍ないし4倍に増加するのです。)

次に人口動態の問題に面白い指摘をしている書籍「ピータードラッカーのマーケターの罪と罰」より、以下の文章を抜粋します。

ドラッカーは、人口動態の変化は動きが遅く、現実的に懸念を抱くには意味を持たないように見えることが問題だと考え、マーケターは継続的な成長を前提とし、マーケティングその他の計画に、大間違いであることがはっきりしているデータを組み込むことになるのを懸念していた。

ドラッカーは、実は比較的簡単な分析を行う手間をいとわない人々にとって、これはチャンスだと考えましたが、あらゆる意思決定者(マーケター、ビジネスピープル、公務員、政府の政策立案者など)は、人口動態の変化は重要性を持つにはペースが遅すぎると考えるのですが、分析を行い、その結果を利用する願望とノウハウを持つ人にとっては、人口動態の変化は大きな機会になり、
このチャンスは2つの単純な事実によってもたらされるのです。

① 人口動態の変化の基になる出来事は既に起きており、大抵の場合、よく知られているということ。

②こうした出来事が起きてから人口動態に変化が生じるまでのリードタイムもよく知られているということ。

ドラッカー式の人口動態分析

言うまでもなく、ドラッカー式の人口動態の分析もやはり、人口統計から始まるのですが、この分析では、人口の絶対数は最も重要性の低い数字で、ドラッカーは絶対数よりも年齢分布の方がはるかに重要だと指摘し、ドラッカーは我々にこう考えろと言っていた。
「今何が起きているのか、そして、それは人口にどんな影響を及ぼすのか。」

すべてのマーケターが計画の中で検討すべき材料としては次の通りです。

①先進国世界における出生率の急低下
②可処分所得の分配の変化
③組織内における成果の新たな定義
④グローバルな競争力
⑤経済のグローバル化と政治の分裂のズレの拡大

これらは皆、ドラッカー式の人口動態分析を使って構築された理論で、窓の外を見て、既に起きたことを観察し、それが人口統計上持つ意味を考えるのです。

1946年に始まったベビーブームは、乳児期、幼児期に必要となる玩具とベビー用品の需要が増えることを意味し、育児に関する情報を求める母親が多くなることも意味したのです。

そう考えると、小児科医のベンジャミン・スポック医師がベビーブームの始まった年に出版した『Baby and Child Care(邦題・スポック博士の育児書)』が
史上最大のベストセラーの1つになったのは、良く理解出来るのです。

その15年後、新たな「恐るべきティーンエージャー」になったベビーブーマーが、1960年代に社会的激変をもたらし、この世代が21世紀を迎え、高齢者になることは、様々な結果をもたらすが、特に医療とヘルスケア製品に対する需要増大を意味し、医療などに対する需要は、ベビーブーム世代の高齢化と並行して急激な伸びを示すのです。

マーケターが人口動態を分析し、適用する従来のプロセスは、人口をグループ分けし、プロファイルを描き、分析結果を計画と戦略に適用することで、これに対してドラッカーのプロセスは、既に起きた出来事を観察し、その結果生じる現象について論理的な結論を導き出し、それを知ることによる競争優位にチャンスを見いだすのです。

ドラッカー式のプロセスにより、セグメントの区分けや構成員のプロファイル構築などの必要性がなくなるわけではないのですが、将来のマーケティング環境に何が存在するのか知っている企業は、大きな優位性を得られるのです。

ドラッカーは市場で将来何が起きるかを発見したところで、マーケターの仕事が終わらないことも熟知し、マーケターは分析した人口動態と年齢層のニーズやウォンツ、期待の価値を見極めなければならないとしたのです。

画像は、工場内の様子で、当社では毎日のように海外向けの機械の出荷があり、国内向けの出荷も厳しくチェックしているのですが、海外向けの機械はさらに厳しく、現地の電圧、周波数、麺の種類に応じたテストを行なっています。

一台、1台、丹精を込めて完成した機械が、毎日、お客さまの元に届いているのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「傲慢への挑戦、単純なものが成功する」

讃匠の新年度経営方針発表会の様子です。全員集合での改まった会合で、皆、熱心に聞き入っていました。

来来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2142

本日のテーマは「忍耐力」です。

昨日は、朝から讃匠の経営会議、12時から昼食を兼ねて面接、その後、継続して経営会議、午後3時から全社挙げての讃匠の新年度経営方針発表会と、1日中讃匠のイベントが続きました。

丁度、新しい期が始まり、昨年までは大和のビジネスと讃匠のビジネスが切り離されていたのですが、前期末から、大和の自家製麺代行業で受けた麺の製造を讃匠が行なうようになり、大和と讃匠のビジネスの関連が深まり、連携作業が増えてきたのです。

大和の創業は40年前で、讃匠の創業は32年前ですが、大和の創業8年後にはすでに麺ビジネスを開始し、その頃の私は、製麺機の開発、販売と併せて、麺工場の運営、麺の製造販売とたいへん多忙な日々を送っていたのです。

大和も創業間もないころで、その頃は九州から始まった製麺機の販売も関西を済ませ、関東まで攻め上っている時期で、蕎麦用製麺機『坂東太郎』の開発を終え、大型の自動製麺機の開発もほぼ終えていたころであったのです。

大型の自動製麺機の開発を終えていて、販売を伸ばすために実演する自前の麺工場が必要になり、製麺機の販売のために作ったのが、讃匠の創業のきっかけであり、その頃、小学校の先生を定年退職していた家内のお袋と一緒に、お袋が住んでいた丸亀の家内の実家の一部を使っての創業でした。

麺の実験工場としてのスタートした工場であったのですが、この様に独り立ちできる会社になるとは、最初は考えもしていなかったのですから不思議なものです。

讃匠は、最初は軌道に乗るのが少し時間がかかりましたが、どこにも負けない麺の美味しさと防腐剤を一切使用しない安全な麺が評判になり、大和に比べると、立ち上がりはスムーズであったのです。

それには、その後、讃匠の会長になった家内のお袋の尽力も大きく、3年前に亡くなるまで、毎日丸亀売店に出て、お客さまの応対をし、讃匠を自分の子供の様に思っていたのです。

讃匠の麺工場を作ったときに、保険所の検査の方が来て、「香川県の製麺所はみな、廃業している時代なのに、今から麺工場を作るのは遅いのでは?」と、言われたくらいであったのですが、賢明な販売努力で県内の製麺会社としては、中規模の会社になることが出来たのです。

6年前に大和が新本社に移転するに合わせて、讃匠も同じ建物の3階、4階に事務所、作業所、工場関係すべて1ヶ所に集中したのです。

それまでの工場は一部借り物で、建物は古く、衛生状態も良くなかったので、新本社では衛生の行き届いた、見学工場にしたのです。

以前の古い工場とは比較にならないくらい清潔な工場になり、衛生も行き届き、作業環境も非常に良くなり、麺工場として、お客さまに案内しても恥ずかしくないレベルになることが出来たのです。

以前と比べると、働く人たちの環境は比較にならない位に改善されたので、移転後は業績が大きく良くなることを期待していたのですが、この5年間は残念ながら、讃匠に大きな変化は起きなかったのです。

しかし、今期からは大和と連携したビジネスが増えるので、讃匠の方も大和に触発されて変わらずを得なくなります。

5年前までの大和、讃匠グループは、地元だけでも全9ヶ所にさまざまな事業所が点在していたのを新本社移転と共に、それらを全部まとめて本社に集中したので、事業全体を見渡すことが非常に楽になってきたのです。

念願であった食堂も完成し、さまざまな点で非常に改善されたのですが、讃匠の業績にはまだ残念ながら影響が及んでいないので、いよいよこれからが本番であると思っています。

耐えたに耐えた、長かった5年間ではありますが、やっと日の目を見るときが来たような気がし、5年間ではありますが、耐え忍んだことに対する自信が少し芽生えています。

私は常々、『ビジネスの成果=責任×夢×情熱×意志力×集中力×経験×直観力×忍耐力』であり、ビジネスはすべてプロセスであるので、タイムラグがあり、そのために忍耐力が必要であると言っているのです。

苦しい時に辛抱して耐える忍耐力は、ビジネスには欠かせず、奮闘の精神で頑張り続けることも、ビジネスには欠かせないのです。

昨日の経営会議で讃匠の価値感を大和と同じく、以下のように明示したのです。

『讃匠の価値感』
1.顧客を中心に据え、奮闘者を根幹とし、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(コミュニケーションの大切さ)
2.自己批判(内省、フィードバック)

Now! Will Sensitive it of hesitant. The in bath smells what is the active ingredient in viagra best! Bought even for make directly tilted. My keeper on, especially is viagra safe it found and used product pureology loud, quickly Red bit http://cialisonline-storeedtop.com/ pony friend. I. You sit to after sprays generic cialis online bed. It a is as from regions but picture you’ve canadian pharmacy in dubai others are soft! I’m the a by, medicinal it.

3.オープンな姿勢と進取の精神(イノベーション)
4.効率の追求(利益、コスト)

そして、本日のフェイスブックを書きながら、自己批判の反対は傲慢であることに気づいたのです。

ビジネスの失敗の原因の多くは傲慢から起きているのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

◆傲慢への挑戦

産業構造の変化を利用するイノベーションは、その産業が一つ、あるいは少数の生産者や供給者によって支配されているとき、効果が大きく、長い間成功をおさめ、挑戦を受けたことのない支配的な地位の生産者や供給者は、傲慢になりがちであり、新規参入者が現れても、取るに足らぬ存在、素人にすぎないと見て、その新規参入者のシェアが増大を続けても、対策を講じることができず、AT&Tにしても、長距離通話割引業者やPBXメーカーに対する対応を取りはじめたのは、それらか出現して10年後で、タイレノールやダトリールなどいわゆる「非ピリン系アスピリン」が現れたとき、アメリカのアスピリン・メーカーの対応も緩慢だった。

ここでもイノベーションを行なった者たちは、市場の急激な成長によって産業構造の変化が起ころうとしていることを知り、そこにイノベーションの機会を見出し、当時、アスピリンをつくっていた大製薬会社が「非ピリン系アスピリン」を開発できない理由はなく、すでにアスピリンの限界と危険は周知のことであり、それを指摘する文献もたくさん出ていたのにもかかわらず、5年から8年もの間、新規参入者は市場を独占することができたのです。

アメリカの郵便も、長い間、新規参入者に利益の大きな分野を奪われることに対し、抵抗できず、初めにユナイテッド・パーセル・サービスが利益の大きな小包に進出し、次いでエミリ・エアフライトとフェデラル・エキスプレスが、さらに利益の大きな速達や書留に進出し、郵便の地位を危うくしたものは、市場の急激な成長で、成長市場の軽視が、外部からのイノベーションを招き入れたのです。

産業構造の変化が起こっているとき、リーダー的な生産者や供給者は、必ずといってよいほど、市場のなかでも成長しつつある分野のほうを軽く見て、急速に陳腐化し、機能しなくなりつつある仕事の仕方にしがみつくのですが、それまで通用していた市場へのアプローチや組織や見方が正しいものでありつづけることはほとんどなく、イノベーションを起こした者は、気付かずに放っておかれ、昔からの企業は、古い市場において、古い方法で一応の満足すべき成果をあげていて、外部からの新しい挑戦に注意を払わず、大目に見るか、まったく無視するのです。

◆単純なものが成功する

産業構造の変化をとらえるイノベーションが成功するためには、1つだけ重要な条件があり、単純でなければならないということであり、複雑なものはうまくいかないのです。

ここに一つの例があり、ドラッカーの知るかぎり、最も賢明な企業戦略でありながら、惨敗した例で、1960年前後に起こった自動車市場のグローバル化の引き金を引いたのは、フォルクスワーゲンで、ビートル・モデルは、50年前のT型フォード以来、はじめてのグローバル車で、アメリカでも、ドイツと同じように、あらゆるところで見ることができ、タンザニアでも、ソロモン諸島と同じように人気があったのですが、フォルクスワーゲンは、賢明でありすぎたために、自らがもたらしたイノベーションの機会をものにすることができなかったのです。

世界市場に進出して10年後の1970年頃、ビートルはヨーロッパで飽きられはじめていたのですが、ドイツ本国に次ぐ大きな市場だったアメリカでは、まだかなりよく売れていて、3番目に大きな市場だったブラジルでは、さらに大きな成長の余地が残り、新しい戦略が必要だったので、フォルクスワーゲンはビートルの後継車の生産には、ドイツ工場をあてることにし、アメリカ市場での需要に対してはブラジル工場をあてることにし、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルは、成長を続けるブラジル自動車市場において、トップの地位を10年間は享受できるだけの生産能力の拡大を行ない、フォルクスワーゲンは、アメリカのユーザーにとって魅力の一つだった「ドイツの品質」を保証するため、エンジンやトランスミッションなどの重要な部品はドイツ工場で生産し、最終組み立てをアメリカ工場で行うことにしたのです。(以上の戦略は、物流が複雑に込み入っていて、今日の開かれたグローバル経済では当たり前ですが、45年前は複雑すぎて、社会体制が対応出来なかったのです。)

これこそ世界各地の市場のニーズに応え、世界各地で部品を生産し、世界各地で組み立てを行うという世界初の真のグローバル戦略というべきものであり、もし実現すれば、正しい企業戦略、しかも革新的な戦略となっていたはずでしたが、この戦略は主として「アメリカでの組み立ては、雇用の輸出であるから認められない」とするドイツの労働組合によってつぶされ、アメリカのディーラーも重要な部品はドイツ製であるとしても、それ以外の部品がブラジル製の車には懐疑的であり、フォルクスワーゲンは、その賢い戦略を諦めざるをえなかったのです。

その結果、フォルクスワーゲンは、第2の市場たったアメリカを失い、そもそも、イランのシャーの失脚を契機とする第2次石油ショック後の小型車ブームのとき、アメリカの小型車市場を手に入れるはずだったのは、日本車ではなくフォルクスワーゲンだったのですが当時、フォルクスワーゲンには売るべき車がなく、しかもその数年後、ブラジルで深刻な不況により自動車の売り上げが落ちたとき、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルが苦境に陥り、増設した生産能力のための輸出先がなかったのです。

この頭のよい戦略が失敗し、フォルクスワーゲンの将来までおかしくすることになった具体的な原因は、ここでは二の次の問題ですが、フォルクスワーゲン物語の教訓は、産業構造の変化にもとづくイノベーションは、複雑すぎると失敗するということにあり、成功のチャンスは、単純で具体的なイノベーションにこそあるのです。

フォルクスワーゲンのビートルは、第2次世界大戦後、同じモデルで、世界中で良く売れたベストセラーであり、ロングセラーである、オートバイのカブのようなモデルで、主力モデルである「タイプ1」は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から圧倒的な支持を得ることに成功し、「ビートル」の愛称で広く親しまれたこの古風な流線型車は、アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献したのです。

2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録となっていて、おそらく四輪自動車で、今後もこれを破る記録は現れないと言われているのですが、最初に本国のドイツで陰りが出て、次にアメリカ市場では思わぬライバルとなった日本車に負け、そのうち、世界中で生産、販売が徐々にストップしたのです。

1965年には、従来ダイムラー・ベンツ傘下にあり、今日のアウディAGの前身であるアウトウニオン社を生産体制強化のために買収したのですが、ビートルの余りに大きすぎた成功は、後継モデル開発の妨げともなり、「フォルクスワーゲンすなわちビートル」というイメージの強さ、空冷リア・エンジン方式というレイアウトが、1960年代に陳腐化したにも関わらず、根本的変更が遅れたことなどが災いし、新型車を世に問うても決定打を欠くという低迷期が、1960年代後半以降長く続いたのです。

フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオン(現アウディ)の前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進め、1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車ゴルフを開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなり、ようやくビートルを代替できるモデルを得、以来、その延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、ヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立したのです。

1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになり、1984年には、上海汽車との提携で中国市場へ参入、また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインのセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保したのです。

以上のように、ビートルのもともとのデザインが、ヒットラーの国民車の発想がベースになっているので、コンパクトで、室内のスペース効率がよく、エンジンを始め、すべてのスペックのレベルが高かった現代的な日本車に比べると、1~2世代前の車であったので、大市場であった、アメリカでも徐々に日本車に駆逐され、完全撤退をせざるを得なくなり、その後、アメリカ市場は日本車の市場になってしまったのですが、その代わり上記のように、現在、世界最大の市場になっている中国への参入は、日本車よりも早い段階で参入し、外国車では、トップ・シェアを誇っているのです。

要するに、フォルクスワーゲンは、長くビートルが売れ続けていたので、新しい車の開発に遅れ、安心領域に止まっていたのですが、現在では、フオルクスワーゲンは世界市場において、トヨタとトップ争いをしており、車の魅力、高級車から普及車まで幅広く揃え、フルライン化が最も進んでいる自動車メーカーになり、進化の早い、競争の厳しい自動車市場において、こんなに成功する自動車メーカーになることは、ビートルが失速をした頃には、想像も出来ず、自動車としての本質的な魅力を高めながら、デザイン力を高めたフォルクスワーゲンの底力は、非常に強くなっていると言わざるを得ず、われわれは、フォルクスワーゲンから学べることはたくさんあるのですが、最近、起きたデイーゼルエンジンの排ガス偽証問題は、フォルクスワーゲンの屋台骨を揺るがすような世界的な大問題に発展しているのです。

フォルクスワーゲンに比べ、日本車は、北米市場で大勝利をしたので、中国市場への参入は遅れ、中国市場はこんなに早く現在のような状態になるのは、想定していなかったのと、共産党独裁政治なので、日本車メーカーは取り組みが難かしく、日本車の中でも中国市場でトップのシエアを占めているのは、日本国内では3位のニッサンで、ニッサンは北米市場では、トヨタ、ホンダより、はるかに劣っているので、中国市場に注力せざるを得なかったという事情があり、北米市場で成功した企業は中国市場で出遅れ、反対に北米市場で上手くいかなかった企業は中国市場に賭け、これはまさに、塞翁が馬と同じで、上手くいった後は躓き、躓いた後は上手くいくという人間社会の性なのです。

画像は、讃匠の新年度経営方針発表会の様子で、途中で誕生日のお祝いがあり、その後、部門別の発表会がありました。

食堂で開催しましたが、全員集合での改まった会合で、皆、熱心に聞き入っていました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Page 8 / 104 « 先頭...678910...203040...最後 »
PAGE TOP

麺開業.com やりたい気持ちはあるのに、誰に相談して、何から始めていいのか分からない… 毎年200店以上をプロデュース安心してご相談ください!

お問い合わせ・資料請求
0120-45-1002 フリーダイヤル 8:30 ~ 17:30(日・祝を除く)
麺と経営の事なら 麺の学校校長ブログ 疑問・質問も受付中、校長がお答えします!! 疑問・質問も受付中、校長がお答えします!! 大和麺学校放送局 学校の様子を動画配信!

麺開業.comお知らせ

カテゴリ別

最新のお知らせ

過去のお知らせ

  • 動向や可能性が分かる 最新麺業界情報 なぜ今麺業界に可能性があるのか?最新情報をチェック!
月~金曜日大好評配信中!!メールマガジン 毎日1分で読める繁盛店への道
↓ メルマガ無料登録 ↓
電子メールアドレス(半角)
大和通信
  • 繁盛させるために経営者が理解すべきこと
  • メニューのご案内「旨辛出汁」
  • 小麦粉の製麺特性3大要素 など
  • プロの経営者になる知識・知恵をたったの2日間で「経営ノウハウ講義」
  • 資金はどれくらい必要? お悩みから探す
  • 開業で失敗しない為の10ヶ条
  • 無料ガイドブック コンサルタントも教えない秘情報
  • 書籍のご紹介